2023年4月27日木曜日

クリスチャン100%がノーマル

 

クリスチャン100%がノーマル

「日本ではクリスチャンはマイノリティだから・・・」「長らく、日本ではクリスチャン人口1%と言われている。」クリスチャンでさえ、「まあ、日本ではそんなもんだ」と現状を受け入れているのではないでしょうか?実は、「クリスチャン人口1%」は大変、「異常」な状態なのです。「キリスト教徒1%」という宗教の話なら、それでいいでしょう。しかし、「天地を造られた神は、ご自身のかたちに人間を造られた。」という聖書の主張を信じるなら、99%が「自分の創造主」を知らない、あるいは無視しているという異常な状態のことなのです。私が「自分の親を見たこともないし、知らない。」と言ったら、それは「異常」な状態でしょう。

 

神に造られた人間が、創造主、そして、その一人子であり、メシアなるイエシュア、聖霊なるお方を崇め、礼拝することが極めて正常なのです。つまり、クリスチャン人口100%が、本来あるべき、ノーマルな状態なのです。

 

そのとき、わたしは、諸国の民の唇を清くする。彼らはみな、主の御名を呼び求め、1つとなって主に仕える。(ゼパニヤ3:9)

 

社会の常識は聖書の非常識

「日本の常識は、世界の非常識」というフレーズがありましたが、99%がキリストを崇めない日本の地においては、「社会の常識は、聖書の非常識」なのです。日本のような異教の地に長らく住んでいると「嘘」が「本当」になり、「本当」が「嘘」になってしまいます。例えば・・・

 

  進化論は正しい。創造主がいるなんて、それは宗教だ。

  キリストは4大聖人の一人。偉大な教師。人であって神ではない。

  キリストが復活したというのは弟子の信仰によれば、そうなのであって事実ではない。再臨も当然、「信仰」の世界の話で、現実にはあり得ない。

  聖書はヘブル民族が残した偉大な宗教書である。しかし、神の言葉ではない。

  天使だ、悪魔だ、天国、地獄だといのは近代以前の世界観であり、現代には通用しない。そういう前近代的な教えを子供に教育してはいけない。

  キリスト教はイスラム教や仏教と同様、人が作った文化の1つ。同列に置くべきもので、「唯一性」は主張できない。他宗教に失礼である。

  価値や文化は変わるべきもので、聖書が絶対の規範にはなり得ない。「男女、性」に関する価値観や概念は当然、変化する。その時代の必要に答えれば良し。

 

これらはすべて「嘘」です。これらを否定するクリスチャンは、社会からは「変な人」に映るでしょう。しかし、変なのはキリストを知らない人々なのです。99%の人がずれているからです。罪=ハマルティア(的外れ、脱線)の状態なのです。(ローマ3:10−18、23)多くの人は、「キリスト教は世界の宗教の一つ」としか考えていません。しかし、まことの神は一人であり、聖書はこう明言しています・・

 

主への恐れが彼らに下る。主が地のすべての神々を消し去られるからだ。

                       (ゼパニヤ2:11)

 

神を否定して「幸せ」になったのか?

日本では若者の自殺率が世界的に上位です。端的に言って、「希望」が無いのです。若者にとって生きる目的や意味が見出せないのです。いや、大人にとってもそうでしょう。インターネット、携帯、SNS, AIと技術は進歩して、便利にはなりましたが、それと「幸せ度」は比例していません。根本原因は「自分が誰で、どこから来て、どこへ行くのか」知らないからです。多くの人は創造主がいないと信じて生活しています。まるで手で目隠しして、「太陽なんかない、ああ暗闇だ!」と言っているようなものです。大自然や人間の身体機構の素晴らしさを見る時に、「ああ、神様、素晴らしい!」というのは自然なのです。しかし、神を認めるのは恥ずかしいことのように、愚かなことのように教えられているのです。その素直な感覚を否定するように教えられてきているのです。

 

