2023年1月19日木曜日

成功の怖さ


多くの人は成功したいと願っているでしょう。成功を目指して歩んでいるでしょう。成功することは悪いことではありません。ここでは、「成功」を「地位、名誉、財産を得て、安定した生活をすること」と定義してみましょう。このような成功による「安心」は、ルカ12:15の「金持ちの話」に象徴されていますね。聖書を見ると、そのような成功をした後に、堕落してしまう人の例が多く書かれています。全てがうまくいってしまうと、高慢になり神を忘れてしまうからです。自分の力、富の力に頼り始めると危ないのです。

 

強くなり律法を捨てる王

 

レハブアムの王位が確立し、彼が強くなると、彼は主の律法を捨て、彼とともにいた全イスラエルもそうした。   II歴代誌12:1

 

特にリーダーが堕落すると、影響は下のものに及びます。国のリーダーの場合は深刻ですね。

 

彼らがへりくだったので、わたしは彼らを滅ぼさない。間もなく彼らに救いを与える。わたしの憤りがシシャクの手を通してエルサレムに注がれることはない。 II歴代誌12:7)

 

しかし、同時に、へりくだる時、神の憤りは取り去られ、救いが来ます。

 

第二歴代26:16を見ると明らかなように、サイクルがあります。 

 

        高ぶる → 不信仰 → 身を滅ぼす

 

サウル、ダビデ、ソロモンの場合

連戦連勝で国が大きくなったダビデ王は気が緩んだ時にバテシェバとの姦淫を犯してしまいます。しかし、彼の場合は預言者ナタンに指摘され、罪を認め、方向転換したので罪が赦され、滅びを免れました。

 

あなたのしもべを傲慢から守ってください。それらが私を支配しないようにしてください。そのとき私は大きな背きから解き放たれて、全き者となるでしょう。  (詩篇19:13)

 

これはサウル王とは対照的です。メタノエア(方向転換)しないサウルはダビデへの嫉妬に狂い、堕落していきます。最後は神に見放され、女霊媒師のところにお伺いをたてに行くほど、落ちぶれてしまいます。ちなみにサタンは高ぶったまま、神の敵対し、決してメタノエアしない存在です。ですから御使に戻れず、すっとサタンなのです。

 

ソロモン王も神殿の奉献式の時は立派な祈りをし、神殿には神の臨在が満ち溢れていました。しかし、後年、異邦人の妻をたくさん娶り、偶像礼拝に陥っていきます。その結果はあまりにも悲惨で、南北に分断された王朝は、基本的に偶像まみれになっていき、最後、イスラエルの民は、捕囚として外国へ連行されていきます。

 

反キリストのモデル、ネブカドネツアル王

バビロンのネブカドネツアル王は自分の巨像を作り、全国民に拝ませるという高慢な王でした。当時のバビロンは金に象徴される輝かしい国家で川の上に建設された難攻不落の都市だったのです。しかし、その高ぶりのゆえに「獣」の心が与えられ、人間界から追い出され、雨露に濡れ、野に住む獣となってしまいます。ちなみに、終末に現れる反キリストは「獣」と言われています。人の心のない、「獣」なのです。ネブカドネツアル王はついに人の心を取り戻し、へりくだり神を認めます。諸国を司るのは神であることを知るのです。(ダニエル4章)彼は神の前にへりくだったので人間に戻れましたが、終末時の反キリストは最後まで、へりくだらないので、再臨のキリストに火の池に投げ込まれてしまいます。悲惨な結果です。ちなみに栄華を誇ったバビロニア帝国は一夜にしてメド・ペルシャに滅ぼされてしまいます。(ダニエル5:30−31)人の栄華はそんなものです。

 

今も働いているサタン

「訴えるもの」であるサタンは、今も人々の心に働き、金、権力で人々を神から離れさせようとしています。「金銭を愛する事があらゆる悪の根」(Iテモテ6:10)とまで言われています。現に、サタンは「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、この世の全ての王国と栄華をあなたにあげよう」(マタイ4:8−9)と言ってイエスをさえ誘惑したのです。栄華(金、権力)はサタンに任されているからです。この世のグローバルエリート達、世界的大富豪達がサタンに心を動かされることは可能なのです。巨万の富で経済界やマスコミ界を支配する事が可能なのです。その誘惑は大きいのです。神を礼拝しない人は結局、サタンを礼拝しているのです。サタン的価値を上に置いているのです。その人たちの結末はサタンと同じ結末となります。世界的に有名なクリスチャンミュージシャンや俳優、大会講師なども、ちやほやされる存在なので、注意が必要です。

 

神を信じる者の心構え

アブラハムにとって富とは神から来る祝福でした。ですから人の富に頼らなかったのです。(創世記14:221−24)人は神と富とに兼ね仕えることはできないのです。また、信仰者はこの世の権力や力に頼らずに、主に頼るのです。

 

「王は軍勢の大きさでは救われない。勇者は力の大きさでは救い出されない。軍馬も勝利の頼みにはならず、軍勢の大きさも救いにはならない。見よ、主の目は主を恐れる者に注がれる。主の恵みを待ち望む者に。」

                         (詩篇33:17−18)

 

パウロの見解はこうです。

 

私たちは、何もこの世に持って来なかったし、また、何かを持って出ることもできません。 衣食があれば、それで満足すべきです。金持ちになりたがる人たちは、誘惑と罠と、また人を滅びと破滅に沈める、愚かで有害な多くの欲望に陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは金銭を追い求めたために、信仰から迷い出て、多くの苦痛で自分を刺し貫きました。しかし、神の人よ。あなたはこれらのことを避け、義と敬虔と信仰、愛と忍耐と柔和を追い求めなさい。  Iテモテ6:7−11)

 

今の世で富んでいる人たちに命じなさい。高慢にならず、頼りにならない富にではなく、むしろ、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置き、 Iテモテ6:17)

 

ここでパウロは「頼りにならない富」とまで言っています。神はケチな方ではありません。豊かに与えてくださる方です。私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くことです。ペテロはこう言います。

 

それは、あなたがたが地上での残された時を、もはや人間の欲望にではなく、神のみこころに生きるようになるためです。あなたがたは異邦人たちがしたいと思っていることを行い、好色、欲望、泥酔、遊興、宴会騒ぎ、律法に反する偶像礼拝などにふけりましたが、それは過ぎ去った時で十分です  

