2023年2月9日木曜日

持続可能な世界は実現するのか?


持続可能な世界を目指して・・・

今や、SDGsが大流行り。建築現場でも大々的に掲げられている。誰のため?と言いたくなってしまうが・・・。





SDGsには、17の国際目標が掲げられている。



どれも一般人には魅力的に響くフレーズになっている。あたかも地上楽園が到来するかのようだ。食品ロスの削減など、この中には取り組むべき課題も多々あるだろう。問題は土台となっている「哲学」やトータルパッケージとしての「プラン」や「世界秩序」なのだ。ヒューマニズム(人間が自分たちの知恵のみで問題解決するという哲学)に立っているので仕方のないことではあるが、ここには創造主が与えた地球であることは記されていない。地球を大切にすることは大事だが、その
Creator(創造主)を大切にすることがより重要なのではないだろうか。

 

エデンの園でアダム(人の代表)は、神を信頼するより、「知恵の実」を選んだ。

つまり、神なしに自分の知恵で全てを判断する道だ。特に近代に入り、「神は死んだ!」の宣言と共に、人間の知恵による世界の管理が進んでいる。

 

「知恵の実」を食べた反キリスト的なグローバルエリート達の考えている事は、こんな感じだろう。

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地球はこのままでは限界を迎える。我々は知恵を集結し、持続可能な世界を創り出さなければならない。今の資本主義経済は限界に来ている。この際、世界の秩序を根本的に変えよう。我々はこれを「グレートリセット」と呼ぶ。要は世界的に一括管理しなければ、持続可能な世界はもはや有り得ない。

 

我々の目指すユートピアでは、すべての人がモノを所有しない。所有という思想から解放されるのだ。

 

もはや、競争してモノを自分のためだけに溜め込む必要がない。そういう今までの資本主義経済を壊して、「所有」から「シェア」の文化を構築する。使いたい時に皆がシャアできる。

 

住居は世界政府が提供する。ベーシックインカムとして最低限の生活費は世界政府が提供する。教育費は無料。ただし、教育内容(世界観、歴史観)は世界政府が決める。地球の持続化可能のためのアジェンダはグローバルエリートが決め、それには従ってもらう。SDGsを掲げない企業は投資先から外される。世界政府と結託する国際資本のバックアップのないマスコミは淘汰される。メディアは非常に重要なので、思想統制のために効果的に活用する。AIと量子コンピューターの発達により、人々の思想をコントロールし、世界を「1つの方向」へ導くことがより効果的にできるようになる。

 

全世界の人にデジタルIDを付与し、経済的管理から健康管理まで、一括プログラムする。今日、人へのIDチップ埋め込みが一部、始まっているが、今後は義務化する。全世界の国民にIDが付与されることで、漏れなくパンデミックの予防注射などの健康ケアを提供できる。

 

伝統的価値観を脱構築(中心から意図的にずらす)する。伝統的な家族観や性理解を壊し、多様性社会を目指す。ジェンダーフリーの推進。また結婚という制度にとらわれない新しい人間関係を創出する。社会の最小単位である家庭を崩し、国家力を弱体化し、世界政府の力を強める。

 

今は理解を得るために「一人も取り残されない世界を」をモットーにSDGsのイデオロギーを広めている。しかし、将来的には制御が必要になる。適者生存は進化論の基礎的な哲学なのだ。「優生主義」を掲げ、優秀な子供を選択し、世界政府が教育する。人口の制御のため、制限年齢を超えた高齢者には安楽死してもらう。いやむしろ、脳にある記憶をコピーして保存すれば、ある意味、永遠に「生きている」と言うべきかも知れない。そもそも人間のアンドロイド化が進むので、どこから人間で、どこからロボットなのか、区別がつかなくなる。

 

プライバシーは無いが、皆、それなりに裕福になる。便利さと管理は裏腹で、これは仕方のないことだ。

 

人々は、戦争にはうんざりしている。いっそ、世界の武器を世界政府に預け、一括管理してもらうのがいい。また、今後の自然災害による食料不足に備えて、「世界食料バンク」を創設し、世界政府が管理し、分配する。

 

宗教が分断を生んでいるので、宗教間対話を促進し、最終的には世界統一宗教とする。それも世界政府の制御下の下に置く。

 

このステージに移行している頃には、AI(人工知能)が人間の脳を超えているので、AIと量子コンピューターによるシュミレーションにより、人間の知恵に勝る問題解決と世界の管理が可能になるであろう。

 

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多様性という画一性

上記のプランには「思想、信仰の自由」は無い!上記を実現するためには聖書的価値観を否定しなければならなくなる。「多様性」と言いながら、聖書が語る創造論や性理解などだけは否定され、偏見視され、排除される。すでに地球温暖化対策やLGBTに反対の声もあげにくい雰囲気になってきている。SDGsを掲げなければビジネスができなくなるだろう。本当の多様性は反対意見があることも認めるものではないのだろうか?「SDGs」や「多様性」という一色に塗りつぶされようとしている。「1つの方向」に誘導されていると言わざるを得ない。実は、アメリカのLGBT推進は、ブラック・マター運動、果ては死刑廃止、麻薬の容認、服役者の解放などと連携しており、変な人権主義である「ポリティカル・コレクトネス」の流れの中にある。つまり、1つのパッケージなのだ。これらを進めることで社会は荒廃し、国家は弱体化する。それこそ世界政府の目指すところだろう。

 

「オーケストラで一人、違った音を出すと困ったことになる、だから、全世界が一致して取り組まねばならない」といったSDGsのラジオCMを聞いて違和感を覚えた。「皆、違った花でいい」と一方で言いながら、聖書的に「NO」と言うと否定されるのだ。そのうち「聖書を信じるクリスチャンです。」と言うと憎しみの目を持って見られるようになるだろう。そして世俗の流れに賛同するリベラル教会から迫害を受けるようになるだろう。

 

人間の知恵が行き着くところはせいぜい、こんなもんだろう。これが「アダム族」の目指す楽園。「命の木」を退け、「知恵の実」を選んだ「アダム族」は、意図せずも、サタンの思惑通りに動かされていく。

 

本当に持続可能な世界

問題は、この「新秩序」の管理側のトップに立つのは誰なのかだ?