宇宙的不安の解決

先日、ハーベストタイムミニストリーズの定例会に参加しました。コロナで入院していた中川健一氏が、その体験談を語ってくださいました。その中で興味深かったのは「空間の文脈が分からないと不安になる」という事でした。中川氏は高熱を出し、救急車で病院に運ばれましたが、途中、意識を失いました。それで気が付いた時にはベッドに寝かされていたのです。高熱で体の筋肉も弱り、顔を左右に動かすくらいが精一杯だったそうです。まさに「ここはどこ?私は誰?」状態だったわけです。コロナで家族も来られません。見知らぬ看護師に助けられながら数日過ごしたのです。やっと、自分でトイレに行けるようになり、初めて病室のドアを開けて、廊下に出て空間把握ができました。またトイレの脇のフロアマップを見て、ここが何病院で、自分の部屋がこのフロアのどの位置か、確認できました。そして、大きな安心を得たというのです。そして、この体験談から罪を犯した後のアダムに言及されていました。アダムは「あなたはどこにいる?」(創世記3:9)状態になったのです。アダムは「存在」のコンテキストを失ったのです。

 

現代人は創造主を否定した結果、「自分が誰で、どこから来て、どこへ行くのか」分からなくなったのです。そして宇宙的不安を抱えたまま日常に逃げ込んでいるのです。まさに自分が救われる前に抱いていた不安です。親のおかげで、何1つ不自由ない生活をしていましたが、中学の時、通学の電車の中で、周りのつり革につかまって無表情な人々の姿を見た時、「この人たちは自分が誰で、何のために生きているのか知っているのだろうか?分からないまま、毎日、毎日こうして通学、通勤しているんだろうか?」と自問したのを覚えています。そして、分からないまま自分も社会に出て働くようになることに恐怖を感じていました。

 

やがて、高校2年の時、Hi-BA(高校生聖書伝道協会)のキャンプに参加し、福音を聞き、キリストを信じました。その晩、「宇宙的平安」を感じたのを覚えています。創造主に戻った喜びと安心を感じたのです。そして、キリストにあってのアイデンディディ(神の子供、聖徒)が与えられました。死後に行く場所も、この世界の今後の展開も知らされたのです。聖書的世界観が与えられたのです。「存在のコンテキスト」を把握できたので、平安が与えられたのです。

 

一人だけど、孤独じゃない

中川氏は、入院中「一人だけど、孤独じゃない」を体験したというのです。インマヌエルなる神が共にいる。いや正確に言うと「神に見つめられている」という感覚があったそうです。私は、20代の時、親の反対を押し切って一人で渡米し、ケンタッキー州のバイブルスクールに行きました。見知らぬ土地で、何度も、「神が共におられる」という体験をしました。不思議と一人でいても「寂しい」という気持ちは無かったのです。都会人は雑踏の中で多くの人に囲まれ、またSNSでつながっているかのように思えますが、「孤独」を感じている人は多いのではないでしょうか?「繋がってる=友達」という訳ではありません。若者の自殺も増えています。独居老人も「話し相手」が必要でしょう。うちの近くのパチンコ屋には、開店前から高齢者たちが並んでいます。店員が上手に話しかけ、みんなと会話しています。常連さん達にとって、それが、ちょっとしたコミュニティであり、それが楽しくて来てるのかなあと思わされます。しかし、パチンコ台に座ったら、会話も無しに、夕方まで一人です。慈しみ深き、「友なるイエス」が必要ですね。魂の故郷で、父なる神に出会って欲しいです。

 

日本人への伝道どうする?

聖書が語るストーリーは、創造主が人類を造ったという、全人類と創造主の話なのです。文化が生み出した宗教の話ではないのです。だからクリスチャンになるとは、本来の人間になる事で、宗教に属する事ではありません。創造主に戻り、真の自由を体験し、かつてのアダムのように創造主と共に生活を始める事です。創造主を無視して生きるのは異常です。

 

だから、クリスチャン100%がノーマルなのです。

 

そうは言いながら、では、どうしたら日本人に聖書を分かるようにお伝えできるのかは大きな課題です。罪が分からない、贖いの概念がない・・・聖書は難しい・・。路上で聖書を配布しながら、このおばあちゃんが、自宅でもらった新約聖書を開いても、「アブラハムの子、ダビデの子、イエスキリストの系図・・・と読みだして、ああ、分からん」と閉じてしまうんだろうなと思うと何とももどかしいのです。それで、大きな字のこれ以上シンプルにできないくらいの福音の説明を載せたA4一枚のトラクトを挟んで配るようにはしているのですが・・・路上で伝道していると、無関心という大きな壁を感じます。また、創価学会や顕正会の人々によるあからさまな攻撃(霊的戦い)を体験します。サタンも必死になって福音の邪魔をするのです。

