2021年9月9日木曜日

「こんな世界があるなんて」


もう1つの世界

2階建ての一軒家に住んでいる人が、ある日突然、物置の奥にある階段を見つけました。何と登ってみると屋根裏に3階があったのです!しかも、洋風の素敵な部屋でステレオが置いてあり、ソファーまであります。彼は得した気分になったでしょうね。ある訳ないと思っていた上階があったのですから・・・



クリスチャンになるとは3階を見つけた人のようです。多くの人は2階までしかないと思って生活しています。天上の世界を知りません。後に来る世があるとは知りません。神が世界を創造されたという世界観を知りません。目に見える世界以上の世界があるとは知りません。毎日の日常生活以上のものは無いのだと思っています。

 

ある家庭集会に行って証をさせて頂いた時のことです。そこに一人のノンクリスチャンの方がおられました。集会後、話をしていると彼が、「こんな世界があるんですね〜」と感心しておられました。あるバイブルスタディのメンバーは「ここに来ると会社と180度違うんですよね。」と言いました。そう、そんな世界があるんです!その世界を体験することができます。

 

私たちが見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えます。あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父また御子イエス・キリストとの交わりです。Iヨハネ1:3)

 

「目が見たことのないもの、 耳が聞いたことのないもの、人の心に思い浮かんだことがないものを、神は、神を愛する者たちに備えてくださった」と書いてあるとおりでした。それを、神は私たちに御霊によって啓示してくださいました。  Iコリント2:9−10)

 

 

私も受けた福音Iコリント15:3)

福音は、概念ではなく、個人的に「体験」するものです。私は高校2年の時、Hi-BA(高校生に伝道している団体)のサマーキャンプに参加して、初めてクリスチャンという人々と会いました。今まで自分が付き合ってきた人々と何か違うのです。なんて素敵な人々なんだろうと思いました。何の偏見もなく、自分を受け入れてくれました。自分のために祈ってくれる人までいて感動しました。それで心が開かれていったのです。数日後のキャンプの夜の集会のメッセージに応答してイエス様を信じクリスチャンになりました。

 

自分は、この社会に生きていて何か違和感を感じ、疎外感を感じ、不安でした。生きる目的もわからないまま、大人になり、社会に出てゆくことが怖かったのです。しかし、やっと自分の魂の故郷、自分の本当の「居場所」を見つけたのです。「自分がありのままの姿で居て良い場所。」、そう「こんな世界が・・・」あったのです。

 

そういう意味ではクリスチャンになるとは究極の「異文化体験」です。もっと正確には、「異次元体験」です。今まで慣れ親しんできた価値観とは違う、世界に入るからです。クリスチャンになるとは単に道徳的に良い人になる、といったちっぽけな変化ではありません。住んでいる世界(宇宙)が変わるのです。つまり、世界観や歴史観が変わるのです。

 

神を知らなかった自分が神のいる世界を体験したのです。聖書の神がいるとは、「愛」があるということ。「希望」があるということ。「真実」があるということ。そして、自分は神の家族の一員となり、イエス様にあっての兄弟姉妹を得たのです。一緒に祈れる仲間を得たのです。もう感動です。このキャンプから帰宅して1週間くらいは、あまりの喜びに浮かれていました。

 

あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、今見てはいないけれども信じており、ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びに躍っています。あなたがたが、信仰の結果であるたましいの救いを得ているからです。 Iペテロ1:8)

 

「生まれ変わり」としての回心

鎖国していた江戸時代に住んでいた日本人の多くは、同じ地球の上にアメリカやヨーロッパの国々のようなライフスタイルがあるなんて夢にも思わなかったでしょうね。クリスチャンになるのは異文化体験なので、ある意味、いくら口で説明しても分からない部分があるのです。長年勉強している求道者が「でも、分からないんです。」を連発する理由はここにあります。イエス様ご自身も言われました。「新しく生まれ変わらなければ、神の国を見ることはできない。」(ヨハネ3:3)

 

自分にとっては、あのキャンプで同い年のクリスチャン達に会ったことが一番のインパクトでした。彼らに触れ、一緒に遊び、会話し、交わったことで心が開かれていきました。こういう「世界」があることを体験したのです。そして、信じた瞬間に聖霊を頂き、それ以来、聖書の言っていることに納得がいくようになったのです。霊的生まれ変わりです。(Born again体験クリスチャンになるとは「勉強」の結果ではなく、まさに「生まれ変わり」なのです。聖霊が心に住まわれるという「霊的体験」なのです。創造主なる神との直通電話が開通するというエキサイティングな出来事なのです。

 

御国がやってくる!

イエス様の宣教内容は「御国の福音」であり、「神の国の到来」でした。(マタイ4:17、9:25)真のエクレシア(クリスチャンの交わり)があるところでは、「御国」の前味を味わうことができます。しかし、それは「前味」なのであり、「実態」はこれから来るのです。(エペソ1:11−14)福音の真髄は「KINGDOM=御国」の到来です。「主の祈り」で祈った「御国が来ますように!」が実現することです。

 

最近は、「愛」や「平和」や「義」という言葉に陳腐な響きがありますね。不法がはびこり、愛が冷めていく世の中。周りには暗いニュースばかり。何かすべてが嘘くさい。希望なんてない、愛なんてない・・そう思って希望を失い自死してしまう人も後を絶ちません。でも「この世界」以上の世界があるんです。この時代の後に来る、「世界」があるのです。

 

この大能の力を神はキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上でご自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世だけでなく、次に来る世においても、となえられるすべての名の上に置かれました。 (エペソ1:21)

 

イエスも「この時代」が過ぎ去り、次の時代が来ることを示唆されています。(マタイ24:34)

 

近日、総裁選がありますが、誰が総理になっても常に問題はあります。しかし、御国ではイエスご自身が「王」となります。天の話ではありません。イエスは地の王たちの支配者です。(黙示録1:5、19:16)そこではスキャンダルも、賄賂もありません。イエスご自身、究極のサーバントリーダーとして国を治めます。犠牲的な愛を持って国民に仕えて下さいます。党利党略も、政治家の私利私欲はもう無いのです。また、「平和の君」として治める国には殺戮や戦争もありません。人権は保護され、自由が確保されます。朽ちない体が与えられ、私たちにはもう老いも、病気も無くなるのです。やってくる将来の確証としてイエスは民のあらゆる病を癒されました。(マタイ4:23)もう一度、言います。福音の真髄は「御国の到来」なのです。イエスの「十字架」も「復活」も、その布石です。そこで止まってしまってはいけません。The KING is coming! 「主の来臨」と「御国の到来」は、うまく作り出した空想話では無いのです。(IIペテロ1:16)

 

私たちはあなたがたに、私たちの主イエス・キリストの力と来臨を知らせましたが、それは、巧みな作り話によったのではありません。私たちは、キリストの威光の目撃者として伝えたのです。 IIペテロ1:16)

 

「そんな世界」があるんですか?はい!だから「福音」なのです。グッドニュースなのです。宣べ伝える価値があるのです。驚くべき希望なのです。

 

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執筆者:栗原一芳

Japantmc@gmail.com

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