2013年11月24日日曜日

9条どうでしょう?



 2015年には太平洋戦争敗戦後、70年という大きな節目を迎える。憲法改正が叫ばれ、秘密保護法が自民党で了承され、国家斉唱が強制される中、先の戦争がなんだったのか評価しておく必要がある。最近、ある高校で生徒114人に「先生が国歌に反対する理由」を尋ねると8割が知らないと答えたという。賛成反対の前に論点がわからない。「知らない」「関心ない」がサイレントマジョリティを生み、結局 「言われるがまま」という「おまかせ民主主義=独裁主義」を生み出してしまう。地の塩、世の光であるクリスチャンが「知らない」「関心ない」ではまずいのではないだろうか。論点だけは押さえておきたい。

昨今、右派論客の本が多くなっていると感じるのは私だけだろうか?保守派の人の本を読んでみると、以下の論点が浮かび上がってくる。


1.侵略戦争ではなく、国の存亡を賭けた自衛戦争だった。
2.真珠湾攻撃のことはアメリカは事前に知っていたが、わざと攻撃させて
日本に開戦させた。
3.ポツダム宣言検討中に日本が負ける事をわかってながら、原発を落とした。
4.東京裁判は占領軍であるアメリカが一方的に敗戦国日本を裁いた不当な裁判である。
5.GHQは自虐史観的戦後教育で日本人を骨抜きにした。


それゆえ、「戦後レジームからの脱却」、GHQに汚される前の「日本を取り戻す」という結論になる。当然、GHQの押しつけ憲法も改正が必要である。国防軍を持ってフツーの国になるべしとなる。

ある人々は、国家存亡の危機で、「開戦は日本国民を守るために仕方なかった」という。しかし、そんな自国の存亡の危機の時に大東亜共栄圏などと呑気なことを言っていられたのだろうか?他の国の独立を助ける余裕などあったのだろうか?本音は、国益第一だろう。戦争には国民を納得させる「大義」が必要なのだ。どの国でもそうなのだ。さて、マッカーサー自身が帰国してから「あの戦争は日本にとって自衛戦争だった。」と証言したらしい。しかし、国内にも石橋湛山や内村鑑三など小日本主義、不拡大主義を唱えた指導者もいたのだ。何とかならなかったのか?石橋は満州、朝鮮を手放し、独立させることで、逆に世界から信頼され、英米を困らせることができると、したたかな外交戦略を唱えていた。ただ、あの「空気」の中、開戦はやむを得なかったのだろう。遅かれ早かれ軍の暴発は起っていただろうと指摘する声もある。実際、多くの国民やマスコミは戦争を支持した。当時は領土拡大=国益ということだったろうが、結論的にいうと、ハルノートの言う通り、戦後は、日本の領土は明治時代の領土に逆戻りしてしまっている。だったらあれは何だったのか。そして、戦争は国民を守るためではなく、国=国体 (天皇と一部指導者)を守る戦いだったのではと疑われる?多くの兵士が戦場で無謀な戦略のため命を落としたことも事実。

さて、今日、自民党が本気で9条の改正を叫んでいる以上、論点を整理しておく必要がある。


日本国憲法は押しつけ?

占領下の日本は直接アメリカの軍事下になる可能性もあったが、日本の国会を通して日本を統治する型を取った。アメリカの占領下政策がすべて正しいとは言わないまでも、「一億火の玉」「天皇陛下万歳」と人間魚雷や神風による玉砕という狂気の中にいた日本人を民主主義に変更するには、ある種の「強制」(毒抜き)は必要であったと思われる。アメリカは新しい日本再建に「天皇制」を利用しようとしたことは事実。しかし、結果的に象徴という形で「天皇」が、一宗教法人という形で「靖国神社」も残された訳だ。天皇退去、靖国抹消もありえた時代風潮の中で。そういう意味ではGHQは、日本人の心を全く踏みにじるようなことはしていない。アメリカ側は日本をよく研究し、紛争の怒らない様うまく統治したのではないか?

さて、憲法においてもマッカーサー3原則(天皇制存続、戦争放棄、封建制度廃止)は譲れないと迫られたことはあっても、日本の憲法学者、鈴木安蔵らの憲法研究会などの民主的憲法の提案も受け入れ、あの戦後の混乱期にしてはすばらしい憲法(主権在民、人権尊重、平和主義)が制定されたのではないだろうか?憲法草案確定時に首相であった幣原喜重郎(しではら)は「全然武器の使用の機会を無くす事を最先の目標」とし戦争放棄、平和産業の発展を訴えた。第55代内閣総理大臣の石橋湛山も武力放棄の平和憲法は「人類最高の宣言」と高く評価している。石橋は、そのようにしてファシズム戦争への不屈の抵抗を見せた。戦後68年、この憲法で生きてきて国民的な反発が出た訳でもない。自衛隊は一人も戦場で人を殺していない。その事実自体が、国民に受け入れられてきたと言えるのではないだろうか?

アメリカ占領軍が、天皇を象徴として残しつつ、軍国主義カルトの毒抜きをし、日本国憲法を制定し、民主主義国家の土台を築き、その後日本が、世界第二位の経済大国にまで上り詰めた復興を見る時、アメリカは良くやってくれたのではないだろうかと思わざるを得ない。戦後には戦勝国4カ国による日本分統治構想というのがあった。それが実現されていれば、北海道、東北はソ連領、四国は中国、九州はイギリスなど民族分断の恐ろしいことになっていたのだ。東北共産主義地区など誰も望まないだろう。


戦争放棄は世界の非常識?

