2021年12月23日木曜日

「牧師の38%が離職を検討」


米調査「牧師の38%が離職を検討」 教会指導者たち憔悴させ続ける燃え尽き症候群 20211125日(米クリスチャニティ・ツデイ抜粋)

 パンデミックが進むにつれて、燃え尽き症候群が教会の指導者らを憔悴させ続けている。バーレソン牧師は、所属するティンバーリッジ教会(ステファンビル)とビスタ教会(ハートランド)が主催する3日間のリトリートを企画している。「リトリートには毎回、牧師を辞めることを考える牧師たちが参加する。彼らは多くの点で行き詰まりを感じており、それがプレッシャーや燃え尽き症候群に拍車をかけている」と話す。

 牧師の燃え尽き症候群は、パンデミックの間に悪化している。今日発表されたバーナグループの調査によると、牧師の38%がフルタイムでの牧師職を辞することを真剣に検討しており、1月時点の29%から大幅に増加している。「この18カ月間に加速した変化により、多くの牧師は頭も心も混乱している」と、バーナ教会の雇用担当副社長ジョー・ジェンセン氏は述べる。「自身の職業を再考する牧師の数が増えていることは、ストレスの増加やメンタルヘルスの悪化と相関している。このように多くの牧師が危機に瀕しているため、牧師たちは友情を育み、苦悩について率直に話し、アドバイスを受け、精神的なサポートを得ることができる場所をより強く求めている。

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そもそも大教会は必要?

牧師が孤独にならないように、話し合う場の提供は必須なのだろう。牧師のご苦労を思いやると同時に、「教会」のあり方そのものにも疑問が湧いてくる。アメリカでは数千人の大教会も珍しくない。大教会ほどパンデミックの影響が大きいものと思われる(経済面含め)。しかし、そもそも数千人の教会を牧会することが御心なのだろうか? 毎週、数千人が1つの会堂に集って礼拝する必要があるのだろうか? 大人数が集まる教会となれば、当然、組織としての管理が必要になる。予算を決め、決算を報告し、承認する監査や役員が必要となる。組織運営が必要となり、命令系統の組織図が必要となる。組織なるがゆえに生まれる仕方のない葛藤や問題、いわゆる「組織悪」が生まれる。大教会では大きなお金が動くことになる。大教会には牧師室があり、秘書もいる。家族より秘書の女性と過ごす時間の方が多くなることもあるだろう。誘惑も生まれる。確かに、大教会にはお金と人材があるので、様々なミニストリーを展開できるメリットはある。しかし、ネットの時代、多々の小さな教会がネットワークして大きなミニストリーをすることも可能ではないだろうか。私達が主張しているモットーは「教会は小さく、ミニストリーは大きく」だ。

私がアメリカ留学している時、お世話になったホストファミリーの教会はアメリカには珍しく30名ほどの小さな教会だったが、前任の牧師が去り、新しい牧師を探していた。それで、毎週、トライアウトとして違った牧師が来て説教をしていた。そして、教会員が気に入った牧師がめでたく「就職」できる訳だ。

「就職」にあたっての牧師側の要求、例えば、週に1日家族との時間をとることなど、きちんと条件を取り決めるところがアメリカらしいなと思ったことを覚えている。しかし、今日、上記の記事のように「就職場」としての教会に疑問が生まれてきている。

 

日本の場合はそれほど大きな教会は少ないだろうが、一人の牧師が説教準備の他、会堂の掃除から週報の印刷、訪問、相談、「何でも屋」になる危険性がある。現代的牧師という制度に問題は無いのか?小さいとは言え、100名を超えれば、組織化はやむを得ないだろう。経済的に複数牧会が難しく、一人の牧師に負担がかかる。「燃え尽き症候群」になってしまうのは、牧師のせいと言うより、「教会のあり方」、期待される「牧師の役割」に、そもそも問題があるのではないだろうか?教会を「運営」するために、皆がギスギスしているとしたら本末転倒ではないだろうか。

