2020年12月25日金曜日

情報戦としての福音宣教


もう1つの世界〜脱北者の話

最近、脱北者の話を聞きました。Aさんは強制収容所で生まれ育ち、収容所内の世界しか知りません。外の世界は悪に満ち、恐ろしいところだと教えられ育ったのです。ある日、最近、収監されてきた人と一緒になりました。彼は外の世界のことを教えてくれました。特に「焼肉」と言う滅茶苦茶うまいものがあるという話をしたのです。Aさんはどうしても「焼肉」が食べてみたくて脱走を試みます。周到に計画し、実行します。仲間と脱走しますが、仲間が電流の通った鉄のワイヤーに引っかかりショック死しますが、そのおかげで、彼の体の上を這うことでワイヤーに触れずに外に出られました。外に出たAさんは外の世界を体験することになったのです。

 

  Aさんは、外の世界の情報を得るまでは、収容所内の世界しか知りませんで

した。

  外の世界に関しては「間違った」情報を吹き込まれていたのです。

  外から来た人から真実の外の世界の情報を得ます。

  それを信じて脱走し、外の世界を体験します。あの人の言っていたことが本当だと知るのです。

 

ある家庭集会に招かれて証をした時のことです。集会が終わって交わりの時になりました。一人の未信者が私のところに来て、感心した口調で「こんな世界があるんですねえ〜」と言ったのです。そこのクリスチャンの交わりで感じた平安や愛、そして証を通して聞いた「神のいる世界」の話。それは、彼が今まで聞いたことも味わったこともない世界だったのです。多くの人々は同じではないでしょうか。もう1つの世界(霊的な世界)があることを知らないのです。そして、クリスチャンは「そんな世界」があることを知らしめていく必要があるのです。

 

「しかし、信じたことのない方を、どのようにして呼び求めるのでしょうか。

 聞いたことのない方を、どのようにして信じるのでしょうか。宣べ伝える人

 がいなければ、どのようにして聞くのでしょうか。」

                        (ローマ10:14)

 

情報が思想形成をする

今回の米国大統領選ほど、摩訶不思議な現象は見たことがありません。つまり、表メディア(大手メディア)の報道していることと、裏メディア(youtubeやツイッターなど)の情報が真逆だからです。

 

大手メディアの報道:バイデン氏が正当な選挙を通して選出され次期大統領である。トランプ氏は「選挙は不正だった!」と根拠の無い主張を繰り返している。潔く早く敗北を認め、退きなさい。

 

それを聞いている人々の結論:「トランプは権威にしがみつき駄々をこねている。」そして自分を有利にするため、ありもしない陰謀論を振りまいている。潔く敗北を認め、退きなさい。」

 

裏メディア(youtubeやツイッター)の報道:民主党は「選挙を盗んだ」。選挙不正の事実は次から次に上がっており、広範囲で組織的な不正が行われた。投票集計マシーンがインターネットに接続され、中共により不正に操作された。これはもはや、不正の粋を超えた、外国介入による国家転覆のクーデターであり、犯罪だ。これは民主主義の危機だ。「正」と「邪」の戦いだ。

 

これを聞いた人の結論:「こんな不正選挙を許せば、アメリカの民主主義は終わる。選挙は不正に盗まれた。正しい選挙を取り戻さなければならない。中共の侵略を阻まなければならない。だからアメリカおよび世界の民主主義のために、トランプさん諦めないで頑張って。」


 

つまり、得ている情報によって結論がこうも違ってくるのです。


 

真実はやがて明らかになるでしょう。裏メディアが本当なら、これは大変なビッグニュースなのに、表メディアは沈黙しているのは不思議です。裏メディアによれば、中共やディープステイツ(政府を操る裏の政府)に大手メディアも買収されているからだと言います。トランプ氏は、そう信じているので、意見を歪曲されないために、あえて個人のツイッターで発信するようになりました。

 

ともあれ、得ている情報がその人の思想形成をします。


だからサタンは特に、教育、メディア、エンターテインメントの分野に働きかけます。そして、神はいない、罪はない、あるいは、人は神の子で全ての人は救われる、だから自由に自己願望を追求すればいいという思想を浸透させているのです。しかし、その自由が麻薬や不倫を増長し、結果的に多くの人を鬱や自殺、家庭崩壊といった惨めな状態に追いやっていることも事実です。

 

「悪魔は初めから人殺しで、真理に立っていません。彼のうちには真理がない

 からです。悪魔は、偽りを言うとき、自分の本性から話します。なぜなら彼

 は偽り者、また偽りの父だからです。」      (ヨハネ8:44)