19世紀までは植民地獲得のための戦争が正統化されていたが、20世紀に入って禁止された。現在の国際法では国際間の紛争を武力解決することは禁止されている。従って日本憲法だけが特殊なわけではない。戦争放棄を書き込んでいる憲法も世界に多数ある。9条第一項目はそういうわけで、改正する必要はないと思われる。

2項の武力の保持に関しては、国際的に3つの例外がある。1)個別的自衛のため 2)集団的自衛のため 3)国連安保理の決断で国連軍が動く時 は武力を使用していいことになっている。日本の場合は9条により1)の個別的自衛権だけが許されているという理解。自衛のために最小限の武力装備が許される。したがって自衛隊は合憲。

そもそも自衛隊は戦争放棄を勧めたアメリカが朝鮮戦争で出陣し、日本の治安(特に共産軍の侵入)に不安をもって警察予備軍(7万5千人募集)を作らせたのがきっかけ。占領直後は自衛を含む戦争放棄を勧めたアメリカが、逆コースで、再軍備するよう促すが、吉田首相が頑として断った。(反吉田の鳩山一郎は、再軍備、憲法改正を唱っていた)結局、警察の増強という型で進められる。それが以降、保安軍となって、自衛隊になった。

終戦直後、占領軍のアメリカとしては天皇崇拝軍国主義カルトの毒抜きとして、日本の全き戦争放棄(自衛含む。占領下だったので当然米軍が保護するので)を望み、新憲法にマッカーサーの3原則(戦争放棄、天皇制維持、封建制廃止)、を盛り込むよう命じた。これを受けて日本側で憲法を作成、内閣で承認。しかし、朝鮮戦争を契機に冷戦時代を迎えたアメリカは方針を変えた。アメリカは日本が早く復興し、経済力をつけて共産主義の防波堤となるよう、そのために軍隊を持つよう願ったのだ。そのために圧力をかけて被侵略国への賠償金を少なくさせ、IMFからも抱負な資金を投入する。反共産陣営として日本を取り組み、米軍基地を置く事で日本の防衛を肩代わりすることとなる。

サンフランシスコ条約で独立主権国として再出発した日本は自衛権が許された。しかし、集団的自衛権は、9条の縛りで行使しないことになっている。歴代の内閣は集団的自衛権を行使しないという立場をとってきた。従って、これを憲法解釈でやろうとするのは無理がある。現在の憲法解釈は歴代の憲法学者が議論を重ねて到達した結果であり、それを踏みにじることはできない。しかし、現在の安倍内閣は憲法解釈を変えて、手段的自衛権行使を考えている



歴史が語る問題点

1)満州事変から南京攻略、太平洋戦争へと、内閣は不拡大路線、外交努力で戦争回避を努めたが、結局、軍に押し切られるようにして戦争に突入、戦争に反対していた天皇もそれを追認することとなる。軍は「力」を持つので、邪魔者を消せる存在となる。(5:15事件、2:26事件)「力」による恐怖政治、軍の暴走は起る可能性があるし、現に起った。

2)第一次大戦後、莫大な戦争賠償金を負わされた上、アメリカ発信の世界大恐慌により経済窮地に陥ったドイツでは、ヒットラーの登場を国民が支持するようになっていく。右派巨大与党と共産党という構図で、今の日本によく似ている。日本でも満州事変頃からラチがあかない内閣より、軍を支持するようになったし、一度戦争が始まればメディアも煽り、国民も応援する。つまり、戦時下の異常な興奮の中では、シビリアンコントロールなどできないのだ。

3)武器を持てば使いたくなる、挑発したくなる。相手も攻撃しやすくなる。より緊張が高まる。緊張する「現実」に対処する必要があると言われるが、その「現実」をつくっているのは「私達」であることも忘れてはいけない。

4)「自衛」「集団的自衛」の名のもとに「戦争」が行われてきた。それらは
  戦争の言い訳になることもある。


朝鮮戦争時、警察予備隊を募集したが、職を求める人が多かったため7万5千人はすぐに集まったという。今日、自民党の石破氏は国防軍を作っても徴兵制にはしないと言っている。今後、仕事の無い若者が自衛隊志願することもありえるだろう。しかし、何と言っても少子化である。国防軍を作った後、兵士が足りなければ徴兵制も議論に上るだろう。問題は、今の日本の若者が戦場で戦えるのかというとこで、精神を鍛えるのに、国家神道や天皇カルトが復活しないのかという心配もある。日本の精神的支柱は、今のところ、それしか無いのだから。

いずれにしても憲法は国の理想を掲げている。事実、過去70年近く、日本の自衛隊が一人も戦場で殺していない。そのことを誇りにしていいのではないか。世界はそれをバカにするどころか尊敬するのではないか?フツーの国家に成り下がるより、理想に現実を近づけるよう世界にメッセージを発する国家としてこそ存在意義があるのではないだろうか?
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やはり防衛や国際貢献は必要。------- さらに議論が必要な9条の諸問題

ただし、改憲反対を叫ぶだけでなく、国際的な、現代的な状況の中で護憲であっても国防戦略をきちんと考える必要がある。聖書が言うように全ての人が罪人なのであり、脱線する可能性はある。第二次世界大戦を避けられなかった人間に大三次世界大戦が絶対に無いとも言えない。そこまで行かなくても隣国との紛争は現実、目の前にある。優先は戦争予防外交。しかし、同時に国民を守るために国防は必要である。今日はすべての戦争・紛争が世界の目にさらされる。理不尽なことはやりにくくなっている。メディア、インターネットによる国際世論や国連の決議などという要素も考慮すべき。

1)平和維持海外派遣の場合の安全は? PKO活動で攻撃された場合

戦闘地には送らないが原則だが、戦闘地の定義は?自衛隊とは別に「海外協力隊」を作る案もある。日本は戦争を起こさないための予防活動、すなわち平和構築活動に積極的に貢献すべきだろう。

2)海外邦人の救出の際、攻撃された場合

ピストルを使ったり正当防衛は、現在でも許されるが、それで十分か?

3)国内の米軍基地問題

沖縄はじめ、国内の米軍基地を無くすには、日米同盟、安全保障戦略を再考しなければならない。以下幾つかのオプション

a. 日米同盟を廃棄、完全に日本のみで防衛体制を作る。
b. 日本とアジア諸国で新しい防衛戦略を作る。ただし、戦中の大東亜共栄圏の悪夢がまだアジアにあり実行は難しいだろう。
c. 日米同盟は保ちつつ、同等の関係として日本は自衛隊(国防軍)が守ることとし、米軍に国内から去ってもらう。沖縄から米軍の完全撤退を計画するなら、未来を見据えた防衛戦略をきちんと作ることが先決。無防備でアメリカのプレゼンスが無くなると中国は進出する?