 

最終的なトップは「栄光の王なるキリスト」なのか、サタンに立てられた「反キリスト」独裁者なのかという事になる。人間の建てたユートピア「バベルの塔」(ちなみにヘブル語で「バベル=混乱」はギリシア語では「バビロン」、反キリストの世界センターが設置されるところ。)は、やがて裁かれ、壊される。持続可能ではないのだ。

 

最大の問いは「誰が真の王なのか?」だ。サタンは偽りの王。サタンに立てられた「反キリスト」なる人物は、アダム族の末裔であり、命には至らない。いや、むしろ滅亡が決定している。また、人には「神を無視し、神に聞き従わない」という「罪=SIN」がある。この問題を解決しないと、たとえ宗教を無くし、地獄、天国の思想を無くしたからといって、ジョン・レノンの「イマジン」の世界は実現しない。

 

キリストはこの被造物世界の創造主。このお方を無視し、否定しておいて「持続可能な世界」はあり得ない。確実なのは、キリストが王として君臨するメシア王国(千年王国)が始まる事。永遠に持続可能なのは「キリストの王国=御国」なのだ。

 

患難期中、めぐみ深い神は、御使を送り、全世界を巡らせて「永遠の福音」を伝えさせる。その内容は「創造者を拝せよ!」なのだ。(黙示録14:6−7)それは同時に、創造者を拝さない人々への裁きが来るとのメッセージでもある。

 

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執筆者:栗原一芳

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2023年2月2日木曜日

クリスチャンとしての防衛論


紛争解決の手段として「戦争」をすることは日本の憲法9条を待つまでもなく、国際的に否定されている。武力による現状変更(侵略)は国際的に非難される。

しかし、実際は、武力による現状変更を試みる国もある。侵略を受けた国は黙って見ているのか?当然、国内に入ってきた武装勢力を戦って排除しようとうるだろう。つまり、「防衛」だ。多くの人は、クリスチャンに限らず侵略にはNOと言うだろう。それでは防衛という戦いは正当化されうるのか?クリスチャンは非暴力に徹するべき?国家的に侵略を受けた時、無抵抗でいいのか?

 

頭を悩ます問題です。なかなか正解は出ないかも知れませんが、今回の記事が少し頭を整理する助けとなればと思います。まずそもそも論・・・

 

神の殺人〜主は与え、主は取られる。

殺人は絶対「悪」か?そうであるなら、神はその「悪」を行うことはできないはずだ。しかし、創造主であり、命の与え主なる神には、それを与え、それを取られる権威がある。神は世界的大洪水を起こし、地を裁き、それによりノアの家族8名を除いて全人類を滅ぼしてしまった。神はソドムに硫黄の火を下しソドムの街全体を滅ぼしてしまった。出エジプトするイスラエルを追ってきたエジプト軍を海に沈めて水死させてしてしまった。コラの事件では神罰で14700人が死んでいる。(民数記16:49)ダビデが人口調査をした罪のゆえに、イスラエルに疫病が下り、民の7万人が死んでいる。(IIサムエル24:15)偶像に走る自らの民を女子供含め、あわれみをかけずに殺害せよとの命令を下す。(エゼキエル9:4−6)そして終末の「白い御座の裁き」では、歴史に現れたすべての不信者を裁き、「燃える火の池」に投げ込んでしまう。これらは今の標準からいえば、人権無視も甚だしいが、命を創造した神には、それを奪う権威がある。そして、全能なる神の判断は絶対的に正しいと考えられる。

 

神の民の殺人

被造物である人間の場合は違う。基本、人が人の命を奪うことは許されない。「殺してはならない」(出エジプト20:13)が主の命令だ。命は神によって与えられているものだからだ。しかし、カナン侵攻の際、イスラエル人はカナンに住む女、子供も含め異教の民を、神の命令に従い「聖絶」している。「神の民」が殺人を犯している。(民数記21:34−35、申命記2:33−34)ただ、それはイスラエル人の恣意的決断ではなく、絶対的に義である神の命令従ったまでのことだ。それが罪であるかどうなの最終判断は神がなさることを考えると、神の命令は絶対正しいと解釈せざるを得ない。もし、殺人が絶対的悪ならば、いかなる状況でも、「全き義」である神ご自身は、殺人を犯せないし、神の民イスラエルに殺人を命じることも出来ないはずだ。

 

さて、次にハマンの悪巧みによって、ユダヤ民族が抹殺されようとした時の記事を見てみよう。

 

「神の民」の自衛の戦い

エステル記を読むと、ユダヤ民族を滅ぼそうとした勢力、7万5千人を殺している。(エステル9:16)これは明確に自らの民の「防衛」のためだ。救いの歴史の視点から言っても、人類の救い主、メシアを生む民が根絶されてはならなかったのだ。国家の責任は国民の生命と財産を守ること。守るためには戦うことが必要な時もあるのでは?