 

 

真偽を図る注意点

1)大多数の者が言っていることが真実ではない。

「そのとき、イスラエルの全会衆は、この荒野でモーセとアロンに向かって

 不平を言った。イスラエルの子らは彼らに言った。「エジプトの地で、肉鍋の

 そばに座り、パンを満ち足りるまで食べていたときに、われわれは主の手に

 かかって死んでいたらよかったのだ。事実、あなたがたは、われわれをこの

 荒野に導き出し、この集団全体を飢え死にさせようとしている。」
                  (出エジプト16:3)

 

イスラエルの全会衆は、「出エジプト」は間違いで、エジプトに留まっているべきだったと主張したのです。もちろん、これは間違っています。事実、イスラエルの集団全体は飢え死にしていないのです。人間は心配やパニックで判断を間違うことがあるのです。

 

2)いいニュースだけが真実とは限らない。

・・・エレミヤが民全体に次のように語ることばを聞いた。「主はこう言われる。『この都にとどまる者は、剣と飢饉と疫病で死ぬが、カルデア人のところに出て行く者は生きる。そのいのちは戦勝品として彼のものになり、彼は生きる。』主はこう言われる。『この都は、必ず、バビロンの王の軍勢の手に渡される。彼はこれを攻め取る。』」そこで、首長たちは王に言った。「どうか、あの男を死刑にしてください。彼はこのように、こんなことばを皆に語り、この都に残っている戦士や民全体の士気をくじいているからです。実にあの男は、この民のために、平安ではなくわざわいを求めているのです。」

                    (エレミヤ38:1−4)

 

事実、バビロンは攻め入り、多くのイスラエル人はバビロンに連行され捕囚となりましたが、安全と生活は守られたのです。しかし、残ったものは悲惨な目に会いました。悪いニュースが真実であることもあるのです。残念ながら再臨前には地上天国は来ません。人類史上最悪の時代(艱難時代)に入ってゆくことは事実です。

 

「真理から耳をそむけ、作り話にそれていくような、時代になるからです。」

                         IIテモテ3:4)

 

 

福音には覆いが掛けられる

「それでもなお私たちの福音に覆いが掛かっているとしたら、それは、滅び行

 く人々に対して覆いが掛かっているということです。彼らの場合は、この世

 の神が、信じない者たちの思いを暗くし、神のかたちであるキリストの栄光

 に関わる福音の光を、輝かせないようにしているのです。」

                         IIコリント4:3−4)

 

根拠の無い進化論はあたかも真実のごとくに伝えられ、日本人の多くもまんまと騙され、ヒトはサルから進化したと信じているでしょう。一方、根拠のあるイエスの「復活」は空想話として退けられます。サタンにとって「不都合な事実」だからです。「復活」と「再臨」は、本来なら大手新聞のヘッドラインニュースに掲載されてもいい真実です。

 

この素晴らしい福音を聞くとき、人々の目には覆いがかかっています。真実を知らせたくない敵がいるのです。ある説教者が言いました。「サタンはイエスの十字架以外なら何でOK, 神の愛だけ語っていてもOKなのだ。」と。耳障りのいい「偽りのグッドニュース」をサタンは大好きです。

 

何度福音を語っても「わからない」「後にしよう」と言う人が多くいます。これは「霊の戦い」なのです。邪魔をしている敵がいるのです。だから祈りが必要なのです。終末に向けてこの情報戦はさらに激しくなるでしょう。


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意味ある人間関係と祈りで広がるキリスト中心のコミュニティ

東京メトロ・コミュニティ

Tokyo Metro Community (TMC)

執筆者:栗原一芳

Japantmc@gmail.com

 

2020年12月17日木曜日

逆さまの世界

  

逆さまの世界

昔、子供用のクリスチャンの絵本で、こんな物語があったのを思い出しました。




 

ある国に立派で正しい王様がいました。この王様が遠い国に旅に出ました。ところが王様がいつまでたっても帰ってこないので、国民は自由に振る舞うようになっていきました。卵を投げ合ったり、背中を引っ掻いたりやりたい放題です。そして、ある人が言いました。「王様の法律はもういらないので、全部、王様の言った反対のことをしよう。」そして、逆立ちして道を歩き出しました。信号の「赤」は「青」のことになりました。人々の生活は滅茶苦茶になり、被害者が出ても誰もケアしません。いじめも横行し、格差も広がり、一部の人だけが楽な暮らしをしています。少数の正しい者たちは心を痛めていました。そんな時、突然ラッパが鳴り渡り、王様の帰還が知らされます。現状を見た王様は義をもって裁き、悪の先導人たちを投獄します。そして、国は見事に回復し、平和と義と愛の世界が戻ってきました。

