2020年10月29日木曜日

万人救済説への誘惑

 

それは悪い冗談のように思われた

 

私たちは、この場所を滅ぼそうとしています。彼らの叫びが主の前に大きいので、主はこの町を滅ぼそうと、私たちを遣わされたのです。そこで、ロトは出て行き、娘たちを妻にしていた婿たちに告げた。「立って、この場所から出て行きなさい。主がこの町を滅ぼそうとしておられるから。」しかし、彼の婿たちには、それは悪い冗談のように思われた  (創世記19:13−14)

 

創世記に出てくるソドムへの裁きの場面である。今日まで娶ったり、嫁いだり、商売したり、普通の日常生活をしていたソドムの人々にとっては「町が滅ぼされる!」と聞いても、「悪い冗談」でしかなかったろう。しかし、裁きは下り、ソドムとゴモラは天からの火と硫黄で消滅した。(創世記19:24−25)

この災害の主語は「主は・・」(24節)であり、単なる自然災害ではなく、主からの裁きであることが明白だ。ソドムでは性的に退廃しており、同性愛が盛んに行われていたようだ。(創世記19:5)そして、それは後の時代のための「実例」であった。

 

恐らく、世界7不思議と言われた黄金の都、バビロンが一夜にしてメド・ペルシャに滅ぼされるなど、「悪い冗談」以外の何ものでもなかったろう。現に、その夜、バビロンの城では大宴会が開かれてる最中だった。この直前「メネ・メネ・テケル・ウ・パルシン=国が分断されメディアとペルシャに与えられる」と宣告されていた。(ダニエル5:25−31)その夜、預言通り、王ベルシャツアルは殺された。(ダニエル5:30)どんなにそれが「冗談」のように思われても、当時の人々が「あり得ない」と思っていても、神の語った事は100%

実現する。

 

 

神の裁きは後の時代への「実例」

 

また、ソドムとゴモラの町を破滅に定めて灰にし、不敬虔な者たちに起こることの実例とされました。  IIペテロ2:6)

 

しかし、前の時代にもすでに同じような事が起こっていた。ノアの時代の出来事である。

 

神はノアに仰せられた。「すべての肉なるものの終わりが、わたしの前に来ようとしている。地は、彼らのゆえに、暴虐で満ちているからだ。見よ、わたしは彼らを地とともに滅ぼし去る。」(創世記6:13)

 

わたしは、今、いのちの息のあるすべての肉なるものを天の下から滅ぼし去るために、地上に大水を、大洪水をもたらそうとしている。地上のすべてのものは死に絶える。(創世記6:17)

 




ノアはその神の啓示を信じ、神の指示通りに箱舟を作った。(6:22)地を飲み込む大洪水が来ることは多くの人にとって「悪い冗談」だっただろう。事実、多くの人は、そんな警告を無視し、日常生活を楽しんでいた。

 

「洪水前の日々にはノアが箱舟に入る、その日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり、嫁いだりしていました。洪水が来て、すべての人をさらってしまうまで、彼らには分かりませんでした。」

 

これは、イエスご自身が語られた事だ。(マタイ24:38−39)そして、事実、洪水は来た!

 

 

神は不義の世界を放置しない!

また、かつての世界を放置せず、不敬虔な者たちの世界に洪水をもたらし、義を宣べ伝えたノアたち八人を保護されました。IIペテロ2:6)

 

神は義なる神。正義を守るから、不義の世界を「放置しない」。それを「実例」として示されてきた。

 

 

しかし、だからと言って、神は悪人の死を喜んでいる訳ではない。

 

わたしは決して悪しき者の死を喜ばない。悪しき者がその道から立ち返り、生きることを喜ぶ。立ち返れ。悪の道から立ち返れ。イスラエルの家よ、なぜ、あなたがたは死のうとするのか。』  (エゼキエル33:11)

 

神は全ての人が救われて「真理」を知るように望んでおられる。(Iテモテ2:4)彼らが滅びるのは、提示された救われるための「真理」を退けたからだ。

 

彼らが滅びるのは、自分を救う真理を愛をもって受け入れなかったからです。

                       (IIテサロニケ2:10)

 

 

説教者の使命〜記憶を呼び覚ます〜

愛する者たち、私はすでに二通目となる手紙を、あなたがたに書いています。これらの手紙により、私はあなたがたの記憶を呼び覚まして、純真な心を奮い立たせたいのです。(IIペテロ3:1)

 

説教者の使命は、み言葉の記憶を呼び覚まして、信徒達の純真な心を奮い立たせることである。また、信徒達は礼拝で、デボーションで、バイブルスタディで聖書を学び、「記憶を呼び覚まし」、「純真な心を奮い立たせる」必要があるのだ。

 

それは、聖なる預言者たちにより前もって語られたみことばと、あなたがたの使徒たちにより伝えられた、主であり救い主である方の命令を思い出させるためです。  

 

「神の裁き」は説教者にとっても語られることが少なくなってきているように思われる。しかし、聖書で語られている過去に起こった事実を語り、記憶を呼び覚ます必要がある。「前もって語られたみことば」とある。そう、歴史上起こった「実例」から学び、未来に備える必要があるのだ。

 

 

IIペテロ3章のシリアスな「警告」

まず第一に、心得ておきなさい。終わりの時に、嘲る者たちが現れて嘲り、自分たちの欲望に従いながら、こう言います。「彼の来臨の約束はどこにあるのか。父たちが眠りについた後も、すべてが創造のはじめからのままではないか。   

                             (3:3−4)

 

終わりの時にはあざける者が現れる。特に聖書の基本教理である、「復活」「再臨」「御国の到来」をあざける者達が必ず現れる。「愛しましょう!」という耳障りの良いヒューマニズムメッセージは広がるが、「神の裁き」など、水増ししない聖書のメッセージは攻撃を受ける。キリスト教界の中にも字義通りの解釈を避け、世に迎合するクリスチャンも多くなるだろう。聖書を字義通り解釈するクリスチャンは、ラオデキア教会の末裔である「世界統一教会」から迫害を受けるようになる。しかし、ペテロは過去の「実例」をあげて反論する。