いずれものケースも非常に難しい。結局、現行の型しかないのか?

4)自衛とは国内での戦いのみか?

他国からのミサイル攻撃の場合に専守防衛では被害が出てしまう。危険がある「おそれ」で攻撃できるのか?「おそれ」防衛は正当か?グローバルな時代、たしかに防衛戦略は国内の防衛だけに留まらないだろう。

5)同盟国アメリカが自衛戦争を日本領海外でやっていた場合、共に戦わなくていいのか?いわゆる集団的自衛権の問題

現在、アメリカは日本を守るが、日本はアメリカを守る義務はない。そのかわり、日本国内に米軍基地を提供している。集団的自衛権を行使する場合、どこまでを「自衛」と考えるのか、誰がそれを評価するのか?現状の日米関係から言うと結局アメリカ主導の戦争に日本が巻き込まれるという構造だろう。ならずもの国家を制裁する「世界の警察」は必要か? 世界のために犠牲を払うのがフェア、日本は出兵すべきとの考えのアメリカ人宣教師もいる。聖書的な「戦争論」も含め、さらなる議論が必要。


6)国連軍に金だけ出すのではなく、出兵して犠牲を払うべきでは?独立主権国が「国防軍」を持つのは当然ではないか?

クリスチャンの多い、アメリカ、シンガポール、韓国でも軍隊がある。
クリスチャンでも意見が分かれている。1世紀の初代クリスチャン達の非暴力/殉教の姿と自衛、国防の関係をどう考えるか?

7)防衛の型がかわる。

今後、今までのような戦争(国と国)は起りにくいと考えられるが、むし
ろテロや紛争(センカク問題)が多発してゆくだろう。これにどう対処するのか?国際紛争を武力で解決しないというが、相手が話の通る相手でない場合どうするのか? サイバーテロ、原発テロは?これらは、やられたらもう、おしまいで手遅れ。専守防衛でいいのか?

8)現在の自衛隊はあくまで警察の範囲で軍隊のルールが適用されない。

していいことのリストで制限されている。(通常の軍隊はしていけないことだけリストされており、それ以外はやっていいことになっているので自由に動ける。)現在の自衛隊で、戦いのために実践的に機能できるのか?


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参考文献

「憲法9条の軍事戦略」松竹信幸 平凡社新書
「集団的自衛権の深層」松竹信幸 平凡社新書
「憲法が変わっても戦争にならない?」高橋哲哉・斉藤貴男 ちくま文庫
「9条どうでしょう」内田樹・小田嶋隆・平川克美・町山智浩 ちくま文庫
「憲法がヤバい」白川敬裕 ディスカバー携書

「あの戦争は何だったのか」保坂正康 新潮新書
「日本戦後史」男の隠れ家時空旅人Vol.15 三栄書房
「すべてがわかる太平洋戦争」世界情勢を読む会 日本文芸社
「日本人は何を考えてきたのか」大正篇/昭和篇 NHK取材班 NHK出版

「キリスト者の戦争論」岡山英雄/富岡幸一郎 地引き網新書

 保守論客の本
「国防軍とは何か」森本敏・石破茂・西修 幻冬舎ルネッサンス新書
「渡部昇一の昭和史」渡部昇一  ワック
「戦後歴史の真実」前野徹 扶桑社文庫
「真相箱の呪縛を解く」櫻井よしこ 小学館文庫
「侵略の世界史」清水馨八郎 祥伝社黄金文庫
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I for Japan
Japan for Jesus
Jesus for all
All for God
         (内村鑑三)
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Tokyo Metro Community (TMC)
asktmc@gmail.com (栗原)

2013年11月9日土曜日

「美容と健康にはクリスチャン!」


イエス・キリストは人生のマルチビタミン。イエスを毎日服用してください。


健康本/ダイエット本を読むと、このような事が書いてあります。


1.減塩、減砂糖、減脂  野菜  脱メタボ
2.十分な睡眠と運動  歩かないと病気になる
3.ストレスをためない。深呼吸。怒りが寿命を短める。
4、心の健康も大事。感謝して生きる。


新しいことはない。あたりまえのことの確認なのです。つまり、不摂生をしない。薬に頼らず生活習慣を変える。聖書も「わきまえのないことを捨てて生きよ。」(箴言9:6)と言っている。つまり、神がつくられた本来の生き方をしていると健康になるのです

キリストに愛され、キリストに満たされ、キリストを中心とするエクレシアにいると心が満たされ、自虐、自暴的な行為(深酒、酩酊、度を越す快楽など)が必要なくなります。逆に愛されていないと自分を破滅させる道をまっしぐらに進むことになってしまいます。 孤独が罪を生むといいます。自虐的な行為は人が一生に与えられている量の「命のエネルギー」を費やしてしまうのです。

アメリカ、ピッツバーグ大学のバーナード・コーエン教授が、生活習慣と寿命の興味深いデーターを発表しています。このデーターによると、喫煙を続けるだけで約6年寿命が短まる、35%の体重の増加だけでも6年、意外なところでは、独身生活が続くだけでも男性で約8年、女性で約4年も寿命が短まるというのです。男性は奥さんを亡くすと長く生きないケースが多いですね。「人がひとりでいるのはよくない」と聖書が言う通りです。愛し、愛される関係の中にいることが何と大事な事でしょうか。


ところで、クリスチャンは見た目若い人が多いですね。高齢の方でも輝いています。

   重荷を主に委ねられる。
   賛美と祈り、みことば、交わりで癒され、回復される。励まされる。力を頂ける
   兄弟姉妹と心からの分かち合い、お互いに祈り合う。


こういったクリスチャンにとってあたりまえの事は、実はこの世から見ると驚異的に革命的な生き方なのです。ある未信者の方がクリスチャンの集会にきて、「こんな世界もあるんですね」と言っておられました。この世が提供できない平安があるのです。

罪が赦される。復活の希望を頂いている。死後に愛する人々と再会できる。墓の向こうに希望がある。これはすごいことです。先日、知人のクリスチャンが90歳の人生を全うし天に帰りましたが、彼の葬式に出席してあらためて確信しました。クリスチャンの葬式は明るいのです。勝利なのです。その「希望」が私達を前進させるのです。