 

  王様はしばらく国を離れました。

  王様は自分の国に戻って来ました。

  戻って来た時、民は堕落していました。

  王は悪を処罰し、国を回復しました。

 

 

「金の子牛」事件

似たような話が旧約聖書に出てきます。エジプトを出たイスラエルの民はシナイ山の麓に辿り着きました。神はそこで彼らと会い、戒めを与えます。有名な十戒を含む律法ですね。出24:7で、民は「主の言われたことはすべて行います。聞き従います。」と誓っています。神がモーセを呼ばれたので、モーセは山に登ってゆき、40日40夜、そこにいました。モーセが民のもとを去るとき、こう言い残しました。「わたしたちがあなたがたのところに戻って来るまで、私たちのために、ここにとどまりなさい。見よ、アロンとフルがあなたがたと一緒にいる。訴え事のある者はだれでも彼らのところに行きなさい。」(出24:14)

 

つまり、「戻って来る」ことを約束し、その間、しっかり民を裁く(治める)ことを命じたのでした。

 

ところが、モーセが一向に山から戻って来ないのを見てこう言いました。「さあ、われわれに先立って行く神々を、われわれのために造ってほしい。われわれをエジプトの地から導き上った、あのモーセという者がどうなったのか、分からないから。」(出32:1)何とアロンは霊的指導をする代わりに民の願いを聞き入れ、金の子牛を造って礼拝させてしまうのです。彼らは早くも堕落してしまったのでした。




 

モーセは下って来て、どんちゃん騒ぎをしている堕落した民を見たとき、怒りに燃えて神から頂いた2枚の契約の板を砕いてしまったのです。そして、偶像の子牛を焼いて砕いて水の上にまき散らし、イスラエルの子らに飲ませ、かつ3000人を粛清してしまったのです。(32:19−28)モーセにつく(主に身を献げた)レビ人だけが助かっています。(32:26)まさにレムナント(主につく残された者)ですね。ここで分かるのは「大多数」の者がしていることが「正しい」のではないという事です。「大多数」が間違った方向に行っている時、「少数」の主に忠実な者が残されるという事実です。

 

  モーセはしばらく山に登り、民を離れました。

  モーセは自分の民のもとに戻って来ました。

  モーセが戻って来た時、民は堕落していました。

  モーセは罪を処罰し、神の民を回復しました。

 

 

旅に出た主人の話

同じような話が新約聖書にもあります。主人が旅に出ている間、「帰りは遅くなる」と心の中で思い、仲間のしもべたちを叩いたり、酒飲みたちと飲んだり、食べたりしていました。忠実に仕事をしていなかったのです。ところが主人が思いがけない時に帰って来て、悪いしもべは厳しく罰せられてしまうという話です。(マタイ24:45−51)そして、これは「携挙」の話のすぐ後で語られているので、テーマは主の「再臨」です。

 

イエス様も新しい戒め=互いに愛し合うこと(ヨハネ13:34)を残し、天に帰って行きました。しかし、この地に再び戻って来られることも約束しています。(例えばヨハネ14:3)しかし、今、多くの人にとってイエスの「再臨」は「たわごと」のようです。「あのイエスという者はどうなったのか分からない」と言うクリスチャンもいるかも知れませんね。モーセの時と同じです。そして、この世の人と同じように世俗の生活に埋没しているかも知れません。多くの人たちは「地位、名誉、財産」あるいは「肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢」という「金の子牛=偶像」を礼拝するようになっているかも知れません。しかし、モーセが山から戻って来たように、イエスも必ず天から戻って来られるのです。

 

  イエスは天に昇り、しばらく地を離れました。(使徒1:9)

  イエスはご自分の国に戻って来られます。(黙示22:20)

  イエスが戻って来られた時、民は堕落しています。(ルカ18:8)

  イエスは悪を処罰し、この地に王国を回復します。(黙示20)

 

 

現代の「逆さまの世界」

今、地上は乱れています。大多数が反キリスト的な方向へ向かっています。サタンは「教育」と「情報=メディア」をターゲットに狙ってきます。同性婚や妊娠中絶、麻薬使用やフリーセックスの容認が進み、罪はライフスタイル、多様性と置き換わってきています。しかし、家族が崩れれば、社会は崩れるのです。また学校では、根拠なき「進化論」が事実のように教えられ、神がいないのが当たり前となっています。神がいなければ何でも許されるのです。だから何としても神を抹殺する哲学に立ちたいのです。神を知らぬ学者やインテリはもっともらしい学説を唱えますが、その知性は腐っており、霊を見分ける力を持っていないのでサタンの思うままです。まともな事を語るクリスチャンは「変な人」なのです。「神を信じるなんて知識の無い未開人のする事だ。」と見下しているでしょう。しかし、聖書は反対のことを言っています。

