コミュニティの喪失は、社会の損失
東京のような都会でも突然リストラに会い、ホームレスになってしまう人々がいる。ある精神科医の知人から聞いた話だが、ホームレスミニストリーで公園に行った時、ベンチの端と端に座っている2人のホームレスは何の言葉もかわす事無く1日そこに座っていたという。
派遣村村長で、NPO反貧困ネットワークを推進する湯浅誠氏は日本には新しいコミュニティを創出するノウハウの蓄積が少ないと指摘している。
「地域や社会の中に居場所を失った中高年男性の生活が崩れてゆく事の影響は必ずその家族、地域、またその家族を通じて家族の地域、職場などに及んでいきます。妻に対するDVや子供に対する虐待などは直接的なので想像しやすいでしょうが、親の具合が悪くなる事で、子供の仕事や生活に影響が出る、周辺トラブルから周囲の人達も健康を害すなどといった例は、いくらでもあります。それは社会全体にとってマイナスをもたらしている、言い換えれば社会全体が損をしている、とういことです。」
課題先進国の日本では、「孤独死」「自殺」が後を断たない。子供の間の「いじめ」もその辺に問題がある。コミュニティは存在しても閉鎖的で同調しない者を排外する傾向にある。日本が右翼化し、日本=日本人というコアコミュニティが出来ると、少しでも同調できない者を非国民として排除してゆくようになるだろう。国民は政治に期待し、何度も失望してきた。湯浅氏は「ヒーローを待っていても世界は変わらない」で「おまかせ民主主義」(上がやってくれるのを待っているだけ)の危険性を指摘し、自分達で、市民レベルで、出来る事をやってゆく道を提唱している。
コミュニティ・デザイナーという仕事
今後は市民運動、NPOの役割はさらに大きくなると思われる。「地域のみんなでまちづくり」を提唱する山崎亮さんの職業は何と、「コミュニティ・デザイナー」だとういう。(「コミュニティデザインの時代」中央公論)。地方活性化にNPOなどの地元コミュニティの活躍が欠かせないとする。また、孤独死や無縁社会という中で、今こそ人とのつながりを自らの手で築く必要があるという訳だ。要は「居場所」と「役割」を作ることにある。仮設でもボランティアに「してもらう」から一緒にイベントを「共催」するように変わってきている。2011年、東日本大震災の年の12月、私が行ったいわきの仮設でも仮設自治会から頼まれてクリスマス会を自治会の主催、ボランティア団体、教会の共催で行った。「役割」があれば人は生きてくる。はたらくとは「はた」を「らく」にすることだそうだ。その精神で皆で協力すれば「生きてくる」。評論家の荻上チキ氏も、著書「僕らはいつまでダメ出し社会を続けるのか」の中でさまざまな社会問題に対して政府に「ダメ」を言っているだけでなく、その問題を生み出す社会環境を変革するため足下から行動を起こすことを提唱している。例えば、荻上氏は「ストップ!いじめナビ」を賛同者と始めている。行政がすべてできない。政治家がすべての分野での専門家でもない。我々市民が「シングルイシューのセミプロ化」で政治家に働きかけ、勉強会を始めるなど、「新しい公共」の姿を提案している。コミュニティの創出は、いろんな人達と出会う「きっかけ」作り。そんなに難しい事ではないが、創造性が必要だという。
出てゆく教会
先日、いわきで会ったアメリカ人クリスチャンのボランティから聞いた話だ。彼はストリートに出て行ってミニストリーしている。また、このブログでもトモみんがやっている「出てゆく教会」を紹介した。しかし、多くのクリスチャンは守りの姿勢で出て行かない。アメリカでは、人々が多くの問題、困難の中にいるのに助けてくれない教会を憎み始めているという。そのうち教会への迫害が起るであろうと。
先の湯浅氏はリーマンショック後にリストラされホームレスになった人達のために日比谷公園に「派遣村」を作って年末に食べ物と住処を提供した。アクションを起こした。神は時にクリスチャンでない人を用いて神のご計画を推進される。(旧約のネブカデネザル王、ペルシャのクロス王など)クリスチャンの私は大きなチャレンジを受けた。3:11以降はクラッシュジャパンなどクリスチャンのボランティア団体がアクションを起こしたことは嬉しい。その中で神からのメッセージを聞いて、コミュニティと教会の壁を崩して、コミュニティの中へと入って行っている牧師達がいる。我々東京のクリスチャンは3:11の神からのメッセージをどう聞いているだろうか?
「コミュニティの創出」へのアクション
今、日本では以上のようなコミュニティ創出へのビッグニーズがある。「血縁」「地縁」「社縁」を超えたコミュニティが必要だという。人と人との触れ合いが必要だという。いろんな違う分野の人々との横の連携(ネットワーク)が必要だという。「役割」と「居場所」が必要だと社会が叫んでいる。教会はどう答えるのだろうか?
人の根本欲求は「愛されること」、「受け入れられること」心理学者が口を揃えて言う。教会は、それを満たすことのできる、キリスト中心の「コミュニティ」、「神の家族」なのだ。
東京の「ど真ん中」に神のコミュニティ(エクレシア)を創出してゆく。これがTMC
(Tokyo Metro Community)のビジョンなのです。教会という組織の自己保存ではなく、神に呼ばれたクリスチャンとノンクリスチャンが共に「居場所」と「役割」が与えられ、
そこにキリストが受肉され、新しいコミュニティを創出してゆくのです。
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TMC 「秋葉原サーチライト・クラブ」のケース
秋葉原では、月2回オンラインでのエクレシア(バイブルスタディと祈り)でコアクリスチャンの成長、そして月1度、秋葉原で対面でのアウトリーチ集会(サーチライトクラブ)を行っている。サーチライトは秋葉原エクレシアの世話人のオフィスで、関わりのあるノンクリスチャンをお招きしてのピザ・パーティ。自由な雰囲気の中でクリスチャンとノンクリスチャンが自然に出会い、会話する「場」を提供している。そこには「先生」はいない。「牧師」はいない。「伝道されるという」心配なしに集える。フラットな交わりでノンクリスチャンの方も自由に自分の意見や疑問を分かち合える雰囲気がある。そこではプログラムより、あくまで個人が大事にされ、人間関係が大事にされる。9月27日(金)のサーチライトではクリスチャン4名、ノンクリスチャン3名が参加。ノンクリスチャンの一人は「また来たい」とコメントをした。クリスチャンもノンクリスチャンも直面している仕事や家族の課題を「正直」に分かち合う。「かっこつけない」ことが、この集会の魅力だろう。リピーターが増えれば、ここが「コミュニティ」となっていくのだろう。
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意味ある人間関係と祈りによって深まり広がるキリスト中心のコミュニティ
東京メトロ・コミュニティ
Tokyo Metro Community (TMC)
執筆者:栗原一芳