黙示録は啓示録
• ギリシア語でアポカリュプシス、英訳はRevelation 動詞のRevealは暴露する、覆いを外すの意味。だから、黙示録は、神が明らかにしたメッセージ。「啓示録」が正しい訳だろう。
• この書を読むものは幸いである(3節)この表現は他の新約の書にはないユニークな表現。黙示録を読むものは「幸い」なのだ。
• 時が近づいている! 主のお出でが近い今、読むべき。(ヤコブ5:8)
鍵となる聖句
「見よ、彼が雲に乗って来られる」(1:7)
キリストの再臨が大きなテーマ。再臨前に何が起こるかを記している。主イエスは必ず戻って来られる。そして、サタンに、悪に裁きをつける。最終的には完全なる神の支配=新天新地をもたらす。最終的なキリストの勝利の宣言。つまり、黙示録は「希望」のメッセージ。物語のハッピーエンドを告げる。
大きなテーマ:「獣の王国 VS 子羊の王国」
聖書は、歴史観:「神の国」と「サタンの国」、
この2つのグローバリズムが展開されている。
• 獣の王国:1)サタン 2)獣(反キリスト)
3)偽預言者 4)大バビロン
• 子羊の王国:1)神 2)子羊(キリスト)
3)聖霊 4)新しいエルサレム
黙示録のアウトライン
「そこであなたの見たこと、今あること、この後に起こることを書きしるせ。」
(1:19)
● あなたの見たこと:1章
● 今あること:2章—3章
● この後に起こること:4章から22章
(6章から18章は患難期の描写)
「黙示録」は終末論
• 特に黙示録をどう読むかで、その人の神学的立場が明確になる。
黙示録の字義的、時系列的解釈
VS
黙示文学として比喩的解釈をする
聖書の読み方で違いが出る
- 聖書の字義的・時系列的解釈
著者の意図を探り当てる解釈
時代背景(旧約、新約)を考慮する。誰が誰に宛てて書いているか?
著者の動機などに注意を払う
明らかに比喩のところは比喩として解釈
それにより、文脈を無視した解釈・適応を避ける。
黙示録の各章は「また」、「その後」で始まっており、時系列的に
解釈するのが自然
それに対して比喩的解釈では・・・
基本的に黙示文学なので、実際の歴史に当てはめられない。だから、
そこに込められた現代的メッセージを受け取ればいい。その人の神学、
聖書理解は、聖書預言、終末論で違いが明確になる。
「黙示録」解釈の立場
1.過去主義: 黙示録の内容は初代教会の時代に成就した。
2。精神主義: 実際の歴史ではなく、霊的原則。
3。未来主義: 大部分は未来に関する預言
イスラエルと教会の関係
デスペンゼーション神学では、イスラエルと教会に一貫した区別を設ける。これに対して、契約神学(置換神学)では、新約の教会に区別を設けず、イスラエルは霊的イスラエル(同じクリスチャン)として一括りにする。
しかし、そうすると聖書が「神のイスラエルに対する『召命』と『賜物』は変わらない。」と言っていることをどう解釈するのか?(ローマ11:29)
黙示録の患難時代ではイスラエルにフォーカスがある。もちろん、現在、個人的なイスラエル人の改心はある(メシアニックジューと呼ばれる人々)しかし、イスラエルの「国家」としての改心はキリストの地上再臨の直前に起こると考えられる。新天新地においてさえ、イスラエルのアイデンティティと特異性は維持されていると考えられる。(黙示録21:12)
聖書の書かれた目的は「神の栄光」
契約神学では、聖書の書かれた目的は「人類の救い」と考えるが、ディスペンゼーション神学では「神の栄光」と考える。実際、神の救いは「被造物全体の救い」であり、創世記から黙示録までは神の救いの壮大な回復物語となっている。
黙示録は66巻の集大成
• 創世記に始まり、黙示録に終わる
• 黙示録単体で読むのではなく、66巻の流れの中で読む。黙示録がないと、旧約預言が尻切れトンボになる。旧約預言と黙示録は相関関係にあり、一方を欠いてしまうと理解できなくなる。
• 黙示録は旧約預言の成就(メシア王国)であると同時に、新しい新約の啓示(新天新地)でもある。
==========================
意味ある人間関係と祈りによって深まり広がるキリスト中心のコミュニティ
東京メトロ・コミュニティ
Tokyo Metro Community (TMC)
執筆者:栗原一芳
0 件のコメント:
コメントを投稿