 

次に「個人的復讐」と「国家の防衛」の違いについて見てみよう。

 

ダビデのサウル王への態度

サウル王はダビデへの妬みから、腹心の部下であるダビデを殺そうとした。ダビデは、個人的復讐はせずに、ご判断を主に仰ぎ、復讐を主にお任せしている。

(詩篇17:13)エステル記の「国民的サバイバル」のケースと「個人的な復讐」は区別しないといけない。ちなみに「歯には歯を」は、元来、復讐のガイドではなく、加害者が負う責任(償い)の話である。カインの兄弟殺人から始まり、個人的な復讐(あるいは妬み)により血を流すことは許されるべきではない。

 

キリストの教え

「右の頬を打たれたら・・・」有名なこの箇所も個人的な復讐に関するケースで防衛には適用できない。また、「剣を持つものは剣によって滅ぶ」(マタイ26:50−52)も、のちに使徒(伝道者)となるペテロに言った言葉であり、防衛のコンテキストではない。伝道を武力(強制的改宗)によって行なってはならないという戒めだ。

 

イエスは「あなたの敵を愛しなさい、迫害する者のために祈りなさい」(マタイ5:44)と言われた。「迫害」というコンテキストで、個人的な「信仰」に関わる問題だ。これもクリスチャンの個人的な生活の中での教えで「国防」に適用すべきではないだろう。

 

次に「国家」に与えられた「剣」の話を見てみよう。

 

剣を帯びる国家権力 (ローマ13:1)

人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられているからです。(ローマ13:1)  

 

国家レベルの話に戻ろう。国家には「権力」が与えられている。神が認めて、お与えになっている。「権力」が「力」として行使される背景に、実行力のある「力」がある。その具体的な現れが「剣」(武力)だ。

 

彼はあなたに益を与えるための、神のしもべなのです。しかし、もしあなたが悪を行うなら、恐れなければなりません。彼は無意味に剣を帯びてはいないからです。彼は神のしもべであって、悪を行う人には怒りをもって報います。            

                  (ローマ13:4)

 

つまり、「権力」を行使するために「剣」が与えられているというのだ。悪いものを罰するためには「剣」により言うことを聞かせる。国家秩序維持のために武力の行使を認めている。どの国でも警察はピストルを携帯している。最終手段として悪いものを従わせるためである。以上の聖句にも「悪を行う人には怒りを持って報いる」とある。この場合は「個人」の復讐の話ではなく、「公」の機関が悪に立ち向かうケースである。自国に侵略してくる悪い国の軍隊を自国から追い出すために、言うことを聞かせるために「武力」の行使が必要になるのではない? 

 

また、防衛力=攻撃ではなく、防衛力は「交渉力」という考えもある。武力の行使の前に、外交が重要であることは言うまでもない。しかし、裏打ちのない、言葉には説得力がない。「正義」のない「力」は「暴力」にしか過ぎないが、「力」のない「正義」では悪をねじ伏せる事は出来ない。結果、悪をのさばらすことになる。

 

聖書が語る世界のリアリティ

今は混在の時代。悪と善、麦と毒麦、神もリアルだが、サタンもリアル。特に極端な理想論に陥らないために、以下の2つのことの認識が必要だ。

 

1.      サタンは現実。サタンにより獣化する国が出現することが可能。つまり、

国際秩序を無視して、侵攻する国は現実にあるということだ。

2.      人は罪人。地位・名誉・財産・権力に誘惑される。自己中心になる。

間違った判断をする国家的リーダーの出現は可能なのだ。

 

国連本部にも引用されている有名なイザヤ書の箇所。

 

主は国々の間をさばき、多くの民族に判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す。国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない。

                          (イザヤ2:4)

 

後半は引用されるが、実は前半が見落とされる。「主は国々の間をさばき、多くの民族に判決を下す。」つまり再臨の主が王として来られ、国々を裁き、判決を下した後に、世界的平和(千年王国)が来るのだ。逆に言えば、再臨までは真の世界平和は来ないのだ。条約は破られ、侵略は繰り返される。剣が必要なくなるのは再臨後なのだ。国防の問題はクリスチャンによっても見解が異なるだろう。しかし、以下を思いに留めておくのが良いと思う。

 

●  死にまで従順な「受難のメシア」と、裁きを行う再臨の「王なるメシア」。このメシアの二面性の理解が必要。王とは、裁き主、統治者である。

● 悪のいいなりでいいのではない。再臨時に、主は決着をつける。

● 今は、サタンが活躍する時代。闇の力はリアル。個人的には殉教への備え、

  国民的には国防が必要と思われる。信仰の自由を維持するための戦いはある。

 

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参考資料

「バイブルと安全保障シリーズ」(1)〜(3)高原剛一郎

 https://www.youtube.com/watch?v=x_XFLTXXGr4

 

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執筆者:栗原一芳

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2023年1月26日木曜日

私は、キリスト教徒ではありません!


私は、キリスト教徒ではありません!

「私はキリスト教徒ではありません。」と言ったら驚かれますか?イスラム教や仏教など世界諸宗教の中の1つとして「キリスト教」という宗教をやっていると言うなら、そうではないのです。先日、明治神宮前で初詣の人対象の路傍伝道をやっていた時、ある人が近寄ってきて「聖書もいいけど、一応、ここは神社なんだから・・・日本人なんだから・・・」と文句を言ってきました。そう言う背景には「日本には神道がある。わざわざ外国の宗教であるキリスト教を神社前でやることはないだろう。」という事なのでしょう。しかし、聖書は「はじめに神が天と地を創造した。」から始まっているのであり、また、「神の似姿に人を創造した。」とあり、特定の宗教の話ではありません。自分はキリスト教という、ある特定の文化が作り出した「宗教」をやっているという自覚は全くありません。

 

そういう意味では「聖書はキリスト教の経典」ではないし、「私は、キリスト教徒」ではないのです。クリスチャンという名でさえ、第1世紀に反対者たちが信者につけた「あだ名」であり、神がそのように呼びなさいと言ったわけでもありません。当時はただ「この道」と呼ばれていました。

 

実は人類には「アダム系の旧人類」と「キリスト系の新人類」の2つしかありません。私はキリスト系の新人類に属している者です。

 

キリスト教は西洋の宗教?

