第一段階:はじめにエロヒーム
始めに神(エロヒーム)が天と地を創造した。実はエロヒーム(エロアの複数形)は創造主の専売特許の名ではない。もちろん、ここでは創造主の意味だが、エロヒーム自体は神、御使を含む超人間的存在、天的存在を意味する。ただ、創世記1:1では父、御子、御霊の三位一体を表す意味で複数形と解釈するのが一般的だ。神が始めから三位一体であるとは、初めから、お互いの間に「愛」と「コミュニケーション」すなわち、「交わり」があったということ。賛否はあるが、小説「神の小屋」に住む、あの家族のイメージをすると分かりやすい。そして、それは「閉じた家族」で終わるのではなく、神はご自身の家族を広げたいのだ。
第二段階:御使と神の会議
神は次に御使達を造られた。天地創造の時、御使達は一緒に喜んだ。
わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。分かっているなら、告げてみよ。あなたは知っているはずだ。だれがその大きさを定め、だれがその上に測り縄を張ったかを。その台座は何の上にはめ込まれたのか。あるいは、その要の石はだれが据えたのか。明けの星々がともに喜び歌い、神の子たちがみな喜び叫んだときに。(ヨブ38:4−7)
つまり、神の家族(あるいはエロヒーム=天の家族)は広がったのだ。
ある日、神の子らがやって来て、主の前に立った。サタンもやって来て、彼らの中にいた。(ヨブ1:6—7、2:1)
ここは、ヨブについてどうするか、神とサタンを含む御使たちとの会議の様子だ。神は地上のことを決定するのに、エロヒーム(天的存在=御使達)と相談している様子がうかがえる。典型的なのは以下の第一列王22:18−23。アハブ王の対処についての論議の場面。
ミカヤは言った。「それゆえ、主のことばを聞きなさい。私は主が御座に着き、天の万軍がその右左に立っているのを見ました。そして、主は言われました。『アハブを惑わして攻め上らせ、ラモテ・ギルアデで倒れさせるのはだれか。』すると、ある者はああしよう、別の者はこうしようと言いました。ひとりの霊が進み出て、主の前に立ち、『この私が彼を惑わします』と言うと、主は彼に『どのようにやるのか』とお尋ねになりました。彼は答えました。『私が出て行って、彼のすべての預言者の口で偽りを言う霊となります。』主は『きっとあなたは惑わすことができる。出て行って、そのとおりにせよ』と言われました。
Dr.マイケル・ハイザーは、これを「神の会議」と呼んでいる。もちろん、全知全能の神はお一人で何でも出来るだろう。しかし、神はご自分のご計画に御使たちを「参与」させたいのだ。至高の天的生き物ケルビム、セラフィムは常に、神の御座近くにいて神に仕えている。神は孤独の神ではなく、エロヒームはいつも一緒なのだ。(黙示録4章)
第三段階:人の創造と増殖
神がアダム(人)を造ったとき、「われわれの似姿に造ろう・・」(創世記1:26)と言われた。神が密室で、独り言を言ったのではなく、天的存在者(エロヒーム)に呼びかけて、こう言われたという説もある。そのほうが、「家族」を好む創造主らしい。
人はアダムとエバだけではなく、神は人に、増え広がるように命じた。「生めよ、増えよ、地に満ちよ。」(創世記1:28)つまり、家族が広がるように命じたのだ。
エデンには「神」も「御使」も、「ヘビ=堕天使」さえも同居していた。この家族は一緒だったのだ。堕落後、天と地に溝ができたが、堕落後も神は人間と関わり続ける。交わりを回復しようとされる。
やがて、神は聖霊によってマリアに受胎し、(ローマ1:4)御子イエス・キリストは人となって人間界に現れる。そして、人の間に住まわれた。
ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。
(原意は「幕屋を張られた」。)(ヨハネ1:14)
神が人となって地に来られたのは、人との和解を完成させ、人を神の家族に迎え入れるためであった。
第四段階:エクレシア
しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。(ヨハネ1:12)
今度は信じたものが「神の子供」になっていく。異邦人も信じるなら「神の家族」に加えられる。「神の家族」は拡張する。
こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、聖徒たちと同じ国の民であり、神の家族なのです。
(エペソ2:19)
