2024年1月18日木曜日

キリスト教は難しい?

 

本質はトンデモ話

キリスト教と聞くと、十字架のついた三角屋根の会堂。黒い服を着た神父さん、あるいは、バチカンやローマ法皇、ミケランジェロの絵画などを思い浮かべるかも知れません。しかし、それらはいわば「外観」であって、中身「本質」ではありません。また、教会で説教を聞いても、「分からない」、「ピンとこない」「別世界の話のようだ」と思われるかも知れません。キリスト教は難しい?それは、はっきり言ってキリスト教の本質は「とんでも話」にあるからです。

 

1.      キリストは私たちの罪のために十字架で死んだ。

2.      墓に葬られ3日目によみがえって弟子たちに顕れた。

3.      その後、天に昇り、再び、地上に来られ悪を裁き、自ら王として全世界を治める。

 

これが中心的なメッセージです。日常生活をしている一般の常識人から見ると異次元の話でしょうね。多分、こう思うでしょう。

 

1.      なぜ、2000年前に十字架で死んだ人が俺の罪を贖えるのか?

2.      現代の常識で、墓に入った人が蘇るのか?バカバカしい。

3.      再び、天から来られる? SFの読みすぎでしょう。もうついていけない。

 

ところがイエスを救い主として信じる時、この3つのポイントに関して「アーメン!」と言えるようになるのです。だから、キリストを信じることは聖霊の御業なのです。フツーは起こり得ないのです。以前は、偶像に仕え、キリストが天から来られるなど夢にも思ったことのないテサロニケの人々は、変えられたのです。

 

また、あなたがたがどのように偶像から神に立ち返って、生けるまことの神に仕えるようになり、御子が天から来られるのを待ち望むようになったかを、知らせているのです。テサロニケ1:9−10)

 

つまり、教育や常識の延長線上では起こり得ないことが起こるのです。イエス御自身、これを「生まれ変わり」と表現なさいました。

 

イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに言います。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」(ヨハネ3:3)

 

だから、いくら勉強してもキリスト教の本質にはたどり着けません。信じて、御霊を頂いて、初めて聖書の内容が理解できるようになるのです。「信じる」ことによって生まれ変わらない限り聖書は永遠に謎のままでしょう。

 

生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらはその人には愚かなことであり、理解することができないのです。御霊に属することは御霊によって判断するものだからです。コリント2:14)

 

 

聖書の世界観、歴史観

聖書を理解するには、聖書の世界観、歴史観を受け入れなければなりません。

聖書は「霊」の世界を是認します。聖書が言う「霊」の世界を認めないと、キリスト教の本質は理解できないのです。今の科学では、全ては物質に還元できるという「還元主義」が主流であり、「心」「や「意識」と言われるもでさえ「物質」である脳の働きにしか過ぎないという主張です。一方、聖書は語ります。

 

神は「霊」なのです。(ヨハネ4:24)聖書は霊的存在すなわち、神に使える御使い達、御使の反乱軍である「悪霊たち」、そのリーダーの「サタン」の存在を認めます。

 

霊なる神は、この物質世界を創造しました。聖書を読むには、この物質世界と霊的な世界の2面性があり、その2つは互いに影響し合っていることを前提にして読む必要があります。また、人間も同じで物質である肉体の他に「霊」と「魂」を持っています。ですから、キリスト教の救いは、詳細には「霊」「魂」「体」の救いの事を言っています。

 

歴史観としては、輪廻のような循環史観ではなく、はじめに神が天と地を創造し、人を創造し、しかし、人の罪ゆえに、死が入り、世界が呪われた。しかし、神は救い主を送って、十字架で宇宙の贖いを成し、再臨時に悪は滅ぼされ、キリストご自身が王として世界を治め、事は成就するというリニアル(ストーリーの初めがあり、終わりがあるドラマ)な史観であり、単に人類の終焉が来るという悲観論ではなく、再臨ゆえに希望に満ちた楽観論的史観となっているのです。「ハルマゲドン」がよく、第三次世界大戦や、人類終焉のシンボルとして引用されますが、聖書的には再臨のキリストが反キリスト勢力(悪)を滅ぼす喜ばしい出来事なのです。

 

善と悪に関しては、「光の国=神の国」と「闇の国=サタンの国」の対比と考えます。今はその2つが勢力を広げ合っています。いわば「霊の戦い」が起こっています。そこの対比は現在でも、神なき「この世」と、キリスト中心の「エクレシア(キリストを信じるものの群れ)」に見られます。

 

