お盆の由来
もうすぐお盆の季節。お盆休みには故郷に帰郷しておじいちゃん、おばあちゃんに孫を見せると言った恒例の季節になっています。「お盆」という言葉は「盂蘭盆会」(ウラボンエ)、梵語(サンスクリット語)の「ウランバナ」から来ています。もちろん、オリジナルな仏教にはありませんでした。その意味は「倒懸」(とうけん)と訳され、つまりは「逆さまにかけられ苦しんでいる亡霊」となります。つまり「お盆」の前提は、祖先が悪い人だったため、地獄で「逆さづりの刑」にあって苦しんでいるという事なのです。1年に3日、「お盆」の時期に、地獄の蓋が開いて死者が家に戻ってくるので、お迎えし、ご馳走するのですが、3日経つと地獄に戻ってもらうことになります。いやはや何とも・・・
罪人は地獄に行く
地獄の思想はキリスト教だけではありません。仏教にもありますね。正確には釈迦の教えたオリジナル仏教ではなく、日本で変質した民間仏教と言ったほうがいいでしょうが。悪いことをした人は地獄で様々な苦しみを受けるらしいです。殺人者が行く「黒縄地獄」、邪婬のものが行く「衆合地獄」、盗人が行く「叫喚地獄」などなど。雲仙には火山現象を利用した間欠泉「地獄めぐり」がありますね。日本でも悪い人は、地獄に落ちるという思想があったのです。
旧約時代の死後の世界
旧約時代には死んだ人は善人も悪人もシェオール(日本語訳では「黄泉」)に行きました。シェオールは旧約で65回出てきます。エゼキエル31:16では、「穴に下る」という表現があります。また「地下の国、死に渡された」(エゼキエル31:14)とあり、地下に「死の国」があると信じられていたようです。
ギリシア語では「ハデス」となっています。大事なことは「シェオール」も、「ハデス」も一時的な拘留場所であり、最終的な「地獄=ゲヘナ」ではないということです。また悪霊は「底知れぬところ=アブソス」に留置されています。(ルカ8:31、ユダ6)これはシェオールとは別のところです。黙示9:1では、患難時代に「底知れぬ穴」が一時的に開き、悪霊どもが地上に出てきて活動する様子が描かれています。
さらに、ルカ16:19−31の有名な「金持ちとラザロの話」から、シェオール=ハデスは2区分あって、アブラハムのふところと言われる「慰めの場所」と炎燃えさかる「苦しみの場所」があることが、イエスご自身の証言から分かります。
新約時代の死後の世界
未信者は死後、シェオール(ハデス)に行きます。ここで拘留された後、地上の肉体に復活して「白い御座の裁き」に出頭し、審査されます。(黙示20:11−15)「命の書」に名のないもの(未信者)は、「火の池」(最終的な地獄)に投げ込まれるとあります。(20:15)これは「第二の死」(黙示20:6)とも言われています。
一方、キリストを信じるものは、死ぬと即、キリストのもと(パラダイス)に行きます。エペソ4:8を見ると、シェオール(ハデス)の「慰めの場所」にいた聖徒たちはキリストの十字架の御業の後、天に引き上げられたことが分かります。旧約の聖徒たちも「パラダイス」にいることになります。従って、現在、ハデス(シェオール)には未信者しかいません。イエスの隣で十字架についた罪人は悔い改めた(イエスがキリストであると思い直した)結果、「あなたは今日、わたしと共にパラダイスにいます。」と約束を頂きました。(ルカ23:43)パウロは「わたしの願いは、世を去ってキリストと共にいることです。」(ピリピ1:23)と言っています。クリスチャンは死ぬとキリストの元に行きます。(アブラハムのふところではありません。)
しかし、これで終わりではありません。携挙の時に、すでに死んでいるクリスチャンは「朽ちない体」に復活して、天に挙げられます。その時、生きて地上にいるクリスチャンは、一瞬にして「朽ちない体」に変えられ、挙げられます。(Iテサロニケ4:15−17、I コリント15:51—52)天にて「キリストの婚姻」に与り(黙示19:7)、キリストの地上再臨の時に、お供します。(黙示19:14)そして、反キリストの滅亡の後、地上に成就する「御国=メシア王国=千年王国」にて、キリストと共に、王として、この地上を治めます。(黙示20:6)その後、新天新地と続きます。死んで、天国(パラダイス)に行って終わりではないのです!
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お勧め本
「日本の宗教と習慣」 池田豊 著 いのちのことば社
「死後、何が起こるか」ティム・ラヘイ 著 いのちのことば社
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意味ある人間関係と祈りによって深まり広がるキリスト中心のコミュニティ
東京メトロ・コミュニティ
Tokyo Metro Community (TMC)
執筆者:栗原一芳
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