 

「愚か者は心の中で『神はいない』と言う。彼らは腐っていて、忌まわしいこ 

 とを行う。善を行う者はいない。」(詩篇14:1)

 

「逆さまの世界」なのです。「王なんていない。勝手にやろうぜ」と言わんばかりの世界が広がっています。あるいはスピリチュアル系は霊を認めても、「キリストを告白する霊」でなければ、それは悪霊のパワーなのです。聖書的価値観がオセロのようにひっくり返されています。「逆さまの世界」が現実広がっているのです。

 

報道が統制されているあの国では、「逆さま報道」がなされていると言います。国が懸命に隠そうとしているニュースは真実であり、誇張して語るニュースは嘘だと言うのです。今日の米大統領選でも大手メディアの言うことと、裏メディア(Youtubeなどのニュース)が言っていることが正反対です。どちらが真実かはもうすぐ明らかになるでしょう。終末期に現れるデジタル管理社会(デジタル全体主義)はまず、情報統制をするのです。終末期には「白」が「黒」になり、「黒」が「白」になってゆくのです。最後は「神」が悪者扱いとなり、サタンが神となるのです。究極の倒錯がやって来ます。




 すでに、人間の知性ですべての問題を解決できるとばかりに神を排除して世界的に連帯しはじめています。自分達で「グレート・リセット」が可能だと思っています。しかし、多くの人が言っていること、やっていることが正しいとは限りません。イエス・キリストなしに真理は無いのです。(ヨハネ14:6)罪の問題が解決されない限り、地上天国は来ないのです。

 

 

「王」は戻って来られる

やがてラッパが鳴り、真の王が戻って来られます。そして王座に着きます。悪の煽動者たちは恥を見ます。正しく処罰されます。真の王の側にいた忠実な民(レムナント)は、その時に報われます。栄冠が与えられ、聖徒達は、真の王と共に地を治めることになります。




 

80年代のクリスチャン歌手のKeith Greenの曲にこんなのがありました。

 

Soon and very soon, we are going to see the KING

Soon and very soon, we are going to see the KING

Soon and very soon, we are going to see the KING

Hallelujah, hallelujah we are going to see the KING

 

人類最大の福音(グッドニュース)とは真の「王」が戻って来ること。そして「御国」が来ることなのです。

 

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意味ある人間関係と祈りで広がるキリスト中心のコミュニティ

東京メトロ・コミュニティ

Tokyo Metro Community (TMC)

執筆者:栗原一芳

Japantmc@gmail.com

 

 

2020年12月10日木曜日

終末期の教会形成


TMCが目指してきたもの

今回、コロナ禍を通して、教会はキリストの体であり、建物ではなく、主を信じる「人々」であることを再確認させられた。このブログでも、本来の教会は「お互い」の概念を大切にする「コミュニティ」であり、オーガニック(有機体、生命体)であることを語り続けてきた。


 



 

Tokyo Metro Community (TMC)は東京都心部に「意味ある人間関係と祈りによって深まり、広がるキリスト中心のコミュニティ」つくりを使命として活動してきた。そして、以下のことを提唱してきた。

 

  日常生活にイエス様をお連れする。職場エリアで神を体験するため、あえて職場の近くで、ウイークデーに活動を行ってきた。いわゆるSunday Christianを避け、「月曜から金曜の主」、「365日の主」を掲げる。

 

  「至近距離」と「等身大」の交わり。フラットで正直な関係。

 

  単なるバイブルスタディではなく、人生を分かち合う、人生を一緒に歩む

「コミュニティ」。そこには、祈り会える関係がある。

 

  「教会」は小さく、「ミニストリー」は大きく。教会は「顔」と「顔」を合

わせるスモールグループがいい。そして、同じ志を持つもの同士が繋がりあって、大きなミニストリーをすればいい。代々木公園のホームレスミニストリーは一例。

 

  イベントやプログラムより人間重視。一人一人を大切にする。人数の大きさ

は関係ない。深みを目指す。

 

  聖書が神のことばであり、信仰と生活の唯一の基準として、みことばの学び

を中心にする。単なるソーシャルクラブではない。また、み言葉を日々の生活に適用する、アクションポイントを大事にする。

  それぞれのエクレシアが独自に自由に活動するが、それぞれが、ネットで緩やかにつながっている。


 



 

フォーマットとしては、出来るだけシンプルに以下のようにしている。

 

1.      司会者は持ち回り

2.      メンバー各自の近況報告

3.      聖書の箇所を読む

4.      「クレイ」の解説を読む

5.      分かち合い(心に留まったところ、質問など)

6.      自分へのメッセージ、アクションポイントを各自が分かち合う。

7.      お互いの祈り課題を聞いて、祈る。

 

 

終末期の教会はどうなる?