将来的には「獣の国=反キリスト世界帝国」と「千年王国=キリストが統治する世界」の対比が役に立ちます。黙示録に出てくる「獣」とは反キリストのことであり、いわば人となったサタンです。その悪の帝国がキリストの再臨によって滅ぼされた後に来るのが、対照的な「千年王国」です。ここでは人となった神、キリストが世界を治めるのです。逆に言えば、平和の君(Prince of Peace)である、キリストが世界を統治するまでは、真の世界平和は無いのです。

 

聖書の中心テーマ〜神の国の到来

聖書を単に道徳の本と考えると理解できなくなります。むしろ「光の国」と「闇の国」の対立のドラマです。この2つの国の特徴を対比してみましょう。

 

獣の国

⚫️ サタンのバックアップによって権力者となった「獣」が世界の支配者

⚫️ 世界は闇に覆われている。(不安と恐怖の象徴)

⚫️ あらゆる反キリスト的(悪魔的)価値観に満ちている。物質主義、快楽主義

  人権侵害、搾取、不正、抑圧、恐怖による支配など。

⚫️ 一部のエリートのために人が搾取され、使われる。

 

神の国   千年王国〜新天新地

⚫️ 神ご自身であるキリストが統治

⚫️ 光(神のご臨在)が世界を覆う  夜がない。

⚫️ 御霊の実に満ちる世界:愛、喜び、平安、寛容、誠実、親切、善意、誠実、

柔和、自制。

⚫️ 全ての人が生かされる。大切にされる。

 

「獣の国」の特徴は、今日すでに現れています。すでに始まっています。もちろん、結論は「神の国の到来」であり、ハッピーエンドです。偽りの王に蹂躙された王国に、真の王が戻ってくるというストーリーです。

 

聖書の中心人物、メシア

このハッピーエンドをもたらす主人公がメシア(キリスト=救い主)です。一般的にはキリストは4大聖人の一人とか、キリスト教という「宗教」の創始者だと思われています。しかし、ヘブル思想では「メシア」は、イスラエルを回復する政治的解放者です。「思い改め」が必要です。ヘブル思想は「天国待ち」思想ではなく、非常に地上的です。メシアは基本的に、この地上に王国をもたらす政治的な存在です。新約聖書ではキリストは「子羊」のイメージとして描かれていますが、実は新約でも政治的な存在であることは変わっていないのです。

 

それらの王たちは一つ思いとなり、自分たちの力と権威をその獣に委ねます。彼らは子羊に戦いを挑みますが、子羊は彼らに打ち勝ちます。子羊は主の主、王の王だからです。(黙示録17:13−14)

 

終わりの時代に諸国の王が獣(反キリストなる人物)に権威を委ね、従うとあります。そして、子羊=キリストに戦いを挑むのです。しかし、子羊は勝利します。なぜなら、子羊は「主の主」、「王の王」だからです。この「主」とか「王」は宗教的な意味ではなく、文字通り政治的な王のことです。諸国の王の上に君臨する王という意味です。

 

黙示録ではキリストは「地上の王たちの支配者」(黙示1:5)と描写されています。また「この世の王国は、私たちの主と、そのキリストのものとなった。主は世々限りなく支配される。」(黙示録11:15)このようにわざわざ「地上の王」とか「この世の王国」と書いてあり、「天」の話ではなく、この「地上」の「この世」の話であることを強調しています。ヘブル的なメシア観が引き継がれています。ですからキリストを単なる教祖として「宗教世界」に閉じ込めてしまう訳にはいかないのです。ここを理解できないと聖書は理解できないのです。

 

聖書には「預言」が書かれており、地上の歴史と連動しています。聖書は古い書物ですが、聖書の内容はまだ終わっていないのです。世界統一宗教や世界統一政府によるデジタル管理社会のことも書かれています。繰り返し言いますが、聖書は単なる宗教・道徳・倫理の本ではないのです。

 

トンデモ話と言えば、そうでしょうが、「はじめに神が天と地を創造した。」(創世記1:1)という大前提を受け入れるなら、あり得る話となるのです。神が始めたドラマを神が終結します。

 

未信者に対しては誤解を招く用語は、正しく説明する必要があります。しかし、「分かり易く」を強調するあまり、トンデモ話(奇跡、霊の世界)を省いてしまうと本質を失い、単なる道徳・倫理になり、パワーを失います。福音は人生を変革する「力」です。キリストの十字架と復活を語らないと「福音」は伝わりません。

 

ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

II コリント5:17)

 

クリスチャンになるとは教会員名簿に載ることではなく、新創造です。

 

大事なのは新しい創造です。(ガラテヤ6:15)

 

本質は、今も生きておられるキリストに出会うことです。それこそが永遠の命です。

 

永遠の命とは、唯一のまことの神であるあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストを(体験的に)知ることです。(ヨハネ17:3)


 

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執筆者:栗原一芳

 

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