2020年12月3日木曜日

終末期のクリスチャンの歩み

 

彼に信頼するものは失望することがない

「この方に信頼する者は、決して失望させられることがない。」Iペテロ2:6)

これは、イザヤ28:16からの引用であり、こちらは「これに信頼するものは慌てふためくことがない。」という訳になっています。色々な事が世の中で起こっていますね。大事なことは「慌てふためかない」こと。「落ち着いて」昨日も、今日も、とこしえまでも変わらない主を見上げること。主はこの世が与えるのとは違う平安を与えると約束くださっているのです。

 

わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。あなたがたは心を騒がせてはなりません。ひるんではなりません。 (ヨハネ14:27)

 

  Post Truthの時代と言われるようになりました。SNSではフェイクニュースやデマが即時に拡散されます。フェイクニュース(否定的なニュース)は通常のニュースの20倍早く拡散するというのです。最近のコロナ渦、「マスクの次はトイレットペーパーが無くなる!」というデマが飛び、パニックした人もいるでしょう。IOCバッハ会長が日本を去ってから、急に感染者数が増え出したので、大手メディアや政府の言っていることは、どこまで本当だろうかと疑問を持つ人も多いかも知れません。そんな中だからこそ、クリスチャンはキリストという岩に固く立ち、毎日、み言葉を読み、ブレない価値観を持つことが大事なのです。Put your hope in God

 

 

眠りから覚める時

さらにあなたがたは、今がどのような時であるか知っています。あなたがたが眠りからさめるべき時刻が、もう来ているのです。私たちが信じたときよりも、

今は救いがもっと私たちに近づいているのですから。(ローマ13:11)

 

「救いがもっと近づいている」とはどういう意味でしょうか?私たちはすでに救われているのではないでしょうか?実は救いには「広さ」があります。イエスを信じた時に「霊」は義と認められ「救われます。」パラダイス(天国)行きのベクトルは決まりました。地獄には行きません。もう1つ肉体の贖いという面での「救い」があるのです。これはまだ完成していません。この「救い」に関しては第一コリント15:51−53でパウロが説明しています。

 

聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみな眠るわけではありませんが、みな変えられます。終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちに変えられます。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。この朽ちるべきものが、朽ちないものを必ず着ることになり、この死ぬべきものが、死なないものを必ず着ることになるからです。

 

ローマ8:23も参考にしてください。そして、これは主の来臨の時に起こります。ルカ21:28でも主イエスご自身が同様のテーマを話しておられます。

 

これらのことが起こり始めたら、身を起こし、頭を上げなさい。あなたがたの贖いが近づいているからです。

 

この「贖い」は「体の贖い」です。「これらのこと」とは終末のしるしであり、「木の芽が出ると、それを見て、すでに夏が近いことが、おのずと分かります。」(ルカ21:30)と言われているように、それらの「しるし」は認知できるのです。このような「時代認識」は重要です。聖書の終末預言を学ぶことも大事です。何より「目を覚ましている。」ことが必要なのです。そのため、このように勧められています。

 

あなたがたの心が、放蕩や深酒や生活の思い煩いで押しつぶされていて、その日が罠のように、突然あなたがたに臨むことにならないように、よく気をつけなさい。(ルカ21:34)  

 

ローマ13章でも同様の勧めがあります。

夜は深まり、昼は近づいて来ました。ですから私たちは、闇のわざを脱ぎ捨て、光の武具を身に着けようではありませんか。遊興や泥酔、淫乱や好色、争いやねたみの生活ではなく、昼らしい、品位のある生き方をしようではありませんか。主イエス・キリストを着なさい。欲望を満たそうと、肉に心を用いてはいけません。

 

「眠りからさめるべき時刻が、もう来ているのです。私たちが信じたときより

 も、今は救いがもっと私たちに近づいている・・」(ローマ13:11)

 

2000年前にパウロがこう書いたのであれば、今日、さらに主の再臨は近づいていると言えます。救いがもっと近づいていると言えます。

 

そして、クリスチャンにとって素晴らしいことは、終末期の患難は「産みの苦しみ」(ローマ8:22)なのであり、その後に「栄光の御国」がやって来ることの確信でもあるということです。主ご自身もこう語っておられます。