よく、「自分は日本人だからか、仏教徒です。」という人がいます。しかし、仏教はインド産であり、輸入された宗教です。しかも、だいぶオリジナルから歪められた形で日本にたどり着きました。「キリスト教は西洋のもの」も変わってきています。1970年頃を境に西洋にいるクリスチャンより西洋以外のクリスチャンの人口の方が多くなっているのです。統計的にもう「キリスト教は西洋の宗教」ではないのです。伸びているのはラテンアメリカやアジアです。

 

今だ「キリスト教は西洋のもの、日本人には合わない」という議論があるのは残念な話です。お隣の韓国ではキリスト教人口はある時期、25%くらいになりました。かつては北朝鮮のピョンヤンは、東洋のエルサレムと言われるほど、リバイバルが起こり、キリスト教が盛んだったのです。西洋のものだからアジアには合わないのでしょうか?聖書の舞台は中東であり、イエス・キリストはパレスチナ人だったので、「キリスト教は中東の宗教」という方が、まだ当たっています。正しくは、キリストが全人類の「真理であり、道であり、命」なのです。

 

日本に来た仏教が変質してしまっていたように、東方正教会(ギリシア正教、ロシア正教)やローマカトリックとして西洋に広まった宗教としての「キリスト教」はすでに変質してしまっていたのです。そのターニングポイントは313年のローマ皇帝コンスタンティンによるキリスト教公認と392年に国教化された時です。国教となれば、信仰があってもなくても、家代々「キリスト教」となります。これが「宗教、キリスト教」の始まりです。信仰は形骸化し、教会は組織化され、権力化されていきます。流石にこれじゃ、ダメだということで、ルターやカルビンによる「宗教改革」が起こり、プロテスタントが生まれます。しかし、十分な改革ができたとは言えません。カトリック的な構造や形式を引き継いでいる部分も多々あります。

 

西洋コンプレックス

19世紀、20世紀は世界宣教の時代。多くの宣教師が西洋から非西洋へ派遣され、宣教活動に勤しみました。それは良かったのですが、その過程で「西洋的キリスト教」が押し付けられていたった経過もあります。一昔前は、教会学校のイエス様のイラストが青い目の金髪だったりしたこともあり、誤解を与えてしまったことも事実でしょう。そして、キリスト教の本場はやはり、西洋であり、欧米から来た背の高い牧師や宣教師が特別講師として立った方が大会での人集めができるという悲しい事実は今でもあります。日本人が講師だとレベルが落ちるような印象があります。また海外で盛んなミニストリーを日本に輸入して流行らせようとする動きも変わらずあります。海外で作られたテキストやトレーニングマニュアルを翻訳して、訓練して、やらせようとするのです。

しかし、そういう「運動」はやがて衰退します。日本人が苦労して、この地で開発したものの方が長期的には、効果的なのではないでしょうか。

 

新しい層の出現

今まではピラミッド型の組織形態があり、上が変わらない限り変化を起こすことは難しかったのです。しかし、今日SNSの発達により、同じプラットフォームに立ち、誰でもが発信できるようになったのです。学生がyoutubeでメッセージをし、教会の牧師より多くの人をキリストに導くことだって可能なのです。

 

最近、既存の教会に行かないでダイレクトにイエス・キリストと結びつき、

クリスチャンとなり、SNSでゆるくつながっている人たちが現れています。いわゆる「野良クリスチャン」たちです。この人達は自分を「キリスト教徒」だとは考えていないでしょう。ただの「キリストの弟子」たちです。「フラットアース」や「陰謀論」を入り口に聖書に出会い、救われた人たちが周りにいます。Qアノン系の陰謀論者は、この世界は何かおかしい、この世の背後に巨悪が存在すると信じています。福音派クリスチャンと似た世界観があるので、伝道しやすいのではないでしょうか。イエス様も当時の社会のはみ出しもの(収税人や売春婦)をお招きするのが大好きでしたね。

 

イエス・キリストは当時の権力層からは排除されました。権力層の既得権益を損ねる存在だったので、邪魔者扱いされたのです。宮清めをすることで、宮ビジネスで儲けていた大祭司ファミリーの反感を買ったのです。宗教指導者たちはイエスを疎ましく思っていました。しかし、一般群衆はイエスの御業を素直に喜びました。(ルカ13:10−17)宗教指導者より、信徒の方が真理をより良く見抜いている場合もあるのです。イエスに続く使徒たちも上からは睨まれる存在でした。組織力も、財も無く、また資格も無い、「無学で普通の人」でしたが、(使徒4:13)聖霊によるムーブメントに乗っかり、あれよ、あれよと言う間に世界に広がったのです。(使徒9:31)

 

キリスト教という「宗教」は廃れるかも知れません。形を維持しようとするだけなら限界が来るでしょう。しかし、聖霊は今も働いておられます。私たちの想像を超えた形で、「新しい層=キリスト系新人類」を出現させることはできるのです。思ってもみなかった形で神の「エクレシア」が広がっていくのでしょう。そう考えると悲観より、期待しかありません。

 

「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、人の心に思い浮かんだことがないものを、神は、神を愛する者たちに備えてくださった」