 

2024年に日本人口の3人に一人は65歳以上、2042年には高齢者人口のピークを迎える日本。高齢者への伝道は必須ですが、試行錯誤が続きます。若者伝道もチャレンジングになってきています。あの韓国でさえ若者の教会離れが進み、クリスチャン人口もかつての25%から10%くらいになっていると聞いています。「背教の時代」と言ってしまえば、そうなのですが、神のニネベに対する思いは変わりません。右も左もわきまえない東京の1300万人を惜しんでおられるのです。霊的覚醒を切に祈ります。

 

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執筆者:栗原一芳

Japantmc@gmail.com

2023年4月20日木曜日

未来都市のチャーチ・プランティング

 

激変する時代の中の教会

以前の記事に書きましたが、画期的速さの量子コンピューターが開発されつつあります。またAI(人工知能)が人間を追い越す地点(シンギュラリティ)が2045年、あるいはもっと早いかもと言われています。すでにChatGPTが民間でも使えるようになり話題になっています。これだけでも世界は激変するでしょう。それに伴い、キャッシュレスは進み、世界的なデジタル通貨システムに移っていくでしょう。(ただしデジタルとなると個人のお金の使い方までトレース可能となるのです。)

 

こういう中で、聖書を読んでいて分からなければ、AIに聞くという時代はもうそこまで来ています。聖書の価値観をインプットしておけば、人生に行き詰まった時にAIが、カウンセラーの役割をするようにもなるでしょう。AIに祈れば、答えがくるわけです。また、今、岸田首相の国会答弁もAIが作れるようになりましたが、牧師の説教もAIが作れるようになるでしょう。そういう中で、牧師の役割も変わるでしょう。ますます「教会とは?」「日曜礼拝とは?」「説教とは?」が問われてきます。コロナ後、会堂に戻らず、オンライン礼拝をする人が出てきています。実際、オンラインでは国内外の賜物ある説教者たちの、それも過去、現在のメッセージが聴けるのです。信徒側にもチョイスが増えているのです。ますます「囲い込み」は難しくなっていきます。

 

湾岸高層マンション群にみる未来都市

世界は都市化します。地方都市も駅前などは都心の駅前のようになっていきます。もう20数年前の話ではありますが、西鹿児島駅に行った時、駅前にミスドやファミレスがあり、また女子高校生がルースソックスで、東京都心の文化が模倣されているのを見ました。東京の先端都市が日本の未来都市の姿なのです。ここ10年で、勝どき、晴海、豊洲など東京の湾岸エリアが一変しました。 豊洲は豊洲市場もでき、またオリンピック選手村でも使われ、そのための、JR高輪ゲートウエイ駅まで作られました。TMCが都心にフォーカスしているのは、将来の教会のモデルを先取りできる可能性があるからです。多くの教会は郊外型なのです。しかし、世界は都市化します。さらにスマートシティに見られるデジタル管理された都市に進化します。都心でのモデルが必要なのです。会堂という「場所」にこだわらないスタイルです。



先日、田町駅から湾岸地区を品川まで歩いて視察および、祈りの歩行をしてきました。現地に実際に行ってみることは大事です。地図や写真では分からない雰囲気や匂いまでも感じることができます。




 

確かに湾岸に多くの高層マンションが立ち並んでいます。もちろん、オートロックで外部者は中に入れません。トラクトのポスティングもできません。また、土地も高いし、土地を買って教会を建てることも困難です。そうなると、貸しスペースで、少人数でもいいから礼拝を始めるというのが、今までのやり方でしょう。しかし、数十回建ての高層マンションと中古ビルのレンタルオフィスでは土地柄にマッチしません。