                      (Iペテロ4:2−3)

 

イエスの見解はこうです。

これらのものはすべて、異邦人が切に求めているものです。あなたがたにこれらのものすべてが必要であることは、あなたがたの天の父が知っておられます。

まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。 (マタイ6:32−33)

 

幸いな人=真の成功者とは、常に神の前にへりくだり、神を礼拝している者なのです。神の御前に平安を持って立てることほど、幸せなことは無いのです。預言者ミカはこう言いました。

 

主はあなたに告げられた。人よ、何が良いことなのか、主があなたに何を求めておられるのかを。それは、ただ公正を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか。  (ミカ6:8)

 

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執筆者:栗原一芳

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2023年1月12日木曜日

終末のしるし


どんな手段によっても、だれにもだまされてはいけません。まず背教が起こり、不法の者、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ないのです。

                         (IIテサロニケ2:3)

まず背教が起こり

「主の日」は旧約では常に神の裁きの時を表す。新約では、「患難時代」を表す。そして、患難時代の前には以下の2つの事が必ず起こる。

 

  背教が起こる

  不法の者(反キリスト)が現れる。

 

以前、紹介した2022年9月19日のクリスチャニティ・ツデイの記事。タイトルはTop 5 Heresies Among American Evangelicals(アメリカ福音派の間に広がる5つの異端的教え)それによると

 

 聖書は文字通り真実というわけではない。(福音派の信者の26%が同意)

● 神はキリスト教以外の信仰を受け入れる。(福音派の信者の56%が同意)

 イエスは被造物。イエスは神ではない。(福音派の信者の73%が同意)

 聖霊は人格的存在ではない。(福音派の信者の60%が同意)

 

この数字はリベラル派ではなく、福音派の数字なのだ。これが真実なら、既に「背教」が起こっていると結論づけていいだろう。福音派以外はいうまでもない。カトリックはイスラムとキリスト教の融合を目指すクリスラム運動を支援。

世界統一宗教の土台作りを進めている模様。リベラル派の世界的ネットワークWWCでは、異教徒の改宗を迫ることは、その国の文化を軽蔑することと、非改宗主義を提唱している。そして宗教間の対話を推進している。

 

終わりの時代にはキリストによらない救いの教理が流行っていく。一般の人が分かり易いようにという思惑で(それ自体は悪くないが)デンマーク聖書協会では聖書の中の「罪」という言葉を「間違い」に変更した。そうすると罪の意味は薄まる。十字架の意味は薄まっていく。最終的にはキリストでなくても良くなる。「だいたい、キリストだけが『道』とは独善的すぎる!」と。また、「彼」「彼女」という性別を示す代名詞も中性的なものに変更したらしい。ポリティカル・コレクトの流れに迎合したものだ。そのようにズルズルと世に妥協してゆく。

 

というのは、人々が健全な教えに耐えられなくなり、耳に心地よい話を聞こうと、自分の好みにしたがって自分たちのために教師を寄せ集め、真理から耳を背け、作り話にそれて行くような時代になるからです。

                         (IIテモテ4:3−4)

 

「神の裁き」という健全な教えに「耐えられなくなり」、耳障りの良い、「万人救済説」に傾いていくのだ。しかし、真理から耳を背ければ、それは作り話にすぎなくなる。人が死んでから神の前に立つ事実を変えることはできない。(ヘブル9:27)その時、弁護人であるイエスが共にいるだろうか?

 

という訳で・・・・

 

                  背教はすでに起こっている!

 

 

不法の秘密はすでに働いている

IIテサロニケ2:7

不法の者がその定められた時に現れるようにと、今はその者を引き止めているものがあることを、あなたがたは知っています。不法の秘密はすでに働いています。 (IIテサロニケ2:6−7)

 

もう1つの前兆が、不法の者(反キリスト)の登場。しかし、今は引き止めているものがあり舞台上には登場していない。しかし、不法の秘密は既に働いている。

 

「世界経済フォーラム」(ダボス会議)はパンデミック後の世界をグレートリセットすることを提唱している機構で、クラウス・シュワブ氏によって創設された。持続可能な世界を目指しClimate justiceや、SDGsを推進、また経済格差是正のためのベーシックインカムを提唱。ブラックロックのCEOのラリー・フィンクはすでに「世界経済フォーラム」の理事メンバーに就任。今や、世界経済フォーラム(グレートリセットのアジェンダ)、ブラックロック(グレートリセットの資金)、そしてG20(グレートリセット実行のための世界のリーダー)が連携。先日のG20にシュワブ氏が参加している。これに世界の大手メディアが繋がってきているのだ。アメリカの投資信用会社ブラックロックとバンガードで世界の大手マスコミは支配されているという。彼らは一般市民をコントロールできるようになっている。世界を1つの方向に持っていくことが可能になってきている。

 

今回のパンデミック、ワク騒動に疑問を持っている人も少なくないだろう。京都大学の教授らの統計的研究によると時短、自粛と感染者数の増減には、関係が無いことが証明されている。厚労省のHPでマスクの効果が限定的であることが明記されているにも関わらず、全国民がマスクをする。PCR陽性=感染者でないことが明らかなのに、感染者として発表する。経済的にワクを十分購入できなかったアフリカで、感染爆発と死者爆増という話を聞いたことがない。経済的余裕があり購入できた国で感染者が増えている(アメリカ、日本、韓国など・・・)これは一体どういう事か?人は「陰謀論」と呼ぶかも知れないが、なぜ医学界の人でもない、ビル・ゲイツが次期パンデミックを予測する本を出すのか訝る人がいてもおかしくない。

 



 (世界経済フォーラム(ダボス会議)の創設者、クラウス・シュワブ氏)



 前回のアメリカ大統領選挙直前に、ハンター・バイデンの犯罪が明るみに出ようとしていたその時、ツイッター社が、それらの記事を全て削除したことが今日、イーロン・マスク氏のおかげで明らかになった。メディアとはそんなもんだ。影の力によって動かされる。

 

