ヨハネ14:2−3
わたしの父の家には住む所がたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。
コロナで結婚式が延期されてしまったカップルが大勢いたことでしょう。どんなにか、結婚式を待ちわびたことでしょうか?キリストと教会(私たちクリスチャン)は結婚関係に例えられていますね。
「それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。」この奥義は偉大です。私は、キリストと教会を指して言っているのです。
(エペソ5:31−32)
ヨハネが福音書で、カナの婚礼を最初に持ってきているのには意図があるように思えます。それは、キリストのミニストリーの意図がそこにあるからです。キリストは花嫁を探しに地上に来られ、花嫁をサタンの手から贖い出し、再び繋ぎ合わせ婚約関係とし、そして、最終的に天で、結婚式をあげ、花嫁と1つとなるのです。サタンの邪魔が入らない「キリスト」と「教会」の蜜月期間、それこそ「千年王国」における「婚礼=セレブレーション」期間なのです。救いの歴史はそこに向かって動いています。
ガリラヤの結婚式のしきたり
このように結婚のしきたりと救いのしきたりが重なっています。ヨハネ14章も、当時の結婚のしきたりを背景にしているのです。イエスも弟子たちもガリラヤ人だったのです。ガリラヤの文化的背景を前提として話し合っていたのです。ですから、当時のガリラヤ地方の結婚のしきたりを理解することが重要なのです。ヨハネ14章でイエス様が言っていることは、ガリラヤ人の弟子たちにはピンときたのですが、私たちは背景を知らないと十分に理解できません。幸いな事に、最近の考古学研究で明らかになってきました。
1.イスラエルでは13歳で男子は成人を迎える。男女共、その年齢になると、親同士で息子、娘の結婚の相手を探し始める。「いいなずけ」の関係にする。
2.相手が見つかると、町の門(公共の場所、大勢の人の前、特に長老たちの前)で「婚約」する。長老が承認することで正式なものとなった。男性は女性に儀式用のワインカップを渡す。女性がそのカップを受ければ、婚約成立となる。選択権は女性にある。婚約は、実 質的な結婚を意味し、他の人と付き合うことは許されない排他的な関係に入ることになる。(雅歌2:16)
3.花婿の父は、花嫁の父に育ててくれた感謝として「花嫁料」を払う。
4.婚約してから最低1年間は離れて暮らす。花婿は住まいや家具を用意する。通常は父の家に建て増しをする。花嫁は花嫁衣裳や花婿の衣類などを用意する。花嫁は花婿がいつ迎えに来るか分からない。日時は知らされない。結婚式は突然起こるイベント。花嫁は、いつ花婿が来てもいいように準備して待っている。
5.用意ができると、花婿が花嫁を迎えに行く。ただし、その日は花婿の父しか知らない。花 婿の父が許しを出し、花婿は花嫁を迎えに行く。当時のガリラヤでは、通常、父が息子に伝えるのは、真夜中だった。
6.夜中、ないし、明け方、花婿は友人たちと群れをなして出てゆく。ショーファーいう角笛を鳴らし町中を進む。結婚式に招待している人々を起こすためでもある。
7.それを聞いた花嫁は目覚め、迎えが来たことを知る。
8.花婿は花嫁の家には入らない。花嫁が家の外に出て花婿と出会う。1年ぶりの再会となる。感激のシーン。
9.友人たちが家の前に出てきた花嫁をイス付きの台に担ぎ上げて、父の家まで連れて行く。花嫁は地面から引き上げられ、台に乗せられ、父の元に運ばれる。事実、古代ガリラヤで「花嫁を、父の元へ飛んで連れていく」という言い回しがあった。
8.花婿は花嫁を連れて、父の家に帰る。そして結婚式(婚姻)をあげ祝福される。通常、祝宴(披露宴)は7日間続いた。ついに、二人は一緒に住み1つとなる。
ガリラヤの結婚の霊的解釈〜(キリストと教会の関係)
それでは、これをキリストと教会という関係に置き換えて見てみましょう。
1. イエスは地上に花嫁を探すために来られた。
2. イエスは地上生活において結婚しなかった。
3. なぜなら、教会がキリストの花嫁だから。
4. イエスは花嫁料として十字架で血を流し、罪の代価を払った。
5. 最後の晩餐、過越の祭の食事でのワインは、一体となる「血の契約」。
