2020年12月17日木曜日

逆さまの世界

  

逆さまの世界

昔、子供用のクリスチャンの絵本で、こんな物語があったのを思い出しました。




 

ある国に立派で正しい王様がいました。この王様が遠い国に旅に出ました。ところが王様がいつまでたっても帰ってこないので、国民は自由に振る舞うようになっていきました。卵を投げ合ったり、背中を引っ掻いたりやりたい放題です。そして、ある人が言いました。「王様の法律はもういらないので、全部、王様の言った反対のことをしよう。」そして、逆立ちして道を歩き出しました。信号の「赤」は「青」のことになりました。人々の生活は滅茶苦茶になり、被害者が出ても誰もケアしません。いじめも横行し、格差も広がり、一部の人だけが楽な暮らしをしています。少数の正しい者たちは心を痛めていました。そんな時、突然ラッパが鳴り渡り、王様の帰還が知らされます。現状を見た王様は義をもって裁き、悪の先導人たちを投獄します。そして、国は見事に回復し、平和と義と愛の世界が戻ってきました。

 

  王様はしばらく国を離れました。

  王様は自分の国に戻って来ました。

  戻って来た時、民は堕落していました。

  王は悪を処罰し、国を回復しました。

 

 

「金の子牛」事件

似たような話が旧約聖書に出てきます。エジプトを出たイスラエルの民はシナイ山の麓に辿り着きました。神はそこで彼らと会い、戒めを与えます。有名な十戒を含む律法ですね。出24:7で、民は「主の言われたことはすべて行います。聞き従います。」と誓っています。神がモーセを呼ばれたので、モーセは山に登ってゆき、40日40夜、そこにいました。モーセが民のもとを去るとき、こう言い残しました。「わたしたちがあなたがたのところに戻って来るまで、私たちのために、ここにとどまりなさい。見よ、アロンとフルがあなたがたと一緒にいる。訴え事のある者はだれでも彼らのところに行きなさい。」(出24:14)

 

つまり、「戻って来る」ことを約束し、その間、しっかり民を裁く(治める)ことを命じたのでした。

 

ところが、モーセが一向に山から戻って来ないのを見てこう言いました。「さあ、われわれに先立って行く神々を、われわれのために造ってほしい。われわれをエジプトの地から導き上った、あのモーセという者がどうなったのか、分からないから。」(出32:1)何とアロンは霊的指導をする代わりに民の願いを聞き入れ、金の子牛を造って礼拝させてしまうのです。彼らは早くも堕落してしまったのでした。




 

モーセは下って来て、どんちゃん騒ぎをしている堕落した民を見たとき、怒りに燃えて神から頂いた2枚の契約の板を砕いてしまったのです。そして、偶像の子牛を焼いて砕いて水の上にまき散らし、イスラエルの子らに飲ませ、かつ3000人を粛清してしまったのです。(32:19−28)モーセにつく(主に身を献げた)レビ人だけが助かっています。(32:26)まさにレムナント(主につく残された者)ですね。ここで分かるのは「大多数」の者がしていることが「正しい」のではないという事です。「大多数」が間違った方向に行っている時、「少数」の主に忠実な者が残されるという事実です。

 

  モーセはしばらく山に登り、民を離れました。

  モーセは自分の民のもとに戻って来ました。

  モーセが戻って来た時、民は堕落していました。

  モーセは罪を処罰し、神の民を回復しました。

 

 

旅に出た主人の話

同じような話が新約聖書にもあります。主人が旅に出ている間、「帰りは遅くなる」と心の中で思い、仲間のしもべたちを叩いたり、酒飲みたちと飲んだり、食べたりしていました。忠実に仕事をしていなかったのです。ところが主人が思いがけない時に帰って来て、悪いしもべは厳しく罰せられてしまうという話です。(マタイ24:45−51)そして、これは「携挙」の話のすぐ後で語られているので、テーマは主の「再臨」です。

 