SDGsを通して、環境イデオロギー統治は始まっている。どういうわけかSDGsLGBTが連結。多様性を認めるとしながら、伝統的価値(聖書的価値)を破壊する動きが始まっている。カナダでは聖書が教える「性認識」は神話として、同性愛を異性愛に転向させるための療法は法律で禁止されている。この推進者は「世界経済フォーラム創始者」のシュワッブ氏の弟子のトルドー首相だ。

 

中国はコロナ管理でも明らかになったように、デジタル管理社会の実験場となっている。14億はスマホで管理されている。国連は既に、ID2020の名の下、「全ての人にIDを!」(つまり世界の人のデジタル管理)を推進している。これもグレートリセットの流れの中にある。

 

これらは人間の知恵の行き着くところで、持続可能な世界のための試みとして、それ自体「悪」という訳ではないだろう。ただ、それを踏み台に世界統治を目論む悪意ある人物が登場する可能性は大なのだ。善意で始まったものだとしても、これら全ては患難期における世界的なデジタル管理社会と反キリスト(獣)の登場のお膳立てなのだ。

 

という訳で・・・・

              不法の秘密はすでに働いている!

 

 

気候変動も状況を悪化させる

「グローバル化する感染症 地球温暖化で生態系が変化すると、病原菌はこれまでと異なる地域でも生き延びる。蚊が媒介する感染症は、今は、まだ熱帯地域に限定されているが、温暖化によって、熱帯域は10年に50キロメートル弱の勢いで拡大している。熱帯の境界とともに蚊も北に移動している。気候と感染症の関係でたしかなことは、暑い地域ほどウイルスは活発になるということだ。現状の気温上昇ペースをもとに、世界銀行は2030年には36億人がマラリアの危険にさらされると予測する。」(東洋経済2020年3月22日に掲載された「気候大変動が地球と人類に与えうる12の脅威」より。)

 

今、起こっていることは、今後起こることの「ひな型」なのだ。将来はさらに増大されたものとして現れる。

 

黙示6:8には「剣」と「ききん」と「疫病」と「地上の獣」の連鎖によって地上の4分の1の人が死ぬとある。「疫病」と「異常気象」は「飢饉」を招き、「飢饉」は「剣=戦争」を招き、「戦争」は地の荒廃と、「獣」の氾濫を招く。

 

2050年までに2憶人の気候難民が発生するという。それは飢饉を引き起こし、地球規模の飢餓は戦争を引き起こすだろう。野獣が都市を徘徊することにもなる。黙示録の預言は単なるトンデモ話では無い。ますます現実味を帯びてきているのだ。

 

背教が起こり、不法の秘密が働いているとすれば、「主の日」=患難時代は、かなり近づいていると言えよう。

 

それでは人類に希望は無いのだろうか?

 

 

キリストがもたらす「この地」のグレートリセット

最後に聖書的希望を確認しよう。黙示録はハッピーエンドで終わっている。悪は滅ぼされ、地は回復する。聖書が語るメシアは政治的メシアだ。「地の王たちの支配者」(黙示1:5)と明記されている。メシアは、最終的に「この地」を治めるのだ。リベラル神学者たちはキリストを心の領域(宗教)に閉じ込めようとするだろうが、聖書的には、キリストは全世界、全宇宙の支配者なのだ。

(ヨハネ1:1−3、コロサイ1:15−17)

 

回復された地上はイザヤ書65:16〜に預言されているが、ここでは、エゼキエルから見てみよう。エゼキエル36章以降は時系列的に「回復」のプロセスが預言されている。

 

36 土地の回復

37 民の回復

38 エゼキエル戦争

39 イスラエルの悔い改め

40〜 回復=千年王国  

    

エゼキエル47には神殿から流れ出る水についての記述がある。

 

「この水が海に注ぎ込まれると、そこの水は良くなる。」(47:8)

 

まず、新天新地では神と子羊が神殿であり、物理的な神殿はもう無い。また、海もない。(黙示21:1)したがって、エゼキエルの記述は、今の地上である事が分かる。また、「そこの水は良くなる」とは、以前、悪かった水が良くなるという事で、新天新地では、すべてが初めから「新しい」ので、「悪かった水」は存在しないはずだ。

 

エゼキエルの預言は、「この地上」の回復のことだ。つまりは「メシア王国=千年王国」。諸国の王であるキリストが直々に統治することで「この地上」が回復する。これは何という希望だろうか!十字架の死があって闇が地上を覆った後、輝かしい復活があったように、全世界に及ぶ患難時代の暗闇のクライマックスに主の地上再臨があり、光が勝利する。

 

光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。

                   (ヨハネ1:5)

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参考資料

 Top 5 Heresies Among American Evangelicals

https://www.christianitytoday.com/ct/2022/september-web-only/state-of-theology-evangelical-heresy-report-ligonier-survey.html?fbclid=IwAR0vS9Ok0PivFosKRVoK1EuYMpXr3o5e9Y7XB23krRSnd9911lD-6ZTA_Wg

 

 WCCについて

  WCC HP  https://www.oikoumene.org/

 

  「クリスチャンリーダー論」Thomas Hwang著 AMI出版 p164〜

 

 世界経済フォーラム

  https://jp.weforum.org/

 

 グレートリセット 

  https://www.weforum.org/great-reset/

 

 How to Prevent the Next Pandemic – May 3, 2022  by Bill Gates  

 ID2020

  https://id2020.org/

 

  統計学・ウイルス学・環境衛生学で暴くパンデミックの不都合な真実

(宮沢孝幸×高野裕久×藤井聡

  https://www.youtube.com/watch?v=RtL3bOVI7ow

 

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執筆者:栗原一芳

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2023年1月5日木曜日

始まるのか、宗教統制?(2)

 

宗教を18禁に?!

全国霊感商法対策弁護士会は、「2世問題の本質は、子供の信教の自由がカルト的団体によって侵害されている点にある。」と指摘している。親による子への信仰の強要は「虐待」であるとの認識だ。そういう流れの中で、「宗教を18禁にすべきである」という声もある。

 

作家の佐藤優氏からの引用。

「旧ソ連では、このような科学的見地と矛盾する信仰を親が子に伝えてはならないと、家庭内での宗教教育が禁止された。共産党体制下のソ連では、国家が『宗教2世』を根絶しようとしたのだ。」

 

このような方向に進まないと言う保証があるだろうか? そういう方向の中では子供に信仰の継承をするのが大変難しくなる。そして、それはサタンの望んでいることである。この世の価値観が聖書的価値観と大きくずれていく時には、クリスチャンは社会からは「カルト」にみなされ、迫害される可能性が大なのだ。パウロが言う「危急の時」(Iコリント7:26)ということになる。まだまだ先と思っていると、事は急転直下する。

 

宗教は心の問題?