 

そのみことばのゆえに、当時の世界は水におおわれて滅びました 。(6節)

 

神の裁きは歴史上行われたのだ。ノアの時代、世界は洪水に覆われ滅びたのだ!そして、ペテロは今後、起こることも示している。

 

しかし、今ある天と地は、同じみことばによって、火で焼かれるために取っておかれ、不敬虔な者たちのさばきと滅びの日まで 保たれているのです。(7節)

 

しかし、主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は大きな響きを立てて消え去り、天の万象は焼けて崩れ去り、地と地にある働きはなくなってしまいます。  (10節)

 

これが「比喩」であれば、ノアの洪水も「比喩」ということになる。しかし、聖書は「実例」と言っている。聖書にはいわゆる「トンデモ」話が多い。それでなるべく「比喩」として分かり易く解釈しようとする。しかし、IIペテロ2章でペテロが挙げているソドム・ゴモラのケースとノアのケースは「歴史的実例」として挙げているのであって、単なる比喩ではない。そして、それを戒めるため、ペテロは次のように言っている。

 

無知な、心の定まらない人たちは、聖書の他の箇所と同様、それらを曲解して、自分自身に滅びを招きます。IIペテロ3:16)

 

 

これらから学べるレッスンは・・・

1.義なる神は「悪」を放置しない。神は正しいので悪を罰する。警察官が路

  上の悪を放置するなら、正しい警察官といえるだろうか?治安はどんどん

  悪くなる一方だろう。

2.歴史上、「実例」として神の裁きがあったことが聖書に記されている。

  これは今後への警告でもある。

3.キリストは必ず再臨される。そして「悪」に裁きをつける。

4.神を信じ、神の言葉に従ったノアの家族は救われた。ソドムの町の義人

  ロトは町を逃れ、滅びを免れた。

5.今後、キリストを「信じる」者は神の怒りに会うことがない。

 

神は、私たちが御怒りを受けるようにではなく、主イエス・キリストによる救いを得るように定めてくださったからです。 Iテサロニケ5:9)

 

 

キリスト以外に救われる名は無い!

救いはキリストの十字架のによる贖いの故であり、キリスト以外に救いが無いことも、はっきり語られている。

 

この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。

                          (使徒4:12)

 

「血を流すことがなければ、罪のゆるしはありません。」(ヘブル9:22)

 

「また、雄牛と子山羊の血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度

 だけ聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げたられました。」(ヘブル9:12)


 

万人救済主義(Universalism)への誘惑

終わりの時代にはキリストによらない救いの教理が流行っていく。一般の人が分かり易いようにという思惑で(それ自体は悪くないが)デンマーク聖書協会では聖書の中の「罪」という言葉を「間違い」に変更した。そうすると罪の意味は薄まる。十字架の意味は薄まっていく。最終的にはキリストでなくても良くなる。「だいたい、キリストだけが『道』とは独善的すぎる!」と。また、「彼」「彼女」という性別を示す代名詞も中性的なものに変更したらしい。ポリティカル・コレクトの流れに迎合したものだ。そのようにズルズルと世に妥協してゆく。

 

最近のニュースによると、ローマ教皇フランシスコは、同性カップルにも婚姻に準じた法的権利を与える「シビルユニオン」を認めるべきだとする考えを示した。教皇は「同性愛者の人たちは家族の中にいる権利がある。彼らは神の子であり、一つの家族となる権利がある」と語った。

 

今日、同性愛は「個性」であり、「ライフスタイル」という価値観が広まっている。教会がその流れに迎合するなら、他の宗教信仰も「ライフスタイル」なのであり、ついには「全ての人は生まれながらにして『神の子』であり、愛されており、結局は皆、救われる」という万人救済説に移行してゆくことにならないか? 

 

しかし、先に見たようにソドムは「同性愛」の罪によって裁かれている。パウロも同性愛の罪を語っている。(ローマ1:26−27)人は都合の悪いことは聞きたくない。不都合な事実には目をつぶる。特に「神の裁き」はヒューマニズムには合わない。ヒューマニストの主張に流され、教会の救済論も「神は愛なんだから、すべての人を救ってくれるはずだ。皆、結局は天国に行くのだ。」という主張に変えられていく危険性がある。無神論共産主義の中国では聖書の書き換えが行われており、欧米の自由主義国ではリベラル思考(反聖書的価値観)が広まっている。そして聖書信仰に立つ者は「偏狭」だと罵られ、迫害を受けていくことになるだろう。

 

聖書は「罪から来る報酬は死」(ローマ6:23)と明言している。「神の裁き」は大衆受けしないが、このバッドニュースなしに、グッドニュース(福音)はあり得ない。本来、死すべき存在が、永遠の命を頂ける・・(ローマ6:23)そこに福音が福音たる由縁がある。

 

というのは、人々が健全な教えに耐えられなくなり、耳に心地よい話を聞こうと、自分の好みにしたがって自分たちのために教師を寄せ集め、真理から耳を背け、作り話にそれて行くような時代になるからです。

                         (IIテモテ4:3−4)

 

「神の裁き」という健全な教えに「耐えられなくなり」、耳障りの良い、「万人救済説」に傾いていくのだ。しかし、真理から耳を背ければ、それは作り話にすぎなくなる。人が死んでから神の前に立つ事実を変えることはできない。(ヘブル9:27)その時、弁護人であるイエスが共にいるだろうか?