終末が近いということは、患難期が近いということ。人類最悪の時代がやって来る。聖書は終わりの日には困難な時代がやって来ると言っており、人々は健全な教えから遠ざかり、耳障りの良い教えに移っていく。(IIテモテ3:1、3:3−4)つまり、教会はリベラル化し、ついには、世界統一教会(ラオデキア教会の末裔)へ向かう。 

 

リベラル思想(妊娠中絶容認、麻薬容認、LGBTQ容認、ポリティカルコレクトネス=過激な差別意識を広げるなど)は聖書の価値観に反し、家庭を、社会を根底から覆し、腐敗させていく。ポリコレからは、「キリストだけが救いの名」を掲げるクリスチャンは人種差別者と見なされ、弾圧を受けるだろう。彼らは、宗教の壁の撤廃を叫ぶだろう。

 

当然、このような世の流れの中で、教会は迫害を受ける。公に活動できなくなるかも知れない。今でも、コロナが理由で教会の集会を控えさせる上からの、そして横からの同調圧力がある。会堂に人がいなくなる。しかし、次には何らかの別な理由で集まりが禁止されるかも知れない。日本では、太平洋戦争の時、教会は「日本基督教団」のもとに纏められ、政府に管理された。同じようなことが終末期には起こる。

 

聖書信仰に立つクリスチャンは、組織的教会を離れ、家々や地下でオーガニックな教会(エクレシア)を形成するようになるだろう。1)聖書的信仰を保つため、2)政府の監視下から逃れるために。

 

私はある共産国での短期宣教に参加したことがあるが、初めのオリエンテーションで以下のことを注意するように言われた。

 

1.食堂など公の場所では目を閉じて手を組んで祈らない。つまり、クリスチ

  ャンだと認知されないようにする。祈るときは目を開けて、普通の会話を

 

  しているようにして、「父なる神様」ではなく「お父さん」と呼びかける。

2.「聖書」や「キリスト」など、クリスチャン用語を使わない。

3.部屋でクリスチャン的会話をする時はテレビをつけたり音楽を鳴らしたり

  して隣の部屋に漏れないようにする。基本的に盗聴されないように気をつ

  ける。

 

今、日本ではそれらを気にせず、自由に声を出して祈り、賛美し、礼拝できることは何という「特権」だろうか。しかし、それがいつまで続くかは分からない。患難期に向けて迫害が厳しくなると、上記のようなルールを守らなければならなくなる。

 

 

終末期の教会形成

聖書は、「集まることをやめてはいけない」と勧めている。(ヘブル10:25)

1世紀、ローマ帝国の迫害下にあったクリスチャンは看板を出した教会で礼拝していたのではない。エクレシアは地下に潜り、オーガニックな形で存在していた。クモよりヒトデの方がいい。クモは頭を叩かれると司令塔を失い、死んでしまう。ヒトデは1本の足が切られても、なお生き残る。中央集権より、分散型。あちこちに散在しながら、ゆるくネットワークされている方が、迫害時には生き残れる。

 

今後、終末に向けて、自然災害や、それに伴う飢饉、疫病は更に増えてゆくだろう。戦争も止むことはない。平穏時には会堂を持つことにも益がある。しかし、動乱時には、なるべく身軽な方がいい。状況に即、対応できて、形を変えて存在する生き物(組織や制度より)としてのエクレシアのほうがいい。つまり、オーガニックチャーチ。当然、オフィスも看板もない。

 

TMCエクレシアはそんな時代の先駆けとしての試験的教会と言えるかも知れない。


 

今できることは・・・

わたしたちは、わたしを遣わされた方のわざを、昼のうちに行わなければなりません。だれも働くことができない夜が来ます。 (ヨハネ9:4)

 

いつまでも地上で伝道活動ができる訳ではない。主の働きを公にできない夜が来るのだ。今できることは、しっかり、み言葉を学び、創世記から黙示録までの「神の救いの物語」を把握し、今が「どんな時代」なのかの認識を持つ。そして、福音を伝えてゆくことだ。

 


 神はいる。愛はある。だから希望がある!死んで終わりではない。復活がある!人類の救い主=キリストがおられる。このお方は闇の勢力に打ち勝つ!この地の本当の所有者であり、支配者である「真の王」がやってくる。そして、義と愛と平和が満ちるKingdomが到来する!これ以上のグッドニュースがあろうか!