 

同じように、これらのことが起こるのを見たら、あなたがたは 神の国が近いことを知りなさい。 (ルカ21:31)

 

「これらのこと」とは終末のしるしです。ここで言う「神の国」は地上に実現する「メシア王国=千年王国」のことです。

 

その日は、全地の表に住むすべての人に突然臨むのです。しかし、あなたがたは、必ず起こるこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈っていなさい。」 (ルカ21:35−36)

 

全地にのぞむ「その日」とは「主の日=神の怒り=患難時代」でしょう。それらは「必ず起こる」のですが、クリスチャンは、それらから逃れ主の前に立つことができるとも書かれています。患難期前の「携挙」でしょうか。大きな希望ですね。主にお会いできるよう、いつも目を覚まして祈っていましょう。

 

 

終わりの日は困難な時代

終わりの日には困難な時代が来ることを、承知していなさい。そのときに人々は、自分だけを愛し、金銭を愛し、大言壮語し、高ぶり、神を冒瀆し、両親に従わず、恩知らずで、汚れた者になります。また、情け知らずで、人と和解せず、中傷し、自制できず、粗野で、善を好まない者になり、人を裏切り、向こう見ずで、思い上がり、神よりも快楽を愛する者になり、見かけは敬虔であっても、敬虔の力を否定する者になります。こういう人たちを避けなさい。

                        (IIテモテ3:1−5)

 

「終わりの日」は広義の解釈としてはイエス様が2000年前来られた時から「終わりの時」と言えます。(ヘブル1:2参照)ですからパウロの時代でもあるし、また今の私たちの時代とも言えます。正確に言うと現代は「終わりの終わりの時」です。そして、困難な時代との関係で「迫害」のことを語っています。

 

キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。

                         (IIテモテ3:12)

 

香港の民主活動家、ジョシュア・ウオングさん、アグネス・チョーさんが収監され反逆罪として告訴されました。ジョシュアはクリスチャンです。次は、教会が迫害を受けるのではと心配しています。政府監視下に置かれる政府公認教会しか存在できなくなるのは時間の問題でしょう。このような闇の力は今も働いています。そして、改ざんされた聖書を読まされるかも知れません。聖書では「終わりの日」は困難な時代と言っており、やがて人類最悪の苦難の時、大患難時代が来るのです。その時には反キリストが独裁者として君臨し、自分を神として拝ませ、クリスチャンを猛迫害するでしょう。終末に向かっては残念ながら人類の未来は「バラ色」ではありません。

 

 

前倒しで「御国」を建てられないのか?

最近、ダボス会議の「Great Reset」に刺激を受けてクリスチャンブロガーのロジャー・オルソン氏がキリスト教神学からのレスポンスを書いている記事を見ました。「クリスチャンも再臨を待たずして、御国が成るよう、働くことを始めたら?」というものです。翻訳してみますと・・

 

「自問しているのは、この事です。将来、神によって素晴らしい将来の新世界がもたらされるのなら、すなわち神が偉大なるリセットをもたらすなら、そして、その時が完全な平和と義が実現する時なら、我々クリスチャンはそんな世界をなぜ「今!」欲さないのでしょうか?もし、神が暴力と不義に勝利することを望んでおられるなら、なぜ私たちは暴力と不義に甘んじてただ、待っているのですか?それらは神の御心ではないことを知っています。それならなぜ、キリストの再臨の時にそれらが成されるまで待つのでしょうか?「今」私たちが持っている力と影響力のあらゆる手段を用いて「今」具体的な方法で私たちの社会に新しい創造と将来の社会秩序を先取りして、もたらすことをしないのでしょうか?」

 

う〜ん、はやる気持ちは分かりますが、ちょっと危なさを感じざるを得ません。Kingdom now theologyとはDominion theologyとかいう立場ですね。もちろん、不正に対して何もしなくていい訳ではありません。香港でリスクを冒してまで民主化を叫んだ若者達がいます。今、アメリカの大統領選挙の不正を暴こうとして命がけで働いているシドニー・パウエルやリン・ウッド弁護士がいます。彼らは、み言葉を掲げてクリスチャンであることを表明しながら戦っています。日本でも戦時中、信仰告白を曲げず、投獄され殉死した牧師が7名います。これらの人々は賞賛に価すると思います。