日本人にとって宗教は心の問題と理解している人が大半だろう。しかし、現在のイランのようにイスラム原理主義の国ではコーランの教えを政治に、生活の全領域に適用しようとしているのだ。み言葉に真実に生きようとするクリスチャンもそうだろう。日曜だけのクリスチャンは聖書的ではない。クリスチャンは、まことの神以外を礼拝することを拒否する。それでローマ皇帝たちと衝突した。迫害を受けた。日本でも江戸時代のキリシタン迫害があった。政府側は一般大衆に迎合しない「厄介な人たち」を抹殺しにかかる。キリストご自身も当時の体制からは敵視された。最後は十字架にかけられた。心の問題では済まされない。

 

太平洋戦争中、キリスト教は「国体」に反すると迫害を受けた。聖書的メシアは政治的メシアだからだ。ホーリネスの牧師たちは「キリストと天皇とどっちが偉いのだ」と詰問され、「キリスト」と答えたゆえに投獄された。獄中死したものもいる。心の問題では済まされない。世の中がおかしくなっている時、クリスチャンは地の塩ゆえに、目障りになる。社会からは抹殺したい存在となる。「世界統一宗教」に向かう中で、聖書的なクリスチャンは自由主義神学クリスチャンから迫害を受けるだろう。携挙で取り残された自由主義神学クリスチャンが母体となって世界統一宗教を形成してゆくようになる。

 

かつてカルト化した日本

北朝鮮、中国からの挑発が多発する中、「防衛」が話題に上るようになった。戦争のような危機にあっては「精神的支柱」が必要になる。明治から敗戦までは、良くも悪くも天皇が日本人の「精神的支柱」だった。今は象徴天皇だが、戦争の危機の中ではどうなるだろう。まことの神のいない日本人にとって、再び「天皇」へ帰属してしまうのではないだろうか。戦時中は、「靖国神社は宗教にあらず」として参拝を強要されるようになった。もともと同調圧力の強い日本社会で戦争反対の声を上げることは不可能に近い。山本七平に言わせると太平洋戦争への参戦決定は、当時の「空気」が決めたと言う。彼は「空気」と表現するが、それを「悪霊」としたらどうだろうか?おぞましい話である。NOと言えない雰囲気の中で負けると分かっている戦争に突入していく。そして「靖国で会おう」とカミカゼ特攻隊は自爆した。「天皇陛下万歳!」と叫んで、人間魚雷は自爆した。それこそ大マインドコントロールが行われ、「神の国、日本」は大カルト化してしまったのだ。この過ちを再び犯さないためには、まことの「神」を神とすること。すなわち、創造主なる神に立ち返るしかない。

 

独裁国家でない限り、宗教の一方的な統制はしないだろう。信教の自由を謳う自由主義国家において、カルト対策は思うように進んでいないようだ。わが国でも信教の自由を憲法で謳っている以上、取締りの強制力には限度がある。宗教のカルト化を懸念すると同時に、国家が獣化しないよう祈るべきだろう。

 

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執筆者:栗原一芳

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2022年12月29日木曜日

始まるのか、宗教統制?(1)


子供の信教の自由?

今年は、安倍元首相の狙撃事件があり、それをきっかけに、統一教会の悪が明るみに出され、予想外に大問題となった。カルトの恐ろしさと、それに対する注意が喚起されたのは良かった。そして、被害者救済法が成立した。しかし、「宗教2世問題ネットワーク」からすると、この救済法では不十分とするところがあるようだ。統一教会以外の2世の方は、親から宗教活動を強要され、小学校の頃、宗教の集会で居眠りした際、電気コードで打たれるなどしたという。

 

全国霊感商法対策弁護士会は、「2世問題の本質は、子供の信教の自由がカルト的団体によって侵害されている点にある。」と指摘している。親による子への信仰の強要は「虐待」であるとの認識だ。そういう流れの中で、「宗教を18禁にすべきである」という声もある。被害者救済法は統一教会にのみに適用されるのではなく、宗教全般、また宗教法人に限らず、すべての法人(NPO法人も)が含まれる。もし、「宗教18禁」となれば、クリスチャンの親は子供を礼拝や、教会学校へ連れて行けなくなる。自分は16歳の時、高校生伝道団体の主催する伝道キャンプで救われているので、18禁なら、救われていなかったことになる。カルト団体下の宗教2世の方々のお気持ちには痛く同感する。しかし、カルトへの注意喚起はいいのだが、それが「宗教」は怖いもの、「宗教」は取り締まるべきものと進んでいくと問題だ。

 

神学的異端とカルト化

神学的「異端」の場合、その線引きは「聖書的か?」ということになる。なぜ、統一教会、エホバの証人、モルモン教がキリスト教の3大異端かと言えば、「聖書的でない」ということだろう。つまり、「信仰のみによる救い」や、「キリストの神性」「三位一体」を否定するからだ。ただ、世界観的に言えば、異端とは言え、創造主が世界を創造したという共通の世界観があり、エホバの証人が主張するように、やがて神が支配する「楽園」がやってくるという歴史観も福音派が持っているものと変わらない。

 

カルト化となるとややこしい。教会員が「使徒信条」を唱えていても(つまり神学的には異端でなくとも)、教会運営がカルト的な場合もある。「教会がカルト化する時」でウイリアム・ウッド氏が書いているように、牧師が神格化され、牧師の言葉が神の言葉となり信徒をコントロールするケースが事実ある。それが嵩じて「セクハラ」、「パワハラ」となるケースもある。神学的「異端」と教会運営における「カルト化」は分けて考える必要があるのかも知れない。

 

どこで線を引くのか?