そんなクリスチャンの集まりがエクレシアです。エクレシアは「魅力ある人間集団」です。そこにイエスがいると魅力的だからです。

多くの人生本を読むと「ありがとう」「ごめんなさい」が大事ですと説明しています。つまり「感謝」「赦し」「和解」が、活き活きした生活の基本であるということです。そして、友を持つ事や趣味を持つ事。人との交流=コミュニティへの参加が高齢者になるほど大事だと言っています。それはクリスチャンの生き方そのものです。高いお金を払ってコーチングやカウンセリングを受けなくても、エクレシアではお互いがカウンセラーであり、コーチとなることができます。アメリカの著名なカウンセラーのラリークラブは「クリスチャンがお互い、分かち合い、支え合うならば、専門のカウンセラーは必要なくなる。」とまで言っている。

ヘブル語のシャロームは単なる挨拶言葉ではなく、神と人、人と人、人と自然の祝福された喜び溢れた関係を表しています。本来、神が意図した関係・環境の中に生きる事が幸せの元なのです。つまり、美容と健康は神の御心に生きることにより与えられるということです。


「わたしが来たのは羊が命を得、それを豊に持つためです。」(ヨハネ10:10)


逆に、シャロームから脱線することを「罪」というのです。それは本来、創造主が意図したあり方ではないからです。聖霊に満たされて、愛し、愛されて生きる事。そして、死の向こうに希望があること。それが秘訣です。

沢山のお金をつぎ込まなくても、「美容」「健康」「幸せ」を得る方法は、案外シンプルなんですよ。

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始めてください、エクレシア

1.心を分かち合え、祈り合える、定期的に集まれるスモールグループありますか?

2.あなたはそれを心から欲しますか?主が祈りに答えてくださるよう祈りましょう。

3.勇気を持って、知り合いのクリスチャンに声かけ「集まる」ことを勧めましょう。

4.無理しないで集まれる時間と場所を設定しましょう。会議室より、静かなレストラ
  ンやカフェがいいでしょう。

5.プログラムより人間関係です。自分が集まった人の祝福になれるよう祈ってから
  集いましょう。

6.中心は説教ではなく、分かち合いです。正直に分かち合えるリラックスした雰囲気
  をつくりましょう。食事をすると心がなごみます。ボスはいません。順番で司会者
  を決めてください。話すより、聞く方に集中してください。

  オープニングに使える質問
  「この一週間どうでしたか?」
  「何か教えられた事ありますか?」
  「心に響いた御言葉ありましたか?」
  
  大事なことは
1)説教しない
2)一人で長く話さない
3)批判しない

7.食事と近況の分かち合いが終わったところで、聖書を開きましょう。
  1つの書を決めて1回ごとに1章、あるいは切れ目のいいところで何節か
  を選んで、輪読し、その箇所について分かち合いします。きっと他の人の
  コメントから学べることが多いですよ。

  使える質問
  1)何か心にとまったところ、あるいはわからなかったところありますか?
  
    しばらく分かち合う。最後に質問する。

  2)今日、自分として持ち帰りたいメッセージは何でしょう?

8.次に祈りの課題を一人ずつ聞いて、それについてお互いに祈り合う。
  時間がなければ一人が代表して祈り、時間と環境がゆるせば、会話の祈り、
  ないし、順番に左となりの人の課題を時計回りで祈ってゆく。

きっと帰る頃にはあなたの心は満たされ、顔は輝いていますよ。

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「ふたりでも三人でも、わたしの名によって集まる所にわたしもいます。」
                     (マタ18:20)


「一緒に集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づ
 いているのを見て、ますます、そうしようではありませんか。」(ヘブル10:25)

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東京を神の街に・・・
Tokyo Metro Community (TMC)
asktmc@gmail.com (栗原)

2013年10月28日月曜日

「心を分かち合える場」



神の似姿に造られた人間にとって全人間的であること、すなわち知性だけではく、感情をみとめることが大事ではないでしょうか。どこかで読んだ本の中にありました。「狂人とは理性を失った人のことではなく、理性以外のすべてを失った人である」。強い人とは感情を押し殺す人ではありません。自分の内側に何が起こっているか(Emotional self awareness)を認識することは大事な事です。「天使を装うものは野獣になる。」という言葉もあります。内側がカラカラなのに、人々の前だけでいいかっこうしていると、いつか急に崩れてしまうのです。自分の弱さも分かち合える正直になれる「場」は人間らしく生きるのにどうしても必要なのです。TMCはこうした真のコミュニティ作りを目指しています。

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アメリカの有名なクリスチャン番組 700クラブのホストの一人、歌手、ライターでもある、シェイラ・ワルッシュ(Sheila Walsh)が1992年に語った証より。

ある朝、私はかっこいい髪型とびしっとキメタ服装で全国版テレビ番組のためにスタジオに座っていたの。その夜、精神病院の病棟に閉じ込められていた。でも、それは神様が私に、してくれた最高に優しい行為だった。

病院での初日、精神科医が私に尋ねた。

「あなたは誰ですか?」
「私は700クラブのホストの一人です。」

「いえいえ、そうじゃなくて、」
「それなら、私はライターであり、シンガーです。」

「そういう意味じゃなくて、あなたは誰ですか?」
「えっ!どういう事か全然わかりません。」

医者は答えた。

「そうでしょうね。だから、あなたは、ここに居るのですよ。」

私は他の人が自分をどう見るかで、自分を計っていた。段々にそれが
私を蝕んでいった。入院する前、700クラブのスタッフの何人かは
私を止めて、こう言った。

「やめなさい。立場を失うよ。もし、人々が、あなたが精神病院に入って
 薬の世話になっていると知ったら、すべて終わりだよ。」

私は言った。

「どうせ、すべて終わりなの。そんな事、考えても無駄。」

本当にすべてを失ったと思った。家も、給料も、仕事も。すべて。
でも、私は自分の人生(I found my life)を見つけたの。自分の一番
最低の状況の中で、真実の自分を発見したの。神様は知っていたんだわ。