中東では未来都市建設が進んでいます。すでにドバイなどで目の当たりにしていますね。(写真上)未来の都市はこのようになるのです。どうやってチャーチ・プランティングするのでしょうか?物理的に礼拝スペースを持つことに意味があるのだろうかと考えさせられます。また、将来再び起こるかも知れないパンデミックや戦争、テロ、自然災害などを考えると、柔軟で、分散型の教会形成がベターなような気がします。

 

オンライン礼拝と地上のスモールグループ

前にも書いたように、コロナ下でも、TMCは「通常営業」でした。スモールグループの分かち合い形式なので、zoomに移行しても十分継続していけることが分かりました。コロナ下で、多くの教会はオンライン礼拝に移行しました。メッセージをyoutubeなど公に配信する教会も出てきました。思わぬ利点は、教会員以外の方々がメッセージを聞ける機会を与えられたことです。日本人にとって教会に行くのはハードルが高いです。しかし、オンラインなら礼拝をちょっとのぞいてみることに抵抗は無いでしょう。またオンラインなら勧誘されずに、ゆっくりメッセージを聞けるので安心できるでしょう。一般の人にとって教会の壁の内側で行われていることは「見えない」部分だったのが「見える」ようになったのです。教会が外に開放された訳です。教会員も居ながらにして礼拝に参加できるので、対面に戻ってもオンライン礼拝を続ける人も出てきています。また、オンラインなら自分の教会のメッセージだけでなく、他の牧師の話も、いや、海外の牧師の話まで聞けるのです。初めは抵抗があっても、徐々にオンラインに移行するのではないでしょうか?若い人にとって「スマホ礼拝」は当たり前になるかもです。ただ、コミュニティは絶対必要なので、地上でのスモールグループとのコンビネーションという形になるのでしょう。

 

郊外の住宅地では対面礼拝は続くでしょうが、都心部、あるいは未来都市では、

 

礼拝はオンライン、地上ではスモールグループ(ミニチャーチ)というコンビネーションになってゆくと思われます。

 

「ハーベストタイム・ミニストリーズ」のケース

実はこのコンビネーションをすでに行っており、うまくいっているように思える働きがあります。中川健一氏を中心とする「ハーベストタイム・ミニストリーズ」です。特にコロナ期間にオンラインが進み、文字通り、世界中に視聴者がいます。中川氏の講解説教は定評があります。基本、オンラインでメッセージを聞き、月一度の定例会(対面)で集会をしています。4月1日にはコロナ後再開した、定例会に参加してきました。200名ほどの方が集っていました。こうして月1度ほどレンタルホールで集まり、一緒に賛美し、一緒にメッセージを聞くのも良いでしょう。そして、全国各地に「ハーベスト・フォーラム」というスモールグループ、ないし家庭礼拝の場があります。そのフォーラムを導くリーダーを「ハーベスト聖書塾」で養成し、ふさわしい人を「長老」に任命します。各地のフォーラム(ミニチャーチといっても良いでしょう)では、中川氏のメッセージをオンラインで視聴したり、聖書塾卒業生が講解メッセージをしたりしています。

 

つまり、「オンラインでのメッセージ」と「地上の対面のスモールグループ」、のコンビネーションです。さらにリーダー養成もなされています。ノンクリスチャンや初心者向けの「3分でわかる聖書」「聖書Q&A」もyoutubeにアップされ有効活用されています。会堂にこだわらないスタイルです。これは1つの未来への方向性なのではないでしょうか。

 

 

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執筆者:栗原一芳

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2023年4月13日木曜日

サタンは現在進行形

 

サドカイ派とパリサイ派

旧約聖書と新約聖書の間の中間時代にサドカイ派とパリサイ派が生まれました。イエス・キリストが登場した時代には、この2派が存在していたのです。パリサイ派は信仰的に保守的で、ユダヤのヘレニズム化に反抗し、旧約聖書を固く信じていました。律法を守ろうとするあまり、口伝律法まで生み出してしまい、これはイエスに否定されてしまいます。一方、サドカイ派は、貴族や祭司階級で、ローマを支持する側の人々でした。宗教的には、モーセ5書のみを神の言葉と信じ、復活を否定し、天使・悪魔を信じないリベラル派でした。今日でもサドカイ派的教会があるのです。信仰より、社会的活動に関心のある教会というのがありますね。

