ネフィリムの裁き
「地に暴虐が満ちていた」(創世記6:11)とはいえ、全世界を洪水で滅ぼすとは・・? 全ての肉なるものを滅ぼすとは? なぜ、動物たちまで・・?(創世記6:7)神の怒りの異常反応?
この答えとなる有力な説があります。実は、創世記6章で、とんでもないことが起こったのです。神の子たち(堕天使)が人の娘たちと性的交渉により、(創世記6:2)いわば堕天使と人間のハーフ、DNAが変化した別種類の人類が誕生したことです。DNAは父と母から受け継ぎますね。この箇所で「ネフィリムがいた」と記述されており、(創世記6:4)この別種類の人類がネフィリム(巨人、超人)であることがわかります。堕天使たちとは悪霊なので、神に反逆する凶暴な「人類」の繁殖が起こったのです。
これは創世記3:15、「女の子孫」からメシアが出ると言う神のご計画を壊すサタンの大胆な策略であったことがわかります。女の子孫を乱せば、メシアが登場できないからです。しかし、こう言う話は通常、教会の礼拝メッセージでは聞きませんね。だから、初めに聞くとびっくりしますし、「幾ら何でも、それは無いでしょう。」と思わず言いたくなります。
欠落する中間層〜霊的存在のリアリティ
そもそも、御使や悪霊は聖書の中の話だけで、日常生活は「科学的法則」に従って生活している現代人クリスチャンにとって、リアリティがまず無いのです。日曜礼拝説教には「御使」や「悪霊」が出てきても、月曜からの日常生活の中では意識されないままです。日常生活では通常、「この世」の常識で生活しています。神や、霊的存在は「天」にいることは分かっていても、「地」の人間社会とは別世界という「神学」が欧米から教えられてきたせいでしょうか?いわば、この「天」と「地」の中間層が欠如しています。聖書の世界では人間社会に「御使」や「悪霊」が現れます。どちらが真実でしょうか?もちろん、「聖書を信じている」と言うでしょうが、本当に信じていますか?
人間社会に現れる御使達
先ずは、旧約から例を挙げます。元々エデンの園では天と地がオーバラップしていたので、神が園を歩き回っていたし、(創世記3:8)ヘビであるサタンも人間と一緒にいたのです。(創世記3:1)人が罪を犯して園を追い出された後は、ケルビムが園を見張っていたのです。(創世記3:24)つまり当たり前に天的存在と人間は同居していた訳です。堕落後も御使は人間界に現れます。
創世記18章からの記述では、天幕の入り口に座っていた、アブラハムの元へ3人の旅人がやってきます。アブラハムは彼らを丁重にもてなし、彼らは食事を共にします。「彼らは食べた」(18:8)のです。後でわかりますが、ソドムに向かった二人は「御使」です。(19:1)「御使」は元々「メッセンジャー」の意味ですが、どの英訳聖書も、ここはangel 「御使」と訳しています。もう一人は「主」(18:33)で、これは第二位格の神、イエスご自身でしょう。イエスは、アブラハムが生まれる前から「わたしはある=神」(ヨハネ8:58、出エジプト3:14)と言われる方だからです。ただ、アブラハムは初めから神と二人の御使と知っていてもてなした訳ではありません。この3人は普通の旅人に見えたのです。よく天使は「羽の生えたキューピット」のイメージがありますが、人間界に現れる御使は人間の形で現れるのです。
ソドムに到着した御使たち(創世記19:1)は、よこしまな町の人々の情欲の対象となったのです。「彼らをよく知りたいのだ。」(創世記19:5)は「性的な関係を持ちたい」という意味です。ロトの対応を見れば、そのことが分かります。(創世記19:8)ここでは御使が人間の性的欲情の対象となったのです。それなら、その逆もあり得るのではないでしょうか。
また、有名なヤボクの渡し場での出来事。ヤコブは神(あるいは御使?)と格闘しています。(創世記32:24−30)一晩中、肉体接触してレスリングしたのです。その人はヤコブのモモの関節を打ったのです。(32:25)天的存在は人間の肉体にダメージを与えることができるのです。
ロバに乗った預言者バラムの前に立ちはだかった御使は、バラムと会話しています。この御使はそこにいたのに、バラムの目が開かれるまでは見えなかったのです。そして、神に逆らうこのバラムを剣で殺すこともできたことを示唆しています。(民数記22:31−34)
今度は、新約聖書から見てみましょう。有名な受胎告知の場面。