                 (Iコリント2:9)

 

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執筆者:栗原一芳

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2023年1月19日木曜日

成功の怖さ


多くの人は成功したいと願っているでしょう。成功を目指して歩んでいるでしょう。成功することは悪いことではありません。ここでは、「成功」を「地位、名誉、財産を得て、安定した生活をすること」と定義してみましょう。このような成功による「安心」は、ルカ12:15の「金持ちの話」に象徴されていますね。聖書を見ると、そのような成功をした後に、堕落してしまう人の例が多く書かれています。全てがうまくいってしまうと、高慢になり神を忘れてしまうからです。自分の力、富の力に頼り始めると危ないのです。

 

強くなり律法を捨てる王

 

レハブアムの王位が確立し、彼が強くなると、彼は主の律法を捨て、彼とともにいた全イスラエルもそうした。   II歴代誌12:1

 

特にリーダーが堕落すると、影響は下のものに及びます。国のリーダーの場合は深刻ですね。

 

彼らがへりくだったので、わたしは彼らを滅ぼさない。間もなく彼らに救いを与える。わたしの憤りがシシャクの手を通してエルサレムに注がれることはない。 (II歴代誌12:7)

 

しかし、同時に、へりくだる時、神の憤りは取り去られ、救いが来ます。

 

第二歴代26:16を見ると明らかなように、サイクルがあります。 

 

        高ぶる → 不信仰 → 身を滅ぼす

 

サウル、ダビデ、ソロモンの場合

連戦連勝で国が大きくなったダビデ王は気が緩んだ時にバテシェバとの姦淫を犯してしまいます。しかし、彼の場合は預言者ナタンに指摘され、罪を認め、方向転換したので罪が赦され、滅びを免れました。

 

あなたのしもべを傲慢から守ってください。それらが私を支配しないようにしてください。そのとき私は大きな背きから解き放たれて、全き者となるでしょう。  (詩篇19:13)

 

これはサウル王とは対照的です。メタノエア(方向転換)しないサウルはダビデへの嫉妬に狂い、堕落していきます。最後は神に見放され、女霊媒師のところにお伺いをたてに行くほど、落ちぶれてしまいます。ちなみにサタンは高ぶったまま、神の敵対し、決してメタノエアしない存在です。ですから御使に戻れず、すっとサタンなのです。

 

ソロモン王も神殿の奉献式の時は立派な祈りをし、神殿には神の臨在が満ち溢れていました。しかし、後年、異邦人の妻をたくさん娶り、偶像礼拝に陥っていきます。その結果はあまりにも悲惨で、南北に分断された王朝は、基本的に偶像まみれになっていき、最後、イスラエルの民は、捕囚として外国へ連行されていきます。

 

反キリストのモデル、ネブカドネツアル王

バビロンのネブカドネツアル王は自分の巨像を作り、全国民に拝ませるという高慢な王でした。当時のバビロンは金に象徴される輝かしい国家で川の上に建設された難攻不落の都市だったのです。しかし、その高ぶりのゆえに「獣」の心が与えられ、人間界から追い出され、雨露に濡れ、野に住む獣となってしまいます。ちなみに、終末に現れる反キリストは「獣」と言われています。人の心のない、「獣」なのです。ネブカドネツアル王はついに人の心を取り戻し、へりくだり神を認めます。諸国を司るのは神であることを知るのです。(ダニエル4章)彼は神の前にへりくだったので人間に戻れましたが、終末時の反キリストは最後まで、へりくだらないので、再臨のキリストに火の池に投げ込まれてしまいます。悲惨な結果です。ちなみに栄華を誇ったバビロニア帝国は一夜にしてメド・ペルシャに滅ぼされてしまいます。(ダニエル5:30−31)人の栄華はそんなものです。

 

今も働いているサタン

「訴えるもの」であるサタンは、今も人々の心に働き、金、権力で人々を神から離れさせようとしています。「金銭を愛する事があらゆる悪の根」(Iテモテ6:10)とまで言われています。現に、サタンは「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、この世の全ての王国と栄華をあなたにあげよう」(マタイ4:8−9)と言ってイエスをさえ誘惑したのです。栄華(金、権力)はサタンに任されているからです。この世のグローバルエリート達、世界的大富豪達がサタンに心を動かされることは可能なのです。巨万の富で経済界やマスコミ界を支配する事が可能なのです。その誘惑は大きいのです。神を礼拝しない人は結局、サタンを礼拝しているのです。サタン的価値を上に置いているのです。その人たちの結末はサタンと同じ結末となります。世界的に有名なクリスチャンミュージシャンや俳優、大会講師なども、ちやほやされる存在なので、注意が必要です。

 

神を信じる者の心構え

アブラハムにとって富とは神から来る祝福でした。ですから人の富に頼らなかったのです。(創世記14:221−24)人は神と富とに兼ね仕えることはできないのです。また、信仰者はこの世の権力や力に頼らずに、主に頼るのです。

 

「王は軍勢の大きさでは救われない。勇者は力の大きさでは救い出されない。軍馬も勝利の頼みにはならず、軍勢の大きさも救いにはならない。見よ、主の目は主を恐れる者に注がれる。主の恵みを待ち望む者に。」

                         (詩篇33:17−18)

 

パウロの見解はこうです。

 

私たちは、何もこの世に持って来なかったし、また、何かを持って出ることもできません。 衣食があれば、それで満足すべきです。金持ちになりたがる人たちは、誘惑と罠と、また人を滅びと破滅に沈める、愚かで有害な多くの欲望に陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは金銭を追い求めたために、信仰から迷い出て、多くの苦痛で自分を刺し貫きました。しかし、神の人よ。あなたはこれらのことを避け、義と敬虔と信仰、愛と忍耐と柔和を追い求めなさい。  (Iテモテ6:7−11)

