2023年7月27日木曜日

所属なき信仰者

 

日本の教会は衰退期?!

東京基督教大学(TCU)国際宣教センター日本宣教リサーチ(山口陽一代表)がデータブック「神の国の広がりと深化のために――データから見る日本の教会の現状と課題」を発行しました。発行人である代表の山口氏(TCU学長)は「日本の教会は、教勢データから見るかぎり、『停滞』を通り越して『衰退』に入っています。」と率直に現状を評価しています。礼拝出席30人以下の教会が過半数。牧師の平均年齢(全国)は62.2歳だといいます。どうも明るい未来は見えませんね。特に会堂を持っていると、それを維持するのも困難になります。

 

希望を示す事実

同時に、キリスト教系学校の学生・卒業生や聖書の読者、キリスト教社会福祉事業所の関係者、クリスチャン作家の読者など、「現実的に教会に繋がっていたりしなくとも、キリスト教に対して好意的な人」が「30%以上」いるというデータも示しています。これは励まされる数字ですね。

また、教会に所属はしないが、キリスト教に愛着や親近感を持ち、個人的には信仰を持ちつつも組織的な所属をしない人々=「所属なき信仰」が、かなりの数いるという事です。これはチャンスです。これらの人々は、組織としての教会には興味がないし、教団や教派にも興味がないのです。宗教的要素をなるべく排除した「キリスト中心のコミュニティ作り」つまりは、オーガニックチャーチが求められているのではないでしょうか。もともと、教会は会堂や組織ではなく、「キリストの体」であり、「キリストの充満」です。(エペソ1:23)

また、「宗教には否定的、スピリチュアルには関心あり」の日本人の傾向も付け加えておきましょう。マスコミも「宗教」は叩くのに、スピリチュアルは怪しげなものも多いのに、叩かれません。占いやパワースポットは堂々と報道され、行われています。クリスチャンになるとは「御霊」を頂くことで、霊的な事象です。クリスチャンこそ本家本元のスピリチュアルなのです。組織的、儀式的なアプローチよりスピリチュアルなアプローチがもっとあっていいのかも。

これらのデーターから見る方向性

関心のある人がいる限り、最大限、インターネットやSNSを用いて、福音の種を蒔く事です。(ただし、異端的教えの動画もあるので注意が必要!)最近は若い人を含め多くのクリスチャンYoutuberが登場し、福音を語っていますね。メッセージの賜物のある人はどんどん発信したらいいと思います。

逆に言うと、もう国内外含め多様なメッセージをオンライン上で選択して聞けるので、日曜の朝、会堂に言って聞く必要がなくなったとも言えます。若い人の間ではスマホ礼拝が増えるでしょうね。コロナで多くの信徒がそれを発見し、会堂教会に戻ってこない信徒が多いと聞いています。ただ、孤立クリスチャンや、根無し草クリスチャンは良くありません。コミットできる信仰の仲間は必要です。

つまり、スモールグループ(オンラインも可能)でのエクレシア体験(お互いにを実践する場)が必要だという事です。お互いに愛することは主の命令です。(ヨハネ13:34)しかし、他の人格と触れ合うことなしに、「愛する」こと「仕える」ことは実践できません。スモールグループは彼らの生活圏内で実践できますし、彼らの生活スケジュールに合わせてやることができます。日曜朝10時に限らなくていいのです。

ともあれ、オンラインとスモールグループのコンビネーションがこれからの方向性のようですね。

オーガニックチャーチの仲間

私が関係しているオーガニックチャーチの仲間には色々な人達がいます。既存の教会をやりながらオーガニックチャーチを推進している人達。複数のオーガニックチャーチをやりながら、月1度セレブレーションとして合同礼拝している人達。TMCのように超教派的にオーガニックチャーチ(意味ある人間関係と祈りによって深まり広がるキリスト中心のコミュニティ)をやっている人達。TMCエクレシアの場合、大部分のメンバーは既存の教会の礼拝に参加している人達ですが、そうでない人達もいます。

 

既存教会に属さない人達を中心にスモールグループとしてエクレシアを持っている人達もいます。ファシリテーターは職業人として仕事しながら、SNSで「所属なき信仰者=野良クリスチャン(通称)」を集めてオンライン・エクレシアをやっています。必要な人に洗礼を授けたり、オンライン・エクレシアでパン裂き(聖餐)もやっています。つまり、そこが自分の所属のエクレシアになっています。その中には世の中に疑問を抱き、自分で聖書を読んでクリスチャンになった人達もいるのです。私の実感としても、そういう「所属なき信徒=野良クリスチャン」は、増えているのだと思います。

