2012年5月8日火曜日

東京メトロコミュニティ(TMC)とは?


    
背景
- TMCはどういう必要に答えられるのか? どういう問題を解決するのか?

TMCは、東京都心部及び、湾岸新興住宅地にフォーカスします。若い職業人にフォーカスします。東京ビジネス街は日本の頭脳であり、政治経済、メディア、教育などの中心です。しかしながら、宣教の真空地帯です。東京を勝ち取るには社会のあらゆる分野で活躍する神の国の視野をもつ、信徒リーダーの動員が不可欠です。日本が方向性やビジョンを失っている中、キリストのご臨在を職場にもたらし、都市の中に「新しい都市」としての「キリストにある新しい命のコミュニティ」を創出することが必要です。東京のニーズは真のコミュニティです。孤独が覆う東京砂漠にこの世が与えることの出来ないキリストにある平安の満ちたコミュニティを提供します。意味と方向性を失った人々にキリストにある新しいアイデンティティを提供します。それで、この働きを、私達は東京メトロコミュニティ(TMC)と名付けました。東京の地下鉄の地図を見た事ありますか?地上では見えませんが、地下に張り巡らされた地下鉄網は東京を覆っています。駅名を覚えられないほどの多くの駅、そして、それらがネットワークされ繋がっています。正にこれがTMCのヴィジュアルなVISIONです。

- なぜ東京都心?

日本の人口は減少しているのに、東京の人口は増加しているのです。東京は常に人々を引き寄せる魅力と可能性に満ちた街なのです。贖われた都市は主の栄光を現わすようになるのです。湾岸地帯には高層マンションが続々と建設され、若いカップルが移り住んできています。しかし、一方、東京の伝統的な教会は下降傾向にあり、若い層を惹きつけるのが難しくなっています。

都会のライフスタイルは多様であり、それに合った教会形成が必要となっているのです。(礼拝に集まる時間など含め)。ウイークデーのビジネス街でのスモールグループにおける励まし、アウトリーチ、そして、ウイークエンドの湾岸新興住宅地でのハウスチャーチプランティングのコンビネーションワークが必要と思われます。

ストラテジー

実際、何が起こるのか?

 クリスマスイベントや国際サマープロジェクト、さらに多様なビジネスセミナー、インターネットを通しての広範な福音の種まき。そして、東京のキースポット(丸の内、六本木、赤坂、汐留など)におけるスモールグループの形成。リーダー訓練。リーダー同士のネットワーク。折々の合同的な集会。

誰がどういうステップで何をやるのか?

1)同じビジョンを持つ人々をネットワークし、集める。祈りの土台、サポーターの拡大。
2)チャーチプランターのチームを作る。
3)すでにキースポットにいる献身的な信徒リーダーと、その地域の伝道を展開する。
4)チャーチプランターが集中的に1-2年、聖書から教え、教会の土台を作る。
5)キースポットにいる信徒リーダーが導く、人生の分かち合いをするスモールグループを始める。
6)これがミニチャーチとなる。
7)新興住宅地にいる家族への伝道、ウイークエンドのハウスチャーチプランティング。
7)チャーチプランターは続けて、その信徒リーダー(長老役)のメンターとして奉仕する。

具体的にキースポットとはどこですか?

ビジネス街としては、渋谷、大崎、品川、汐留、六本木、赤坂、丸の内、など。
新興住宅地としては、品川、汐留、月島、勝どき、晴美、豊洲、有明など。


どうして、この戦略が効果的と思われますか?

ポストモダン世代には、インターアクティブ、全員参加型のコミュニティが有効的。そして、それは聖書的(第一世紀、新約教会に見られるもの)です。教会は本来、キリストの体であり、組織というより生命体。信徒リーダーがオーナーシップを持って、導くムーブメントであり、有給の働き人に頼らないゆえ、より早く、倍加できるのです。

「意味ある人間関係と祈り」を通してのチャーチプランティング。

スモールグループというコミュニティの中での正直な人生の分かち合いを通しての弟子訓練。学生ミニストリーとの協力により、若いクリスチャン社会人とのコンタクトが可能になります。主要大学の学生は将来の日本のリーダーです。彼らは政治、経済、メディア、とあらゆる分野でリーダーとなるのです。社会の主要な構成要素(政治、経済、メディアなど)の中にクリスチャンリーダーを送り込んで行く必要があるのです。

そして、東京が変われば、日本が変わる。
ーーーーーー
コメントお待ちしております。
asktmc@gmail.com  栗原まで

2012年5月6日日曜日

東北被災地で働かれる神(3)— 教会は復興にどうかかわるべきか?