 

聖書の中の悪魔

聖書では悪魔や悪霊の存在は明確です。福音書には悪霊の記事が満載です。イエスはあれほど、悪霊追い出しを群衆の前で行なっていたのに、悪霊の存在を信じない宗教指導者がいたのはちょっと驚きです。医者であるルカが書いた福音書に悪霊のことが沢山出てくるのも興味深いですね。ルカは医者ですから、単なる精神的病と悪霊現象を分けて書いています。ゲラサの地ではイエスはレギオン(悪霊集団)と会話さえしており、彼らを追い出し豚の中に移動させています。聖書は一貫して「悪魔」や「悪霊」の存在を明確に書いています。単なる悪の象徴ではありません。生きた存在としての「悪魔=サタン」は存在します。サタンの手下である「悪霊ども」も存在します。

 

近代思想により神学的に中間層が消えた!

何でも悪霊のせいにして霊的戦いばかり強調する教会もある一方、悪霊を聖書の世界に閉じ込めてしまって、あたかも現代では存在しないかのように考える教会もあります。「神はいない」という現代思想に侵され、クリスチャンまでもが日常生活における霊的存在(悪霊や御使)を、聖書の中だけに閉じ込めてしまう傾向にあるからです。すべては科学で説明でき、非合理的な世界は「オカルト」に属し、公には話されない傾向があります。合理主義的な環境で育った西洋の神学にも一因があるのかも知れません。日曜の朝、「聖書の中の話」としては語るのですが、日常生活に「霊の世界」があること、今日の日常生活にも御使や、サタンが働いていることなどはあまり語りたがらないのです。霊的存在は「天」にいる。「地」は科学的原理で動いている。霊的存在の入る余地がない。中間層は「無い」となるのです。

 

日常生活に天と地の間の「霊の領域」いわゆる「中間層」があることを語らなくなり、政治は政治、犯罪は犯罪、それらは、この地上の社会現象であり、霊の世界の入る余地は無いと考える傾向があります。しかし、聖書ではサタンを「空中の権威を持つ支配者」(エペソ2:2)、「この世の神」(Iコリント3:4)と描写しています。つまり、私たちの現実社会で存在し、活躍しているのです。ところが霊的なことは日曜の朝だけの話と変な線引きが起こるのです。「癒し」や「悪霊追い出し」や「奇跡」は無いことのように振る舞ってしまうのです。日常起こっている政治や犯罪の舞台裏にサタンが働いているとは大っぴらに言わなくなるのです。そういうことを言うと「陰謀論」だと言うことになるからです。この時代、そんな非科学的なことを言うのは恥ずかしいからでしょうか。「常識人」になることで、実はサタンにまんまと騙されていないでしょうか?聖書は何と言っているでしょうか?

 

身を慎み、目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、吼えたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。堅く信仰に立って、この悪魔に対抗しなさい。 Iペテロ5:8−9)

 

サタンは現在進行形で大活躍中なのです。そうでなければ、パウロも、神の武具をつけて戦へ(エペソ6章)とは言わないでしょう。

 

今も働くサタンと悪霊

しかし、地と海はわざわいだ。悪魔が自分の時が短いことを知って激しく憤り、おまえたちのところへ下ったからだ。」竜は、自分が地へ投げ落とされたのを知ると、男の子を産んだ女を追いかけた。(黙示録12:12−13)   

 

悪魔は地上にいないどころか、ますます活動的になっていることが上記の聖句で分かります。悪魔は自分の時が短いこと、すなわち裁きが来ることを知っているのです。そして、だからこそ、人類を地獄への道ずれにしようと大活躍なのです。特に男の子(救い主キリスト)を生んだ女(イスラエル)、そしてクリスチャン教会を追いかけ、迫害し、滅ぼそうとするのです。

 

盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかなりません。わたしが来たのは、羊たちがいのちを得るため、それも豊かに得るためです。

(ヨハネ10:19)

 