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“Success in Life?”  by Henry Williamson


After growing up on a small farm in Evergreen, North Carolina, I found out in college and graduate school how hard work and achievement could bring me the success that I wanted.  What I didn’t find out until I was 27 years old is that those successes along didn’t bring the happiness I had hoped for.  When Jesus said, “life does not consist in the abundance of things that men possess….” He was talking to me.
I played baseball and basketball in high school.  When I went to college at East Carolina University in l965, it opened up a whole new world to me – one of possibilities and achievement.  I was a good student, graduating with honors as an undergraduate and an MBA.  While giving serious thought to getting a PhD, I finally decided to go to work instead, being employed by Branch Banking & Trust Corporation (BB&T) – a bank holding company.  Carrying the “achievement drive” with me to work at BB&T, I poured myself into my work and into achievement, into success and getting ahead. 
I soon left BB&T’s management training program and was transferred to Fayetteville, North Carolina.  Things were going very well – a new daughter, one of the youngest officers promoted to Assistant Vice President at BB&T, bought our first house, and was beginning to make a little money.  Things really seemed to be going pretty well, but I wasn’t happy and satisfied.  Why?
As a young professional and father of a new daughter, I thought that going to church was a way to insure this success and expose my child to good influences.  Little did I know that my whole belief system was about to be challenged by a Bible study teacher who defined success completely different from me ---doing the will of God, whatever the cost.  She was the wife of one of the pastors of the church.  We had debated about whether community charity contributions counted as part of a Christian’s offerings to God and about what it really meant to have a quite time with God. 
Then one Sunday morning as I sat in the Bible study class with a cup of coffee and a doughnut, this teacher announced to the class that she and her husband were moving to Bogotá, Columbia as missionaries.  I was shocked?  Why in the world would anyone do such a thing?
Soon after that, I was at the country club at a bank social function – sitting with a mixed drink in my hand, the music was blaring away in the background, people were all around me talking and laughing.  Then, just as plainly as anything I have ever heard, God said to me – “Henry choose.  You can’t have both!” 
There it was.  If I was to be a disciple of Christ, I had to follow Him and not just my own desires.  I believed what Jesus had offered as a way of salvation, but until that time, I was committed only to my own goals.  When Jesus said in John 3:16 that whoever believed in Him would have eternal life, I thought that was for later.  He said in John 5:24 “I tell you the truth; whoever hears my word and believes Him who sent me has eternal life and will not be condemned; he has crossed over from death to life.”
At the age of 12, I believed in Him and asked Jesus to come into my heart and save me from the penalty of sin, which the Bible says is death (Romans 3:23).  I asked Him to give me the gift of eternal life because of my trust in Him as the Savior from my sin. 
Yet, I was to learn at age 27 that eternal life was mine for right now.  In John 17:3 Jesus said: “Now this is eternal life; that they may know you, the only true God, and Jesus Christ, whom you have sent.”  In that country club, at that moment, I made a promise, a commitment to God to submit myself to Him and to stop resisting and fighting Him – to dedicate myself to God.  That commitment began a journey that has taken me up to this very day.
Now that I am following Christ, the question that I try to keep before myself is this --- knowing that I am a spiritual person as well as a physical person, where is my achievement and success?  Am I a spiritual person who wrestles with physical issues or a physical personal who wrestles with spiritual issues?  I find that question keeps me on track and helps me to discover even more of the eternal life that is mine through knowing Jesus Christ.  And by the way, that’s what I was looking for all along.
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■ ヘンリー・ウィリアムソン(Henry  Williamson
Former COO BB&T Corporation (Retired in 04) 
2004年まで同社のCOO(最高経営責任者)
(現在はファッカー家具取締役、フォリス・メディカルセンター基金理事、其の他)


このHenry Williamson氏(元BB&T副社長)がこの11月、BB&Tの現役行員でクリスチャンの数名を連れて来日します。彼らは過去10年間、東京のビジネスパーソンを励ましたいとの情熱をもってTMCを助けてくださっています。


BB&T Corporationとは
ノースカロライナ州ウィンストン・セーラム市に本社を置く全米11位の金融持株
会社。1872年設立。ノース,サウス,カロライナ両州、バージニア州、ジョージア
州など南部諸州を中心に1,400以上の支店を持ち、総資産は1,005億ドル(約10
円)。1989年以降58の地域金融機関、70 以上の保険代理店会社、23のノンバン
クの買収を行い成長中。

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BB&Tウエルカムパーティの申し込みは閉め切らせて頂きました。


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東京を神の街に・・・・
asktmc@gmail.com (栗原)

2013年10月16日水曜日

国家に利用される宗教



 東京には3大霊場がある
東京には広大な土地に3つの霊場があるのです。皇居(かつて現人神として崇拝された天皇の住まい)、明治神宮(明治天皇を祀る)そして、戦没者の英霊を祀るとする靖国神社。靖国神社では天皇のために死んだ魂は英霊とし、靖国に合祀(他の戦没者の霊と合体)され1つの護国霊となって崇められるとしています。また初詣には慣習とは言え、元旦の参拝者一位を誇る明治神宮。東京で神の国を広めようとするクリスチャンにとって避けて通れない課題なのです。

人為的に創作された国家神道
前回お話した通り、江戸時代にはキリシタン取り締まりのために幕府は仏教を国教とする政策を取ったのです。ところが明治時代になると明治政府は天皇を権力の基とするため、神道を担ぎ出した。そして全国的な廃仏毀釈運動が展開されたのです。神社はすべて国家公共の祭祀施設であるとして、地域の小規模な神社に多かった民俗信仰的な祭神を、記紀神話に基ずく国家的祭神に差し替える操作が行われたのです。その後、国家的英雄を神とする新しい形態の神社神道が続々と誕生しました。神武天皇を祀る神社は1890年に、平安神宮も1895年に設立などなど。こうした神社は古代日本からあるように思われますが、皆、明治時代以降の創作なのです。戦没者が国家の神となって永久に靖国に留まるといった信仰は従来の民衆の祖霊信仰にはなかったのです。しかし、それが国定教科書に書き込まれ、そういう教えを吹き込まれていったのです。近代国家をアッピールしたい明治政府は、憲法では海外の手前、政教分離、信仰の自由をうたっていましたが、神社参拝は宗教でもなく、道徳である、愛国の発露であるということで、宗教分離の中、堂々と行われていたのです