 

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   すでに賜物ある方々がyoutubeで聖書の真理を語っておられます。これらの方々のお働きに心から感謝します。多くの人々に真理が届けられるよう祈ります。以下、聖書的メッセージを語っている番組です。

 

 中川健一 ハーベストタイムミニストリーズ

     聖書講解の定番。丁寧な解説を無料で聞くことができます。

  ゆうき牧師のバイブルライフコーチング

   元ビジネスマンの若手牧師が歯切れよく語ります。

 

  松本章宏 シンガポール日本語教会牧師

     よくある質問に答えています。

  高原剛一郎(東住吉キリスト集会)

    元貿易会社営業マン、世界情勢と聖書預言が専門

    黙示録シリーズやってます。



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意味ある人間関係と祈りで広がるキリスト中心のコミュニティ

東京メトロ・コミュニティ

Tokyo Metro Community (TMC)

執筆者:栗原一芳

Japantmc@gmail.com

 

2020年12月3日木曜日

終末期のクリスチャンの歩み

 

彼に信頼するものは失望することがない

「この方に信頼する者は、決して失望させられることがない。」Iペテロ2:6)

これは、イザヤ28:16からの引用であり、こちらは「これに信頼するものは慌てふためくことがない。」という訳になっています。色々な事が世の中で起こっていますね。大事なことは「慌てふためかない」こと。「落ち着いて」昨日も、今日も、とこしえまでも変わらない主を見上げること。主はこの世が与えるのとは違う平安を与えると約束くださっているのです。

 

わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。あなたがたは心を騒がせてはなりません。ひるんではなりません。 (ヨハネ14:27)

 

  Post Truthの時代と言われるようになりました。SNSではフェイクニュースやデマが即時に拡散されます。フェイクニュース(否定的なニュース)は通常のニュースの20倍早く拡散するというのです。最近のコロナ渦、「マスクの次はトイレットペーパーが無くなる!」というデマが飛び、パニックした人もいるでしょう。IOCバッハ会長が日本を去ってから、急に感染者数が増え出したので、大手メディアや政府の言っていることは、どこまで本当だろうかと疑問を持つ人も多いかも知れません。そんな中だからこそ、クリスチャンはキリストという岩に固く立ち、毎日、み言葉を読み、ブレない価値観を持つことが大事なのです。Put your hope in God

 

 

眠りから覚める時

さらにあなたがたは、今がどのような時であるか知っています。あなたがたが眠りからさめるべき時刻が、もう来ているのです。私たちが信じたときよりも、

今は救いがもっと私たちに近づいているのですから。(ローマ13:11)

 

「救いがもっと近づいている」とはどういう意味でしょうか?私たちはすでに救われているのではないでしょうか?実は救いには「広さ」があります。イエスを信じた時に「霊」は義と認められ「救われます。」パラダイス(天国)行きのベクトルは決まりました。地獄には行きません。もう1つ肉体の贖いという面での「救い」があるのです。これはまだ完成していません。この「救い」に関しては第一コリント15:51−53でパウロが説明しています。

 

聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみな眠るわけではありませんが、みな変えられます。終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちに変えられます。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。この朽ちるべきものが、朽ちないものを必ず着ることになり、この死ぬべきものが、死なないものを必ず着ることになるからです。

 

ローマ8:23も参考にしてください。そして、これは主の来臨の時に起こります。ルカ21:28でも主イエスご自身が同様のテーマを話しておられます。

 

これらのことが起こり始めたら、身を起こし、頭を上げなさい。あなたがたの贖いが近づいているからです。

 

この「贖い」は「体の贖い」です。「これらのこと」とは終末のしるしであり、「木の芽が出ると、それを見て、すでに夏が近いことが、おのずと分かります。」(ルカ21:30)と言われているように、それらの「しるし」は認知できるのです。このような「時代認識」は重要です。聖書の終末預言を学ぶことも大事です。何より「目を覚ましている。」ことが必要なのです。そのため、このように勧められています。

 

あなたがたの心が、放蕩や深酒や生活の思い煩いで押しつぶされていて、その日が罠のように、突然あなたがたに臨むことにならないように、よく気をつけなさい。(ルカ21:34)  

 

