コンフロント(対峙)
日本文化では、直接、対峙して過ちや罪を指摘すること(英語ではconfront)は無礼とみなされ、多くの場合、避けてしまう傾向があります。相手の気分を害したくないという思いもあるでしょう。確かに、楽しいことではありません。勇気が必要です。それで多くの場合、対峙することを避け、周りの人に「間接的」に、その人の悪口を言って広めてしまいます。そして、結果的に問題をより複雑に、大きくしてしまいます。
聖書では「二人だけのところで指摘しなさい」とあります。
また、もしあなたの兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで指摘しなさい。その人があなたの言うことを聞き入れるなら、あなたは自分の兄弟を得たことになります。 (マタイ18:15)
裁いてはいけない?!
まず、人の罪を指摘することに関して快く思わない人がいるかも知れません。「聖書には裁いてはいけないと書いてあるでしょ?」と。しかし、上記の聖句のように罪の指摘は時に必要なのです。神ご自身、罪を裁く方です。ノアの洪水、ソドムへの裁きなど言うまでもないでしょう。イエスご自身、パリサイ人へは厳しい批判をされましたね。親は子供が悪いことしたら「指摘」して、怒りますね。それは子供を愛しているからです。悪の道に行って欲しくないからです。
直接、相手に言う
大分、前の事ですが、教会で賛美リーダーをしていた時、私のやり方に批判的な人が長文の批判をFax(当時はメールがなかったので)で送ってきました。これは良くないやり方です。その場で反論できないし、一方的でアンフェアなやり方です。このような場合は直接、会って話すべきです。すぐに電話して、そのように伝えました。今日でもメールやSNSの短い文章で「否定的な感情」や「批判」を一方的に送りつける事は、相手を傷つけるし、多くの誤解を招くので、すべきではありません。複雑な話や、感情を含む事は極力、直接会って話すべきなのです。
団体のリーダーとして、個人的に罪や過ちを指摘しなければならない事が幾度かありました。本当に辛いです。嫌われ者になりたくないですし、相手を傷つけたくもないです。しかし、言うべき事は言わなければなりません。ただ、伝え方は大事です。聖書も「愛を持って真理を語る」と言っています。自分は愛が足りなくてビジネス的に伝達して失敗したことも何度かありました。しかし、同時に私が学んだのは、団体の他のスタッフを守るため、問題のあるスタッフを、勇気を持って、諌めたり、解雇したりする必要がある場合もあるのだと言う事です。もちろん、その時は直接会って、面と向かって話をしました。その時には相手は傷つくし、それによって関係が悪くなったりもします。しかし、長い目で見て、判断が正しかったということもあるのです。
ウワサ話が広がらないために
聖書的な愛の人とは、単なる「ご機嫌取り」ではありません。イエスはパリサイ人にはビシッと言うべき事を言いました。逃げないで対峙されました。権威ある人の前でも顔色を伺うような態度はしませんでした。後のペテロやパウロもそうですね。そのためには御霊に満たされていることが必要です。人を恐れると罠にかかります。(箴言29:25)
「あの人、同じ教会員なのに、こんな事言ってきたんですよ。私、傷ついてし
まって・・・」
自分の仲間を増やそうとして、無意識であっても、このように話しかけてくる人がいます。その時、ウワサ話の仲間入りではなく、こう言ってみましょう。
「そうですか、直接、その人に話しましたか?」
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執筆者:栗原一芳
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