ここでの盗人はサタンと考えてもいいでしょう。実際、サタンはそういう存在です。甘い言葉で誘っても、結局は、その人からすべてを奪い、滅ぼしたいのです。今日、サタンは麻薬、ポルノ、ゲーム、暴力動画などを使って人々、特に若者の頭脳と心を壊しにかかっています。先日も若者が刃物を持って学校に侵入し教師を切りつけましたね。彼は「誰でもいいから殺したかった」と言っています。そして、暴力的動画を見ているうちに殺したくなったと言います。以前、度々起きた通り魔殺人や、無差別殺人の犯人も同じことを言います。また、最近ドイツでは12と13歳の少女が12歳の少女をナイフで30ヶ所滅多打ちにし、殺害したというショッキングなニュースがありました。14歳未満の犯罪が前年の35.5%増加したというのです。まさに悪魔的であり、悪魔にそそのかされているとしか言いようがありません。悪魔は次世代である子供たちを狙っています。

 

私自身、異端やカルトの人たちと会話したことがあります。その目が淀んでいて、何かに操られていることが分かります。悪霊の働きは明白なのです。単なる社会的犯罪でしょうか?クリスチャンは背後に働く悪霊の存在を見抜き、指摘すべきでは無いでしょうか?それでもサタンや悪霊は2000年前の聖書の中の話で、今は活動していないと言うのでしょうか?サタンは全能ではないけれど、知的な存在です。政治や経済に働かないと思いますか?戦争をする国のリーダーに影響を与えないと思いますか?今回のパンデミックの裏では巨額の利益を得た製薬会社があるのです。そこに悪魔が働かないと言えるのでしょうか?「金だけ」「今だけ」「自分だけ」の哲学で、実は不幸な世の中を作っているのはサタンの思惑通りじゃないでしょうか? 結局は「奪い」、「殺し」、「滅ぼす」だけ。最後に喜ぶのはサタンだけ。

 

聖霊を宿すクリスチャンはサタンや悪霊を認識し、見分け、対抗することができます。聖霊を宿す者に悪霊は取り憑くことはできません。ただ、外側から誘惑することはできます。クリスチャンの態度は神に従い、悪魔に対抗することです。(ヤコブ4:7)

 

 

サタンの結末

聖書はサタンの結末も明確に語っています。このままではないのです。すべての悪は明るみに出されます。「反キリスト」、「偽預言者」、そして最後には「竜」と呼ばれる「サタン」と「悪霊ども」はすべて滅ぼされます。「火の池」に投げ込まれます。(黙示録20:10)「火の池」はもともと悪魔や悪霊が処置されるための場所でした。しかし、神を否定し、悪魔に従う人々は悪魔と運命を共にすることになります。サタンの結末が書かれているのが黙示録です。だからサタンは人々にこの本を読ませないのです。難解だからとか、トンデモ話だからと吹聴して、読ませないし、信じさせないのです。自分の敗北は知られたくないですからね。クリスチャンはこの歴史のハッピーエンドを知っています。

と同時に、この一連の霊的事実を人々に知らせる必要があるのです。そして、聖書的事実を知っているキリストの弟子を多く起こす事です。つまりは伝道と弟子訓練です。

 

この「ラオデキヤ教会の末裔=背信の教会の時代」にあって、み言葉に固く立ち続けることが求められてるのではないでしょうか?

 

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執筆者:栗原一芳

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2023年4月6日木曜日

オーガニックチャーチの現状


制度的、組織的な教会から脱出し、本来のあるべき教会を求めてオーガニックチャーチに向かう人が出てきています。大きな方向は間違ってないと思いますが、スモールグループ的なオーガニックチャーチには疑問点や課題も多々あるのです。今回、正直に分かち合います。

 

オーガニック・チャーチのいいモデルがない?!

