2020年8月6日木曜日

忍び寄るニセ教師


 第二ペテロ2章とユダの手紙はよく似ている。ペテロでは「彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込むようになります。」(IIペテロ2:1)と警告しているが、ユダでは、すでに「忍び込んできた。」(ユダ4)と書いている。従って時系列的にはペテロの手紙が先き、ユダの手紙が後となる。異端をもたらす人達はどんな人で、どんな風に入って来るのだろうか?

どこに現れるのか?
御民の中」「あなた方の中」IIペテロ2:1)
「愛餐のしみ、恐れる心もなく一緒に食事をする。」(ユダ12)
つまり、教会の中、信徒の群れの中に現れるのだ。


どうやって現れるのか?
「ひそかに・・」「忍び込む」II ペテロ2:1、ユダ4)
韓国系異端、クオンパの場合は、初め熱心な信者として礼拝、献金を欠かさず、牧師に従順で、牧師、信徒の信頼を得ていくという。そのうち異端的な教えを広め、牧師さえ共鳴していってしまうと聞いている。


ニセ教師の特徴
「神の恵みを放縦に変え、キリストを否定。」(ユダ4)
  異端の方向性は2つ。1つは恵みを放縦に変え罪を軽んじる、もう1つは律法主義的、恐れで支配する。

「権威を認めず。」(ユダ8)
「厚かましく、わがまま、栄光ある人たちを罵る。」IIペテロ2:10)
「昼間から飲み騒ぐことを楽しみとしている。。。自分たちの騙しごとに耽る。」
                       (IIペテロ2:13)
「その目は姦淫に満ち、罪に飽くことがない。」IIペテロ2:14)
「心は貪欲」IIペテロ2:14)
「呪いの子」IIペテロ2:14)
「正しい道を捨てて、さまよっている。」IIペテロ2:15)
「不義の報酬を愛する。」IIペテロ2:15)
「むなしいことを大げさに語る。」IIペテロ2:18)
「滅びの子の奴隷」IIペテロ2:19)
「自分が知りもしないことを悪く言う。」(ユダ10)
「彼らは貪欲」IIペテロ2:3)
「自分を養っているだけ。」(ユダ12)
「ブツブツ不満を並べる者」(ユダ16)
「自らの欲望のままに生きている。」(ユダ16)
「利益のために人にへつらう。」(ユダ16)

「生まれつきのままの人間で、御霊を持っていない。」(ユダ19)

つまりは、この人たちはクリスチャンではなく、主を否定する。(IIペテロ2:1)異端の教祖に忠誠を誓っている。つまり、サタンに仕えている。


聖徒への影響
「多くの者が彼らの放縦にならい、真理の道が悪く言われる。」
                           (IIペテロ2:2)
  多くの者とある。影響は甚大だ。

「うまくこしらえた話で食い物にされる。」 (IIペテロ2:3)
「心が定まらない人が誘惑される。」 (IIペテロ2:14)
「肉欲と好色によって誘惑される。」IIペテロ2:18)
「分裂を引き起こす。」(ユダ19)


神は彼らをどうなさるのか?
「彼らに対するさばきは昔から怠りなく行われている。」IIペテロ2:3)
「敬虔な者たちを誘惑から救い出し、正しくない者たちを処罰し、さばきの日
 まで閉じ込めておく。」IIペテロ2:9)
「この者たちは・・動物が滅びるように滅ぼされることになる。」
                     IIペテロ2:12、ユダ10)
「不義の報酬として損害を受ける。」IIペテロ2:13)
「彼らには深い闇が用意されている。」IIペテロ2:17、ユダ13)
「滅びの奴隷となる。」IIペテロ2:19)
「終わりの状態は、初めの状態よりももっと悪くなる。」IIペテロ2:20)
「カインの道をゆき、利益のためにバラムの迷いに陥り、コラのように背いて
 滅びる。」(ユダ11)


