2022年2月10日木曜日

ノア大洪水の真相 (2)

 

「神の子たち」とは誰のことか?

ヘブル語に詳しい、日本バプテスト連盟いずみバプテスト教会の城倉啓牧師は、冊子「いのちのことば」の中で、こう書いています。

 

「人間は滅ぶべき弱い存在です。この人間観は、預言者エゼキエルに対して神が常に『人の子よ』(ベン・アダム)と呼びかけることと呼応しています。(エゼキエル2:1節、他多数)」イエスも弱い人間への連帯感を示す意味で「人の子」を好んで使われたとも言っています。

 

創世記6:2の「神の子たち」をセツの子孫と解釈する説もありますが、根拠が薄いです。信仰者と不信仰者が結婚するとネフィリム(巨人)が出てくるのでしょうか?異常な人間が出現した背景には異常な事が起こったと考えられます。むしろ、上記の記事のように、「神の子」は、弱き地上的存在である「人の子」に対比されるのです。従って「神の子たち」は、天的存在と考えるのが妥当でしょう。事実、旧約聖書の中では「神の子たち」(ベナイ・ハ・エロヒム)は、常に「御使」に言及しています。ヘブル語世界では、「神の子たち」は天的存在、すなわち「御使」として理解されていたのです。

 

ヨブ1:6—7 (2:1も同様)

ある日、神の子らがやって来て、主の前に立った。サタンもやって来て、彼らの中にいた。

 

これは天での光景です。そこに人間はいないはずです。サタンは堕天使なので、御使の一人です。ちなみに、このように神が御使たちと相談して事を決める「神の会議」は、第一列王22:18−23にも出てきます。

 

*旧約時代では死者はすべて地の下にあるシェオール(日本語訳は「よみ」)に下っていきますので、(詩篇88:3、89:48)天には人はいません。信者が天に行くようになったのはイエスの復活後です。(エペソ4:8−9)

 

わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。分かっているなら、告げてみよ。あなたは知っているはずだ。だれがその大きさを定め、だれがその上に測り縄を張ったかを。その台座は何の上にはめ込まれたのか。あるいは、その要の石はだれが据えたのか。明けの星々がともに喜び歌い、神の子たちがみな喜び叫んだときに。(ヨブ38:4−7)

 

天地創造の時に人間は、それを目撃していません。ここでいう「神の子たち」は御使です。御使は人間より先に創造されていました。

 

また、歴史家ヨセフスの「ユダヤ古代誌」には、「神の子たち」は「御使」だと説明されていますし、イレナエオスを始め、初代教会の教父たちも「神の子=御使」説を支持しています。IIペテロ2:4−5の罪を犯した御使の件がノアの洪水との関連で語られています。

 

神は、罪を犯した御使いたちを放置せず、地獄に投げ入れ、暗闇の縄目につないで、さばきの日まで閉じ込められました。また、かつての世界を放置せず、不敬虔な者たちの世界に洪水をもたらし、義を宣べ伝えたノアたち八人を保護されました。

 

ユダ6−7では「自分の領分を守らず・・」つまり、「身分不相応な立場に身を置いた=逆携挙で『地上の幕屋』を着た?」となり、その重罪のために暗闇に閉じ込められたとなります。さらに7節では、その罪が性的なものであったことが明記されています。

 

またイエスは、自分の領分を守らずに自分のいるべき所を捨てた御使いたちを、大いなる日のさばきのために、永遠の鎖につないで暗闇の下に閉じ込められました。その御使いたちと同じように、ソドムやゴモラ、および周辺の町々も、淫行にふけって不自然な肉欲を追い求めたため、永遠の火の刑罰を受けて見せしめにされています。(ユダ6−7)

 

付け加えて、御使が地上に現れる時は常に若い「男性」として現れています。イケメンの男性に誘惑されたカイン系の不信仰な女性達がいたとしてもおかしくないでしょう。これだけ聖書的な根拠が揃うとやはり、「神の子たち=御使」説、そして創世記6:2は堕天使と人間の娘の性的交渉があったと結論付けざるを得ません

 

しかし、そんなマニアックな話、どうでもいいでしょ?と言われそうですが、実は神の救いの計画上、大変重要な問題であったことが分かります。次回、それをお分かちします。


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執筆者:栗原一芳

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