 

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執筆者:栗原一芳

Japantmc@gmail.com

 

2020年10月22日木曜日

教会に行かないでクリスチャンになる方法

教会に行かないでクリスチャンになった人々


実は新約聖書の中に教会に行かずにクリスチャンになった人たちがいるのをご存知でしょうか?ピリポに導かれたエチオピアの宦官は、教会に集う前に、信じ、洗礼を受け、クリスチャンになっています。ペテロに導かれた異邦人で百人隊長のコルネリウスも教会に集う前にクリスチャンになっています。そして、イエス様の宣教活動のほとんどは、週日、会堂(シナゴグ)の外で行われました。

 

日本では「聖書に興味がある。」「イエス・キリストに興味がある。」でも「教会に行くのは抵抗がある。」という方が多いのではないでしょうか?あるいは、「クリスチャンになってもいいけど、教会のメンバーとなって毎週、日曜通うのはちょっとね。」という人もいますね。朗報です。教会に行かなくても聖書を学べるし、クリスチャンになることもできます。

 

実は、クリスチャンになることと、看板の出ている「教会」に「行く」こととは関係ありません。「世の光」というラジオ番組(文化放送)では聖書を学びたい方のために聖書講座を提供し、「教会に行かなくても」学べる機会を提供しています。

 

クリスチャンとは「福音」を信じる人

そもそも教会は「行く」ところではありません。教会とはイエスを信じる「人々」のことです。教会という建物の外でも福音を信じ、クリスチャンになることが出来ます。福音のメッセージを聞き、信じることでクリスチャンになります。そして、福音とは・・

 

イエス・キリスト(メシア=救い主)が十字架であなたの罪のため死に、葬られ、3日目によみがえったこと。このイエスを、あなたの「救い主」として信じるなら、あなたの罪は赦され、救われ、神の子となり、神の家族(エクレシア)の一員となるということです。コリ15:3—5、ヨハネ1:12、ローマ10:9)

 

これらの聖句には「教会に通わなければ、クリスチャンになれません。」とは書いてありません。また、「教会の会員にならなければ、救われない。」とも書いてありません。

 

そして、信じた者の内側には「聖霊」が住むようになります。これが「御国」を受け継ぐ保障となります。(エペソ1:14)あなたは正真正銘の「クリスチャン」です。ただ、励ましと霊的成長のため、聖書は、信者が共に集い、交わることを勧めています。(ヘブル10:25)。クリスチャンコミュニティに繋がることは重要です。ただ、それは看板の出ている会堂である必要はないのです。初代教会は家々で集まっていました。当時は、看板も建物も教団もありませんでした。

 

 

共に集うことの重要性

聖書は一人で読んでいても分かりにくいですね。グループで学び合うことで違う視点が与えられ教えられることが多いです。また、最近はインターネットで健全な聖書解説に触れることができます。例えば、ハーベストタイムミニストリーズでは無料で優れた聖書解説メッセージを聴くことができます。https://message-station.net

 

また、最近はインターネットでいろいろな方が福音のメッセージを語っていますので、それらを見て、クリスチャンになられる方も多くなっていくと予想されます。特に若い人向けのプログラムが沢山、出てくることを期待しています。

 

神は三位一体の神です。その中には愛とコミュニケーションがあるのです。孤独なクリスチャンはあり得ません。クリスチャンとは交わりの中にいる存在なのです。Iヨハネ1:3)お互いをケアし、祈り合う関係が築かれるキリスト中心のコミュニティ(エクレシア)に繋がることは重要です。





 世界に影響を与える若者

世界には高卒の女の子が「伝道者」として「聖書教師」として用いられているケースがあります。私が信仰を持ったHi-BAという伝道団体では「高校生による高校生伝道」をモットーとしています。私も救われた直後、高校の同級生に沢山、伝道しました。聖霊が用いるのですペテロとヨハネのように無学な普通の人を神は用いるのです。(使徒4:13)

 

世の中ではスエーデンの環境活動家グレタ・ツゥーベリさん(17歳)のように、一人の女の子が、メッセージを発信し、世界に影響を与えることができているのです。香港の民主活動家のアグネス・チョーを知らない人はいないでしょう。男性優位、権威主義の世界で、若い、か弱い女の子が世界に影響を与えているのです!世界に福音のメッセージを語る高校生、大学生が、もっと出てきて欲しいです。インターネットの時代、誰もが発信者となれます。クリスチャンYoutuberとしてブレークする人が出るよう祈りたいです。また、大人たちが、そういう人達が出てくる環境を作っていくことも大事でしょうね。群れを支配するのではなく、励ましの環境を作る模範者となることです。(Iペテロ5:3)

 

私の属するCCCという世界規模の伝道団体は、1962年、数名の若いビジョンと情熱に溢れた若者たちが、UCLAキャンパスで直接、学生たちに福音を語ったのです。その年に250名もの学生がクリスチャンになりました。そう、教会に行くことを考えていなかった学生たちが、教会に行かないで福音を聞いて、クリスチャンになったのです。そして、学生が学生に直接、福音を語り出したのです。やがて、それは世界大のムーブメントになっていきました。

 

ひょっとしたら、17歳の若い女の子の福音メッセージが多くの日本人の心を揺さぶるような事が起こるかも知れません。そして、教会に行かずにクリスチャンになり、教会に行かずに教会になる人々(「教会=神に召し出された者の集い」)が続々と起こされるのかも知れません。なんか、それって神様らしくないですか?

