「若者は第4の空間へ」
社会学者の宮台真司氏によると、最近の若者
は「仲間以外はみな風景」という意識だそうだ。
だから電車の中で化粧する。人前でキスする。
「旅の恥は掻き捨て」と言うが、どこまでを
「郷」とし、どこまでを「旅」とするかの範囲が
変わったという。教室の中は2-4名の小グループ
に細分化している。教師がクラスメートは仲間だから
仲良くしようと言っても、仲間ではないという意識
になっている。仲間、「郷」の範囲が極端に狭く
なってしまった。「半径5メートル以外は関心ない」
というフレーズもあった。
女子高校生にとっては家、学校、地元、は窮屈な人目
のあるところであり、第4の空間としての大都会、
や別の駅は「何でもできる」空間となっている。
そして、ホンネで生きられる第4空間へ流出する。
成績優秀な「いい娘」が違う町で体を売っている。
マイホーム郊外団地の夢は幻となり、地域共同体は
崩壊し社会は風景と化す。郊外に家は建っても家庭が
無い。団欒は無く、家族は、それぞれの個別の生活を
している。
情報は近隣の顔見知りからより、不特定多数の
インターネット上で得る。一人住まいのアパートと
コンビニ。誰も見てないところでのレディースコミック
などの性の誘惑。茶髪の女子高生は都会に同化し、
宮台氏の表現では、
「都市を構成する軽い記号と化す。」
つまり、名前を持った自分を忘れ、軽い身体となって
都会を浮遊する。宮台氏はこう語る。
「結局80年代のコンビニは、家、学校、地域に居場所の
なくなった子供たちに最後の居場所を提供すると同時に、
彼らを家、学校、地域から第四空間=都市的現実へと解放
するという両義的な機能を体現していたのだった。」
家や地域社会はハイテンション、(地域や家は学校の
出店となった)街はまったり漂えるローテンションの場
となった。息がつまる若者たちが第4空間へと逃げ出した。
一生懸命勉強して、いい大学に入り、いい会社に入り、
郊外に家を買って、いい生活をするとう夢が幻想となった
今、後戻りはできないだろう。となると、都会での新しい
コミュニティの創出が必要ではないか?
そしてこれはクリスチャンにとってはチャンス
ではないだろうか?
宮台氏はマニュアルやポリシーで若者を規制できないが、
スゴイ人、つまり、利他的な人の純粋な情熱は人に
感染するという。人から人への感染という形で、
人が変えられ、社会が変えられていく。まさに
イエスはそういう存在だったのだ。
ニューヨーク、リディーマー教会の牧師、ティム・
ケラー師は
「教会とは都市の中の都市なのだ」
と言った。イエスを中心とする命あるコミュニティ。
組織やプログラムより関係が重視される
オーガニックチャーチこそ今、東京で必要とされて
いるのではないか?
リバイバルは教会観のマインドセットを変えるところ
から始まるような気がする。
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