 

既存の教会に行かなくても、Youtubeのメッセージを聞いて、興味を持ったり、信仰を持ったりする人は、さらに増えるだろうと推測されます。そして、その人達もキリスト中心のコミュニティに連なる必要があります。スモールグループ・エクレシアの存在は、さらに必要になってくるでしょう。

 

オーガニックチャーチを推進する人々のゆるやかなネットワークも作られつつあります。人間関係を大事に、組織的というよりは、正にオーガニックに繋がり、広がってゆくものと思われます。

 

何れにしても、方向性は、インターネットで福音が広まり、救いが起こり、スモールグループ・エクレシアで弟子訓練がされていくという流れになってゆくのでしょう。

 

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意味ある人間関係と祈りによって深まり広がるキリスト中心のコミュニティ

東京メトロ・コミュニティ

Tokyo Metro Community (TMC)

執筆者:栗原一芳

Japantmc@gmail.com

 

 



2023年7月20日木曜日

サタンに献身する反キリスト

 

荒野での誘惑とイエスの対処

イエスは洗礼後、聖霊に導かれて荒野に行かれた。それは、悪魔の試みを受けるためだった。これはメシアとしてのテストであり、神の子であることの証明でもあった。

 

1)空腹時に、石がパンになるように (マタイ4:4)

2)神殿から飛び降りても、御使が守る (マタイ4:5−6)

3)サタンにひれ伏せばこの世の王国と栄華が手に入る(マタイ4:8)

 

つまりは、

1)      世界の人の腹を満たせば、人々はあなたをメシアとして崇める。

2)      奇跡を見せれば、人々はあなたをメシアと認め、崇める。

3)      人々に栄華と繁栄を約束すれば、人々はあなたをメシアと認め、従う。

 

そして、これらは十字架を回避して「楽に」メシアになる誘惑でもあった。しかし、イエスはこれらに御言葉を持ってことごとく反発、論破し、サタンの誘惑を退けた。

 

サタンに従う「反キリスト」

世の終わりに出現する獣=反キリストは、逆にサタンの誘惑に全く従うことになる。不法の秘密はすでに働いているので、この世の権力者も(一部のキリスト業界の権力者も)この提案を受け入れる。つまり、癒しなどの奇跡を見せ、この世の繁栄を約束する。

 

「金」だけ、「今だけ」、「自分だけ」の風潮の今日、このサタンの誘惑に乗りやすい環境となってきている。世の終わりの反キリストはきっとこのようにするだろう。

 

1)      世界の人にIDを付け、ベーシックインカム(基本生活給付金)を与える。

生活が保障されることは助かるが、世界政府の意向に逆らえなくなる。これに権威者の決めた教育内容と教育システムに従わざるを得なくなる。それは、反キリスト的、反聖書的なものだろう

 

2)      反キリストは種々の魔術を行うだろう。エジプトの呪法師たちもある程度の奇跡を行った。サタンの力をバックにそれができるだろう。事実、反キリストはイエスを真似て、復活さえする。(黙示13:3)人々は驚いて、彼に従うのだ。また、癌の特効薬を開発して世界の人に提供したり、次期の強烈なパンデミックの特効薬やワクチンを世界の人に提供することで、崇められるようになるだろう。

 

3) 共産主義がそうだったように、初めは全世界の人々の繁栄を約束するが、

   次第に、世界はグローバルエリートと下層市民に二分され、デジタル管

   理社会の中で、人口管理される。下層民は経済的に思想的に管理され、

   家畜化、奴隷化されるだろう。サタンに従うグローバルエリートたちは、

   人の命までも売買し、(黙示18:13)利得を獲、栄華を享受し、ファ

   ッション、エンタメ、児童性愛を含めた性快楽の極みを追求するだろう。

   悪魔的な人にとって反キリスト体制の世界は、悪くはない。悪魔に魂を

   売ってしまえば、一時的な「天国」を味わえるのだから。サタンの好き

   な、この世の栄華を我が物にできる。

 

