2018年7月27日金曜日

神の国を体験できる「場」

聖霊が働かれる不思議な空間

私たちのエクレシアはとてもシンプルです。人が集まり、真ん中にイエス様がおられます。近況報告、交わり、食事を共にし、聖書を共に学び、お互いのため共に祈ります。テキストは使いません。テーブルには聖書だけです。バイブルスタディが始まるとぐいぐい御言葉に引き込まれて行きます。一人一人に御言葉が刺さってゆくのが分かります。ある人は目が開かれ、ある人はチャレンジを受け、ある人は慰めや励ましを受けます。聖霊が働かれるのが分かります。毎回が奇跡です。人間的には作り得ない空間を聖霊が作り出してくださるのです。世間話しもします。でも、ただの社交場ではありません。だからと言って宗教的な匂いのする場でもありません。



この世のシステムと違う「何か」を感じる場。

ある参加者は「会社と180度違うんですよね」と言います。以前、ある家庭集会に招かれ証をさせていただいた時、参加していた未信者が「こんな場所があるんですね〜」と感心していました。おそらく今まで体験したことのない「何か」を感じたのでしょうね。エクレシアがエクレシアとして機能しているところではこの世のシステムと違う「何か」を感じるのです。

しかし、逆にこの世のシステムがエクレシアに入り込んでいると、その「何か」を失います。この世のシステムとは「ピラミッド型の権威主義」だったり「能力主義、成果主義」だったり、「地位やお金で人を差別する」ことだったり、「恐れやプレッシャー」で献金や伝道を強いることだったり・・それは神の国の原理ではないのです。(マタ23:11)良き羊飼いであるであるイエス様は羊のために命を捨てました。主であるイエス様は弟子の足を洗いました。イエス様が来たのは仕えられるためではなく、仕えるためだったのです。これが神の国の原理です。(マタイ10:28)


エクレシアに現れる「神の国」

イエス様は「神の国はもうあなた方の中に来ている」(マタイ12:28)と言われました。地理的な場所というより、主の権威が認められ、主のご支配が及ぶところ。主を慕う者が集まってくるところ、すなわちエクレシア(「教会」と訳すより「召会」の方が本来の意味に近いでしょう)に「神の国」は現れるのです。そこで人々は・・

  「世が与えるのとは違う平安」(ヨハネ14:27)を体験します。
   互いに愛し合うので、律法が全うされていきます。
                       (ローマ13:10)
   神の義と平和と聖霊による喜びを体験します。(ローマ14:16)

救われたものは暗闇の圧制から救い出され、愛する御子のご支配の中に移されています。(コロサイ1:13) エクレシアは地上でそれを体験できる場所です。「神のご支配」=「神の国」を体験できる場所と言ってもいいでしょう。


イエス様のミニストリーのテーマは「神の国」

イエスは地上にいる間、悪霊を追い出し、病気を癒し、「御国の福音」を宣べ伝えたのです。(マタ4:23)悪霊を追い出すことは御国が来た証拠でもあり(マタ12:28)病気が癒されるのも神の御心とご支配の現れとも言えます。天の御国では復活の体を頂くので病人はいないでしょう。イエス様の宣教のテーマはバプテスマのヨハネ同様、「神の国の到来」であったと言えます。(マルコ1:15)マタイ5章1節から始まる「山の上の教え」も御国の到来のコンテキストで読むと分かりやすいです。

その神の国は「もう、すでに」来ているのであり、同時に「まだ」フルバージョンでは来ていないのです。そういうテンションの中に私たちは生きています。そして、すでに来ている「神の国」=「愛する御子の支配」を具体的に体験できるところがキリストの体であり、キリストの花嫁(やがて子羊の「妻」となります!黙示録21:9)であるエクレシアなのです。「体」なので、制度というよりオーガニックな生命体です。


イエス様ご自身が建てるエクレシア

イエスを神のメシアと信じる者の群であるエクレシアはキリストの体ですから人がお金や戦略で立てるものではありません。「わたしはわたしの教会を建てる」とイエス様はおっしゃいました。そうです、イエス様ご自身が建てるのです。そして、このエクレシアには「天の御国の鍵」が与えられています!最後の敵である地獄の門(死)でさえもエクレシアには打ち勝てません!私たちが普段思っているより凄い力が与えられています。世界最強の敵である死さえエクレシアには勝てないのです。クリスチャンの葬式に出るたびにそれを体験します。死は天国への凱旋にしか過ぎないからです。パウロは「死ぬこともまた益です。」とまで言っています。(ピリピ1:21)これじゃ、死はもうお手上げですね。(マタイ16:18)

次のマタイ18:19を見ると、エクレシアの祈りが天に直結して天を動かしていることが分かります。エクレシアは天と地がオーバーラップする異次元空間なのです。



私たちは数名集まって、祈り課題を聞き祈ります。「イエスの御名」によってお互いのため父なる神に祈ります。愛する子供達のために父は御手を動かさないことがあるでしょうか?(マタイ7:7〜11)


御国を来らせたまえ!