 

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執筆者:栗原一芳

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2020年10月14日水曜日

この信仰によって称賛される


「さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるも 

 のです。」(ヘブル11:1)

 

ヘブル11:1は誤用されやすい箇所だ。オリジナルの聖書には章、節は無い。

11:1は10章の終わりから続いている。つまり、「来るべき方が来られる」という、まだ見てないが、実現する約束を確信することが「信仰」だという意味だ。11章は信仰者の列伝だが、まず著者はここで「信仰」の定義をしている。

 

間違った「信仰」

「信仰」は、好き勝手に願望を願い達成することではない。アメリカのベテル教会ではSuper Natural School(超自然学習センター)が開設され、超自然的な能力を訓練取得するようだが、奇跡や癒しは賜物であって、訓練して取得するものではない。モーセ、エリヤやエリシャが修行して奇跡を行う能力を得たとは記されていない。

 

「信仰」とは、「信じるごとくになる!」という人間側の信念でもない。しかし、異端的な教会では「言葉に出して言うごとくになる!」といった間違った「信仰」が勧められている。「ベンツが欲しいと、思い描いて祈り続ければ、そうなる。」的な教えだ。ラオデキア教会の「行く末」である世界統一教会ではおそらく、ヒューマニズム+超能力的ものになるだろう。サイキックパワーで自分の願望を達成しようとするものだ。

 

したがって、「信仰」といっても2通りある。


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1.  信仰: 自分の信じる力  願望の実現

           VS

2。信仰: 正しい信仰の対象(神と神の言葉)に信頼する

               啓示に対する応答として、行動を起こす。

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正しい「信仰」

さて、正しい信仰とは何だろう。それは、神が約束した事柄、つまり神がすでに啓示として与えた事柄への応答なのだ。

 

      神がすでに啓示として与えた事柄への応答

 

      神がすでに啓示として与えた事柄への応答

 

      神がすでに啓示として与えた事柄への応答

 

掲示されていないことへの「信仰」は「思い込み」に過ぎない。「信仰」があれば、すべての病が癒される訳ではない。事業が成功する訳でもない。

 

 

この信仰

 

「昔の人たちは、この信仰によって称賛されました。」(ヘブル11:2)

 

この信仰によって賞賛された」の「この信仰」とは上記の「正しい信仰」だ。そこでヘブルの記者はまず、世界の創造のことを持ち出す。

 

「この世界が神のことばで造られたことを悟り・・」 (ヘブル11:2)

 

世界の「創造」に立ち会った人はいない。誰も見ていない。しかし、神がご自身啓示した、神の言葉の語るところを信じるのだ。神が語ったこと、「はじめに神が天と地を創造した。」(創世記1:1)を、そのまま字義通り信じ受け取る。そのような人の信仰は神に賞賛(認められる)される。

 

 

啓示された「血」による贖いへの応答




次の例はカインとアベル。(ヘブル11:4)神はアベルの捧げ物を良しとした。一見、不公平に見える。しかし、「そのいけにえによって、彼が義人であることの証明を得ました。」(新改訳3版 ヘブル11:4)とある。義人の証明を得る捧げ物とは単なる「感謝の捧げ物」ではなく、「義」を得るための「罪の贖いの捧げ物」ということになる。ヘブル9:22でを流すことがなければ、罪の赦しはありません。」と解説されている。神はアダムに罪の贖いとして、獣の皮の衣を着せた。(創世記3:21)皮の衣を得るには動物が犠牲()にならなければならない。この意味を知ったアダムとエバはこの大切な真理を息子たちに伝えたに違いない。アベルは啓示された通りに従ったのであり、カインは自分のやり方で捧げ、礼拝した。これが「宗教」の始まりだ。

 

       兄カイン(農夫)   地の作物(血がない)

               宗教的義務的行い

         VS

 

       弟アベル(羊飼い) 動物(血)の捧げ物

                 信仰の行い

 

 

掲示された「携挙」への応答

次の例はエノク(創世記5:2124)。彼は365年生きて、生きたまま天に上げられた。生前、神に喜ばれていた。つまり、信仰があった=神の言われたことを信じていた。その信仰は、天に移される前から証されていた。(11:5)とある。 

 

この時代は神が直接、人に語っていた。生きたまま天に上げられることが生前エノクに伝えられていたことは十分考え得る。エノクはその啓示された約束を信じ、期待していたのだろう。さて、それを今の私たちに適用するとどうだろう。

 

「携挙」については、テサロニケ4章16−17節ではっきり語られている。マタイ24章のイエスのオリーブ山講話(マタイ24:40−41)でも示唆されている。これを人間的判断で「有り得ない!」と言うか?それとも、神の啓示に応答して「YES」と信じ、期待するか? どちらを神は喜ぶだろうか?信仰がなくては神を喜ばすことはできない。(ヘブル11:6)信仰は神が約束されたことを、まだ、見ていなし、実現していないけれど、(時に前例の無いことであっても)希望を持って信じ、忍耐し、期待することなのだ。事実、エノクは信じて、生きたまま天に上げられている。

 

 

啓示された警告への応答

洪水が来ること、箱舟を作って避難することは「前もって」神に語られていた。ノアは額面通り信じ、行動に移した。啓示された警告に応答したのだ。多くの人は人間の常識を優先し、「ありもしないこと」との判断を下した。これこそが「知恵の実」を食べた結果なのだ。神の言葉より、自分の判断に従う。当時の人口がどのくらいは分からないが、たった8名が神の警告を信じて箱舟に逃れた。洪水はやってきて、地を飲み込んでしまった。聖書を通して、本物の信者(バアルに膝をかがめない7千人)は、レムナント(残りのもの)として描かれ、常に少数派だった。事実、選民であるはずのイスラエルの民は「神の訪れの時」を知らず、やってきたメシアを拒絶し、十字架につけてしまった。世の終わりにも、人々はこぞって反キリスト的になるだろう。

 

主の「再臨」も「復活」も、「御国の到来」もはっきり神の御言葉である聖書に書かれているにもかからず、多くの人は「ありもしないこと」との判断を下している。どうだろう、クリスチャンと呼ばれる人でも、どこまで本気で信じているだろうか。いわゆる聖書の「トンデモ話」は人間の判断によって「比喩的解釈」により受け入れ易いものに変容していく傾向がある。

 

ノアの日と同じなのだ。洪水が全てをさらってしまうまで分からなかったのだ。( マタイ24:39)主の日(大艱難時代)はそのようにして来る。それは来るのだ。前もって警告されている。だからイエスという「方舟」に乗って避難する必要がある。御言葉はこれから起こることについて明確に語っている。これらの預言をないがしろにしてはならない。

 

「昔の人たちは、この信仰によって称賛されました。」(ヘブル11:2)

 

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執筆者:栗原一芳

Japantmc@gmail.com

 

 

 

2020年10月8日木曜日

超クリスチャン

神はクリスチャンを造ったのではない!?