今後、教会は町の復興にどうかかわるべきだろうか? 

幡師は語る。「人々は教会に良い印象を持っている。今こそ、教会が立ち上がって町を弟子化する』というビジョンが必要ではなかろうか。そもそも何を持って復興というのか。仕事、教育があればそれでいいのか。また、大きなビルやショッピングセンターを建てれば復興なのか? 今人々はお互いに助け、仕え、愛し合うことに意義を見出している。新しい町作りに向け、教会から聖書に基づいた価値観が発信されてゆく必要がある。町作りに教会も積極的に参与する必要がある。そのためには行政と関わることも必要であろう。教会が自分の教会員が増えるとこで満足しないで、地域にインパクトを与えられるような視点を持つべきだ。」町の復興に関して教会に期待されている役割は大きいと言えよう。

エレミヤ書29章4−7節には「わたしがあなたがたを引いて行ったその町の繁栄を求め、そのために主に祈れ、そこの繁栄は、あなたがたの繁栄になるのだから。」とある。教会もその地域のコミュニティの一部であることからすれば、当然のことである。ダニエルは捕囚の異国で王と国の繁栄のために働いた。教会はどのように町の繁栄に寄与し、町にとってのリソースになり得るのか?教会が「俗」世界からの「隠れ場」となり、「世」にかかわらない人々の群れというイメージを与えてないか?

東北では励ましの証がある。具体的に地元での産業復興の支援をしている教会もある。クラッシュジャパン協力教会の利府教会オアシスチャペルの松田師は南三陸町の支援(車で1時間半の距離)をしている。「最初は物資を届けたが、現地から、収入の心配や、生きがいを感じる勤めがほしい、語り合えるコミュニティーがほしいとの声が上がった。そのため6月くらいから、内職支援ができないかと考え、革細工に取り組んでいる。一緒に作業することを通してコミュニティーができる。物を作ることで生きがいを感じる。商標登録し12月に販売を開始する。(ちなみに、これが最近、東京の東急ハンズで販売されるようになった)軌道に乗ったら広げていく。利府の近隣の人たちもボランティアとして巻き込み、一緒に作業している。また、特産のホヤの養殖を再生する漁師たちに協力し、東京や横浜で出展したり、働きのドキュメンタリービデオをインターネットで流すなどのPRイベントをしている。今日の緊急の必要、明日生きていくための必要、永遠の希望のための必要に応えていきたい。」と語る。

東北で働かれる神の御業について見て来た。さて、東京の教会は、東京人の60%が来るべき大地震を不安材料の第一と上げている状況の中で、そのニーズにプロアクティブに取り組んでいるだろうか?

今後、予測されている東京直下型地震をテーマに我々が「今」できることを探りたい。
ーーーーーーーーーー
コメントお待ちしております。
asktmc@gmail.com
栗原


2012年4月28日土曜日

東北被災地で働かれる神(2)— 新しい宣教の機会


11月、宮城宣教ネットワークが立ち上げられ、第一回会議には60名の牧師、教会リーダーが集った。宮城県を5つのエリアに分け、それぞれに世話人を立てて教会開拓ネットワークを形成するというものである。東北では人が救われているが、フォローアップが追いつていないのが現状である。近くに教会が無い場合もある。それで、いわゆる「家の教会」の推進も行われている。

神は被災地の人々にも直接働きかけている。助かった人達は運命や神の存在を感じている。「十字架」やイエス様の夢や幻を見た人の証も届いている。牧師のような宗教者が訪問しても嫌がらない。ある仮設住宅の住民は震災に遭って良かったとさえ言ったという。人生で大事な事が何かを考えるようになったからだ。震災後、実際、信仰に導かれた人もいる。ボランティア活動通してクリスチャンになった青年もいる。神が働いておられる。