主は「御国を来らせたまえ」と祈りなさいと指導されました。「御国」は英語ではKingdomです。王国です。王国には王がいます。神の王国の王はイエス様です。本来、この宇宙はイエス様の支配下にあります。しかし、今は一時的にこの世の神であるサタンが権威を乱用しています。やがて主が来られて全ての権威が主の足元に置かれる時、(エペソ1:21)権威があるべきところに戻ります。これが救いの完成です。フルバージョンの神の国です。

「イエスは主!」とはこの王国の本当の権威者、すなわち「王」はイエスだと宣言することです。今日、人々は意識せずに偽りの王であるサタンの支配下にあり、奴隷状態になっているのです。(エペソ2:2)まさか、他に王がいるとは思っていないのです。それほどまでに洗脳されてしまっています。この世のシステムにがんじがらめです。

ちょっと想像してみてください。疲れた日常生活、いつもと変わらない我が家。ところがある日「エクレシア不動産」から鍵を渡されます。家に戻ると入ったことのない部屋があるのに気づきます。その鍵で開けて入ってみると大きな素敵なソファがあり、いい香りに満たされています。深々と座っていると今までに感じたことのない平安に満たされます。そして「おお、会社と180度違う世界がある。こんな場所あるんですね〜」と言うのです。そこは地上ではあっても地上に属していません。天に属しているスペースなのです。この世のシステムでオペレートされていません。天の側からオペレートされています。




御国は単に死んでから行く天国ではありません。神のご支配と権威が顕にされるところです。そして、それはもう始まっているのです。地上は天国行きのバスを待っている待合室ではありません。今、ここでエクレシアを通してKingdomを体験し、それをこの地上に広げていく使命が私たちには与えられているのです。

60年代ジョン・レノンはRevolutionという曲で「俺たちは皆、世界を変えたいんだ!」と叫びました。私たちも世界を変えたいのです。ただ、政治力やテロで変えるのでありません。天と地をつなぐことで、神のパワーをリリースするのです。天と地がオーバーラップするところがエクレシアです。キリスト中心のコミュニティを無数に東京に創出させることで、神のご支配が広がり、神の国が広がります。


あなたの動機は何ですか?

私たちは義務感や罪責感、恐れからクリスチャン生活をしてはいけません。

「キリストは自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなた方はしっかりと立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。」(ガラテヤ5:1)

キリストはエクレシアを愛し、エクレシアのためにご自身を捧げられました。(エペソ5:25)そして、私たちはキリストの花嫁であり、将来はキリストの妻となります。(黙示21:9)恐れや義務感からキリストに仕えるのはふさわしくありません。愛の関係でなければならないのです。旧約聖書に「雅歌」(英語ではSong of Solomon)というLove Songが入っています。律法書でもない、歴史書でもない、なぜLove songが入っているのか? 神学校時代、不思議に思っていました。学ぶうちにこれこそ神と私たちの関係を表す重要なポイントであることを発見しました。信仰とは神との「関係」です。単なる信条への同意ではありません。崇高な関係とは損得を超えた愛の関係です。神との関係とは「これ」なのです。家族愛や恋愛に一番、近いのです。



あなたの動機は何ですか?律法主義でも放縦主義でもなく、ただただ、イエス様を愛するから従うのです。イエス様を愛するから献身するのです。愛は強制ではなく、自発的なボランラリーなものでなければなりません。強制された結婚は楽しいはずがありません。神が世のはじめから持っていた三位一体の間の愛がエクレシアに反映されるのです。そして、私たちの神への愛に反映されるのです。それは強いられてするのではなく、自ら進んで愛し、仕え、礼拝するのです。主イエスが素晴らしいからです。それ以外の理由があってはならないのです。

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「そのころバプテスマのヨハネが現れ、ユダヤの荒野で教えを宣べて、言った。  
 『悔い改めなさい。天の御国は近づいたから』」(マタイ3:1)

「ヨハネが捕らえられて後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べて言わ
 れた。『時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。』」
(マルコ1:14−15)

「イエスはガリラヤ全土を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の
 中のあらゆる病気、あらゆるわずらいを直された。」(マタイ4:23)

「しかし、わたしが神の御霊によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう
 神の国はあなたがたのところにきているのです。」(マタイ12:28)

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さらに「御国の福音」のメッセージ、神の国とエクレシアの関係について学びたい人はこちらがオススメです。ただし、日本語訳は出ていません。アマゾンで購入できます。



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意味ある人間関係と祈りで広がるキリスト中心のコミュニティ
Tokyo Metro Community (TMC)

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japantmc@gmail.com (栗原)