子供の信教の自由?
今年は、安倍元首相の狙撃事件があり、それをきっかけに、統一教会の悪が明るみに出され、予想外に大問題となった。カルトの恐ろしさと、それに対する注意が喚起されたのは良かった。そして、被害者救済法が成立した。しかし、「宗教2世問題ネットワーク」からすると、この救済法では不十分とするところがあるようだ。統一教会以外の2世の方は、親から宗教活動を強要され、小学校の頃、宗教の集会で居眠りした際、電気コードで打たれるなどしたという。
全国霊感商法対策弁護士会は、「2世問題の本質は、子供の信教の自由がカルト的団体によって侵害されている点にある。」と指摘している。親による子への信仰の強要は「虐待」であるとの認識だ。そういう流れの中で、「宗教を18禁にすべきである」という声もある。被害者救済法は統一教会にのみに適用されるのではなく、宗教全般、また宗教法人に限らず、すべての法人(NPO法人も)が含まれる。もし、「宗教18禁」となれば、クリスチャンの親は子供を礼拝や、教会学校へ連れて行けなくなる。自分は16歳の時、高校生伝道団体の主催する伝道キャンプで救われているので、18禁なら、救われていなかったことになる。カルト団体下の宗教2世の方々のお気持ちには痛く同感する。しかし、カルトへの注意喚起はいいのだが、それが「宗教」は怖いもの、「宗教」は取り締まるべきものと進んでいくと問題だ。
神学的異端とカルト化
神学的「異端」の場合、その線引きは「聖書的か?」ということになる。なぜ、統一教会、エホバの証人、モルモン教がキリスト教の3大異端かと言えば、「聖書的でない」ということだろう。つまり、「信仰のみによる救い」や、「キリストの神性」「三位一体」を否定するからだ。ただ、世界観的に言えば、異端とは言え、創造主が世界を創造したという共通の世界観があり、エホバの証人が主張するように、やがて神が支配する「楽園」がやってくるという歴史観も福音派が持っているものと変わらない。
カルト化となるとややこしい。教会員が「使徒信条」を唱えていても(つまり神学的には異端でなくとも)、教会運営がカルト的な場合もある。「教会がカルト化する時」でウイリアム・ウッド氏が書いているように、牧師が神格化され、牧師の言葉が神の言葉となり信徒をコントロールするケースが事実ある。それが嵩じて「セクハラ」、「パワハラ」となるケースもある。神学的「異端」と教会運営における「カルト化」は分けて考える必要があるのかも知れない。
どこで線を引くのか?
一般の人から見ると「線引き」は、「洗脳」「マインド・コントロール」という点だろう。聖書をまともに信じない自由主義神学の教会であっても、教会運営において信徒を支配していなければ、カルトとは認定されないだろう。自由主義神学の人は極めて「常識的なマインド」で奇跡を否定しておられる。「常識的」なので、「カルト」とは見なされないだろう。むしろ危ないのは聖書を神のことばとガチで信じる福音派のクリスチャンたちだろう。
作家でクリスチャンの佐藤優氏は産経新聞の記事の中でこう言っている。「カトリック教会、プロテスタント教会、正教会のいずれにおいても、生殖行為を経ずに生まれたイエスが十字架にかけられて、3日後に復活したと信じられている。このような信仰内容は自然科学的見地に反する。ある意味、キリスト教徒は、処女降誕、死者の復活というマインド・コントロール下に置かれた人たちなのである。」
ある時点、聖霊が働いて、そのトンデモ話(真実)が分かる時が来るのだ。しかし、一般的には説明できない。「牧師の話を聞いているうちに超自然な話を信じられるようになった。」とあなたが言ったら、「それは、つまりマインド・コントロールされたということですよ。」と言われるだろう。そして、その非常識な話(福音)を広める(伝道)ことに価値を覚えて「献金」するようになる。
クリスチャンは反社会的?
カルトかどうかを「反社会的=社会の秩序を乱す者」で判断するとなるとクリスチャンは微妙なのだ。事実、イエスご自身、信仰により家族が分裂することを預言しておられ、それは今日まで続いている。(ルカ12:49−53)初代クリスチャンたちは「世界中を騒がせてきた者たち」(使徒17:6)なのであり、事実、エペソではパウロの宣教により、町を挙げての大騒動になったのだ。(使徒19)そういう意味でレッテルが貼られるなら、クリスチャンは、カルトと見なされる可能性が大きい「危ない」存在なのだ。ローマ時代には危険分子と見なされ、迫害を受けた。
反キリスト思想が広まる現代では、クリスチャンは、自然科学的見地に反する「ヘンな事を信じる」、「ヘンな人たち」ということになる。そして、時代に逆らい、妊娠中絶の権利や、LGBTに反対する困った人たちでもある。さらに「携挙」だの「千年王国」だの信じているクリスチャンは完全に狂っているということになる。そんな狂った思想を無垢な子供たちに伝えていいのか!?ということになる。子供たちへの聖書教育が問題視されるだろう。「人は生まれつき罪人。」「罪からくる報酬は死。」と否定的なことを子供のうちから教えるのは虐待であり、「地獄」の存在を説くことは、恐れによるマインド・コントロールに繋がるとして教えることを禁ずるようになるだろう。「十字架で息子を見殺しにする父親像を子供に植え付けるな!」となる。進化論に反対するあまり、公立の小学校に子供を行かせずホームスクーリングで子供を教育するクリスチャン家庭は子供の人権侵害として批判されるだろう。あるいは、親の判断でクリスチャンのInternational schoolやチャーチスクールに入れる場合もある。それを「虐待」と認定されるとクリスチャン家族には、大きな制限がかかる。ただ、それなら根拠のない「進化論」を無批判的に公立の学校で教えることは「洗脳」ではないのか?
一般社会の価値観とは違う価値観(聖書的価値観)に堅く立つクリスチャンは、世俗社会からは「ツッコミ」を入れられる要素が満載ということになる。「非常識」で線を引かれれば、クリスチャンはアウトになる。そう言う部分は、一般の人はどう統一教会やエホバの証人と福音派クリスチャンを区別できるのだろうか。いや、区別はせずに「子供を人権と自由を守る」という大義名分の下に宗教的統制をしてくる可能性がある。共産圏では、意図的にクリスチャン2世の信仰継承を難しくしてきた事実がある。次回紹介しよう。
(つづく)
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執筆者:栗原一芳