 

今の世で富んでいる人たちに命じなさい。高慢にならず、頼りにならない富にではなく、むしろ、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置き、 (Iテモテ6:17)

 

ここでパウロは「頼りにならない富」とまで言っています。神はケチな方ではありません。豊かに与えてくださる方です。私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くことです。ペテロはこう言います。

 

それは、あなたがたが地上での残された時を、もはや人間の欲望にではなく、神のみこころに生きるようになるためです。あなたがたは異邦人たちがしたいと思っていることを行い、好色、欲望、泥酔、遊興、宴会騒ぎ、律法に反する偶像礼拝などにふけりましたが、それは過ぎ去った時で十分です。  

                      (Iペテロ4:2−3)

 

イエスの見解はこうです。

これらのものはすべて、異邦人が切に求めているものです。あなたがたにこれらのものすべてが必要であることは、あなたがたの天の父が知っておられます。

まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。 (マタイ6:32−33)

 

幸いな人=真の成功者とは、常に神の前にへりくだり、神を礼拝している者なのです。神の御前に平安を持って立てることほど、幸せなことは無いのです。預言者ミカはこう言いました。

 

主はあなたに告げられた。人よ、何が良いことなのか、主があなたに何を求めておられるのかを。それは、ただ公正を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか。  (ミカ6:8)

 

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執筆者:栗原一芳

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2023年1月12日木曜日

終末のしるし


どんな手段によっても、だれにもだまされてはいけません。まず背教が起こり、不法の者、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ないのです。

                         (IIテサロニケ2:3)

まず背教が起こり

「主の日」は旧約では常に神の裁きの時を表す。新約では、「患難時代」を表す。そして、患難時代の前には以下の2つの事が必ず起こる。

 

●  背教が起こる

●  不法の者(反キリスト)が現れる。

 

以前、紹介した2022年9月19日のクリスチャニティ・ツデイの記事。タイトルはTop 5 Heresies Among American Evangelicals(アメリカ福音派の間に広がる5つの異端的教え)それによると

 

● 聖書は文字通り真実というわけではない。(福音派の信者の26%が同意)

● 神はキリスト教以外の信仰を受け入れる。(福音派の信者の56%が同意)

● イエスは被造物。イエスは神ではない。(福音派の信者の73%が同意)

● 聖霊は人格的存在ではない。(福音派の信者の60%が同意)

 

この数字はリベラル派ではなく、福音派の数字なのだ。これが真実なら、既に「背教」が起こっていると結論づけていいだろう。福音派以外はいうまでもない。カトリックはイスラムとキリスト教の融合を目指すクリスラム運動を支援。

世界統一宗教の土台作りを進めている模様。リベラル派の世界的ネットワークWWCでは、異教徒の改宗を迫ることは、その国の文化を軽蔑することと、非改宗主義を提唱している。そして宗教間の対話を推進している。

 

終わりの時代にはキリストによらない救いの教理が流行っていく。一般の人が分かり易いようにという思惑で(それ自体は悪くないが)デンマーク聖書協会では聖書の中の「罪」という言葉を「間違い」に変更した。そうすると罪の意味は薄まる。十字架の意味は薄まっていく。最終的にはキリストでなくても良くなる。「だいたい、キリストだけが『道』とは独善的すぎる!」と。また、「彼」「彼女」という性別を示す代名詞も中性的なものに変更したらしい。ポリティカル・コレクトの流れに迎合したものだ。そのようにズルズルと世に妥協してゆく。

 

というのは、人々が健全な教えに耐えられなくなり、耳に心地よい話を聞こうと、自分の好みにしたがって自分たちのために教師を寄せ集め、真理から耳を背け、作り話にそれて行くような時代になるからです。

                         (IIテモテ4:3−4)

 

「神の裁き」という健全な教えに「耐えられなくなり」、耳障りの良い、「万人救済説」に傾いていくのだ。しかし、真理から耳を背ければ、それは作り話にすぎなくなる。人が死んでから神の前に立つ事実を変えることはできない。(ヘブル9:27)その時、弁護人であるイエスが共にいるだろうか?

 

という訳で・・・・

 

                  背教はすでに起こっている!

 

 

不法の秘密はすでに働いている

IIテサロニケ2:7

不法の者がその定められた時に現れるようにと、今はその者を引き止めているものがあることを、あなたがたは知っています。不法の秘密はすでに働いています。 (IIテサロニケ2:6−7)

 

もう1つの前兆が、不法の者(反キリスト)の登場。しかし、今は引き止めているものがあり舞台上には登場していない。しかし、不法の秘密は既に働いている。

 

「世界経済フォーラム」(ダボス会議)はパンデミック後の世界をグレートリセットすることを提唱している機構で、クラウス・シュワブ氏によって創設された。持続可能な世界を目指しClimate justiceや、SDGsを推進、また経済格差是正のためのベーシックインカムを提唱。ブラックロックのCEOのラリー・フィンクはすでに「世界経済フォーラム」の理事メンバーに就任。今や、世界経済フォーラム(グレートリセットのアジェンダ)、ブラックロック(グレートリセットの資金)、そしてG20(グレートリセット実行のための世界のリーダー)が連携。先日のG20にシュワブ氏が参加している。これに世界の大手メディアが繋がってきているのだ。アメリカの投資信用会社ブラックロックとバンガードで世界の大手マスコミは支配されているという。彼らは一般市民をコントロールできるようになっている。世界を1つの方向に持っていくことが可能になってきている。