3年半 VS 1000年

しかし、賢い人なら考えるだろう。7年の享楽か、千年の歓喜か。そう、患難時代は7年間で終わる。表立った反キリストの支配は3年半で終わる。こんなデタラメな世界は長くは続かない。偽メシアの真似事は終わる。キリストの再臨とともに反キリストとその勢力は滅ぼされ(黙示11:15−18)キリストご自身が王となり、この地上を治める。すなわちメシア王国=千年王国が実現する。(黙示20:1−6)まず、地上に神の支配が回復し、その後、サタンもハデスも滅ぼされ、永遠の新天新地(天と地の融合)がやって来る。

 

残念なサタン

エゼキエル28はツロの王の滅びに関しての記述だ。しかし、11節からは、どう見ても単なるツロの王の描写を超えている。つまり、ツロの王になぞらえて、サタンの堕落について書いていると考えることができる。

 

かつてサタンは美の極み、全きものの典型であった。(28:12)人のためのエデンの園の前に造られた、御使たちのための宝石に満ちたエデンの園にいた。(28:13)。油注がれた「守護者ケルビム」と明記されてさえいる。(ツロの王ではない!)ケルビムは上位にいる御使だ。不正が見出されるまでは完全だったのだ。(28:15)ついに罪ある者となり(28:16)神の山から追い出された。(28:16)その原因は「高ぶり」だった。(28:17)

 

サタン、そして反キリストなる人物は、患難期を通しても悔い改めない。サタンは1000年間、「底知れぬところ」に閉じ込められるが、その間、反省する様子もなく、放たれた途端、人々を誘惑し、反乱軍を起こしエルサレムに攻め入る。そして最後を迎える。(黙示20:8−10)最後まで悔い改めない残念なサタン。サタンだけではない、最後まで悔い改めない「残念な人々」もいる。(黙示16:11、16:21)その運命はサタンと同じになる。

 

はたして地上に信仰が見られるでしょうか?

堕落したサタンは天の3分の1の天使をそそのかし、反乱軍に組み入れた。(黙示12:4)黙示録12章は、メシアの出現と再臨を阻止するために、いかにサタンがイスラエルを追い回し、滅ぼそうとしてきたかの歴史的パノラマを描いている。そして、今日、「この世の神」(II コリント4:4)「空中の権威を持つ支配者」(エペソ2:2)として人々を誘惑し、自分の運命の道ずれにしようとしているのだ。(黙示20:10)

 

世の終わりに向かい、キリストに付くのか、反キリストに付くのか、この選択が明確になって来る。世の大半は反キリストに従う流れだろう。もうその兆候を見ている。以下はキリストご自身のお言葉です。

 

あなたがたに言いますが、神は彼らのため、速やかにさばきを行ってくださいます。だが、人の子が来るとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。        

                        (ルカ18:8)

 

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意味ある人間関係と祈りによって深まり広がるキリスト中心のコミュニティ

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執筆者:栗原一芳

Japantmc@gmail.com

 

 

 

2023年7月13日木曜日

日本文化が聖書の真理を妨げる(3)〜同調圧力


他の人に遠慮して、意見を言わない日本人?

同じような格好をし、同じような喋り方をして、目立たないようにするのが今の若者らしいです。「出る杭は打たれる」とあるように、昔から日本人にはこの傾向がありますね。レストランに行って、「みんなと同じものでいいや」と言う海外では信じられない光景が見られるのも日本特有でしょうね。以前、アメリカで作られた個人伝道の映画で、教会の人がノンクリスチャンの家庭を訪問した時のことです。家のホストに「飲み物は何がいいですか?」と聞かれると「ああコーヒーにミルク、シュガーで・・・。」と堂々とリクエストしていたのが、とても印象に残っています。日本なら「お構いなく」と遠慮するか、「ああ何でも」とホストに決めさせるでしょうね。

 

また、大勢の人の前で自分の意見を述べるのも、気が引けます。アメリカのバイブルスクールで学んでいた時、英語のハンディもありますが、「日本人」なので、自ら手をあげて自分の意見を言うのが苦手でした。しかし、クラスメートのアメリカ人はどんどん手をあげて質問するのですが、その多くは私から見るとくだらない、分かりきった内容なのです。つまり、わざわざ質問するまでもないような内容です。それでも手をあげて堂々と質問します。質問する行為自体に意味があるようです。実際、実際、アメリカではClass participation(授業への参加、貢献度)が、成績のポイントになります。黙っていると参加意欲が無いとみなされます。ここでは「遠慮」は通用しないのです。

 