神は天と地をお造りになった。神は宇宙の創造主であり、特定の「宗教」の神ではない。キリスト教という宗教の神ではない。神は仏教徒やイスラム教徒やキリスト教徒をお造りになったのではない。アダムはキリスト教徒ではない。神は人間を造られた

 

創世記11章までは人類の話なのだ。旧約聖書はヘブル人の物語で、登場する人物は皆、ヘブル人かと思いきや、そうではない。例えば、有名なノアはユダヤ人ではない。ノアの子孫のセム、ハム、ヤペテから世界の人種が始まっている。ユダヤ人はセム系の人種だ。アダムは、「人類」の頭なのであり、イエス様の贖いは、ユダヤ人の贖いではなく、「全人類」の贖いなのだ。

 

従って、イエスを信じて、救われるとは「キリスト教徒になる」ことではなく、本来の「人間」に回復されることなのだ。特定の「宗教」に入るのではない!しかし、この人間を含めた全宇宙の贖いと回復が「キリスト教」という矮小化された「宗教」になってしまったので、誤解を与えることとなった。

 

 

バプテスマのヨハネはクリスチャンではなかった?!

イエス様ご自身が語ったように、バプテスマのヨハネは旧約時代の最も偉大な人物ではあるが、パラダイム的にはキリストの十字架と復活以前なので、新約

の恵みに預かっている聖徒とは違う扱いとなっている。ヨハネはキリストを認知し、指し示したが、厳密な意味ではペンテコステ以降のキリストの体なるエクレシア(教会)のメンバーではない。聖霊も受けていない。クリスチャンという呼び名さえ知らなかったのだ。

 

 

パウロはクリスチャンだった訳ではない!?

パウロは自分が「クリスチャン」だと言わなかったし、新しいキリスト教という宗教を始めたという意識もなかったのだ。パウロが伝道旅行で諸都市を訪れた時、ユダヤ人の会堂(シナゴグ)で語っている。ということは、会衆はパウロをユダヤ人の巡回ラビと認識し、話す機会を提供していたことになる。まだ、この頃、キリスト教とユダヤ教というはっきりした区別がなかったのだ。おそらくパウロ自身、自分こそは聖書(当時は旧約)を一番よく理解している者、正真のユダヤ教徒と思っていただろう。それでシナゴグで語り、ナザレのイエスこそ、旧約で預言されているメシアであることを証明しようとしたのだ。(使徒9:20−22)

 

使徒の働き11章26節の時点で、「弟子たちは、アンティアオキアで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。」とある。他の人から付けられた「あだ名」であった訳だ。あるいは、信者でないアグリッパ王が皮肉を込めてパウロに「おまえは、わずかな時間で私を説き伏せて、キリスト者にしようとしている。」(使徒26:28)と言っている。パウロも初代教会の信者も自らを「クリスチャン」とは呼んでいない。ちなみに、この当時は彼らの信仰は「この道」(使徒9:2)と呼ばれており、「キリスト教」というより、「キリスト道」に近かった。ちなみに、パウロが諸教会の信者に宛てた手紙では「聖徒たち」と呼んでいる。

 

クリスチャンがクリスチャンという訳ではない!?

ローマ時代、迫害下の中にあった信者の信仰は純粋だった。しかし、国教会化されるに従って、名目上のクリスチャンが増えていった。「ウチは代々キリスト教だから・・」となる。終いには、信仰持っていないキリスト教指導者までも現れていく。日本では仏教や神道ではないという意味でキリスト教と言うが、アメリカ中西部のバイブルベルトに行くと、キリスト教は当たり前なので、自分の宗教は” I am a Baptist”, “I am a Methodist”(バプテスト派、メソジスト派)という表現になる。筆者はフロリダに滞在の体験があるが、保守的なフロリダでもクリスマスとイースターにしか教会に顔を出さない、いい加減なクリスチャンもたくさんいる。最近では真の信者を区別するためにクリスチャンという呼び名より、”Follower of Jesus” (イエスに従うもの)と呼ぶことがある。新生していない「クリスチャン」は世にたくさんいるのだ。

 

教会に行く人がクリスチャンなのではない。

多くの人はクリスチャンとは「日曜に教会に行く人」と思っている。宗教的観点からはそうかもしれないが、聖書的にはそうではない。クリスチャンになるとはイエスを救い主として信じて、その瞬間に聖霊を頂くこと(キリストにつくバプテスマを受ける)(Iコリント12:13)という霊的体験であり、新生体験である。家が代々クリスチャンだから、洗礼を受けたから、教会に毎週通っているからクリスチャンとは限らない。教会はキリストの体であり、イエスを主と告白する「霊的共同体」である。ビジネスで建てた立派なチャペルは、「会堂」ではあっても、「教会」ではない。教会の看板が出ている教会堂の毎週日曜通っているからクリスチャンなのではない。会堂を持ってなくてもイエスへの信仰を持って、家で集まっていれば、それはエクレシア(教会)である。

 

 