福音派の宣教師、牧師の宣教の概念も変わって来ている。昨年11月に箱根で行われたCPI(Church Planters Institute)でも、被災地の牧師や宣教師から「今までは、ことばによる宣教に頼りすぎていた。」との声が聞かれた。「愛する事」、「仕えること」による宣教に目が開かれてきている。先ず、相手の必要に答える、それがボランティアの精神である。クラッシュジャパンではハンドマッサージをしながら被災者の話を聞く奉仕をする。するとある被災者は、今まで話した事が無い震災当時の事を話始める。それが癒しに繋がる。そこに神が働かれる。

幡義也師(恵泉キリスト教会埼京のぞみチャペル牧師)はこう語る。「地域教会が信頼を得つつある。キリストさんはよくやっている。』『クリスチャンはいい人達。』という声をよく聞く。たとえ小さい教会であっても、その存在意義を住民は感じている。石巻キリスト教会は10名ほどの教会で、震災前は全く目立たない存在だった。震災後は世界からの物資を地域に流す拠点となり、地域の人々はそこに物資をもらいに集うようになった。(あるいわきの教会では、延べ1500名が物資を教会に取りに来た。そして、地域の人々といい関係を持てるようになった。)教会が、町で大事な存在になったのだ。

教会は物資を提供してきた。外国人を含むボランティアを提供してきた。そうやってコミュニティの必要に応えてえてきた。これほど多くの祈りが海外から東北に注がれたことがあっただろうか?これほど海外のボランティアが東北に現れたことがあっただろうか?ボランティアの10%はクリスチャンと言われている。クリスチャン人口1%と言われる日本で10%のクリスチャンの存在は大きい。
ーーーー
ご感想をお待ちしております。
asktmc@gmail.com 栗原まで

2012年4月22日日曜日

東北被災地で働かれる神(1)—何が変わったのか?



 東京でも震度7の地震が予測されている。東日本大震災で東京でも帰宅難民が出た。嫌な言い方だが、あれはやがて来る東京地震の前哨戦みたいなものだったのかも知れない。ともかく今回の震災は東京に関係のない事ではない。神は日本で何をなさっているのか。今がカイロス的な時と語る神学者もいる。日本にとって大きな霊的変革の時期なのかもしれない。

海外のクリスチャンによく聞かれる質問は、「震災後、霊的変化が見られたか?」ということ。これに対して、恵泉キリスト教会埼京のぞみチャペル 牧師 播 義也師は「明らかにみられる。」と断言する。東北は元来、霊的に堅いところといえよう。しかし震災後、教会が物資配布などを通じて地域との接点を作ってきたことで、霊的な土壌が柔らかくなりつつある。地域の人々は教会に対してよい印象を持ち始めている。DRCnet事務局長の高橋和義師も「教会とコミュニティとの壁が壊された。」と指摘する。日本の福音派教会はどちらかと言うと今まで、あまり地域社会との接点がなかった。東日本大震災以降、クリスチャン達はノンクリスチャンと多くの時間を共有し、一緒に泣き、一緒に励まし合って来た。こんなことは今まで無かったというのだ。神によってそういう状況に入れられたとも言えよう。

今回、クリスチャンのボランティアを被災地に送るというヴィジョンを持ったクラッシュジャパンが立ち上げられた事自体、すばらしい主の業である。今までに約1800名のクリスチャンボランティアが被災地に送られた。この事実は大きい。JEA総主事の品川謙一師も「日本の教会はあまりボランティア派遣の経験がなかった。クリスチャンボランティアを被災地に送るというモデルを日本の教会はもちろん、また世界に提示できたことは大きな意義があった。」と語る。昨年、秋に被災地を訪れた世界福音同盟(World Evangelical Fellowship)の総主事であるスティーラー博士は「クラッシュが世界の良いモデルになった。」と評価している。

次に被災地の教会はどうなっているのだろう。感謝なことに、宮城県、岩手県では教会が増えている。教会の協力関係が強まっている。教団の壁がこわされ、一致して協力する体制が作られつつある。これも大きな主の御業と言える。