一般の人から見ると「線引き」は、「洗脳」「マインド・コントロール」という点だろう。聖書をまともに信じない自由主義神学の教会であっても、教会運営において信徒を支配していなければ、カルトとは認定されないだろう。自由主義神学の人は極めて「常識的なマインド」で奇跡を否定しておられる。「常識的」なので、「カルト」とは見なされないだろう。むしろ危ないのは聖書を神のことばとガチで信じる福音派のクリスチャンたちだろう。

 

作家でクリスチャンの佐藤優氏は産経新聞の記事の中でこう言っている。「カトリック教会、プロテスタント教会、正教会のいずれにおいても、生殖行為を経ずに生まれたイエスが十字架にかけられて、3日後に復活したと信じられている。このような信仰内容は自然科学的見地に反する。ある意味、キリスト教徒は、処女降誕、死者の復活というマインド・コントロール下に置かれた人たちなのである。」

 

ある時点、聖霊が働いて、そのトンデモ話(真実)が分かる時が来るのだ。しかし、一般的には説明できない。「牧師の話を聞いているうちに超自然な話を信じられるようになった。」とあなたが言ったら、「それは、つまりマインド・コントロールされたということですよ。」と言われるだろう。そして、その非常識な話(福音)を広める(伝道)ことに価値を覚えて「献金」するようになる。

 

クリスチャンは反社会的?

カルトかどうかを「反社会的=社会の秩序を乱す者」で判断するとなるとクリスチャンは微妙なのだ。事実、イエスご自身、信仰により家族が分裂することを預言しておられ、それは今日まで続いている。(ルカ12:49−53)初代クリスチャンたちは「世界中を騒がせてきた者たち」(使徒17:6)なのであり、事実、エペソではパウロの宣教により、町を挙げての大騒動になったのだ。(使徒19)そういう意味でレッテルが貼られるなら、クリスチャンは、カルトと見なされる可能性が大きい「危ない」存在なのだ。ローマ時代には危険分子と見なされ、迫害を受けた。

 

反キリスト思想が広まる現代では、クリスチャンは、自然科学的見地に反する「ヘンな事を信じる」、「ヘンな人たち」ということになる。そして、時代に逆らい、妊娠中絶の権利や、LGBTに反対する困った人たちでもある。さらに「携挙」だの「千年王国」だの信じているクリスチャンは完全に狂っているということになる。そんな狂った思想を無垢な子供たちに伝えていいのか!?ということになる。子供たちへの聖書教育が問題視されるだろう。「人は生まれつき罪人。」「罪からくる報酬は死。」と否定的なことを子供のうちから教えるのは虐待であり、「地獄」の存在を説くことは、恐れによるマインド・コントロールに繋がるとして教えることを禁ずるようになるだろう。「十字架で息子を見殺しにする父親像を子供に植え付けるな!」となる。進化論に反対するあまり、公立の小学校に子供を行かせずホームスクーリングで子供を教育するクリスチャン家庭は子供の人権侵害として批判されるだろう。あるいは、親の判断でクリスチャンのInternational schoolやチャーチスクールに入れる場合もある。それを「虐待」と認定されるとクリスチャン家族には、大きな制限がかかる。ただ、それなら根拠のない「進化論」を無批判的に公立の学校で教えることは「洗脳」ではないのか?

 

一般社会の価値観とは違う価値観(聖書的価値観)に堅く立つクリスチャンは、世俗社会からは「ツッコミ」を入れられる要素が満載ということになる。「非常識」で線を引かれれば、クリスチャンはアウトになる。そう言う部分は、一般の人はどう統一教会やエホバの証人と福音派クリスチャンを区別できるのだろうか。いや、区別はせずに「子供を人権と自由を守る」という大義名分の下に宗教的統制をしてくる可能性がある。共産圏では、意図的にクリスチャン2世の信仰継承を難しくしてきた事実がある。次回紹介しよう。

 

(つづく)

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執筆者:栗原一芳

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2022年12月22日木曜日

聖書から見る「独身」という生き方

 

「教会の『三会』このままで大丈夫?」

「舟の右側」(2022年12月号)に掲載された水谷潔氏の「教会の『三会』このままで大丈夫?」という記事は興味深かったです。教会の「三会」すなわち、「壮年会」「婦人会」「青年会」です。これだと40代の独身者は「居場所」が無くなります。そして、そういう方は増えています。無理して入っても、話題が「子育て」や「夫婦関係」の話となるとついていけないでしょうね。また、今日、珍しくない「離婚者」や子供のいない夫婦は教会で肩身狭い思いをすることになります。さらに今後は「性同一性障害」の方のことも考えなければならなくなります。

 

また一時、もてはやされた結婚セミナーや恋愛セミナー講師のジョシュア・ハリスさんが離婚されたことにも触れ「正しいことを書いているけど、あまりに理想論で、逆に人を苦しめることになるから、柔軟な受け止めが必要だよ。」と以前からコメントしていたことが書かれています。重いコメントですね。

 

先日、こんな話を聞きました。日曜礼拝に親子で欠かさず参加していた家族。帰宅して食事の時、小学生の子供がこう言いました。「お父さんは教会に住んだらいいよ。」「なぜ?」と親が聞くと、「だって、お父さんは教会にいるときには優しいお父さんで、お母さんにも怒鳴らないし・・・」と言ったというのです。どうも教会ではいい顔をしてしまっているようですね。

 

それでは結婚と独身について聖書から見ていきましょう。

 

生めよ、増えよ

確かに創世記では神は「生めよ、増えよ」(創世記1:28)と結婚して子供を産むことを命じています。「基準」は結婚して子供を産むことだったのです。また神が命じているということは、「結婚」して男女が一体となることは、神の御心だった訳です。男女が愛し合い、子供を作るような体の構造を造られたのです。事実、旧約時代には子沢山であることが神の祝福と考えられていました。

 

パウロの考え

しかし、新約時代に入ると、今度は一転してパウロはこう言うのです。

「私が願うのは、すべての人が私のように独身であることです。」

                   (Iコリント7:7)

 

そのあとに「人それぞれの生き方があります。」と言い、結婚が唯一のライフスタイルではないことを説いています。さらに

 

「結婚していない人と、やもめに言います。私のようにしていられるなら、それが良いのです。」(8節)

 

独身のままで良いのだと言っています。そして、「欲情に燃えるより結婚する方がいいからです。」Iコリント7:9)随分と消極的というか、「仕方ない」という印象すらありますね。「結婚する人は良いことをしているが、結婚しない人はもっと良いことをしている」とまで言っています。(38節)