靖国神社の生い立ち
もともと靖国は、戊辰戦争の時の官軍の戦死者を英霊として祀ることがはじまりで、公のものだったのです。官軍側なので、幕府側の新撰組や後で明治政府に反抗した西郷隆盛などは入っていません。明治以来、政府は「神社は宗教にあらず」の立場を取り、国家的に英霊を追悼する場となっていきました。味方の戦死者を死後まもなく神として祀り、以降永久にそこに霊を留める場としての「招魂社」が靖国の前身です。地方の招魂社は護国寺と名前を変えてゆきました。1879年に東京招魂社は靖国神社と名前を変更しましたが、陸海軍が管轄するという特殊な立場だったのです。その後、日本軍の戦死者を合祀する場となってゆきます。

神道には教義が無いと言われますが、実質、明治天皇の下で作られた1883年の軍人勅諭(軍人の心構え)、1890年の教育勅語が国家神道の事実上の教典となったのです。ちなみに、内村鑑三はこの教育勅語にある天皇の署名に教師が皆、最敬礼をさせられている時、心の準備も無く会釈しただけであったことが大問題として取り上げられ「不敬事件」として新聞記事となってしまったのです。このように官製の新しい国家神道は明治政府の国民統合の政治的意図と密接に結びついた人為的宗教なのです。これは従来のローカルな神道神社と矛盾さえするのです。

敗戦後、軍国主義の温床である国家神道、靖国神社は占領軍によって解体される運命にあったのです。GHQとの生き残りをかけての折衝があったのですが、結局は「靖国は宗教」という立場で(つまり明治以来の解釈を反転させて)一宗教法人として生き残ったのです。これが混乱の元となっています。

GHQは靖国をどう見ていたのか?
アメリカ国内には靖国(Military Shrine)軍国主義のカルトの温床という認識がありました。バンザイ突撃、神風特攻、玉砕を目の当たりにしたアメリカ軍は「お国のため、天皇のため」に命を落とす日本兵の背後に、それを支える精神的支柱としての靖国=国家神道があることを認識していたのです。従って国家神道である靖国を破壊することは当然、アメリカのアジェンダにはあった訳です。

明治時代以来、政府は「国家神道は宗教ではない」という立場を取って来ました。むしろ「愛国精神の発露である」と繰り返し主張してきたのです。そうであれば天皇崇拝カルトの温床となることは避けられない。そして、そうであるからこそ、アメリカGHQは靖国の抹殺を考えていたのです。(特に強行派にそれが強かった)。現に、未遂に終わりましたが、アメリカ将校による靖国「焼き討ち」計画もあったのです。フランクキャプラ監督の戦時プロパガンダ映画「汝の敵を知れ」のナレーションで「近年、神道を悪用する人が現れ、1870年以降、日本国家は神道の教えを狂信的な教義にねじ曲げてしまった。その教義が現在、何百万もの罪の無いアジア人、それに何千ものアメリカ人に苦しみや死をもたらせている。」と語られています。プロパガンダ映画(つまりアメリカ兵の戦意高揚)であるので、一方的に日本が悪者にされていますが、「ねじ曲げられた」の部分は考慮に値します。つまり、もともとの神道はもっと穏やかなものであったとの認識なのです。

無害な原始的アニミズムである古神道に国家主義的天皇崇拝を上乗せした国家神道。(国学者、平田篤胤が聖書を盗用して神学的体系作りをしたとの見解もあります。)そこに一神道神社(宗教法人)としての靖国と軍国主義への国家装置/国民的慰霊所としての(公共)の靖国という矛盾が内在するようになったのです。このアメリカの解釈は的を得ていると思われます。

結局靖国は生き残った
GHQ宗教課では靖国を早い段階で「全面廃止」すべきだったとの共通認識を持ち続けていました。靖国を宗教としてではなく、軍国主義の「装置」として、認識していたからです。しかし、宗教的側面を捨てきれない部分もあり、GHQとしても宗教課を立ちあげ、相当に慎重な調査と検討をしています。よくGHQに宗教法人にさせられたという意見がありますが、私の調べたところでは、GHQ側も専門家の間でよく検討し、靖国の宮司とも懇談し、妥協点を見いだして行ったとう印象です。「公共的でなくていい、あくまで一神社でいい。そのほうが国民感情にかなっているのだ。」として民間の神社にすることにこだわったのは日本側だったといいます。(「靖国神社問題の原点」P.208 三土修平 日本評論社)

国民からの靖国廃止に対する嘆願書なども多数届き国民の反発を恐れ、アメリカも廃止できなくなり、結局、靖国は宗教法人として生き残ります。靖国生き残りの攻防は面白いのですが、紙面の関係でここでは詳しく書けません。興味ある方は「靖国知らせざる占領下の攻防」 中村直文 NHK出版をお読み下さい。さて、1948年にはGHQの非軍事化、民主化政策は終わりを告げて、米ソの冷戦の進行によってアメリカの占領政策が大きく転換(逆コース)してゆくのです。つまり、日本を共産主義に対する「防波堤」とするための日本の再軍備化です。これは憲法9条の縛りから「警察予備隊」という型で出現しました。(今日、自衛隊として残っています) この時勢の中、GHQは、軍国神社に国有地の供与をしないとする条項を削除。(明治政府は神社の境内を国有化し無償供与していたが、GHQは、軍国神社である靖国を例外として扱った。しかし、その例外条項も削除された。)今日に至っています。