藤原淳賀師(聖学院大学)は今この時はカイロスだ。あの時に日本の教会は何をしたのか、しなかったのかと問われるようになる。大震災の後、教派の壁は崩れつつある。もしこの時をきちんと捉えるなら、日本の教会は第4の時を迎えるだろう(第1はキリシタン時代、第2は開国、第3は敗戦)。教会が互いを尊重し、仕えるなら、人々はキリストを見るようになるだろう。」と指摘する。

2012年4月12日木曜日

神の声を聞く


福島県いわき市にあるパチンコ屋を買い取って教会にしたグローバルミッションの森彰先生の祈りの分科会に出た事があります。最初に参加一人一人に「神の声を聞いた体験を話してください」と聞きました。私は「アポイントで遅れそうで道が確かじゃない時、主よ、助けてくださいと祈って、だいたい答えられます。」としょうもない答えをしました。でもそれも神の導きですよね。

森先生は「祈りとは聞く事です」と教えてくださいました。自分も昔は息つく暇も無いほどたて続けに一方的に神様に向かって祈って(しゃべって)いたように思います。そして、アーメン。神様がこれから話そうとするときに、受話器をおいて電話を切ってしまうようなものです。皆さんは神の声、聞いてますか?

「敬天愛人」の中で福田充男氏は、神の声は全員聞く事が出来ると断言しています。毎週、日曜日講壇から牧師を通して語られるだけではありません。福田氏は神の声を聞く3つのコツを紹介しています。

1.神はあなたに語っておられるのだから、意識して聞くようにする。
2.失敗を恐れない。
3.段階的にステップを踏む。
それはちょうど、自転車に乗り始めるのと同じで、何度も転びながら、よろよろしながら、やがてうまく乗れるようになる。

口に出して祈り、フィット感があるかをチェックするといいます。祈ったり、話したり、書いたり、黙想したりしているうちに、「それっぽい」「きっとそうだ」そして、「そうに違いない」と確信が深まって行くのだと。なるほど。まず、心にあることを書いてみてくださいと勧めています。

確かに、イエス様を信じる者は父なる神の子とされたのです。(ヨハネ1:12)「アバ父よ」と呼ぶ霊を頂いています。(ガラテヤ4:6)神様と話せるのは日曜日だけじゃないですよね。毎朝のデボーションの時間内だけじゃないですよね。24時間、どこにいても主は共に居て、必要な時、語り合うことができます。いわゆる「霊的」なことだけじゃないですよね。私達が携わる仕事、家事、育児、どんな中でも、どんな状況でも。

もし、クリスチャンが耳をすませ、一人一人が本当に神様の声を日常の中で聞き始めたら・・あの人を見舞いなさい、あの人を励ましなさい、あの人の話を聞いて上げなさい。そうキリストの体が動き始めます。大きなプログラムを展開しなくても神の国は広がり、そして、日本は変わっていくのではないでしょうか?

今日、私も導かれ、久しぶりの知人にメールしてアポイントを取りました。神様が何をしてくださるのか楽しみです。

「主よ、語ってください、私は聞いています。」
————— 
ご感想、コメントお待ちしています。
asktmc@gmail.com 栗原まで


2011年11月12日土曜日

霊的コミュニティを建て上げる (5)



ラリーは2つの部屋について説明している。1階と2階。1階は「この世」「肉」「現実の日常生活」と言ってもいいだろう。そこには常にコンフリクトがあり、罪があり、傷つけ合いがあり、痛みがある。なぜなら、人はそこでは自己中心であり、自分の価値を見せつけるプレッシャーの元にあり、自分を自分で守ることに精一杯だからだ。

「私の人生これだけなの?何かこれ以上のものがあるはず」と未信者でも2階の存在を意識している。アッパールーム(2階)には主がいて、COMMUNIONの用意が出来ている。そこはキリストによってのみ変えられた世界、変えられた自己がおり、自分中心の態度はキリストをワーシップする情熱に変えられ、人間不信はキリストへの信頼、自己破滅的な快楽はキリストにあって霊的に成長する情熱へと変えられる。自分の人生、自分でマネージできると思っていた自分は、キリストへ服従することへの思いが与えられる。

未信者でも人生が1Fだけじゃないことを感じている。隠れ場を求めている。だから、スピリチュアルにハマる。すべての孤独は神への渇きだから。しかし、未信者には2階があっても鍵がかかって入れない。鍵を解くことはイエスとの交わりを始めるということ。2Fを知っていることは何という幸いか。二階に行く事により、キリストと交わることにより、以下の移行が起こる。