 

32節からは、普遍的な原則が書かれています。

 

「独身の男は、どうすれば主に喜ばれるかと、主のことに心を配ります。しかし、結婚した男は、どうすれば妻に喜ばれるかと世のことに心を配り、心が分かれるのです。独身の女や未婚の女は、身も心も聖なるものになろうとして、主のことに心を配りますが、結婚した女は、どうすれば夫に喜ばれるかと、世のことに心を配ります。  IIコリント7:32−34)

 

主に喜ばれることを優先するなら、結婚しない方がいいとも取れます。これだけパウロが言っているにも関わらず、水谷氏も言うように日本の教会は「生めよ、増えよ」だけを強調し、メッセージをし、結婚し、家庭を持っていることの方を「良し」とする傾向があったように思えます。

 

ただし、7:25節以下を読むと、「差し迫っている危機のゆえに・・」とあり時代的背景、すなわち迫害が起こっている中であることを考慮して、独身を勧めていることが分かります。「ただし、結婚しても罪を犯すわけではない。しかし、結婚する人たちは身に苦難を招く」と言うのです。せっかく結婚しても、すぐに相手が迫害にあって殉教してしまったら悲しいことです。残された子供も不幸です。

 

現代社会での状況

初めは「生めよ、増えよ」で良かったのですが、罪がはびこると状況や環境が変わってきます。せっかく育てた青年たちが戦争に駆り出され、戦場で亡くなっていきます。悲しむ母親の顔を見たくありませんね。そして、犯罪、テロ、ブラック企業、誹謗中傷による自殺・・・・さらに、今、世界人口は80億!人間社会が出すCO2は森林が吸収する量の1.7倍だそうです。エネルギー問題、食料問題、どうなるんでしょうね。ただ、日本のように少子高齢化で人口が減少している国もありますね。

 

子供を取り巻く環境も激変しました。自分の小学校時代とはまるで違います。スマホ、ゲームが子供達の生活を一変させました。また、虐待、いじめ、家庭内暴力・・・子供を健全に育てるのが難しい世の中になってきました。子供を持ちたくても経済的に難しかったり、女性も仕事を諦めたくなかったりと状況も変わっています。

 

水谷氏によると、現在、日本では生涯、結婚しない女性は2割近くいて、5人に1人は結婚しない。また5.5人組に1組の夫婦に子供が与えられていない。そして3組に1組が離婚するというのです。つまり、結婚をして、離婚しないで、しかも子供がいる女性は40数パーセント、半分以下です。ですから「婦人会で集まりましょう」と言っても難しいというのです。育休の理解は、少しは進んだものの、賃金は上がらず、物価は上昇、それに教育費は大変なものです。そうなると経済的にも余裕のある人しか子供を育てられない状況です。

 

また、アメリカではクリスチャンの間の離婚率はノンクリスチャンと変わらないといいます。大騒ぎして結婚して、すぐ離婚する芸能人たちのことを見ています。離婚の悲劇や家庭内暴力を見てきた子供たちは、結婚しようと思わなくなるかも知れませんね。また、結婚したとしても、その中身が大分、変わってきています。先日、ある番組で若い人たちが「結婚しても寝室別々はありだよね。」と言っていました。同棲や事実婚も増え、結婚とは役所に出す「紙」のことになってしまった感があります。確かに結婚していれば「幸せ」という訳でもないようです。最近は「夫源病」と言って、夫が原因で体調不良になる妻がいます。結婚しているゆえに「孤独」を感じている夫婦も少なくないでしょう。特に日本人の男性は退職すると会社付き合いも無くなり、近所に友達がいるわけでもなく・・という状態になります。必要なのは「コミュニティ」ですね。

 

都会では「おひとり様仕様」が多くなり、独身生活が便利になりつつあります。個人的「自由」やプライバシーを重視する傾向もあります。結婚に強い必要性や願望を持たない人も増えているんでしょうね。一人でいる「自由」を選びたい人が増えているのではないでしょうか。「2次元オタク」のようにアニメ世界で満足している人もいます。今後、男女関係は、面倒くさい生身の人間関係より、AIメイトや、メタバースなど、ネットの中で済ます人も出てくるでしょう。

 

イエスの独身に関しての考え

家庭を持つことがそれほど重要な絶対的な価値であるなら、どうしてイエスご自身は家庭を持たなかったのかと言う疑問が出てきます。家庭を持って理想の家庭のモデルを見せて欲しかった!しかし、イエスは独身を貫きます。当時ユダヤでは男子は13歳で成人式を迎え、親は結婚相手(許嫁)を探し始めます。

しかし、イエスは十字架にかかる33歳頃まで独身であった訳です。そして、独身に関してイエス様の見解はこうです。

 

母の胎から独身者として生まれた人たちがいます。また、人から独身者にさせられた人たちもいます。また、天の御国のために、自分から独身者になった人たちもいます。それを受け入れることができる人は、受け入れなさい。

               (マタイ19:12)

 

つまり

  独身者として生まれた (障害などで結婚が難しい人?)

  人から独身者にさせられた(離婚や死別)

  御国のために自分から独身者になった人

 

3番目は、「それが受け入れることができる人は、それを受け入れなさい」と勧められています。もちろん、家庭を持つことは祝福です。しかし、同時に夫婦関係や子供達の問題で宣教に集中できなくなる牧師や宣教師達もいます。独身者にチャレンジや問題がないわけではないですが、宣教のために自由に使える時間は多いでしょう。

 

ただ、この3つのカテゴリーに必ずしも当てはまらない人もいるのではないでしょうか。結婚したいと願いつつも、出会いがない人。御国のために献身はしているが、独身を貫くことを決めている訳ではない人。強い願望はないけれど、ふさわしい人が現れれば、結婚しようと思っている人など・・・。

 

 

復活の時は御使のよう

イエスは私達が復活時に体を頂く時は「御使」のようになると言っています。

 

復活の時には人はめとることも嫁ぐこともなく、天の御使いたちのようです  (マタイ22:30)

 

復活時には結婚の制度自体が無くなるのです。つまり結婚は今、この地上にいる限りの制度だということです。だからといって大切じゃない訳ではありませんが、永遠、絶対の制度でもないのです。デスペンゼーション主義者の多くは、千年王国は、「復活の体」を持った信者と、患難期に生き残った「地上の体」を持った信者のミックス状態だと考えています。ちょっと違和感があるかも知れませんが、復活のイエスは、地上の体を持つ弟子たちと会話や会食をしています。ミックス状態です。また、現在でも結婚する人もいれば、独身で通し、子供を産まない女性たちも多くいます。今も、既婚者、未婚者のミックス状態です。そう考えれば、千年王国の状態はさほど不自然ではないのです。千年王国はこの地上の続きですが、新天新地では永遠の秩序に変わるので、そこでは全員、「復活の体」=「御使のよう」になっています。そこでは結婚制度はなく、再生殖もないでしょう。

 

差し迫っている危機?