問題は続く・・・
国の援助を受けない、一宗教法人なのか、国家的追悼の場なのか?その矛盾のまま今日に至っている訳です。ならば、宗教性を取り除いて公共の追悼の場にしてしまえば・・とも思います。しかし、歴史的な流れから、一部の靖国を支持する遺族会の気持ちから全く宗教性を抜く事は不可能だと思います。つまり、現在、宗教法人であるゆえに、国家の介入を法的に禁じられるという、捻れたメリットがあるのです。靖国の精神だけ残して公共物にするとかえって、国家に利用されやすくなるデメリットがあるのです。合祀を嫌う牧師やクリスチャンもいます。しかし、靖国は分祀に反対しています。神道神学としては分祀しても、御霊は残るという解釈です。靖国の理論でいうと、戦争で天皇のために死んだ霊が、合祀され、天皇の参拝により正式に1つとなり護国の霊となるという。それは1つの合体した霊であり、分ける事が出来ないという「宗教法人」としての主張があるのです。宗教法人である以上、その神学に文句は言えませんが、それならなぜ、国家的に一方的に戦没者をすべて靖国に合祀してしまったのか問題が残ります。

反対者が唱える問題点
1.天皇のために死んだ霊は「英霊」となり、神となる。新しく合祀された御霊は天皇の参拝より正式に靖国の御霊に合体され、護国神となる。これは、全く神道の教理(宗教問題、神学問題)であり、日本国民、全ての人がこの教理を受け入れている訳ではない。他の宗教の人に失礼。そこに合祀され、そのように取り扱われる事に抵抗がある。

2.A級戦犯(平和に対する犯罪)で死刑になった人達と一緒に祀られては困る。

3.戦犯を含む御霊を英霊として参拝することは前の戦争の反省が無く、戦争を正統化することとなる。これは東京裁判、またサンフランシスコ講和条約に反する。また、侵略されたアジア諸国の神経を逆なでする行為である。

4.靖国で祀られ、参拝されれば、戦没者の霊は慰められ、また遺族も満足できるとする考えは靖国側の一方的な解釈であり、傲慢でさえある。慰められ方を上から規定されたくない。全然慰めにならない遺族もいる。ここに祀られ「よくやった」と崇められても、「よくやったじゃない。あんたに殺されたんだ。」という思いの人もいるだろう。無意味な戦争、無謀な戦略で無駄に死んだ自分の家族は、そのようなカルトの温床となった靖国を憎みこそするが、感謝はしない。

5.戦中、戦後、国が一方的に合祀した。

6.本当に戦争の犠牲者の追悼というなら、戦場の戦没者だけでなく、戦災被災者、戦中の思想犯、迫害を受けて獄中で死んだ殉教者、外国人は含めないのか?彼らを追悼しないのか?

7.遺族会は宗教的ではないのか?遺族会パンフには遺族会の目的として「英霊、靖国のみたま安かれと祈る心を次代につたえてもらいたい」と書いてある。これは神学問題ではないのか?英霊と考えない人にとって抵抗があるのでは?ちなみに、日本遺族会には戦没者185世帯のうち104世帯が加盟。これは加盟率で56%。残りの44%はどういう気持ちなのだろうか?56%を日本国民の気持ちと理解してしまっていいのか?もの言わぬ遺族の声を聞き取ることも大事なのではないか?


などなど。皆さんはどう考えますか?

いずれにしても、戦争には「大義」が必要であり、そのための「教育」が必要になり、さらには「宗教的体系」がその精神的支柱となるということであり、既存の宗教がそれに利用されることがあり得るということは、歴史から学べることです。最近ではアメリカキリスト教原理主義の「聖戦」に関しても議論のテーブルに上がるようになってきました。確かに、旧約聖書には戦争が沢山出来てきます。しかし、今日、「聖戦」とよべる戦争が本当に存在するのでしょうか?

確かに「お国のために」と信じて、喜んで死んでいたった人もいるでしょう。しかし、すべてがそうであった訳ではありません。

ビルマで終戦を迎え、全員捕虜になった時の体験者の声をお聞き下さい。

「今や祖国には外国の軍隊が続々と進駐してくると知った時、愛する家族や女たちのことを思うと居たたまれない気持ちでした。彼女らの操に危険が迫っているなら、それに対してこそ、身を挺してでも戦いたい、戦車の前に身を投げ出しても悔いは無いと思いました。・・その時はじめて自分は何のために戦うべきだったかがわかりました。天皇のためなどと言われても死ぬ気になれなかったけど、『愛するものを守るため』ならば死ねる。こんな外国に攻め込んで来るためではなく、本当の意味で祖国を守るためにこそ戦うべきだったと思いました。」(「靖国神社問題の原点」三土修平 日本評論社)


「お国のため死ぬ」と言う時、「お国」の意味に2つあるのです、「愛する人々=国民」と「国体=天皇=一部指導者」そして、後者は宗教を利用するのです。この言葉の混同に騙されないようにしたいものです。
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東京を神の街に
Tokyo Metro Community (TMC)
asktmc@gmail.com (栗原)

2013年10月2日水曜日

「目をさまして祈っていなさい。」




あなたがたは地の塩です。・・・あなたがたは世の光です。
(マタ5:13−14)

クリスチャンは地の塩、世の光です。また教会は現代の預言者の声であるべきです。しかし、今、現実にこの日本で起っていることを「知らない」し、「関心無い」では預言者の声になれないのです。経済浮揚の陰では、「秘密保護法」や憲法再解釈による「集団的自衛権」などが進行中。ぬるま湯のカエルのように、気がついた時はすでに遅し、熱湯の中で茹でられてしまうということになりかねません。日本の教会の多くが天皇崇拝の軍国主義カルトを批判できず、戦争に加担しました。日本キリスト教協議会教育部の出した声明「設立百周年を迎えるにあたって、過去の罪責の悔い改めと、新しい時代への決意」から引用してみましょう。