異端的教えは正統的教えからどうズレるのか?
ハーベストタイムの中川牧師は以下の3つの点で正統的教えからズレると言う。

1.      キリスト論
正統的な教えではキリストは神であり人である。異端はこのどちらかを否定する。現代ではキリストの神性を否定し「人」とする教えが強い。

2.      聖書論
正統的な教えでは聖書は比類なき神の言葉であって、信仰と生活の唯一の基盤であるとする。異端は聖書以外に権威を付け加える(カリスマリーダーの預言など)。あるいは、団体独自の聖書翻訳を使う、あるいは団体特有の特殊な解釈(私的解釈)をする。

3.      救済論
正統的な教えでは「信仰」と「恵み」によって救われる。異端はこれに人間のワザをプラスアルファする。キリストの十全的な十字架の贖いに、何か付け加えることは十字架の価値を引き下げることになる。



ユダの手紙が書かれた背景は「聖徒たちにひとたび伝えられた信仰のために戦うよう、あなたがたに勧める手紙を書く必要が生じた。それはある者たち(異端者)が忍び込んできたからです。」(ユダ3−4)とある。

正しい教理のために戦う必要があるのだ。間違った教えを野放図にはできない。
サタンは私達を脱線させようと必死なのだ。だから第1世紀の初代教会時代に、すでに異端が存在した訳だ。初代教会に持ち込まれた異端思想の代表的なものがグノーシス主義。(「間違って知識と呼ばれる反対論」Iテモテ6:20)クレイ聖書講解によると・・・

グノーシス主義は、徹底した霊肉二元論の立場を取りました。そして、霊は純粋で神秘なもの、肉(物質)は罪悪性を持ち堕落したものであるとしました。このような立場に立つグノーシス主義は、聖書の創造論とは真っ向からぶつかるものでした。グノーシス主義によれば、世界を創造したのは絶対者としての神ではなく、より下級の造物者であり、そのため物質界は罪悪性を持っているとされました。また、人間が罪ある者である理由は、肉体を持っているからであるとも教えられました。

グノーシス主義では、物質的世界を創造した神は悪者となり、神であるキリストは肉体をとって地上に現れることはあり得ないとなる。そこでキリスト仮現説(キリストはその生涯を通じて真の肉体をもった現実的存在者ではなく,仮現的存在であったとするもの。)まで現れた。Iヨハネ4:2、IIヨハネ7はその辺の事情があると思われます。精神が肉体よりレベルが上となるので、精神を鍛える禁欲的な密教が発展するとともに、肉体自体が罪なので、精神が救われれば、肉体において犯す罪はもはや、罪ではないという逆方向にも発展した。今に至るまで、このような思想的影響が及んでいる。

異端の方向性は2つ。戒律的な教えと恐れで人を縛ったり、あるいは、逆に恵みを放縦に変え、不道徳になったりする。以下、今日、クリスチャンが誘惑されそうな教えと聖書的反論を付けてみた。
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 地獄はない。結局、すべての人は救われる。(黙示20:15)
 人は皆生まれながら神の子。悔い改めは必要ない。悟ればいい。
                     (ローマ10:9^10)
 諸宗教の目指すところは同じ真理、同じ神。(使徒4:12)
 罪はない。過ち。新しい倫理観 婚前交渉、離婚、不倫、同性愛 それらは、
  単にライフスタイルの問題。あるいは、魂は救われている。肉体において
  犯す罪は、もはや罪ではない。(エペソ5:3−5)
  自分の欲望のために「超能力=霊力」(実は悪霊の力)を使う。
                       (Iヨハネ4:1−2)
  物質的豊かさや、派手な生活を求める繁栄の神学。(マタイ4:8−10)

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「その人たちに自由を約束しながら、自分自身は滅びの奴隷となっています。
 人は自分を打ち負かした人の奴隷となるのです。」 IIペテロ2:19)

