続けてエド・シルボソ著、「変革の鍵―油注がれたビジネス」から引用
しよう。
○ イエスの12弟子のうち会堂内の祭司やリーダーだった人は一人も
いません。
○ 今、マーケットプレイスで仕え、証するように召された信徒たちも、一切の
必要が備えられた立派なミニスターだと認められる時期が来ていると私は述
べたいのです。なぜなら、ペテロが引用したヨエル書にある、来るべき
リバイバルの預言(使徒2:17-21)は、まさに教会という枠を超えて、
都市全体で起きるもので、その時が今、まさに来ているからです。
その時には,全ての肉なる者の上に、神の霊が豊かに降り注がれると
あるからです。
(コメント)信じる全ての人に聖霊が注がれ、聖霊が内住しているという
事実をシリアスに受け止める必要がある。それには牧師、信徒の差異はない。
そして、聖霊を 受けた人は神の声を聞けるのである。シルボソが指摘して
いるように、福音が異邦人にも伝えられ、異邦人にも聖霊が宿るようになる
という歴史的大転換となる神のご計画を、当時の宗教指導者にではなく、
改心したばかりの信徒、百人隊長コルネリオとその仲間達に神は示された。
(使徒10章参照)
○ 信徒たちを無力化させる4つの誤解を挙げてみましょう。
1)聖職者、牧師と一般信徒の間には、神が定めた大きな隔たりがある。
2)教会の働きは、宮(教会堂)と呼ばれる宗教的建造物の中での働きに
限定されている。
3)事業(ビジネス)に携わっている信徒は、教会内のミニストリーを
通して仕える信徒に比べて、霊性は劣っている。
4)マーケットプレイスで日常の大半を過ごす信徒たちの役割は、
教会内のミニストリーに召されたミニスター(献身者、聖職者)
のビジョンを経済的にサポートすることに限る。
(コメント)つまりキリスト教界内の誤解が、教会の働きを止めてしまって
いるという皮肉な状況があるのです。信徒の役割はもっぱら献金することと、
教会堂に人を連れてくることとなるのです。少なくも私がフロリダで関係
していた教会はこの2点を非常に強調していました。イエス・キリストは
365日の主、月曜から金曜までの主でもあるのです。
○ イエス様の大宣教命令で、はっきりと「全」世界と言っているからです。
イエス様の視線は、教会の建物内や信徒たちの集団内にとどまらず、
もっと外へ、外へと向けられています。全世界、すべての造られた者
こそが私達に与えられた宣教命令の対象なのですから。
(コメント):今の形の教会だけが窓口なら、オ-ルナイトで仕事している
電車やトラックの運転手や、新聞社、TV局で働く人々は永遠に排除されて
しまう。本当に全ての人に届くことをシリアスに考えるなら、教会のスタイル
も、集会の時間も考慮する必要がある。そして、彼らを「教会」に呼ぶので
はなく、クリスチャンが彼らのフィールドに入ってゆくという視野の転換も
必要なのではないでしょうか?そういう意味では社会的善をなす、
NPOやボランティア活動にクリスチャンが積極的に参加することには
意味があるのではないでしょうか?
------
コメントお待ちしております。asktmc@gmail.com (栗原)まで、
TMCでは毎月土曜日に赤坂で、定例会を持っています。東京を
変革してゆくために、失われた魂にどのように届いてゆけるか、
どのようにキリストの体であるクリスチャンコミュニティを形成
していったらいいのかについて話し合う「場」を持っています。
ご関心のある方はメールください。ご案内をお送りします。
0 件のコメント:
コメントを投稿