パウロはローマ時代の激しい迫害の時を指して「差し迫っている危機」と言っています。今日の状況も「差し迫っている危機」と言えないでしょうか。これに関しては、近日中に詳しく書きたいと思っていますが、患難時代に向けて、クリスチャンにとっては、さらに難しい時代になるでしょう。反キリストは「まだ」現れていませんが、不法の秘密は「すでに」働いています。(IIテサロニケ2:7)そろそろパウロの言葉をもう一度、考えてみる時なのかも知れません。

 

兄弟たち、それぞれ召されたときのままの状態で、神の御前にいなさい。未婚の人たちについて、私は主の命令を受けてはいませんが、主のあわれみにより信頼を得ている者として、意見を述べます。差し迫っている危機のゆえに、男はそのままの状態にとどまるのがよい、と私は思います。あなたが妻と結ばれているなら、解こうとしてはいけませ ん。妻と結ばれていないなら、妻を得ようとしてはいけません。しかし、たとえあなたが結婚しても、罪を犯すわけではありません。たとえ未婚の女が結婚しても、罪を犯すわけではありません。ただ、結婚する人たちは、身に苦難を招くでしょう。私はあなたがたを、そのような目にあわせたくないのです。兄弟たち、私は次のことを言いたいのです。時は短くなっています。今からは、妻のいる人は妻のいない人のようにしていなさい。 Iコリント7:24−29)

 

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執筆者:栗原一芳

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2022年12月15日木曜日

捕囚としての生き方(3)〜異教徒の中で生活する

 

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イスラエルの民(神の民)は、捕囚時、異教のバビロニア帝国での生活を強いられた。バビロンはもともとニムロデ帝国があり、悪名高い「バベルの塔」が建てられたところだ。「神の民」が「異教のセンター」に置かれたのだ。世の終わりには「獣」と言われる反キリストが現れ、バビロン(現在のイラク)が世界支配のセンターとなる。その悪の帝国の準備は着々と進められている。私達、クリスチャン(神の民)は、現代のバビロンでの捕囚生活を強いられている。イエス・キリストを救い主として崇めない文化の中で暮らしている。それどころか「この世の神」であるサタンが空中を支配している世界に生きている。クリスチャンの価値観とは相対する世俗の価値観の中で生活している。その葛藤の中で、どう生きればいいのだろうか。希望はあるのだろうか。

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現代の預言者として

旧約の王朝時代には王の役割(政治)と預言者(宗教)の役割が分かれていた。真の預言者は憚らず王に神の御心を伝えた。残念ながら、南北朝時代には多くの王は預言者の声に聞かなかった。ますます偶像礼拝に陥っていった。しかし、忠実な預言者たちは使命を全うした。革命は起こさないが、荒野での「声」となった。教会が政治をコントロールするのではなく、預言者の声としてメッセージを発し続けるのだ。来るべき王であるキリストを宣言し、聖書的価値観を発信していく。そして為政者のために祈る。(Iテモテ2:1)来るべき「お方」は究極の「王」であり「預言者」だ。

 

教会が政治である

「舟の右側」(2022年12月号)に掲載されたフェリス女学院大学教員の徳田信氏の「現代神学に学ぶ教会形成」という記事の中で「教会が政治である」という主張をしておられ、大変、興味深く思ったので、少し引用しよう。

 

「ヨーダーによると、新しい共同体としての教会が存在するに至ったこと自体が、宣言されるべき福音の使信です。・・・・・なぜなら福音それ自体に社会的使信が明確に含まれているからです。教会という新しい社会的現実こそ歴史を動かし、新しい文化を広く生じさせるのであって、その逆ではありません。もし民族や文化間を含め、人々の和解が生じないのなら、福音の真理をそこに認めることはできないのです。すでに存在する新しい社会的現実に参与すること、それが洗礼という政治的行為の中心的意味です。」

 

ある家庭集会に証に行った時、一人のノンクリスチャンの方が「こんな世界があるんですねえ〜」と感動しておられた。そう「こんな世界」。この世とは違う世界。いじめも中傷も、差別も見下されることもない世界。営業成績や、生産性で判断されるのではなく、お互いの「存在」を喜び合う世界。エクレシアにはそれがある。そういうコミュニティが、この社会に現実に存在する自体が「政治=社会変革」であると言っている訳だ。政治運動に参加しなくても、エクレシアへの参与で、すでに来るべき理想の社会をデモンストレートしているのだ。

アメリカ人、日本人、韓国人、中国人、ロシア人、ウクライナ人が1つとなってキリストを礼拝している姿は、もう「政治」であり、「革命」なのではないだろうか。

 

異教徒の中で生活する

同時に、もう一度思い出してみよう。ダニエルは役人として通常はバビロンに仕えていた。バビロンの社会システムの中で「神の民」は生活していたのだ。愛を持って人々に、そして社会に仕えることは大きな「証」だ。神の御心はユダヤ人(神の民)が、異教の国(バビロン)で「祝福」となることだった。

 

イエスは「宮清め」はしたが、社会的革命や社会変革をしなかった。弟子たちにヘロデやピラトの暗殺なども指示しなかった。パウロも再臨を待望しつつも落ち着いた生活をするように勧めている。

 

そのような人たちに、主イエス・キリストによって命じ、勧めます。落ち着いて仕事をし、自分で得たパンを食べなさい。兄弟たち、あなたがたは、たゆまず良い働きをしなさい。  (IIテサロニケ3:12−13

 

イエスご自身も今の時代、苦難の中で勇気を持つよう勧めておられる。

 