イエス様も新しい戒め=互いに愛し合うこと(ヨハネ13:34)を残し、天に帰って行きました。しかし、この地に再び戻って来られることも約束しています。(例えばヨハネ14:3)しかし、今、多くの人にとってイエスの「再臨」は「たわごと」のようです。「あのイエスという者はどうなったのか分からない」と言うクリスチャンもいるかも知れませんね。モーセの時と同じです。そして、この世の人と同じように世俗の生活に埋没しているかも知れません。多くの人たちは「地位、名誉、財産」あるいは「肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢」という「金の子牛=偶像」を礼拝するようになっているかも知れません。しかし、モーセが山から戻って来たように、イエスも必ず天から戻って来られるのです。

 

  イエスは天に昇り、しばらく地を離れました。(使徒1:9)

  イエスはご自分の国に戻って来られます。(黙示22:20)

  イエスが戻って来られた時、民は堕落しています。(ルカ18:8)

  イエスは悪を処罰し、この地に王国を回復します。(黙示20)

 

 

現代の「逆さまの世界」

今、地上は乱れています。大多数が反キリスト的な方向へ向かっています。サタンは「教育」と「情報=メディア」をターゲットに狙ってきます。同性婚や妊娠中絶、麻薬使用やフリーセックスの容認が進み、罪はライフスタイル、多様性と置き換わってきています。しかし、家族が崩れれば、社会は崩れるのです。また学校では、根拠なき「進化論」が事実のように教えられ、神がいないのが当たり前となっています。神がいなければ何でも許されるのです。だから何としても神を抹殺する哲学に立ちたいのです。神を知らぬ学者やインテリはもっともらしい学説を唱えますが、その知性は腐っており、霊を見分ける力を持っていないのでサタンの思うままです。まともな事を語るクリスチャンは「変な人」なのです。「神を信じるなんて知識の無い未開人のする事だ。」と見下しているでしょう。しかし、聖書は反対のことを言っています。

 

「愚か者は心の中で『神はいない』と言う。彼らは腐っていて、忌まわしいこ 

 とを行う。善を行う者はいない。」(詩篇14:1)

 

「逆さまの世界」なのです。「王なんていない。勝手にやろうぜ」と言わんばかりの世界が広がっています。あるいはスピリチュアル系は霊を認めても、「キリストを告白する霊」でなければ、それは悪霊のパワーなのです。聖書的価値観がオセロのようにひっくり返されています。「逆さまの世界」が現実広がっているのです。

 

報道が統制されているあの国では、「逆さま報道」がなされていると言います。国が懸命に隠そうとしているニュースは真実であり、誇張して語るニュースは嘘だと言うのです。今日の米大統領選でも大手メディアの言うことと、裏メディア(Youtubeなどのニュース)が言っていることが正反対です。どちらが真実かはもうすぐ明らかになるでしょう。終末期に現れるデジタル管理社会(デジタル全体主義)はまず、情報統制をするのです。終末期には「白」が「黒」になり、「黒」が「白」になってゆくのです。最後は「神」が悪者扱いとなり、サタンが神となるのです。究極の倒錯がやって来ます。




 すでに、人間の知性ですべての問題を解決できるとばかりに神を排除して世界的に連帯しはじめています。自分達で「グレート・リセット」が可能だと思っています。しかし、多くの人が言っていること、やっていることが正しいとは限りません。イエス・キリストなしに真理は無いのです。(ヨハネ14:6)罪の問題が解決されない限り、地上天国は来ないのです。

 

 

「王」は戻って来られる

やがてラッパが鳴り、真の王が戻って来られます。そして王座に着きます。悪の煽動者たちは恥を見ます。正しく処罰されます。真の王の側にいた忠実な民(レムナント)は、その時に報われます。栄冠が与えられ、聖徒達は、真の王と共に地を治めることになります。




 

80年代のクリスチャン歌手のKeith Greenの曲にこんなのがありました。

 

Soon and very soon, we are going to see the KING

Soon and very soon, we are going to see the KING

Soon and very soon, we are going to see the KING

Hallelujah, hallelujah we are going to see the KING

 

人類最大の福音(グッドニュース)とは真の「王」が戻って来ること。そして「御国」が来ることなのです。

 

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執筆者:栗原一芳

Japantmc@gmail.com

 

 

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