2011年1月16日日曜日

油注がれたビジネス(3)


イエス様の間違ったイメージ

引き続き、エド・シルボソの「変革の鍵―油注がれたビジネス」

から引用とコメント

イエス様は、洗礼を受けるころまでに、少なくとも20年間は

プロの木工細工職人として働いてこられたわけです。禁欲生活を

する修道士のようなイエス様は聖書には出てきません。これは、

むしろ世間の歪められたイエス様のイメージではないでしょうか。

一人になって何時間もお祈りしているのは確かですが、イエス様

はそれを日が沈んだ夜に行われました。(マタイ14:23、

ルカ6:12)日中は様々な人々と関わりをもち、さまざまな

職業上の話題に花を咲かせ、そのようにして人々と交わる中で

沢山の知識を習得された、まさに見識ある世の知識人でも

ありました。イエス様のたとえ話しによって、私たちはイエス様

がマーケットプレイス(実生活の現場)の様々な事柄に精通して

いたことが伺われます。

イエス様は決して修道士や世捨て人のような類の人物ではなく、

マーケットプレイス(実生活の現場)で日々の生活を過ごし、

生計を立てられ、その誠実な働きぶりをもって人々に知られて

いたのです。これこそが真の弟子化につながる土台ではないで

しょうか。イエス様と彼に付従った人々が、一般社会から身を

引いたなどと聖書は語っていません。20年以上にもわたる

企業家として、イエス様はマーケットプレイスから従業員を

雇用していました。それは神の国を社会の隅々で暮らす罪人たち

にもたらすためです。彼らは精力的に社会生活を送り、労働と

霊的な事柄を分け隔てはしなかったのです。


(コメント)この部分は大変興味深い。ひょっとしたら私達が持って

いる、また映画で描き出されてきたイエス像と実像は違うのかも

しれない。大工を職としていたのだから、筋肉質の逞しい肉体をお持ち

だっただろう。ストリートの罪人の友であったイエス様は、よく冗談を

言って、彼らを笑わせたに違いない。「大酒飲みの大飯食らい」と批判

されるということは、火の無いところに煙は立たないので、そういう

要素があったのかもしれない。当時の宗教指導者や政治指導者の前で

臆することなく正論を吐ける肝っ玉の据わった人物だっただろう。

女性の弟子も沢山従っていた。男性としての魅力も当然あっただろう。

12弟子の中には熱心党員シモンのような、政治革命家も、ペテロや

ヨハネのようなブルーワーカーも、マタイのような税務署の所長の

ような人もいる。彼らが何もかも捨てて従って行きたいと思わせる、

つまり男性にとっても魅力あふれる人物だったに違いない。

どうもひ弱な世捨て人というイメージではない。そもそもそんな

人物なら、あれほどやっきになって宗教指導者がイエスを排除

しようとはしなかっただろう。そして、人を抑圧、束縛する宗教

とは対立的に「新しい命による、新しい生き方」を与えるお方

だったのだ。

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