同調圧力

「和を持って、尊しとする」、「和」を大事にする日本人。極力、コンフリクトを避ける。そのため、多少意見が違っていても「あえて」言わない。それは美徳であると共に、こと人生の決断となると問題も生じてきます。

 

日本人の信仰の邪魔をするのが、この「同調圧力」です。個人伝道の際、最後の決断ができない人が迷うのが「でも、親が何と言うか?」「友達がどう思うか?」という事ではないでしょうか?若い頃、学生伝道をしていてよく、この問題に直面しました。一緒に働いていた宣教師が「あなたの心は何と言っていますか?あなたの心の言う通りに決断しなさい・」と励ましていたのが印象的でした。周りを気にして自分で決断できない人が多いのです。99%に同調していたい。確かに、1%のマイノリティに加入するのは勇気のいる事でしょう。

 

周りを気にする(空気を読む)ことは必ずしも悪いことではありません。周りの人の気持ちを理解し、配慮を示すことは愛でさえあります。しかし、誤解を生むこともあります。こんなことがありました。夏の宣教チームが来てキャンパスで伝道しました。当然、ある学生と個人的に親しくなります。何度も福音を伝えますが、その学生は拒んでいました。しかし、その宣教チームメンバーが明日帰るとなった時、「自分が『信じる』と言ったら喜ぶだろうな」と過剰な配慮ゆえに「信じます」と言ってしまったのです。もちろん、宣教チームのメンバーは大喜びで帰りましたが、帰国した後でわかったのは、その学生の決断は「他人を喜ばすための決断」で自分の決断ではなかったのです。

 

また、逆のケースもありました。ある国から来た宣教チームメンバーは「押し」が強く、個人伝道の最後で「いや」と言えず、とりあえず「信じます」と言ってしまった学生がいます。宣教チームの帰国後、私が電話してフォローアップしようとしたら、「あの時は、断れずに『信じる』と言ったが、実際は信じてないし、興味もない」とそっけなく断られてしまいました。

 

過剰な配慮は益を生みません。人生の決断は「自分の人生」の決断です。自分の心で決めた通りにした方がいいと思います。時には「人に従うより、神に従う」必要があります。(使徒5:29)

 

カミングアウト

自分がクリスチャンであることを、いつカミングアウトすべきか?いかがでしょうか?大半が未信者の日本で、クリスチャンであることをカミングアウトすることは、勇気がいるかも知れません。なるべく皆と同じでいたいという誘惑があります。自分は2通りやってみたことがあります。変人扱いされないため、なるべく最後まで言わない。最初に言っておく。自分の経験からは最初に言っておいた方がいいようです。その結果、証できるチャンスが増えます。最近は、家主さんとも仲良くなり、証をするチャンスもありました。営業で家に来る銀行や不動産の人にもトラクトを渡したりしています。

 

あなたがたは、世の光です。山の上にある町は隠れることができません。

                     (マタイ5:14)

 

アリマタヤのヨセフは、十字架のイエスの引き渡しをピラトに願って許可されています。以前から信者だったようですが、サンヒドリン(ユダヤ最高議会)のメンバーだったこともあり、言い出しにくかったのでしょう。しかし、もうこの時にはカミングアウトして、イエスを自分のために新調した墓に葬ったのです。ちなみに埋葬の時、同席していたのは婦人たちで、男の弟子たちがそこにいた記録がありません。きっと恐れて家に閉じこもっていたのでしょう。女性の方が、勇気ありますね。お墓が空っぽだったのを発見したのも女性たちですね。

 

「御国」と「この世」とのどっち付かずが一番、苦しいのです。はっきりした方が楽です。そしてクリスチャンとしてのアイデンディディを聖書からしっかり確信することです。「アイデンティティ」や「主張」がはっきりしない人は周りに影響を与えることはできません。マスコミに影響を与えるオピニオンリーダーやインフルエンサーはキャラが立っている人(アイデンティティや主張がはっきりしている)が多いですね。クリスチャンは「地の塩」、「世の光」です。この世の有り様は過ぎ去るのです。いつまでも、この世に留まるのではありません。

 

「世と世の欲は過ぎ去ります。」ヨハネ2:17)

 