クリスマス、イースターはクリスチャンが守らなければならない

イベントではない。

クリスマスは教会の一大イベントだ。しかし、聖書の中にクリスマスを祝へとの命令もなければ、初代教会の実践も記録されていない。元来、クリスマスはミトラ教(太陽崇拝)の冬至の祭り(日が一番短い冬至の翌日12月25日を太陽復活の日としてご馳走や、プレゼント交換などして盛大に祝った)に由来している。これをキリスト教会が拝借したもの。(教会に迫害され、ミトラ教は滅んだというオマケ付き)。キリストの誕生日ははっきりしていないし、羊飼いが夜、外にいた事実から、もっと暖かい時期ではないかと推察される。もちろん、サンタクロースやクリスマスツリーはキリスト生誕とは関係ない。

 

オックスフォード辞典によると、「イースター」の名の由来はゲルマン神話に出てくる春の女神。以降、「復活」と「春」を結びつけたのだろう。何れにしてもイースターバニーやイースター・エッグはクリスチャン信仰となんら関係ない。聖書にイースターを祝えとの命令はない。

 

つまり、これらの「イベント」を守らないとクリスチャンではいられない訳ではない。聖書に命令も無い。大事なことはキリストの誕生を喜び、復活を祝う信仰の態度だ。確かに、新約聖書の大きなテーマは「復活」と「再臨」と「御国」である。イエスの復活は「初穂」としての復活であり、私達がそれに続く。このブログで度々書いているように、復活とは魂の永続のことでは無い!文字通り、朽ちない「体」を頂くことだ。そして、文字通り、キリストは再び、地上に再臨し、悪を滅ぼし、王として、この地上に御国を建てられる。だから、それをまともに信じる方が、イベントを習慣として守ることより、はるかに重要だ。伝道目的でクリスマスコンサートなどやることはありだろうが、逆に教会向けには10月に「生誕礼拝」をやってもいい訳だ。その方が落ち着いて主の生誕を祝い、礼拝できるのでは?

 

 

超クリスチャン(Beyond Christianity)という方向性

2000年間の固定観念をひっくり返すのは至難のワザだ。歴史的にあまりに背負ってきた余計な荷物が大き過ぎる。アメリカのオーガニックチャーチ推進者のフランク・バイオラはその余計な荷物について、「船についた藤壺のよう」だと書いている。キリスト教をオリジナルに戻すのは、「機関車を止めるように極めて困難だ。」とも言っている。だからバイオラは「教会刷新」ではなく「教会革命」が必要だと言う。しかし、どうやって革命を起こすのか?

 

キリスト教という「宗教」を脱ぎ捨てようと言うBeyond Christianity https://www.missionfrontiers.org/issue/article/beyond-christianityという動きがある。これはInsider movementとも呼ばれ、キリスト教文化と宣教地文化の対決ではなく、宣教対象の文化に入り込んで宣教し、その文化を変えずに(キリスト教という宗教を経ずに)神と結びつき、御国を広げていくもの。仏教徒が袈裟を着たまま、「ハレルヤ!」と主を賛美していることなどが報告されている。実は60年代後半のアメリカでのジーザスムーブメントは、これに近かった。救われたヒッピーがロングヘアのまま、ロックでイエスを賛美した。現在ならラッパーはラッパーのまま、仲間に影響を与えることができるだろう。そこから出て「教会」に入って「いいクリスチャン」になることで、返って、影響力を失ってしまうことがある。

 

バイオラは ”Reimaging Church”(教会を再考する)という本を書いている。教会の再イメージと共に、クリスチャンを再イメージしてみてはいかがだろうか? 既存のイメージを崩すためには、クリスチャンらしくないクリスチャン

が出てくることも必要なのだ。

 

神はもともと「キリスト教徒」を造ったのではない。ドイツの神学者ボンヘッファーの言葉は再考に値する。


 

「キリスト者であるとは、人間であることだ。キリストは我々の中に、1つの

 人間類型ではなく、一人の人間を作る。」(1944年7月18日)

 

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執筆者:栗原一芳

Japantmc@gmail.com

 

 

2020年10月2日金曜日

どうなる中東?アブラハム合意の意味するもの


「アブラハム合意」とは何か?

トランプ大統領が2021年のノーベル平和賞候補に推薦された。「なんでトランプが!?」と多くの日本人は思うだろう。

 

この1ヶ月で歴史的な動きがあった。2020年9月15日に、トランプ大統領が介在して、イスラエルとアラブ首長国連邦、およびバーレーンが国交正常化の締結を取り交わした。歴代の大統領が成し得なかった中東和平への大きなステップだ。この締結は、「アブラハム合意」と呼ばれている。確かにイスラエル人もアラブ人も、それぞれアブラハムという同じ先祖を父としている。アラブ人はアブラハムが奴隷の女ハガイに産ませたイシュマエルの子孫だ。「同じ父を持つのだから仲良くしよう。」との意味らしい。

 

日本では大きな話題にはなってないが、聖書を信じる者からすると歴史的な出来事と言える。さらにオマーン、モロッコ、スーダン、またサウジアラビアなどが追従する可能性があるという。もちろん、ここまで来るには長い期間のイスラエル首相の努力があったことも事実だ。






 

 

アラブの脅威、イラン

こうなった一番の背景はイランの脅威だ。1979年のイラン革命で、この国はイスラム原理主義の国となった。つまり正に「剣か、コーランか」であり、彼らは、イスラムワールドを支配したい。イランはシーア派、アラブ諸国の大半はスンニ派という違いもあり、すでに敵対している。実は、世界のイスラムの9割は穏健派で、違う主義の国とも平和条約を結ぶ現実主義者だ。しかし、原理主義の場合、妥協は許されないので、後は「征服」しかない。原理主義的には「ジハード」つまり、聖戦で殉教する者は確実に天国にいけるという信仰に立つので、テロが正当化される。だから自爆テロも後を絶たない。

 

幸い、イスラエルを取り巻くアラブ諸国は現実主義者となっているので、今回の締結に及ぶことができたのだ。サウジアラビア半島を支配したいイランに対峙するには、ハイテク技術、情報能力、戦闘力に優るイスラエルと組んだ方が安全だという考えだ。今年、9月8日—9日にかけて、サウジアラビアの港が自爆ドローンにより攻撃されており、脅威が増していた。