 

私達は、「御心が地になるように」祈ります。間違ったことには声をあげます。不正を指摘し、正します。そして、信仰を告白します。しかし、御国は主の来臨の時に成就するのです。真のGreat Resetは、神がなさるのです。神がサタンを閉じ込められるのです。今はサタンと闇の勢力が猛威を振るっています。また、人間には罪(お金、性、権力への誘惑に負ける可能性)の問題があります。その事実を無視して地上天国を作る試みは失敗するでしょう。主の再臨時に成されることを先取りしようという人間的努力は、神のアジェンダを無視する高慢ではないでしょうか。今、「御国」はイエスを信じる者の心の中に、そして、イエスを中心とするコミュニティ(エクレシア)の中に存在します。福音を伝え、賛美の無いところに賛美を立ち上らせていくことが、私達に託された使命であり、宣教なのです。

 

また、社会改革や革命で世界を変えるような思想は新約聖書にはありません。

ペテロの終末期への心備えは、むしろ地味で落ち着いたものです。「祈りに集中する」こと、「愛し合うこと」がメインです。

 

万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪を  おおうからです。不平を言わないで、互いにもてなし合いなさい。それぞれが賜物を受けているのですから、神の様々な恵みの良い管理者として、その賜物を用いて互いに仕え合いなさい。

Iペテロ4:7−10)

 

 



迫害する者を呪うべき?

ドイツの牧師、ボンヘッファーはナチスドイツの時下、ヒットラー暗殺計画に加わったという噂もありますが、その気持ちは十分分かりつつも、聖書の教えは革命やクーデターではなく、敵を呪い倒すことでもないのです。パウロは、こう語ります。

 

「あなたがたを迫害する者たちを祝福しなさい。祝福すべきであって、呪ってはいけません。」(ローマ12:14)

 

これは少々衝撃でした。正直、「あの指導者を滅してください。」と祈りたいような人がいます。その指導者のために多くの人が苦しんでいるのです。しかし、本当の敵はサタンであり、その人もサタンに使われているのだと思うと、

「憐れんでください」と言う祈りにもなります。さらにパウロは言います。

 

自分で復讐してはいけません。神の怒りに委ねなさい。こう書かれているからです。「復讐はわたしのもの。わたしが復讐する。」(ローマ12:19)

 

迫害された聖徒たちは叫びます。

「聖なるまことの主よ、いつまでさばきを行わず、地に住む者たちに私たちの血の復讐をなさらないのですか。」(黙示6:10)

 

主は裁きをつけないのではありません。義なる神は不義を許さないのです。大患難時代の神の怒りは、この叫びへの応答であり、アクションなのです。テサロニケにも同様の思想があります。

 

それは、あなたがたを神の国にふさわしいものと認める、神の正しいさばきがあることの証拠です。あなたがたが苦しみを受けているのは、この神の国のためです。神にとって正しいこととは、あなたがたを苦しめる者には、報いとして苦しみを与え、苦しめられているあなたがたには、私たちとともに、報いとして安息を与えることです。このことは、主イエスが、燃える炎の中に、力ある御使いたちとともに天から現れるときに起こります。主は、神を知らない人々や、私たちの主イエスの福音に従わない人々に罰を与えられます。そのような者たちは、永遠の滅びという刑罰を受け、主の御前から、そして、その御力の栄光から退けられることになります IIテサロニケ 1:5−9)

 

終末期のクリスチャンの生き方は、希望があるのだから「耐え忍び」、「主を待ち望む」ということなのでしょう。

 

あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主が来られる時が近づいているからです。(ヤコブ5:8)

 

だから、クリスチャンの切なる祈りは「アーメン、主イエスよ、来てください。」(黙示22:20)なのです。そして、これが66巻の聖書の結論なのです。

 

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Q.どういう時代認識を持っていますか?

Q.主のおいでを意識し、待ち望んでいますか?

Q.目を覚まして祈っていますか?

 

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意味ある人間関係と祈りで広がるキリスト中心のコミュニティ

東京メトロ・コミュニティ

Tokyo Metro Community (TMC)

執筆者:栗原一芳

Japantmc@gmail.com

 

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