6. 血の契約の盃を受けるか、受けないかは本人次第。キリストを救い主として信じるかどうかは私たちの選択にかかる。信じる時に婚約成立。
7. イエスは十字架の御業を終え、復活し、天に戻られた。地上を離れた。
8. 今、キリストの花嫁である教会は、婚約状態ではあるが、物理的にキリストと同居してはいない。
9. キリストは天で住まいを用意している。地では教会は結婚式に備え、清められるプロセス(聖化の過程)にいる。もう他の偶像に心奪われることはできない。
10.人の子の到来(携挙)の日時は、御父だけが知っている。(マタイ24:36)その時が来ると、花嫁を迎えに、キリストは天から下って来る。「夜中の盗人」のように来る!当時のガリラヤでは文字通り、夜中に来た。
11.携挙の詳細はIテサロニケ4:16−17にある。
すなわち、号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
花婿が途中まで来られるように、キリストも空中まで来られる。ラッパが鳴る。花嫁が台に担がれて運ばれたように、私たちも地上から「引き上げられ」キリストのおられる空中まで運ばれる。「引き上げられ」(ギリシア語でハルパゾー)は「引っこ抜く」を意味する。そして、天(父の家)に連れていかれる。
10。その後、花嫁の家(地上)には戻らず、天の父の家に行く。
11。そして、天にてキリストと教会の結婚式が行われる。
(黙示19:7−8)
12。黙示録19:9の披露宴(婚宴)は、サタンの邪魔のない、キリストと教会の蜜月期間祝いの期間、すなわち、千年王国のことと思われる。
13。新天新地では教会は単なる花嫁ではなく、「子羊の妻」(黙示21:9)と呼ばれている。新天新地が始まる前の時点で、結婚式が行われるという事だ。
これを背景に考えるとヨハネ14:2−3が見えてきます。
わたしの父の家(天)には住む所がたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。わたし(花婿)が行って、あなたがた(花嫁)に場所を用意したら、また来て(再臨)、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。 (地上には戻らない)
主を待ち望む生き方
最近は聖書の超自然的な事象(いわゆるトンデモ話)を削除する傾向があるようです。しかし、私達は、弟子達が信じたように、信じるべきです。イエス様自身「わたしは来る」と約束されたのです。パウロもペテロも明確にキリストの再臨を語っているのです。ですから、大胆に、はっきりと「再臨、携挙」について語るべきなのではないでしょうか。終末時には「再臨」の教理は侮られるのです。聖書はこう言って警告しています。
まず背教が起こり、不法の者、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ないのです。 (IIテサロニケ2:3)
まず第一に、心得ておきなさい。終わりの時に、嘲る者たちが現れて嘲り、自分たちの欲望に従いながら、こう言います。「彼の来臨の約束はどこにあるのか。父たちが眠りについた後も、すべてが創造のはじめからのままではないか。」
(Iペテロ3:3—4)
聖書は背教が起こると言っています。今日、その通りになって来ています。真の信仰者は常に「レムナント=残されたもの」であり、それは常に少数派なのです。イスラエルがバアル礼拝に走った時代、神は「バアルに膝をかがめぬ7000人を残している」と約束されました。私たちはシンプルに聖書の言葉を信じ、聖書が言っている通りに、主のお出でを、待ち望んで行きましょう。
あなたがたに場所を用意したら、「また来て」、あなたがたをわたしのもとに迎えます。
参考資料
「御怒りの前に」
https://rumble.com/v1emb1h-85021541.html
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意味ある人間関係と祈りによって深まり広がるキリスト中心のコミュニティ
東京メトロ・コミュニティ
Tokyo Metro Community (TMC)
執筆者:栗原一芳
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