アッピールする自由

LGBT推進派の人たちは、カミングアウトして7色の旗を掲げて、パレードをして世間にアッピールしていますね。自分の立場を鮮明にしたり、アッピールすることは日本の憲法では保障(思想、信教の自由)されています。街頭で、「戦争反対」を叫んでいる人もいます。コロナ渦で、マスク反対を掲げて宣伝カーを走らせている人もいました。大勢に逆らうのは勇気がいりますが、そういう人もいました。クリスチャンも主張していいのです。今の時代、自分の確信や主張がないと、世に持って行かれます。

 

90年代にはジーザスマーチが流行り、私も参加して渋谷を練り歩いたことがあります。共産党がビラを配布している隣で、”Jesus Love You”のオレンジ色のビブを付けて聖書を配布したこともあります。それぞれが主張する自由があるのです。多様性やマイノリティがフォーカスされている時代、「霊的マイノリティ」であるクリスチャン、もっと大胆に、アッピールしてもいいのではないでしょうか?

 

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執筆者:栗原一芳

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2023年7月6日木曜日

日本文化が聖書の真理を妨げる(2)~対峙

 

コンフロント(対峙)

日本文化では、直接、対峙して過ちや罪を指摘すること(英語ではconfront)は無礼とみなされ、多くの場合、避けてしまう傾向があります。相手の気分を害したくないという思いもあるでしょう。確かに、楽しいことではありません。勇気が必要です。それで多くの場合、対峙することを避け、周りの人に「間接的」に、その人の悪口を言って広めてしまいます。そして、結果的に問題をより複雑に、大きくしてしまいます。

 

聖書では「二人だけのところで指摘しなさい」とあります。

 

また、もしあなたの兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで指摘しなさい。その人があなたの言うことを聞き入れるなら、あなたは自分の兄弟を得たことになります。 (マタイ18:15)

 

裁いてはいけない?!

まず、人の罪を指摘することに関して快く思わない人がいるかも知れません。「聖書には裁いてはいけないと書いてあるでしょ?」と。しかし、上記の聖句のように罪の指摘は時に必要なのです。神ご自身、罪を裁く方です。ノアの洪水、ソドムへの裁きなど言うまでもないでしょう。イエスご自身、パリサイ人へは厳しい批判をされましたね。親は子供が悪いことしたら「指摘」して、怒りますね。それは子供を愛しているからです。悪の道に行って欲しくないからです。

 

直接、相手に言う

大分、前の事ですが、教会で賛美リーダーをしていた時、私のやり方に批判的な人が長文の批判をFax(当時はメールがなかったので)で送ってきました。これは良くないやり方です。その場で反論できないし、一方的でアンフェアなやり方です。このような場合は直接、会って話すべきです。すぐに電話して、そのように伝えました。今日でもメールやSNSの短い文章で「否定的な感情」や「批判」を一方的に送りつける事は、相手を傷つけるし、多くの誤解を招くので、すべきではありません。複雑な話や、感情を含む事は極力、直接会って話すべきなのです。

 

団体のリーダーとして、個人的に罪や過ちを指摘しなければならない事が幾度かありました。本当に辛いです。嫌われ者になりたくないですし、相手を傷つけたくもないです。しかし、言うべき事は言わなければなりません。ただ、伝え方は大事です。聖書も「愛を持って真理を語る」と言っています。自分は愛が足りなくてビジネス的に伝達して失敗したことも何度かありました。しかし、同時に私が学んだのは、団体の他のスタッフを守るため、問題のあるスタッフを、勇気を持って、諌めたり、解雇したりする必要がある場合もあるのだと言う事です。もちろん、その時は直接会って、面と向かって話をしました。その時には相手は傷つくし、それによって関係が悪くなったりもします。しかし、長い目で見て、判断が正しかったということもあるのです。

 

ウワサ話が広がらないために

聖書的な愛の人とは、単なる「ご機嫌取り」ではありません。イエスはパリサイ人にはビシッと言うべき事を言いました。逃げないで対峙されました。権威ある人の前でも顔色を伺うような態度はしませんでした。後のペテロやパウロもそうですね。そのためには御霊に満たされていることが必要です。人を恐れると罠にかかります。(箴言29:25)

 

「あの人、同じ教会員なのに、こんな事言ってきたんですよ。私、傷ついてし

 まって・・・」

 

自分の仲間を増やそうとして、無意識であっても、このように話しかけてくる人がいます。その時、ウワサ話の仲間入りではなく、こう言ってみましょう。

 

「そうですか、直接、その人に話しましたか?」

 

 

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執筆者:栗原一芳

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