 

今回のパンデミック、ワク騒動に疑問を持っている人も少なくないだろう。京都大学の教授らの統計的研究によると時短、自粛と感染者数の増減には、関係が無いことが証明されている。厚労省のHPでマスクの効果が限定的であることが明記されているにも関わらず、全国民がマスクをする。PCR陽性=感染者でないことが明らかなのに、感染者として発表する。経済的にワクを十分購入できなかったアフリカで、感染爆発と死者爆増という話を聞いたことがない。経済的余裕があり購入できた国で感染者が増えている(アメリカ、日本、韓国など・・・)これは一体どういう事か?人は「陰謀論」と呼ぶかも知れないが、なぜ医学界の人でもない、ビル・ゲイツが次期パンデミックを予測する本を出すのか訝る人がいてもおかしくない。

 



 (世界経済フォーラム(ダボス会議)の創設者、クラウス・シュワブ氏)



 前回のアメリカ大統領選挙直前に、ハンター・バイデンの犯罪が明るみに出ようとしていたその時、ツイッター社が、それらの記事を全て削除したことが今日、イーロン・マスク氏のおかげで明らかになった。メディアとはそんなもんだ。影の力によって動かされる。

 

SDGsを通して、環境イデオロギー統治は始まっている。どういうわけかSDGsにLGBTが連結。多様性を認めるとしながら、伝統的価値(聖書的価値)を破壊する動きが始まっている。カナダでは聖書が教える「性認識」は神話として、同性愛を異性愛に転向させるための療法は法律で禁止されている。この推進者は「世界経済フォーラム創始者」のシュワッブ氏の弟子のトルドー首相だ。

 

中国はコロナ管理でも明らかになったように、デジタル管理社会の実験場となっている。14億はスマホで管理されている。国連は既に、ID2020の名の下、「全ての人にIDを!」(つまり世界の人のデジタル管理)を推進している。これもグレートリセットの流れの中にある。

 

これらは人間の知恵の行き着くところで、持続可能な世界のための試みとして、それ自体「悪」という訳ではないだろう。ただ、それを踏み台に世界統治を目論む悪意ある人物が登場する可能性は大なのだ。善意で始まったものだとしても、これら全ては患難期における世界的なデジタル管理社会と反キリスト(獣)の登場のお膳立てなのだ。

 

という訳で・・・・

              不法の秘密はすでに働いている!

 

 

気候変動も状況を悪化させる

「グローバル化する感染症 地球温暖化で生態系が変化すると、病原菌はこれまでと異なる地域でも生き延びる。蚊が媒介する感染症は、今は、まだ熱帯地域に限定されているが、温暖化によって、熱帯域は10年に50キロメートル弱の勢いで拡大している。熱帯の境界とともに蚊も北に移動している。気候と感染症の関係でたしかなことは、暑い地域ほどウイルスは活発になるということだ。現状の気温上昇ペースをもとに、世界銀行は2030年には36億人がマラリアの危険にさらされると予測する。」(東洋経済2020年3月22日に掲載された「気候大変動が地球と人類に与えうる12の脅威」より。)

 

今、起こっていることは、今後起こることの「ひな型」なのだ。将来はさらに増大されたものとして現れる。

 

黙示6:8には「剣」と「ききん」と「疫病」と「地上の獣」の連鎖によって地上の4分の1の人が死ぬとある。「疫病」と「異常気象」は「飢饉」を招き、「飢饉」は「剣=戦争」を招き、「戦争」は地の荒廃と、「獣」の氾濫を招く。

 

2050年までに2憶人の気候難民が発生するという。それは飢饉を引き起こし、地球規模の飢餓は戦争を引き起こすだろう。野獣が都市を徘徊することにもなる。黙示録の預言は単なるトンデモ話では無い。ますます現実味を帯びてきているのだ。

 

背教が起こり、不法の秘密が働いているとすれば、「主の日」=患難時代は、かなり近づいていると言えよう。

 

それでは人類に希望は無いのだろうか?

 

 

キリストがもたらす「この地」のグレートリセット

最後に聖書的希望を確認しよう。黙示録はハッピーエンドで終わっている。悪は滅ぼされ、地は回復する。聖書が語るメシアは政治的メシアだ。「地の王たちの支配者」(黙示1:5)と明記されている。メシアは、最終的に「この地」を治めるのだ。リベラル神学者たちはキリストを心の領域(宗教)に閉じ込めようとするだろうが、聖書的には、キリストは全世界、全宇宙の支配者なのだ。

(ヨハネ1:1−3、コロサイ1:15−17)

 

回復された地上はイザヤ書65:16〜に預言されているが、ここでは、エゼキエルから見てみよう。エゼキエル36章以降は時系列的に「回復」のプロセスが預言されている。

 

36 土地の回復

37 民の回復

38 エゼキエル戦争

39 イスラエルの悔い改め

40〜 回復=千年王国  

    

エゼキエル47には神殿から流れ出る水についての記述がある。

 

「この水が海に注ぎ込まれると、そこの水は良くなる。」(47:8)

 

まず、新天新地では神と子羊が神殿であり、物理的な神殿はもう無い。また、海もない。(黙示21:1)したがって、エゼキエルの記述は、今の地上である事が分かる。また、「そこの水は良くなる」とは、以前、悪かった水が良くなるという事で、新天新地では、すべてが初めから「新しい」ので、「悪かった水」は存在しないはずだ。

 

