教会組織からの離脱
ドイツの教会で、これまでに少年少女ら少なくとも2225人が性的虐待を受けていたことが明らかになりました。被害の実態調査をした研究者らは25日、1946年以降、ドイツにあるプロテスタントの複数の教会で少なくとも2225人の未成年者が、少なくとも1259人の聖職者らから性的虐待を受けていたと発表しました。被害者は65%が男性、35%が女性で、大半が当時13歳以下でした。加害者の40%は牧師で、多くは既婚の男性だということです。
(テレビ朝日 1月27日)
カトリック内の性被害の問題は、ここ数年話題となっていたが、ついにプロテスタントまで。とは、言うものの、ドイツは基本的に国教会。役所で住民登録をするときに、宗教を書かされる。それはクリスチャンかどうかを調べるためで、キリスト教徒を表明すると、「宗教税」の対象となる。しかも、所得の10%と結構高いらしい。教会は金持ちになる。牧師の給料は国から支給される。牧師は公務員化する。そして、霊的に堕落する。それで、最近は「教会」から離脱する人が増えている。近年、38万人が離脱したそうだ。それは必ずしも「信仰」の破棄を意味しない。「教会」という「組織や制度」に嫌気がさしたためだろう。実は、ここ30年くらい、アメリカでも同様の現象が起こっている。聖書的な信仰を保つために「教会」という組織を離脱する動きだ。ある時期には年間100万人が離脱というニュースを聞いたことがある。
堕落した「教会」
「教会殺すにゃ、刃物は要らぬ。迫害やめて、金渡せ。」
初代クリスチャンたちはローマの迫害に遭っていた。しかし、彼らの信仰は純粋だった。
AD313にコンスタンティンがキリスト教を「公認」し、様々な優遇策を出した。そして、AD392にはキリスト教はローマ帝国の「国教」となった。それ以来、霊的な堕落が始まったのだ。中世カトリックでは、「新生」していない(つまり御霊を持たない)信徒はおろか、教会指導者までもが続出した。中世カトリック教皇の堕落ぶりを、垣間見てみよう。以下はHenry H Halley著「聖書ハンドブック」(p728-729)による。
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セルギウス3世(904−911)は、マロツィアという情婦を持っていた。彼女とその母テオドラ(ローマ元元老院議員の妻)と、その妹は「教皇の椅子を情夫と不義の子で満たし、教皇の宮廷を盗賊の巣窟とした」これは歴史上「売淫政治」あるいは、「売淫婦の統治」として知られている。
ヨハネス12世955−963は、マロツィアの孫にあたり、「あらゆる罪を犯した。地位の高低を問わず、処女、未亡人を犯し、父の情婦と同棲し、教皇宮廷を売淫の宿とした。」
ポファチウス7世(984−985)は「血と汚れに染まった悪の化身、神の宮に座したキリストの敵」と呼ばれた。
ベネディクトウス8世(1012−24)は白昼堂々と賄賂を使って教皇の位を買い取った。この事は「聖職売買」と呼ばれた。
ベネディクトウス9世(1033−45)、 「彼は罪悪においては、ヨハネス12世に劣らず、白昼、殺人や姦淫を行い、殉教者の墓に来る巡礼者より盗み・・・人々は彼をローマより追放した。」
クレメンス2世(1046−47)は、ドイツ皇帝ハインリッヒ3世から「聖職売買や私通の罪に汚れてないローマの聖職者が他に一人もいない」との理由から任命された。
なんとも凄まじい。生まれ変わっていない人物が「教会」の指導者になるとは何と恐ろしいことか。「霊的」な事をわきまえない人が「指導者」という「権威」を持ってしまっている。
当然、サタンはそれを利用する。そして、これは中世の話だけではない。プロテスタントというカテゴリーに入っていても、このドイツ国教会のような堕落がすでに始まっている。牧師が公務員なら、御霊を持たない牧師がいても不思議ではない。かの有名な○○神学校出ているという、「この世の資格」だけで、地位を得てしまうのだろう。そのうち、「福音派」と呼ばれる教会にも悪は浸透してくるだろう。「富」と「権威」は常に誘惑の手を差し伸べている。ラオデキア教会のように、教会堂は建っていても、キリストは戸の外に立っている(つまりキリストを追い出している)教会が増えてくるのだ。(黙示録3:20)
大淫婦の誘惑
以前にも述べたが、リベラル教会のネットワーク「世界教会協議会」(WCC) にクリスチャン全体の24%が加盟している(会員数5億6千万人)。準会員であるカトリック(全体の52%)を入れれば、クリスチャンと呼ばれる群れの76%がこれに該当することになる。世界のキリスト教会の7割以上が聖書からずれ始めている。WCCの宣教学では、キリスト教宣教の目的は宣教地の人々の「肉の必要」を満たす事であり、他宗教の人々を改宗させてはいけないというのだ。それは地元の宗教・文化に対して無礼なことと考えられている。宗教多元主義の流れの中で、「教会」もそれを支持する方向に動いている。大淫婦(黙示録17:3−6)の誘惑は「すでに」始まっている。
• 人は皆生まれながら神の子。悔い改めは必要ない。単に気づけばいい。
• 諸宗教の目指すところは同じ真理、同じ神。キリストのみを掲げるのは高慢。
• 「罪」はない。「過ち」だ。
• 地獄はない。結局、すべての人は救われるという万人救済論。
• 新しい倫理観:婚前交渉、離婚、不倫、同性愛 それらは、 単にライフスタイルの問題。罪じゃない。
• 自分の欲望のために「超能力、魔術、麻薬」(実は悪霊の力)などを使う。物質的豊かさと派手な生活。「金だけ、今だけ、自分だけ」思想。刹那的快楽主義
この偽りの「教会」(大淫婦)が、真の教会(エクレシア=イエスを証しする者の群れ)を迫害するようになる。
私は、この女が聖徒たちの血と、イエスの証人たちの血に酔っているのを見た。
(黙示17:6)
聖書は明言している。
もし、キリストの御霊を持っていない人がいれば、その人はキリストのものではありません。
(ローマ8:9)
神のうちにいる者は「イエスが神の御子」であることを告白する。(I ヨハネ4:16)
キリストを告白しない霊は「反キリスト」の霊なのだ。そして、その霊はすでに働いている。(I ヨハネ4:3)信者は真理の御霊を頂いている。(ヨハネ14:16−17)しっかり偽りを見極めていきたいものだ。
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執筆者:栗原一芳