 

今年(2020年)9月29日の国連総会でイスラエルのネタニヤフ首相は、こう述べた。

 

「アラブ諸国やイスラム諸国がさらに“平和の輪”に加わると確信している。すぐ、まもなくだ。」 一方で、演説では敵対するイランを非難。中東の平和にとって“最大の敵”だとして、「アラブ諸国と共に立ち向かう」と強調した。

 

もちろん今回のアブラハム合意にはパレスチナ人は猛反対だ。今まで味方だったアラブ連合に裏切られた形だ。現在22カ国からなるアラブ諸国連合(アラブリーグ)に、この締結を無効にするよう訴え出たが、歴史始まって以来、初めてパレスチナの要求が却下され、イスラエル支持となった。こんなことは今まであり得ないことだったのだ!確実に新しいステージに入っている。

 

 

イスラエルには何を意味するのか?

過去4回の中東戦争の主役だったエジプトは、1978年9月キャンプデービッド合意でイスラエルと和解している。その後、ヨルダン、そして、今回のUAEとバーレーン。つまり、イスラエルは1948年建国以来、今、一番安定した状態を手に入れたことになる。この国交正常化締結により、イスラエルは中東においての「国」の存在を確実にした。長年、周りを敵に囲まれていた状態から解放されたということだ。終末におけるイスラエルという国の存在感が聖書の言う通り高まってきている。

 

「その国は剣の災害から立ち直り、その民は多くの国々の中から集められ、久しく廃墟であったイスラエルの山々に住んでいる。その民は国々の民の中から連れ出され、彼らはみな安心して住んでいる。」(エゼキエル38:9)

 

これは終末時代、ロシアが諸国(トルコ、イランなど)を引き連れてイスラエルに攻め込んでくるとの預言だ。エゼキエル書38章に出てくるので、「エゼキエル戦争」と呼ばれている。(資料1参照)

 

1.「その民は多くの国々の中から集められ、久しく廃墟であったイスラエルの

  山々に住んでいる。その民は国々の民の中から連れ出され。。」(38:8)

  AD70年に国を失ってから1900年、流浪の民であったユダヤ人が故郷

  に戻り、1948年5月14日に国家宣言をしたことを持って、この預言

  が成就している。国が無ければ攻め入ることはできない。

 

2.「その国は剣の災害から立ち直り」(38:8)

  これはAD70年のローマ軍によるエルサレムの破壊、及び、その後の

  ホロコーストなどの苦難、そして、建国してからの4回に渡る中東戦争、

  などを指していると思われる。「今」は立ち直りつつある。エゼキエル戦争

  が黙示録20章のゴグ・マゴグの戦いだと解釈する人もいる。描写は確か

  に似通ってはいるが、平和な状態が千年も続いて後で、「剣の災害から立ち

    直り」と言うだろうか。

 

3.「彼らはみな安心して住んでいる。」(38:8)

  イスラエルは、今回の合意を通して、かつてないほど、「安定」「確固たる」

  そして「繁栄」した状態になってきている。さらに多くのアラブ諸国が追

  従すれば、さらに「安心」は強まっていくだろう。

 

4.「それはおまえが、略奪し、獲物をかすめ奪うため、・・・おまえは分捕る

  ために来たのか。獲物をかすめ奪うために隊を構えたのか。銀や金を運

  び去り、家畜や財産を取り、大いに略奪しようとするつもりか。」

                        (38:12−13)

  この侵攻の目的は「略奪」である。そのためにはイスラエルが安定して、

  豊かになっていることが前提だ。イスラエルは海水を水にする研究をして

  いる。高いハイテク技術がある。(インテルCPUの8割はイスラエル製)

  近未来のパンデミックのワクチンか?砂漠に穀物を栽培する技術か?敵が

  どうしても欲しいものがあるに違いない。

 

5.「ペルシャ(イラン)とプテも彼らと共におり、みな盾とかぶとを着けてい

  る。ゴメルと、そのすべての軍勢、北の果てのベテ・トガルマ(トルコ)

  と、その全ての軍勢、それに多くの国々の民があなた(ロシア)とともに

  いる。」

  現在、イスラエルの最大の脅威はトルコ(ベテ・トガルマ=元オスマン帝

  国)だ。かつてオスマン帝国時代、イスラエルの土地は帝国内にあった。

  現在、トルコはオスマン帝国復興を夢見ている。イスラム色を強め、軍事

  力にも力を入れている。リビア2つの政府の1つにテコ入れし、最近は旧  

  ソ連のアルメニアとアゼルバイジャン紛争でアゼルバイジャンを支援して

  いる。軍事活動を活発化してきている。きな臭さは増しているのだ。すで

  にシリア内戦解決のために、ロシア、トルコ、イランは同盟を結んでいる。

  シリアの中にイラン、ロシアの基地が11ほどある。彼らは、反イスラエ

  ルであり、すでに2018年、イランがシリア内からイスラエルへドロー

  ン爆弾を飛ばし、イスラエルはすぐに反撃している。今年も、9月初旬、

  イスラエルは2回、シリアのイラン人をターゲットに数カ所攻撃をしてい

  る。もう戦いは始まっている。

 

 

預言に関する混乱

ところがトランプ大統領が介入して、イスラエルと平和条約を締結したので、ダニエル9:27からトランプ大統領が反キリストではないかとの声がアメリカのクリスチャンの間に広がっているという。そして、現在、アメリカで起こっている大規模な山火事はそれに対する神の裁きだと。聖書が語る預言的出来事を時系列的にきちんと理解してないと、そういう誤解が生じる。

 