1)自己にフォーカスする → 神をワーシップ

2)自分が判断基準 → 神のことばが判断基準

ちなみに、人は善悪を知る木の実を食べて、(神なしに)善悪をわきまえる、すなわち、自分が判断基準となった。だから、人間は神はいない、信じるに足りないと結論することさえできる。

3)自分の生活を自分だけで管理する → キリストを信頼する歩み。


それにより、自由になる。平安になる。Dead Endが無くなる。行き詰まっても、常に2階がある。そこへ行けば、キリストがいる。祝宴の用意がある。だから、Spiritual communityとは、この2階を知っている者の交わりなのだ。
———— 
コメントお待ちしております。asktmc@gmail.com (栗原)まで、

2011年11月6日日曜日

霊的コミュニティを建て上げる(4)



 ラリー・クラブは、霊的コミュニティは「奇跡」だという。人間的には作り出せない。参加者全員がへりくだり、キリストを見上げる(ワーシップ)態度が無いと起こりえない。形だけスモールグループをやっても、それが無いと全然違ったものになる。愛とは他人に関心を注ぐ事。そのためには他の人が言っていることに誠実に、耳を傾ける必要がある。スモールグループが失敗する一つの理由は、ある人が会話を牛耳ってしまい、自分のことばかり喋ってしまうことにある。

Are you really listening? Key to successful communication」(Paul J. Donoghue & Mary E. Siegel著)によると、アクティブリスニングは贅沢ではなく、必要であると。愛とはその人に注意を注ぐこと。それを妨げるものに4つあるという。


アクティブ・リスニングの障害となる4つのこと

1)     Defending (防御的になる)

2)     “Me, too” identifying (自分の事ばかり話す)

3)     advice giving (いわゆるお説教をする。)

4)     judging the speaker (相手を裁く)


お互いに相手を自分より優れた者と思う謙遜さ(ピリピ2:3)が無いと、競争心が生まれる。お互いの業績(あるいはミニストリー)の自慢話になってしまう。また相手を裁いたり、見下したり、あるいはお説教したりが始まると一気に雰囲気が壊れてしまう。安全な場所でないと、正直になれないから。誰も正直になることは怖いので、貝のようにちょっとでもアブナイ雰囲気を感じると閉じてしまうのだ。だからお互いの謙遜さが絶対に必要となる。

たとえ良い動機であっても一人の決まった人が一方的に長いメッセージを語って終わりというスタイルでは「お互い」にの部分が起こらない。その「お互いに」が霊的コミュニティの本質的な部分だからだ。ラリーは言う、霊的コミュニティがあまりに稀なので、人々はプロのカウンセラーに頼るようになると。逆に霊的コミュニティが機能すると、かなりの部分、お金を払って会いに行くカウンセリングが必要なくなるとラリーは見ている。しかし、また、あまりに仲良しグループになってしまうと、人間的なものが先行し、なあなあ主義になりチェック機能が効かなくなる危険がある。キリストの前に出ないとお互いの罪を容認してしまう危険があるのだ。愛をもって真理を語れる関係でなくてはならない。あるいは、注意しないと、単なるはけ口としての他人の批判や教会の批判、傷のなめ合い集団になる可能性もある。だから、霊的コミュニティは「奇跡」。しかし、追い求める価値あるもの。ラリーは言う。

It’s time to build the church , a community of people who take refuge in God and encourage each other never flee to another source of help, a community of folks who know the only way to live in this world is to focus on the spiritual life – our life with God and others. It won’t be easy, but it will be worth it. Our impact on the world is at stake.
(p.20)

今こそ、教会を建て上げる時だ。教会、すなわち神に隠れ場を求める人々のコミュニティ。彼らはお互いに励まし合い、神以外のものに助けを求めに逃れない。彼らはこの世に生きる術は霊的生活(すなわち神と他者と共にある我々の人生にフォーカスすること)しかないことを知っている。それは容易ではない。しかし、価値あることだ。この世へのインパクトが懸かっているから。
——————— 
コメントお待ちしております。asktmc@gmail.com (栗原)まで、