エゼキエルの預言は、「この地上」の回復のことだ。つまりは「メシア王国=千年王国」。諸国の王であるキリストが直々に統治することで「この地上」が回復する。これは何という希望だろうか!十字架の死があって闇が地上を覆った後、輝かしい復活があったように、全世界に及ぶ患難時代の暗闇のクライマックスに主の地上再臨があり、光が勝利する。

 

光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。

                   (ヨハネ1:5)

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参考資料

● Top 5 Heresies Among American Evangelicals

https://www.christianitytoday.com/ct/2022/september-web-only/state-of-theology-evangelical-heresy-report-ligonier-survey.html?fbclid=IwAR0vS9Ok0PivFosKRVoK1EuYMpXr3o5e9Y7XB23krRSnd9911lD-6ZTA_Wg

 

● WCCについて

  WCC HP  https://www.oikoumene.org/

 

  「クリスチャンリーダー論」Thomas Hwang著 AMI出版 p164〜

 

● 世界経済フォーラム

  https://jp.weforum.org/

 

● グレートリセット 

  https://www.weforum.org/great-reset/

 

● How to Prevent the Next Pandemic – May 3, 2022  by Bill Gates  

● ID2020

  https://id2020.org/

 

●  統計学・ウイルス学・環境衛生学で暴くパンデミックの不都合な真実

(宮沢孝幸×高野裕久×藤井聡)

  https://www.youtube.com/watch?v=RtL3bOVI7ow

 

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意味ある人間関係と祈りによって深まり広がるキリスト中心のコミュニティ

東京メトロ・コミュニティ

Tokyo Metro Community (TMC)

執筆者:栗原一芳

Japantmc@gmail.com

 

 

2023年1月5日木曜日

始まるのか、宗教統制?(2)

 

宗教を18禁に?!

全国霊感商法対策弁護士会は、「2世問題の本質は、子供の信教の自由がカルト的団体によって侵害されている点にある。」と指摘している。親による子への信仰の強要は「虐待」であるとの認識だ。そういう流れの中で、「宗教を18禁にすべきである」という声もある。

 

作家の佐藤優氏からの引用。

「旧ソ連では、このような科学的見地と矛盾する信仰を親が子に伝えてはならないと、家庭内での宗教教育が禁止された。共産党体制下のソ連では、国家が『宗教2世』を根絶しようとしたのだ。」

 

このような方向に進まないと言う保証があるだろうか? そういう方向の中では子供に信仰の継承をするのが大変難しくなる。そして、それはサタンの望んでいることである。この世の価値観が聖書的価値観と大きくずれていく時には、クリスチャンは社会からは「カルト」にみなされ、迫害される可能性が大なのだ。パウロが言う「危急の時」(Iコリント7:26)ということになる。まだまだ先と思っていると、事は急転直下する。

 

宗教は心の問題?

日本人にとって宗教は心の問題と理解している人が大半だろう。しかし、現在のイランのようにイスラム原理主義の国ではコーランの教えを政治に、生活の全領域に適用しようとしているのだ。み言葉に真実に生きようとするクリスチャンもそうだろう。日曜だけのクリスチャンは聖書的ではない。クリスチャンは、まことの神以外を礼拝することを拒否する。それでローマ皇帝たちと衝突した。迫害を受けた。日本でも江戸時代のキリシタン迫害があった。政府側は一般大衆に迎合しない「厄介な人たち」を抹殺しにかかる。キリストご自身も当時の体制からは敵視された。最後は十字架にかけられた。心の問題では済まされない。

 

太平洋戦争中、キリスト教は「国体」に反すると迫害を受けた。聖書的メシアは政治的メシアだからだ。ホーリネスの牧師たちは「キリストと天皇とどっちが偉いのだ」と詰問され、「キリスト」と答えたゆえに投獄された。獄中死したものもいる。心の問題では済まされない。世の中がおかしくなっている時、クリスチャンは地の塩ゆえに、目障りになる。社会からは抹殺したい存在となる。「世界統一宗教」に向かう中で、聖書的なクリスチャンは自由主義神学クリスチャンから迫害を受けるだろう。携挙で取り残された自由主義神学クリスチャンが母体となって世界統一宗教を形成してゆくようになる。

 

かつてカルト化した日本

北朝鮮、中国からの挑発が多発する中、「防衛」が話題に上るようになった。戦争のような危機にあっては「精神的支柱」が必要になる。明治から敗戦までは、良くも悪くも天皇が日本人の「精神的支柱」だった。今は象徴天皇だが、戦争の危機の中ではどうなるだろう。まことの神のいない日本人にとって、再び「天皇」へ帰属してしまうのではないだろうか。戦時中は、「靖国神社は宗教にあらず」として参拝を強要されるようになった。もともと同調圧力の強い日本社会で戦争反対の声を上げることは不可能に近い。山本七平に言わせると太平洋戦争への参戦決定は、当時の「空気」が決めたと言う。彼は「空気」と表現するが、それを「悪霊」としたらどうだろうか?おぞましい話である。NOと言えない雰囲気の中で負けると分かっている戦争に突入していく。そして「靖国で会おう」とカミカゼ特攻隊は自爆した。「天皇陛下万歳!」と叫んで、人間魚雷は自爆した。それこそ大マインドコントロールが行われ、「神の国、日本」は大カルト化してしまったのだ。この過ちを再び犯さないためには、まことの「神」を神とすること。すなわち、創造主なる神に立ち返るしかない。

 

独裁国家でない限り、宗教の一方的な統制はしないだろう。信教の自由を謳う自由主義国家において、カルト対策は思うように進んでいないようだ。わが国でも信教の自由を憲法で謳っている以上、取締りの強制力には限度がある。宗教のカルト化を懸念すると同時に、国家が獣化しないよう祈るべきだろう。

 

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