ローマ13章でも同様の勧めがあります。

夜は深まり、昼は近づいて来ました。ですから私たちは、闇のわざを脱ぎ捨て、光の武具を身に着けようではありませんか。遊興や泥酔、淫乱や好色、争いやねたみの生活ではなく、昼らしい、品位のある生き方をしようではありませんか。主イエス・キリストを着なさい。欲望を満たそうと、肉に心を用いてはいけません。

 

「眠りからさめるべき時刻が、もう来ているのです。私たちが信じたときより

 も、今は救いがもっと私たちに近づいている・・」(ローマ13:11)

 

2000年前にパウロがこう書いたのであれば、今日、さらに主の再臨は近づいていると言えます。救いがもっと近づいていると言えます。

 

そして、クリスチャンにとって素晴らしいことは、終末期の患難は「産みの苦しみ」(ローマ8:22)なのであり、その後に「栄光の御国」がやって来ることの確信でもあるということです。主ご自身もこう語っておられます。

 

同じように、これらのことが起こるのを見たら、あなたがたは 神の国が近いことを知りなさい。 (ルカ21:31)

 

「これらのこと」とは終末のしるしです。ここで言う「神の国」は地上に実現する「メシア王国=千年王国」のことです。

 

その日は、全地の表に住むすべての人に突然臨むのです。しかし、あなたがたは、必ず起こるこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈っていなさい。」 (ルカ21:35−36)

 

全地にのぞむ「その日」とは「主の日=神の怒り=患難時代」でしょう。それらは「必ず起こる」のですが、クリスチャンは、それらから逃れ主の前に立つことができるとも書かれています。患難期前の「携挙」でしょうか。大きな希望ですね。主にお会いできるよう、いつも目を覚まして祈っていましょう。

 

 

終わりの日は困難な時代

終わりの日には困難な時代が来ることを、承知していなさい。そのときに人々は、自分だけを愛し、金銭を愛し、大言壮語し、高ぶり、神を冒瀆し、両親に従わず、恩知らずで、汚れた者になります。また、情け知らずで、人と和解せず、中傷し、自制できず、粗野で、善を好まない者になり、人を裏切り、向こう見ずで、思い上がり、神よりも快楽を愛する者になり、見かけは敬虔であっても、敬虔の力を否定する者になります。こういう人たちを避けなさい。

                        (IIテモテ3:1−5)

 

「終わりの日」は広義の解釈としてはイエス様が2000年前来られた時から「終わりの時」と言えます。(ヘブル1:2参照)ですからパウロの時代でもあるし、また今の私たちの時代とも言えます。正確に言うと現代は「終わりの終わりの時」です。そして、困難な時代との関係で「迫害」のことを語っています。

 

キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。

                         (IIテモテ3:12)

 

香港の民主活動家、ジョシュア・ウオングさん、アグネス・チョーさんが収監され反逆罪として告訴されました。ジョシュアはクリスチャンです。次は、教会が迫害を受けるのではと心配しています。政府監視下に置かれる政府公認教会しか存在できなくなるのは時間の問題でしょう。このような闇の力は今も働いています。そして、改ざんされた聖書を読まされるかも知れません。聖書では「終わりの日」は困難な時代と言っており、やがて人類最悪の苦難の時、大患難時代が来るのです。その時には反キリストが独裁者として君臨し、自分を神として拝ませ、クリスチャンを猛迫害するでしょう。終末に向かっては残念ながら人類の未来は「バラ色」ではありません。

 

 

前倒しで「御国」を建てられないのか?

最近、ダボス会議の「Great Reset」に刺激を受けてクリスチャンブロガーのロジャー・オルソン氏がキリスト教神学からのレスポンスを書いている記事を見ました。「クリスチャンも再臨を待たずして、御国が成るよう、働くことを始めたら?」というものです。翻訳してみますと・・

 

「自問しているのは、この事です。将来、神によって素晴らしい将来の新世界がもたらされるのなら、すなわち神が偉大なるリセットをもたらすなら、そして、その時が完全な平和と義が実現する時なら、我々クリスチャンはそんな世界をなぜ「今!」欲さないのでしょうか?もし、神が暴力と不義に勝利することを望んでおられるなら、なぜ私たちは暴力と不義に甘んじてただ、待っているのですか?それらは神の御心ではないことを知っています。それならなぜ、キリストの再臨の時にそれらが成されるまで待つのでしょうか?「今」私たちが持っている力と影響力のあらゆる手段を用いて「今」具体的な方法で私たちの社会に新しい創造と将来の社会秩序を先取りして、もたらすことをしないのでしょうか?」

 