大艱難時代前に起こる2つの出来事は、「携挙」と「エゼキエル戦争」(エゼキエル38章)だ。そして、「引き止める者=クリスチャン」(IIテサロニケ2:6)が携挙されて取り去られるまで「不法の人=反キリスト」は現れない。あのロシアのチェルノブイリ原発事故が起きた時、チェルノブイリは「苦よもぎ」という意味なので、これは黙示録8:11のことではないかと言うクリスチャン達もいた。しかし、黙示録8:11は大艱難時代のことであり、我々はまだそこにいない。なので、こういう読み込みは混乱を招くだけだ。パウロは「主の日=大艱難時代がもう来たのか?」と混乱していたテサロニケの信者に、不法の人が現れるまで「主の日」は来ないのだと説き伏せ、落ち着かせたのだ。(IIテサロニケ2:2)今日まだ、反キリストは公に現れていないし、従って大艱難時代にも入っていない。ただし、今日、起こっているパンデミック、バッタの大軍による飢饉、異常気象と自然災害などは大艱難時代に増幅されて起こる苦難の予表であるとは言えるだろう。

 


アメリカの思惑

バイデン氏が大統領になるとオバマ政権の民主党時代の政策を踏襲し、イランに寛大な政策をとるだろう。トランプ大統領は中国にもイランにも厳しい態度で臨む。トランプ大統領としては、中東の平和を実現し、アメリカ軍をほぼ撤退し、その力を対中国に向けたい。香港で起こったことは台湾で起こる。毛沢東も成し得なかった台湾統一は習近平氏の夢であるし、これが実現すれば、その権力は揺るぎないものとなる。融和政策が効かないのを知っている習近平氏は武力行使に出る可能性が高い。しかし、台湾が支配下に入れば、次は尖閣、そして沖縄となる。そこでアメリカは本腰を入れて台湾を支援する。事実上の国交を結び、最新鋭の戦車や戦闘機を提供している。南シナ海には原子力空母(1隻に5000人搭載)2隻が巡回している。これではそう易々と手が出せない。




 

しかし、こうしてアメリカが中国に集中しているうちに、手薄になったイスラエルに嵐のように、一気にロシア同盟軍が攻め上る(38:9)こともあり得ない話ではなくなってきている。しかし、その結果は超自然的な神の介入によるイスラエルの勝利である。(38:21−23)

 

「多くの国々の見ている前でわたしを知らせるとき、彼らは、わたしが主

 であることを知ろう。」(38:23)



 

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資料1 「エゼキエル戦争」(エゼキエル38:1−9)

 

「さらに、私に次のような主のことばがあった。『人の子よ。メシェクとトバルの大首長であるマゴグの地のゴグに顔を向け、彼に預言して言え。神である主はこう仰せられる。メシェクとトバルの大首長であるゴグよ。今、わたしは、あなたに立ち向かう。わたしはあなたを引き回し、あなたのあごに鉤をかけ、あなたと、あなたの全軍勢を出陣させる。それはみな武装した馬や騎兵、大盾と盾を持ち、みな剣を取る大集団だ。ペルシャとプテも彼らと共におり、みな盾とかぶとを着けている。ゴメルと、そのすべての軍勢、北の果てのベテ・トガルマと、その全ての軍勢、それに多くの国々の民があなたとともにいる。備えをせよ。あなたも、あなたのところに集められた全集団も備えをせよ。あなたは彼らを監督せよ。多くの日が過ぎて、あなたは命令を受け、終わりの年に、1つの国に侵入する。その国は剣の災害から立ち直り、その民は多くの国々の中から集められ、久しく廃墟であったイスラエルの山々に住んでいる。その民は国々の民の中から連れ出され、彼らはみな安心して住んでいる。あなたは嵐のように攻め上り、あなたとあなたの全部隊、それにあなたにつく多くの国々の民は、地をおおう雲のようになる。』」

 

マゴグ:トルコ北のコーカサス山脈の北のエリア、すなわちロシア。エゼキエ

    ル38:15「北の果てのあなたの国」とあり、エルサレムからまっ

    すぐ北上するとモスクワを通る。北の果ての大国はロシア以外にあり

    得ない。

メシェク:モスクワの語源

トバル:トボリスク(ウラル山脈の東、シベリアの首都)

ベテ・トガルマ:トルコ、アルメニア地方

ペルシャ:イラン 

プテ:ソマリア

ゴメル:ドイツ (ゲルマニア)

                       (中川健一著 終末論Q&Aより)

 

 

資料2 建国以来のイスラエルの歴史

 

1947年に国連で、両者で土地を分割することが決定されたこと、 ・その分割は、ナチス・ドイツによる虐殺への同情と、第二次世界大戦中の連合国に対する協力への配慮から、ユダヤ人たちに有利な内容(土地の約56パーセント)であったこと、 ・パレスチナ人やアラブ諸国が反対するなか、この分割決議に基づき、1948年にユダヤ人がイスラエルを建国したこと、です。

 

アラブ「進歩派体制」は深刻な打撃を被り、196711月の国連決議242号採択で、その後の「中東和平」の指針となる、イスラエルを含む中東域内諸国の生存権保障(パレスチナ人民族自決権の否定)、イスラエル軍の占領地撤退が示され、これをヨルダン、エジプトは受諾した。イスラエルはパレスチナ全土を含む広大な占領地をつかみ、多数のアラブ・パレスチナ住民を抱え込んだ。この結果、アラブ諸国はイスラエルの国家的存在を否定することは困難となり、ロジャース提案(1970)に始まるアメリカ主導の「中東和平」づくりが動きだした。

                          (日本大百科全書)

 

1979年、アラブ諸国で唯一全ての中東戦争に参加していたエジプトが単独で、イスラエルとの平和条約に調印。エジプトの損失が大きすぎることからきた決定でした。その結果、イスラエルとアラブ諸国の直接的な衝突は影をひそめました。


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執筆者:栗原一芳

Japantmc@gmail.com