元々の英題はfinding organic church – a comprehensive guide to starting and sustaining
authentic Christian communitiesとなっている。現在はOrganic church Plantingとタイトルが
変更されている。
「ペイガン クリスチャニティ?」で問題提起がなされた。果たして、現在、見られるような教会は新約聖書が言うところの教会だろうかと。研究の結果、今日の教会のあり方(建物を含めて)は、ほとんど異教やカトリックからの借り物で聖書的根拠がないことが示されている。
次の「Reimagining Church」で、それでは聖書が示すあるべき「教会」の姿とはどんなものなのかを再イメージしてゆく。特に、シングルパスター(1つの教会を牧会する1人の専門職フルタイムとしての牧師)と儀式としての日曜礼拝を聖書には無い概念として批判してゆく。
そして、この「Planting Organic Church」では、実際、オーガニックチャーチをどう始めて、どうキープしたらいいのかについて自分の体験も交えて語っている。
本のはじめの部分ではオーガニックチャーチとは何かを確認する。それは、「顔と顔とを合わせる、全員参加のオープンな集いであり、階級的リーダーはなく、集いの頭としてイエス・キリストだけを中心に置く」。それはライフスタイルであり、命なので、人々がイエスに出会うことにより、自然に生まれるとする。
新約教会はこうして始まった
当初、生活を分かち合うコミュニティであった教会が、階級的なトップダウンの組織へと変貌していった。だから、教会の中心であるイエスキリスト以外の要素を取り除いてゆくことが必要であるという。バイオラ氏によると、新約の教会は以下のようにして始まったという。
1. パウロは使徒(チャーチプランター)であったが、一人でやったのではなく、アクラとプ
リスキラなど多くのヘルパーに囲まれチームとして開拓した。
2. 使徒は平均、6ヶ月新しい信者と時間を過ごし、クリスチャン生活の基礎を教えた。儀式やルーティンに陥ることなく、人間的なリードに頼らず、キリストを中心とした全員参加のオープンな集いをどう持ったらいいかを指導した。
3. 長くも3年(エペソのケース)教会の土台作りをすると、使徒はそこを去っていく。あまり説教が多すぎると、信徒の参加を妨げてしまうという。土台つくりが終わったら説教をやめて、そこを去る。
4. その後、必要に応じて訪問、励まし、問題への対処のガイドなどをするが、あくまで個々の教会の独立性を認め、「自分」の教会にしない。フランチャイズしない。意思決定はその教会の信徒にゆだねられている。使徒の目的は、「いなくなる」こと。
(続く)
==========================
意味ある人間関係と祈りによって深まり広がるキリスト中心のコミュニティ
東京メトロ・コミュニティ
Tokyo Metro Community (TMC)
執筆者:栗原一芳
0 件のコメント:
コメントを投稿