う〜ん、はやる気持ちは分かりますが、ちょっと危なさを感じざるを得ません。Kingdom now theologyとはDominion theologyとかいう立場ですね。もちろん、不正に対して何もしなくていい訳ではありません。香港でリスクを冒してまで民主化を叫んだ若者達がいます。今、アメリカの大統領選挙の不正を暴こうとして命がけで働いているシドニー・パウエルやリン・ウッド弁護士がいます。彼らは、み言葉を掲げてクリスチャンであることを表明しながら戦っています。日本でも戦時中、信仰告白を曲げず、投獄され殉死した牧師が7名います。これらの人々は賞賛に価すると思います。

 

私達は、「御心が地になるように」祈ります。間違ったことには声をあげます。不正を指摘し、正します。そして、信仰を告白します。しかし、御国は主の来臨の時に成就するのです。真のGreat Resetは、神がなさるのです。神がサタンを閉じ込められるのです。今はサタンと闇の勢力が猛威を振るっています。また、人間には罪(お金、性、権力への誘惑に負ける可能性)の問題があります。その事実を無視して地上天国を作る試みは失敗するでしょう。主の再臨時に成されることを先取りしようという人間的努力は、神のアジェンダを無視する高慢ではないでしょうか。今、「御国」はイエスを信じる者の心の中に、そして、イエスを中心とするコミュニティ(エクレシア)の中に存在します。福音を伝え、賛美の無いところに賛美を立ち上らせていくことが、私達に託された使命であり、宣教なのです。

 

また、社会改革や革命で世界を変えるような思想は新約聖書にはありません。

ペテロの終末期への心備えは、むしろ地味で落ち着いたものです。「祈りに集中する」こと、「愛し合うこと」がメインです。

 

万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪を  おおうからです。不平を言わないで、互いにもてなし合いなさい。それぞれが賜物を受けているのですから、神の様々な恵みの良い管理者として、その賜物を用いて互いに仕え合いなさい。

Iペテロ4:7−10)

 

 



迫害する者を呪うべき?

ドイツの牧師、ボンヘッファーはナチスドイツの時下、ヒットラー暗殺計画に加わったという噂もありますが、その気持ちは十分分かりつつも、聖書の教えは革命やクーデターではなく、敵を呪い倒すことでもないのです。パウロは、こう語ります。

 

「あなたがたを迫害する者たちを祝福しなさい。祝福すべきであって、呪ってはいけません。」(ローマ12:14)

 

これは少々衝撃でした。正直、「あの指導者を滅してください。」と祈りたいような人がいます。その指導者のために多くの人が苦しんでいるのです。しかし、本当の敵はサタンであり、その人もサタンに使われているのだと思うと、

「憐れんでください」と言う祈りにもなります。さらにパウロは言います。

 

自分で復讐してはいけません。神の怒りに委ねなさい。こう書かれているからです。「復讐はわたしのもの。わたしが復讐する。」(ローマ12:19)

 

迫害された聖徒たちは叫びます。

「聖なるまことの主よ、いつまでさばきを行わず、地に住む者たちに私たちの血の復讐をなさらないのですか。」(黙示6:10)

 

主は裁きをつけないのではありません。義なる神は不義を許さないのです。大患難時代の神の怒りは、この叫びへの応答であり、アクションなのです。テサロニケにも同様の思想があります。

 

それは、あなたがたを神の国にふさわしいものと認める、神の正しいさばきがあることの証拠です。あなたがたが苦しみを受けているのは、この神の国のためです。神にとって正しいこととは、あなたがたを苦しめる者には、報いとして苦しみを与え、苦しめられているあなたがたには、私たちとともに、報いとして安息を与えることです。このことは、主イエスが、燃える炎の中に、力ある御使いたちとともに天から現れるときに起こります。主は、神を知らない人々や、私たちの主イエスの福音に従わない人々に罰を与えられます。そのような者たちは、永遠の滅びという刑罰を受け、主の御前から、そして、その御力の栄光から退けられることになります IIテサロニケ 1:5−9)

 

終末期のクリスチャンの生き方は、希望があるのだから「耐え忍び」、「主を待ち望む」ということなのでしょう。

 

あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主が来られる時が近づいているからです。(ヤコブ5:8)

 

だから、クリスチャンの切なる祈りは「アーメン、主イエスよ、来てください。」(黙示22:20)なのです。そして、これが66巻の聖書の結論なのです。

 

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Q.どういう時代認識を持っていますか?

Q.主のおいでを意識し、待ち望んでいますか?

Q.目を覚まして祈っていますか?

 

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執筆者:栗原一芳

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