夏になると思い出す・・・
8月15日の終戦記念日の頃になると思い出す。戦時中に「外国宗教」であるキリスト教は迫害を受けた。特に、「キリストが王として再臨し、千年王国を統治する」という再臨信仰は天皇を頂点とする「国体」に反するゆえ、再臨信仰を強調していたホーリネス諸派は、弾圧を受けた。
134人が検挙され、うちの75人が起訴された。獄中死した者も7名いた。「ホーリネス弾圧事件」だ。忘れてはならない。問題は、当時のキリスト教界の幹部たちが、ホーリネス検挙を歓迎していたという事実だ。
ウィキペディア「ホーリネス弾圧事件」のページに以下のようにある。
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日本基督教団の幹部らは、当局のホーリネス検挙を歓迎した。第4部管谷仁主事は、「彼らの熱狂的信仰は我々教団では手の下しようもないくらい気違いじみているため、これを御当局において処断して下さったことは、教団にとり幸いであった。」と述べた。
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再臨は「キリスト道」信仰においては、復活と並んで中心的な教理であり、これを否定することは聖書に反する。(II ペテロ3:3〜)しかし、キリスト教界のリーダー達が進んでこれを否定し、この世の権力に妥協した。この日本で、たった80年ほど前に起こった事実なのだ。
1984年、日本基督教団は、当時の誤りを認めて、関係者とその家族を教団総会に招いて公式に謝罪したというが、もし、聖書信仰を離れた自由主義神学に根ざしているなら、また同じことになることは目に見えている。
ちなみに、治安維持法の下、特別高等警察がホーリネス系の教会を弾圧した訳だが、図らずも取り調べ最中、刑事が次のように漏らしたという。
「君たちはボンヤリしてるからダメなんだよ。君たちを・・ヤソ教全体も・・検束し得るために治安維持法が改正されたんだよ。」*
教会が教会を迫害する
これが、戦時中起こったことだ。しかし、これが将来、起こることでもある。
「教会が教会を迫害する」時代がすぐにやってくる。真の信仰者はいつでも「残れる者=Remnant」なのであり、主ご自身も再臨時に「果たして信仰が見られるだろうか」(ルカ18:8)と言われた。
終末には、まず、背教の時代が来るということだ。(II テサロニケ2:3)異教徒は「背教」することはできない。彼らは、初めから違う信仰だからだ。「背教」とは、元々クリスチャンだった人が、その信仰を捨てる、あるいは名前はクリスチャンでも聖書の真理を否定するようになるということだ。そして、この世(つまりはサタン)に妥協するようになることだ。それが「キリスト教界」のマジョリティとなるだろう。世と妥協した教会は、真の信仰者の信仰を「熱狂的信仰」と見なし、当局と一緒になって摘発、取り締まりに協力するようになるだろう。
教会が世の権力に妥協することはすでに、ローマ時代に起こっている。「キリスト道」信仰が、公認化され、国教化するに従い、「キリスト教」という宗教に「変質」した。世の組織として教会は強大化し、権力を持ったが、霊的には衰弱していったのだ。「生きた信仰」がなければ、人は「迫害」より「繁栄」や「安泰」を求める。容易にそちらに流れていくのだろう。
神の国を広げる信念で始まった教団・教派。団体が自らの組織を大きくしようとの欲望に向かうなら危ないサインだ。そのプロセスの中で、「キリスト道」が「キリスト教」になっていく。この世の権力とぶつかる時、妥協してでも組織を守り、「大きくなる」ことを求めるからだ。「迫害」より、「繁栄」「安泰」な道を選ぶようになるからだ。しかし、それこそサタンが差し出している誘惑ではないか。(ルカ4:5−6)
連帯しよう 愛だろう!
「連帯しよう、愛だろう!」の声の大きくなる中、Unity(一致)とPurity(信仰の純粋さを保つ)ことのバランスは難しい。「クリスチャンなんだから教団・教派を超えて仲良くしよう。神の家族なんだから。」確かにクリスチャンは、神の家族、仲良くすべきだろう。しかし、新約の手紙では誰でも歓迎ではない。「にせ教師」に注意することが書かれている。基本教理である「キリストの復活・再臨」を否定する自称クリスチャンと「神の家族」として付き合うわけにはいかないだろう。
また多様性が叫ばれる現代、「違いを超えて」キリスト教界も一致しようという動きが当然出てくる。それどころか、他宗教と連帯を深める運動も進められる。イスラムとキリスト教の連帯を促す「クリスラム運動」をカトリックが推進している。「世界経済フォーラム」のリーダーはAIで万人が使えるよう聖書を書き換えることを提案しているという。世界統一宗教へのステップが取られている。おそらく「キリストのみ」「さばき」「地獄」などは削除されるだろう。誰もが使えるよう改ざんされた聖書は、もはや、聖書(神のことば)ではない!
小さな群れでもいい。今、「忠実」さが求められている。
あなたが受けようとしている苦しみを、何も恐れることはない。見よ。悪魔は試すために、あなたがたのうちのだれかを牢に投げ込もうとしている。あなたがたは十日の間、苦難にあう。死に 至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与える。 (黙示録2:10)
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* 参考本
中田重治とその時代—今日への警鐘・教訓・警告
中村敏 著 いのちのことば社
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意味ある人間関係と祈りによって深まり広がるキリスト中心のコミュニティ
東京メトロ・コミュニティ
Tokyo Metro Community (TMC)
執筆者:栗原一芳
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