「ペイガン・クリスチャニティ?」で目が開かれ、その後、フランク・ヴァイオラのオーガニックチャーチに関する著書を沢山読んで、大変影響を受けました。「ペイガン・クリスチャニティ?」によると・・・現在の教会のやっていることの90%は異教の教えを取り込んだもので、2000年の教会歴史の中でフジツボのようにこびり付いてしまっていると。そのまま教会は機関車のように走っているので、これは刷新では変えられない、「革命」が必要とぶち上げています。それではどうするかという理論を「Reimaging church」で、実践を「Finding Organic Church」で書いています。そのヴァイオラさんが、彼のブログだったと思いますが「ラジオ番組のインタビューでオーガニックチャーチのモデルを見せて欲しいと言われ、実はいいモデルがない、なので自分はしばらくオーガニックチャーチプランティングを休止しようと思っている。」と書いており、びっくりしました。もう10数年まえの話なので、今どうなのか、分かりませんが。うまくいかなかったケースで、メンバーはどうなったかというと・・・「信徒に負担がかかりすぎ、結局、既存の教会に戻ってしまうか、クリスチャンを辞めてしまうか、孤立した一匹狼クリスチャンになるか、いずれかだ。」と言っていました。これを読んだときはかなりショックでした。

 

実は自分がフロリダに滞在していた時、近くのオーガニックチャーチに参加してみました。というより正確にはオーガニックチャーチを、かつてやっていた人、2名と会って色々お話しを聞きました。アメリカはリビングルームが広く、10人くらいは余裕で集まれます。そのような物理的有利性があるでしょう。また車社会なので、移動がマイペースで、終電に遅れる心配もありません。しかし、同時にアメリカは引越しも多く、かなりメンバーを失ったようです。やはり継続するのは難しいようですね。ただ、オーガニックチャーチは表に出ないので、また全数を把握できるような全体的なネットワークもないので、実際のところは分からないというのが正解です。

 

海外の成功例は聞くけれど・・・・

次に影響を受けたのは当時、ハワイ、カネオヘベイにあったラルフ・モア氏の牧会する「ホープチャペル」のケースでした。ホープチャペルは既存の教会で日曜礼拝をし、ラルフ氏がメッセージをしていましたが、週日の信徒によるミニ・チャーチ(スモールグループ)を積極的に実践していました。ラルフ氏は「ホープチャペルの伝道・牧会の70%はミニチャーチで起こっており、日曜の朝は30%」と言っており、その発想の転換に感銘しました。ただ、やり方としては、基本、ラルフ氏のメッセージで人を礼拝に集め、それをミニチャーチに振り分ける形です。自分としてはミニチャーチ的なものがベースで、必要な時に、励ましと方向性確認のために合同礼拝があればいいのではと思っています。また、ラルフの下で弟子訓練された若者がたくさん牧師となり活躍するようになりました。日本にも頻繁に来られ、セミナーで教えていました。「メガチャーチを作るより、小さな教会をたくさん作る方がいい。」「教会を生み出す教会」「教会員数より、弟子の数で真価を問うべし」などなど「アーメン!」と言いたくなる発言を沢山しておられます。最近は1つの教会の下にない、超教派的な、信徒が始める教会=マイクロチャーチにも言及し、アメリカの消防士さんが仲間と始めたマイクロチャーチの実例なども話してくれました。「日本の牧師は支配的すぎる、もっと信徒を励まし、送り出しましょう!」と言ってくれました。

 

ハワイのホープチャペルのように1つの教会の下でのミニチャーチは現実的で成功しています。これなら日本でもできるでしょう。しかし、実際問題、マイクロチャーチはハードルが高いです。個人的にはこちらに興味があるのですが、少なくも日本で良い実例を見ていません。アメリカでさえ、超教派的に「ムーブメント」としてマイクロチャーチが広がっているのは見ていません。つまりラルフのような人が関わり続けている必要があるという事でしょう。「どうぞ自由にやってください」と手を離してしまったらうまくいかないのです。つまり、牧会者というか、お世話する成熟したクリスチャンが継続的に関わる必要があるという事です。

 

TMCはどうでしょう?