異端的リーダーは、結局は「欲望」と「サタンの奴隷」となっていく。「癒し解放」のミニストリーをしながら、自らが性的な「奴隷」となっている場合もある。


私達は、どうしたらいいのか?
「心得ておいておきなさい。終わりの時に、嘲る者たちが現れて嘲り、自分た
 ちの欲望に従いながら、こう言います。『彼の来臨の約束はどこにあるの
 か?・・・』」                  IIペテロ3:3)

この時代はまだ、サタンが働いている。霊的戦いの中にいる。畑には麦と毒麦が混在している。それが今日のキリスト教界なのだ。特に終わりの日には「あざける者」どもが現れると前もって言われている。心得ておく必要がある。

無知な、心の定まらない人たちは、聖書の他の 箇所と同様、それらを曲解し
 て、自分自身に滅びを招きます。ですから、愛する者たち。あなたがたは
 前もって分かっているのですから、不道徳な者たちの惑わしに誘い込まれて、
 自分自身の堅実さを失わないよう、よく気をつけなさい。」
                       (IIペテロ3:16−17)

無知な心の定まらない状態であってはならない。そういう人は聖書を曲解し、自分勝手に解釈するようになる。

「ただし、聖書のどんな預言も勝手に解釈するものではないことを、まず
 心得ておきなさい。」  IIペテロ1:20)

だから聖書に精通し、キリストへの献身の態度を持っている必要がある。異端的な教えを持ち込むニセ教師が出ることは「前もって分かっている。」だから、「惑わしに誘い込まれて、自分自身の堅実さを失わないよう」、気をつけなければならない。さらに続けて聖書は語る。

「愛するものたち、霊を信じてはいけません。偽預言者がたくさん世に出てき
 たので、その霊が神からのものか吟味しなさい。」Iヨハネ4:1)

「私たちの主であり、救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において
 成長しなさい。」  IIペテロ3:16−17)

霊的に停滞してはいけない。前進する必要がある。本物を知っている人は偽物を見抜く。キリストをより良く知り、み言葉の知識に成長する必要がある。そのためには、キリスト中心のコミュニティに属し、定期的にバイブルスタディをすることが不可欠である

「神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに導く、私たちの主イエス・
 キリストのあわれみを待ち望みなさい。」(ユダ21)

「しかし私たちは、神の約束にしたがって、義の宿る新しい天と新しい地を待
 ち望んでいます。」 IIペテロ3:13)

キリスト教は単なる道徳の教えや処世術ではない。それは歴史観であり、世界観。つまり、聖書から教えられて私達は誰で、どこから来て、どこに向かっているかを心得ているということだ。前進できるのは前に置かれた希望ゆえである。クリスチャンはどこを目指しているのかを知っている。「終末的希望」をしっかり持っていることは、現世的刹那主義や物質主義に対抗できる力となる。

歴史的に「創世記」と「黙示録」は攻撃されてきた。特にサタンの最後が記録されている「黙示録」が攻撃される。サタンは終末論を混乱させ、人々から「黙示録」を遠ざけている。だからクリスチャンは、み言葉を常に学び、み言葉に「堅く立つ」必要がある。(エペソ6:14)

嬉しいことに、神は私達を守ることが出来る方である。栄光の御前に立たせてくださるお方なのだ。

「あなたがたを、つまずかないように守ることができ、傷のない者として、大
 きな喜びとともに栄光の御前に立たせることができる方、私たちの救い主で
 ある唯一の神に、私たちの主イエス・キリストを通して、栄光、威厳、支配、
 権威が、永遠の昔も今も、世々限りなくありますように。アーメン。 
                         (ユダ24—25)

ここでの主語は「神」である。ご自分の花嫁である「エクレシア」を、神は清く汚れないものとして守ってくださるのだ。

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意味ある人間関係と祈りで広がるキリスト中心のコミュニティ・
東京メトロ・コミュニティ
Tokyo Metro Community (TMC)
執筆者:栗原一芳

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