 

発想の転換をしてみよう。

 

シンプルに考えてみよう。クリスチャンの使命は

 

Love God (神を愛し)

Love People (人を愛し)

Make Disciples (キリストの弟子を産み出す)

 

そして、「教会」は、建物ではなく信徒の群れ。信徒が愛しあい、奉仕し合い、御国をデモンストレーションし、霊的に成長し、キリストの弟子として整えられていくところ。

 

まず、これを達成するのに、1つの教会の人数の多さは関係ないだろう。ところが、50人以下だと「伝道所」、50人超えて独り立ちできるようになると「教会」と呼ぶ不思議な伝統がある。実際、礼拝人数が減り、このままでは「伝道所」に格下げになるので、どうしようと悩んでいる信徒の話を聞いた。

 

では、上記の使命を達すのに最適な環境は何だろうか?

 

このブログでも取り上げたが、昨今、今まで大教会主義だったアメリカの若い牧師の間に「小さな教会=教会を産み出す教会」や、信徒リーダーや、仕事をしながら牧会する牧師による「マイクロチャーチ」の可能性が模索されるようになった。成功の基準を1つの教会の「大きさ=人数」ではなく、「弟子を生み出しているか?」に切り替えたのだ。(この運動 ExponentialFacebookはこちら。https://www.facebook.com/churchplanting


 

「小さな教会」のメリット

建物に固執しない「小さな教会」のメリットは・・・

 

  組織的な面のストレスが大幅に減る。その分、人間関係にフォーカスできる。

  全員参加。牧師とお客さんとしての信徒の関係ではなくなる。

  インターネット上のリソース(賛美、メッセージ)を活用すれば、霊的リーダーの負担も少なくて済む。

  少人数なので「お互いに」を実践できる。より信仰を日常化できる。

  カフェや、家庭を解放して集まれば、建物に回すお金をミニストリーに使える。

  場所や時間に規定されない、「いつでも」「どこでも」教会ができる。

 

このパンデミックを通してTMCエクレシアではzoomに切り替わったが、参加メンバーのお互いの絆は、より深まり、信仰は強められ、神と人への愛が増している。「お互いに」の実践として、全員参加のバイブルスタディ、祈り合いを定期的に実践できるようになってきている。何よりも参加者は皆、エクレシアの時間を待ち望んでいる。義務感からではなく、一緒に会える時間を「楽しんで」いる。パンデミックになったからといって、この「本質的」な部分は、ほとんど損なわれず、キープできている。

 

今の教会のあり方では、先の記事にあるように牧師の悩みは深まるばかりだろう。自分が大教会の牧師なら今頃、絶対に「鬱」になっているだろう。

 

 

ピンチはチャンス!

 

 パンデミックだ!

 会堂で礼拝できない!

 無牧の教会が増えている!

●「キリスト教」という宗教は衰退している!

 

しかし、このピンチはチャンスなのかも知れない。ピンチの時は「転換」のチャンス。パンデミックでインターネット利用の比重が増えた。自分の教会のオンライン礼拝だけでなく、良くも悪くも、他の教会の礼拝を視聴したり、他の教会の牧師のメッセージを聞けたりする機会が増えた。無牧の教会でもYouTubeにアップされている賛美やメッセージを聞いて礼拝することも可能ではないだろうか。大転換の先には明るい未来があるのかも知れない。形骸化された「キリスト教」という宗教は廃れるだろう。しかし、今もキリストは生きているし、キリストの体(エクエシア)は生きている。体が機能できる形に転換さえできれば・・・

 

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意味ある人間関係と祈りによって深まり広がるキリスト中心のコミュニティ

東京メトロ・コミュニティ

Tokyo Metro Community (TMC)

執筆者:栗原一芳

Japantmc@gmail.com

 

 

 

 

 

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