「世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに 

 世に勝ちました。」    (ヨハネ16:33)

 

邪悪な世界であることを認識しつつ、(Iテモテ3:1)今は、その中で生きることが勧められている。

 

それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代のただ中にあって傷のない神の子どもとなり、いのちのことばをしっかり握り、彼らの間で世の光として輝くためです。  

                 (ピリピ2:15−16)

 

捕囚の民が70年の終わる頃、不思議な神の介入でパレスチナの地に帰還したように、現代のバビロンに捕囚状態にされている我々も、いつまでここにいるのではない。万物の改まる時が来る。回復の時が来る。究極の「グレートリセット=世直し」はキリストが再臨時に行う。

 

そうして、主の御前から回復の時が来て、あなたがたのためにあらかじめキリストとして定められていたイエスを、主は遣わしてくださいます。このイエスは、神が昔からその聖なる預言者たちの口を通して語られた、万物が改まる時まで、天にとどまっていなければなりません。

          (使徒3:20−21)

 

万物が改まる、その日まで、私達はひたすら「神を愛し」、「人を愛し」、「キリストの弟子」を作り、天に召されるまで淡々と地上で「生活」し、この地の「祝福」となる。

 

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執筆者:栗原一芳

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2022年12月8日木曜日

捕囚としての生き方(2)〜善と悪、混在の時代


 

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私達、神の民は、ある意味「現代のバビロン」での捕囚生活を強いられている。

イエス・キリストを救い主として崇めない文化の中で暮らしている。それどころか「この世の神」であるサタンが空中を支配している中に生きている。クリスチャンの価値観とは相対する世俗の価値観の中で生活している。その葛藤の中で、どう生きればいいのだろうか。希望はあるのだろうか。

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善と悪の混在の時代

時代認識をすることが重要だ。今はどんな時代なのか?今が「千年王国」と主張する人もいるが、今の時代、サタンは、まだ底知れぬ穴に縛られ活動を制限されている訳ではない。世界の状況を見ると、サタンは大活躍している。悪は、はびこっている。悲惨な事が毎日起こっている。これが現実だ。それでは善はないのか?神はいないのか?それも結論を出すには早すぎる。

 

今は「混在」の時代なのだ。サタンも悪も、神と神の国と共に共存している。この世は「サタンの王国」のグローバリズムと「神の国」のグローバリズムが勢力争いをしている空間なのだ。キリスト教界にも「麦」と「毒麦」が共存している。だから、統一教会など異端が存在するのはある意味、想定内なのだ。キリスト教界に「背教」が起こるのも預言されている以上、想定内なのだ。大変、悲しい事ではあるが、驚きすぎてもいけない。背教は起こるのだ。また、患難時代に向けて、闇の帝国は広がるのだ。キリストの地上再臨に向けて、闇の力はマックスになる。もう一度、まとめてみると・・

 

  私たち神の民は「しばらくの間」この世にいる。

  この世は「善と悪」「麦と毒麦」の混在状態。

 

その中で、聖書は希望のメッセージを語っている。すべて精算される時が来る。新しい時代がやってくる。悪は滅ぼされ、メシアが世界を義と愛で支配する時代が来るということだ。

 

分かってはいるけれど・・・

聖書的には終末に向けて闇の世界(反キリスト的価値観)は広がっていく。先日のG20に「グレートリセット」を主張する世界経済フォーラムの創立者シュワッブ氏が出席していた。世界のリーダーは世界経済フォーラムの提唱する流れに向かっていくのだろう。もはや、右とか左、保守とか革新ではなく、グローバリズムと反グローバリズムの戦いと表現する人もいる。反キリスト思想のグローバリストの支配が近づいている?統一政府に向かっての動きが始まっている?大方そういう事だろう。やがて近いうちに世界的なデジタル管理社会がやって来ることは避けられないのだろう。

 

分かってはいるが・・かといって、それに反対してどうなるのだろうか?インターネットが発明され普及したことも、言うなれば、デジタル管理社会の足がかりだった訳だ。しかし、世界統一政府に反対する人たちもインターネットを使ってyoutube, FB, ツイッターで発信している。キャッシュレス社会のツールとしてのスマホも使っている。インターネットによりコロナ渦でもzoomでクリスチャンが集うことができている。インターネットやSNSで福音が、今まで届けなかった人々にも届いている。テクノロジー自体はニュートラルでキリストのためにも、反キリストのためにも使えるのだ。間違いなく、コンビニやスーパーはキャッシュレスになる。マイナンバーカードに反対する人は、その前段階であるスイカやパスモは使わないのだろうか?おそらく使っているだろう。自分はマイナンバーカードが免許証や保健所と紐づけられれば、便利なので使うだろう。個人情報の流出?すでにFacebook, Amazonで吸い取られている。それを知りつつ、自分は使っている。

 

一体、どこまで、何を反対すればいいのだろうか?

 

産業革命以降、都市化、世俗化が急激に進んだ。その分、信仰者には、チャレンジも多い。しかし、その現代のバビロンの中で、クリスチャンたちは信仰を保ちつつ、都市化の利便を受けながら生き抜いてきた。福音も広めてきた。

 

反対に関しては是々非々があるだろう。しかし、時代の認識は必要だ。(マタイ24:32−33)

 

クリスチャンとしての「踏み絵」

クリスチャンにとっての踏み絵は「獣=反キリストを拝め!」と命じられた時だろう。その時は、断固として拒否するべきだろう。シャデラク、メシャク、アベデネゴのように。また、「創造主に祈るな!」と命じられたら、ダニエルのように拒否するべきだろう。ただし、それは自分の意思力ではできない。その時に与えられる恵み(不思議な力)によることになる。(IIテモテ1:7、2:1)そして主は、その力をきっと与えてくださる。だから心配しなくてもいい。3度もイエスを拒んだ臆病者のペテロは、宣教を禁止された時には、「人に従うより神に従うべきです!」(使徒5:29)と大胆に告白した。私たちも「踏み絵」的な状況にあっては、神の恵みによって、そうすべきなのだ。

 

そして、常に王なるイエスを思い、繋がり、(IIテモテ2:8)イエスへの信仰を告白し、希望について弁明できる用意をしておくことだ。(Iペテロ3:15)

 

(つづく)

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