異邦人が選民と共に「神の家族」となることは旧約時代には隠されていた「奥義」であり、パウロがそれを明らかにした。(エペソ3:6)エクレシア(キリストにある共同体)は、三位一体の拡張家族なのだ。
私たちが見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えます。あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父また御子イエス・キリストとの交わりです。 (第一ヨハネ1:3)
人となった神(イエス)は、12弟子と同居し、生活を共にされた。いわば、12弟子は、三位一体の神の拡張家族(Extended family)と言える。それどころかイエスは収税人や売春婦とも食事を共にされ、「神の家族」に招き入れようとしていた。通常、憎んでいる者と一緒に食事をすることは苦痛なのだ。(パリサイ人は罪人と食事をしない。)しかし、イエスの食卓には笑顔があふれていた。
今のコロナ渦でのSocial Distanceは致命的だ。会って、話して、食べて、笑って、分かち合いって・・それがエクレシア(神の家族)の本質であり、人間が本来の人間になる道なのだ。「食事をするところから始めよう!」いいフレーズだ。しかし、今日、それが難しくなってきている。
「40年ほど前、私が牧師になった頃は、ほとんどのことは善い悪いというモラルで判断できました。しかし、今、人間の魂に向き合っていると、いたるところで病んで呻いている傷に出会い、『何もいらないから、一緒にご飯を食べるところからやり直そうよ』と言わざるを得ない現実を見せつけられます。ところが、教会という制度や組織が整えば、整うほどにに、ますますそれが困難になるのです。」
(「神の国を生きる」後藤敏夫 いのちのことば社)
歴史を通して教会が制度化し、権力化した時、神は「神の家族」としてのオーガニックチャーチの群れを起こされた。それは脈々と生き続けてきた。(これに関しては上記の本を参照ください。)
第五段階:天と地が完全に重なる新天新地
復活の時には人はめとることも嫁ぐこともなく、天の御使いたちのようです。
(マタイ22:30)
今度は人間が御使(天的存在=エロヒーム)のようになる。「天の幕屋」を着る。事実、黙示録4−5章を見ると、天の住民のリストは・・
● 神(4:2、4:5、5:7)
● 24人の長老=贖われたクリスチャンたち
*5:9で「あなたの血によって『人々』を神のために贖い」(新改訳2017版)とあるが、NKJVを含む多くの翻訳では”us”となっており、24人の長老が「私たちを贖い」と言っていることになり、従って24人の長老は贖われた人々=教会という解釈になる。
● 4つの天的な生き物(4:6−8)
● 多くの御使たち(5:11)
つまり、キリストの十字架・復活・昇天、からキリストの地上再臨までの間、天においては、以上の「存在」が同居していることになる。我々クリスチャンも神の家族、天の同居人、エロヒームの仲間となるということだ。
エクレシアは、今キリストの「花嫁」だが、やがて子羊の婚姻(黙示19:7)を経て、子羊の「妻」となる。(黙示録21:9)新天新地では、もはや呪われるものはなく(黙示22:3)、エロヒームと人間は共に住む。いや、我々がエロヒーム(天的存在)になると言ってもいい。
「見よ、神の幕屋が人々とともにある。神は人々とともに住み、人々は神の民となる。神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。」(黙示録21:3)
そこでは、神の御顔を仰ぎ見ることさえ許される。(黙示録22:4)それほど親しい距離感となる。もはや天と地を遮るものが無い!天と地は完全に重なる。ついに、御国=「神」と「御使」、「神の民」の同居するところ=「神の拡張家族」が完成する。
エロヒーム(神の家族)はいつも一緒!
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おすすめ本
「Supernatural~超自然の世界」マイケル J ハイザー著
聖書プロジェクトyoutube動画 「エロヒーム」
https://www.youtube.com/watch?v=U5iyUik97Lg
「神の国を生きる」後藤敏夫 いのちのことば社
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執筆者:栗原一芳
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