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特に1920年の第8回世界日曜学校大会は、その開催の仕方において、その後の翼賛的とも言える戦争協力への歩みを決定づける出来事となった。すなわち、世界大会の日本開催に対しては、日本の侵略に苦しむ中国と朝鮮のキリスト者からの反対の声があがったが、日本日曜学校協会はそれらの声に耳を傾けず、かえって日本政府財界の全面的支援を受けながら、同大会を開国以来最大規模の国際会議として華々しく遂行したのである。社会的成功を求めてアジアの隣人をないがしろにするこの姿勢は、その後、1928年の特別教案「紀元節学課」(日曜学校2月号)へと展開していった。紀元節を祝って作成されたこの教案は、皇国史観を聖書の言葉と結びつけ、天皇制を基盤とした「国体」の卓越性と、アジア諸国に対する日本の優越性を子供たちに教えるもので、日曜学校教育を独善的な「愛国心的教育」へと方向つけるものとなった。1931年に満州事変が勃発すると、日本日曜学校協会は平和を叫ぶ一方で「日本の正義」を主張し、1937年に日中戦争が始まると戦争支持を表明して、日曜学校における「国民精神総動員教育」を諸教会に呼びかけた。「宗教的信念による精神の強化」や「大宗教による国民の精神指導」の名目で同協会が行った戦意昂揚のための教案や教材の提供、「皇軍」のための慰問文募集などの戦争協力活動は1941年の教会合同以降は、日本基督教団日曜学校局の戦時下の活動へと引き継がれていった。」(棒線はブログ著者)

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誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。・・
(マタ26:41)

国民を一致団結させ、戦争を正統化するには、国民への「教育」(あるいは洗脳)が必要になるのです。そして、その矢は子供達にターゲットされる。上記のように、残念ながら教会もそれに巻き込まれ、利用されてしまいました。せっかくこのような反省がなされたのですから、二度と同じ事を繰り返してはいけないのです。

上記の記事から読み取れる事は、1つは財政的誘惑です。戦意昂揚のためには財界から経済的支援が来る。反対にキリスト教系市立学校にも「君が代」強制がなされるようになり、斉唱を拒否すれば、助成金がストップしたり、学校法人が取り消されたりなどの締め付けが来るでしょう。2つ目は「日本民族優越主義」。ナチスドイツは言うまでもありませんね。実は、17世紀−19世紀までは白人優越主義による列強の武力侵略植民地時代であったのです。内村鑑三は「地人論」の中でこう言っています。「創造の神は、北半球にアジア大陸、ヨーロッパ大陸、北アメリカを配置した。それぞれの大陸の民が一杯になったら、南の大陸に移動できるように、神はアジアには豪州、ヨーロッパにはアフリカ、北アメリカには南アメリカ大陸と南半球に3つの大陸を用意しておいた。ところが15世紀以来、わずか5世紀の間に南に用意された大空間の大陸はすべてヨーロッパ白人勢力に完全支配されてしまった。」オーストラリアは一時、白豪主義でアジア人立ち入り禁止となっていました。新大陸のインディアンの地を侵略して国を拡大したアメリカ。アフリカから奴隷を連れて来て強制労働させたその歴史、最近の「大量破壊兵器」が見つからなかったイラク戦争など、世界の警察アメリカといえども批判されなければならないでしょう。ともあれ、この民族純化排外主義優越主義 (敵は自国民より劣っている、あるいは悪なのだから滅ぼしていい)が戦争の精神的バックボーンになっていることを認識すべきです。その流れで日本では八紘一宇(世界は天皇を中心とする大家族)、大東亜共栄圏へと繋がっていったのです。天皇崇拝と靖国の問題も避けて通れません。天国では購われた世界の聖徒たちが一同にひれ伏し王なる主を礼拝しています。個人も国家も自己義認という罪の性質を持っています。創造主の前にへりくだり、跪くことしか解決は無いのです。



機会を十分に生かして用いなさい。悪い時代だからです。ですから愚かにならないで、主のみこころは何であるかを、よく悟りなさい。
(エペ5:16−17)

実は、忍び寄る危険は現在進行形で行われています。東京都教育委員会は2003年、卒業式等で、「君が代」強制を強化する通達を出し、校長に職務命令を出させ、不起立職員に懲戒処分を連発しました。多くの校長が指揮の進行表に「不起立の生徒がいたら司会の主幹教諭はマイクを使い『起立しなさい』と2−3回発声する」よう記載しているのです。さらに都教育委員会は「君が代」強制に触れた教科書を「使用不適切」とし、全校長らに通達。都が教科書選定に介入する事態が起っています。大阪府教育委員会では「君が代」斉唱のチェックのため口元監視を正式通知し、管理職が確認し、校長が府教委に報告するよう求める通達を出していたことが発覚しました。「和を尊ぶ」は裏を返せば、政府が押し付ける統一的な思想に反する人々は排除するということなのです

2004年皇室のお招きで「園遊会」があり、その場に出席した東京都教育委員の米長氏が陛下に「日本中の学校で国旗を掲げ、国家を斉唱させることが仕事です。」と話すと、陛下は「やはり、強制でないことが望ましいですね。」と応じられたというのです。(読売新聞2004年10月29日朝刊)保守の人によく聞いて頂きたいのですが、”畏れ多くも 天皇陛下が「強制でないことが望ましい。」と仰せられたのですぞ!

騙されないためには歴史的事実を知る事です。やはり勉強は大事です。戦時中、日本人の精神的支柱として利用されたのが「天皇崇拝と靖国神社」です。徳川幕府はキリシタン禁制に仏教国教制度を採用しました。明治政府は、全国の神社を行政府の下に統合して、今度は「神道」を新しい政治の精神的支柱とするため、全国的な廃仏毀釈運動を展開したのです。宮中でも廃仏となり、天皇は中世近世と真言宗泉湧寺の檀家であったのに、最後には自らが祀られ明治神社の神となってしまったのです。2013年7月21日、「友愛平和の風」と青山学院総合研究所が共催して「これからの国のかたちを考えよう」集会が持たれました。護憲派、改憲派問わず、またカトリック、神道などからも総勢90名が参加。そこで神道神習教教主で、教派神道連合会理事長の吉村政徳氏が天皇について「宗教である神道の私達は、明治維新後、天皇を神だと認識していたことは一度もない。」と大変興味深い告白をされています。

神道も、かつての仏教のように国に利用されたのですね。明治維新後、歴史的な人物、国家的英雄を神として祀る神社が相次いで創建されました。それは、それまでに存在しない新しい形態の神社神道だったのです。やがてそれが国家神道の出現へとつながっていきます。(つづきは次回)

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東京を神の街に・・・・
Organic Church Planting
Tokyo Metro Community (TMC)

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