さて、その六か月目に、御使いガブリエルが神から遣わさ れて、ガリラヤのナザレという町の一人の処女のところに来た。この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリアといった。御使いは入って来ると、マリアに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」しかし、マリアはこのことばにひどく戸惑って、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。すると、御使いは彼女に言った。「恐れることはありません、マリア。あなたは神から恵みを受けたのです。 (ルカ1:26−30)
興味深いのは、マリアはガブリエルの言葉にひどく戸惑ったが、ガブリエルの容姿に恐れた様子がないのです。ひれ伏している様子もありません。「御使は入ってくると・・」と書いてある通り、人として、戸口から入ってきたのでしょう。容姿も普通の人間だったのです。そして、人と話すように、マリアと会話しています。
次は空になったイエスの墓に女達が訪れた時のことです。
見よ、まばゆいばかりの衣を着た人が二人、近くに来た。彼女たちは恐ろしくなって、地面に顔を伏せた。すると、その人たちはこう言った。 (ルカ24:4−5)
「人が二人」とあり、人間の姿であったことが分かります。ただ、今回は輝く衣を着ていたので、その神々しさに、恐れて顔を伏せています。その後、普通に会話しています。何れにしても人間の姿で人間界に現れています。
すると見よ。主の使いがそばに立ち、牢の中を光が照らした。御使いはペテロの脇腹を突いて彼を起こし、「急いで立ち上がりなさい」と言った。すると、鎖が彼の手から外れ落ちた。 (使徒12:7)
使徒5:19でも、御使が投獄された使徒達を助けていますが、上記の箇所では何と、御使が「ペテロの脇腹をつついて彼を起こし」とあるのです。御使が人間に肉体的接触ができると言うことです。
このように「世の常識」がどうであれ、聖書的結論は・・
● 御使は存在する。
● 人間界に現れる
● 人間の姿で現れ、普通に人間と会話する。
● 地上に現れた御使は人を剣で殺すこともできる。
● 食事をしたり、性的対象として見られたり、肉体的接触さえできる。
大患難時代には堕天使(悪霊)たちが、再び見える形(サソリの尾を持つイナゴとして)で人間に接触します。(黙示録9:1−11)
マタイ22:30によると、私達信者は復活して栄化されると「御使」のようになります。イエスは私達の「初穂」として復活しているので、おそらく私達も復活後のイエスのようになるのでしょう。復活後のイエスは壁をすり抜けたり、(ヨハネ20:26)突然消えたり(ルカ24:31)しています。しかし、同時に、復活したイエスは弟子達と食べたり、飲んだりしたのです。(使徒10:41)。つまり、幽霊のような単なる「霊体=透明人間」ではないのです。「体」を持っています。ただ、イエスご自身が言われたように、御使達は「めとったり、嫁いだり」しないので、基本、性交渉もしない訳です。
しかし、ソドムで人間が御使に「情欲」を抱いたように、堕天使が人間に「情欲」を抱く可能性は無いのでしょうか?自分たちの後に創造された人間(男と女)が、自分たちには許されていない「肉体的交わり」をしているのを見た時、驚き、嫉妬し、欲情した御使がいなかったと言えるでしょうか? 堕落して、言わば「逆携挙」のような形で、「天の幕屋」を脱ぎ捨て、「地上の幕屋」をまとった御使たちがいたとしたら・・・? そして、悪霊どもの親玉であるサタンがそれをそそのかしたとしたら・・・
次回は、では創世記6:2の「神の子たち」とは誰なのかを探ってみましょう。
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参考資料
Judgment of the Nephilimm by Ryan Pitterson (日本語訳は出版されていません。)
おすすめ動画
https://message-station.net/episode/8786/
「神の国と悪魔の国」シリーズ 「大洪水」中川健一
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執筆者:栗原一芳
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