TMCでの最初のパートナーはバプテスト宣教団のチャーリーさんで、当時、彼は「いつでも、どこでも、誰にでも始められる教会」すなわちシンプルチャーチを推進していました。それで、ビジョンを分かち合う中で意気投合して東京都心部をターゲットにTMCが始まったのです。始めはゼロから伝道して弟子を育てるつもりで「コーチング団体」として始めました。東京駅八重洲口にレンタルオフィスを借りて、セミナーなどを行なっていました。色々とイベントもやってみましたが、やはり継続的にノンクリスチャンと関わるのは難しいとなり、クリスチャンコミュニティのベースを作ることに転換しました。つまり、伝道より弟子訓練を優先した訳です。

 

現在、5つのTMCエクレシアで17名ほどのメンバーが忠実に関わってくださっています。「意味ある人間関係と祈りで深まり、広がるキリスト中心のコミュニティ」と掲げているので、時間をかけて信頼関係を築いています。12年で5つのグループが生まれました。毎回、充実した交わり、バイブルスタディ、祈りの時間を過ごしています。メンバーも忙しいのに楽しみにしてくださっています。そこまではできるのです。

 

しかし、コミュニティが倍加しているか?と問われれば、していません。一人一人は職場や家族に福音を伝えようと努めています。そのパッションを持っています。しかし、メンバーが伝道し、人が救われ、グループを始めるといったようにトントン拍子にはいかないのです。ペースが海外とは違うのです。すると、ではトレーニングを提供しようという話になり、海外のテキストを翻訳して・・となるのですが、あまり成功するとは思えません。

 

またメンバーの多くは既存の教会のメンバーでもあり、牧師のいる教会の日曜礼拝に通う必要性を感じているようです。そういう訳で、TMCエクレシアは、超教派的という意味ではマイクロチャーチ的ですが、それぞれが独立教会かというと、マイクロチャーチ的ではありません。そういうファジーな立場というのが本音のところです。

 

まだまだ改革途中

宗教改革では1。聖書神権 2。信仰義認 3。万人祭司 とだいぶ軌道修正できたのですが、その多くは国家教会に留まり、肝心の教会改革は進みませんでした。依然としてカトリックのスタイルや会堂の設定を引き継いでいたのです。私たちはなるべく聖書に忠実に、本来あるべき教会に戻りたいと願っているのです。ヴァイオラさんも、そのパッションが強く、制度的教会からオーガニックチャーチへと提唱し、推進したのです。しかし、前回書いたようにフラットであることを強調するあまり、リーダー(もちろんサーバントリーダー)の存在すら否定しまうところまで行ってしまいました。上下関係ではないですが、役割はあります。「指導」する賜物はあるし、「指導する人」は必要なのです。その賜物のある人は「熱心に指導」すべきです。(ローマ12:8)「勧めをする」=「メッセージする賜物」を与えられている人がいます。その人はそうすべきです。(ローマ12:8)

 

改革は途中です。私たちも、まだまだ暗中模索なところが正直あるのです。

今後の課題としては・・・

 

  リーダーは必要だけれど、リーダーに頼りすぎないようにするには?

  教会を生み出す教会? 教会の倍加は可能か?

  Affinity Group(職種が近い、年齢が近いなどの類似性グループ)は心地よいが、そうでないクリスチャンとの交わりをどう持つか?例えば、年齢を超えた交わりなど。

  信頼関係を築くには固定メンバーがいいが、新しい人をどう取り込むのか?

そして、あまり人が出たり入ったりだとコミュニティを築けません。

  少人数グループの場合の参加者のケミストリー(合う、合わない)もある?もともとスモールグループなので、例えば3名のグループの場合、一人が欠席すると1対1になり、良くも悪くも、グループダイナミックスが変化する。あるいは、消滅してしまう可能性もある。

  仕事で精一杯の社会人クリスチャンが「参加する」以上のことが実際できるのか?

  信仰歴が違う人たちで、どうバランスをとるのか?初心者向けにすると信仰熟練者にはつまらなくなるし、レベルを上げると初心者はついてこれない。

  基本、オーガニックチャーチは自立心の強い、成熟した大人達との間ではうまく機能するが、精神的に問題を抱えた人や、障害者、シリアスな問題を抱えた人々を巻き込んでいくのは難しい。全ての人向きではないのでは?やはり、時間をとって関われる専業牧者が必要か?

  人によっては一人で礼拝し、小グループでの分かち合いをしたくないタイプの人もいる。すべての人が「お互いに」のコミュニティを喜ぶわけではない。

  孤立しがちなオーガニックチャーチ同士をネットワークするには?

 

などなど・・・・これをきっかけに議論が活発になっていってくれれば、嬉しいです。

 

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執筆者:栗原一芳

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