労働と礼拝
エド・シルボソ著の「変革の鍵―油注がれたビジネス」から抜粋、
コメントをつけています。
○ 労働と礼拝の密接な関係を理解しておくことはとても
大切です。なぜなら聖書は職業を非霊的などとは決して
言っていないからです。実際、神は礼拝自体をまず教える
前に、労働(生き物を支配せよ)をしなさいと命じています。
神は労働が礼拝よりも素晴らしくて、より価値のあるもの
だからそのようにおっしゃったわけではなく、エデンの園
では労働そのものが主への賛美を意味し、礼拝としての意味
を持っていたからです。神の創造物に対する管理に責任を
持つことが、アダムとエバにとって神を敬い、神と交流する
手段そのものでした。
○ (主の思いと違った)私達の勝手な思いに基ずく分類の結果、
仕事を辞めること、要するにマーケットプレイスから離れる
こと(引退すること)がフルタイムのミニストリーや、
フルタイムの献身者への「登竜門」であるかのようになって
います。しかし、初代教会時代はそんなことはありません
でした。パウロと同行者たちは御言葉の奉仕をしながらも、
同時にこの世の職業に関わっていたことが分かります。もしも
マーケットプレイスに戻ることが、これまで教えられてきた
ように、ミニストリーへの召命からの後退や裏切りを意味する
としたら、どうしてイエス様はペテロや彼の同業者にたくさん
魚を取ることができるように指示し、励まされたのでしょうか。
○ このムーブメントは、ある文化の傘下に属し、それと同調して
ゆくサブ・カルチャーではなく、むしろそれに対抗しうる
カウンターカルチャーなのです。(しかし)クリスチャンは自分
たちの暮らす世界への配慮や思いやりに欠けているという悪い
評判が一部にあります。新しい天と地を待ち望むがゆえに、
現在の社会的、そして文化的な面での責任を放棄しているかの
ように見えるからです。
(コメント)どうせ、この天地は滅ぶのだから、直接的な伝道だけ
して、一人でも魂を天国に導けばいい。一見熱心で良さそうですが、
この考えだと、自分の携わっている仕事の意味、社会的善を成す
ことの意味が薄れてしまいます。果たして、それを神が望んでいる
のでしょうか。神はエデンの園でアダムに地を治めよという責任を
与えた。興味深いことに、堕落の後もその責任は撤廃されては
いない。人間はこの地を治めることを放棄してはならない。この地を
よき地に、御心が天で行われるごとく、地でも行われるように祈り、
願い、行動しなければならない。地上で携わる仕事(教育や医療、
介護、芸術など)は購いの業の一部であるし、交通、住宅建設、
食料品生産などは、この地を治め、地を開発、発展させてゆく
エデンの園での責任の拡大されたものと言えよう。もちろん
それは、主の主権のもとで、神の国の価値観によって展開され
なければならない。この地の仕事は神から任されたものであり、
意味がある。
-------------------------------------
コメントお待ちしております。asktmc@gmail.com (栗原)
まで、TMCでは毎月土曜日に赤坂で、定例会を持って
います。東京を変革してゆくために、失われた魂にどの
ように届いてゆけるか、どのようにキリストの体である
クリスチャンコミュニティを形成していったらいいのか
について話し合う「場」を持っています。ご関心のある方
はメールください。ご案内をお送りします。
0 件のコメント:
コメントを投稿