2020年10月8日木曜日

超クリスチャン

神はクリスチャンを造ったのではない!?

神は天と地をお造りになった。神は宇宙の創造主であり、特定の「宗教」の神ではない。キリスト教という宗教の神ではない。神は仏教徒やイスラム教徒やキリスト教徒をお造りになったのではない。アダムはキリスト教徒ではない。神は人間を造られた

 

創世記11章までは人類の話なのだ。旧約聖書はヘブル人の物語で、登場する人物は皆、ヘブル人かと思いきや、そうではない。例えば、有名なノアはユダヤ人ではない。ノアの子孫のセム、ハム、ヤペテから世界の人種が始まっている。ユダヤ人はセム系の人種だ。アダムは、「人類」の頭なのであり、イエス様の贖いは、ユダヤ人の贖いではなく、「全人類」の贖いなのだ。

 

従って、イエスを信じて、救われるとは「キリスト教徒になる」ことではなく、本来の「人間」に回復されることなのだ。特定の「宗教」に入るのではない!しかし、この人間を含めた全宇宙の贖いと回復が「キリスト教」という矮小化された「宗教」になってしまったので、誤解を与えることとなった。

 

 

バプテスマのヨハネはクリスチャンではなかった?!

イエス様ご自身が語ったように、バプテスマのヨハネは旧約時代の最も偉大な人物ではあるが、パラダイム的にはキリストの十字架と復活以前なので、新約

の恵みに預かっている聖徒とは違う扱いとなっている。ヨハネはキリストを認知し、指し示したが、厳密な意味ではペンテコステ以降のキリストの体なるエクレシア(教会)のメンバーではない。聖霊も受けていない。クリスチャンという呼び名さえ知らなかったのだ。

 

 

パウロはクリスチャンだった訳ではない!?

パウロは自分が「クリスチャン」だと言わなかったし、新しいキリスト教という宗教を始めたという意識もなかったのだ。パウロが伝道旅行で諸都市を訪れた時、ユダヤ人の会堂(シナゴグ)で語っている。ということは、会衆はパウロをユダヤ人の巡回ラビと認識し、話す機会を提供していたことになる。まだ、この頃、キリスト教とユダヤ教というはっきりした区別がなかったのだ。おそらくパウロ自身、自分こそは聖書(当時は旧約)を一番よく理解している者、正真のユダヤ教徒と思っていただろう。それでシナゴグで語り、ナザレのイエスこそ、旧約で預言されているメシアであることを証明しようとしたのだ。(使徒9:20−22)

 

使徒の働き11章26節の時点で、「弟子たちは、アンティアオキアで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。」とある。他の人から付けられた「あだ名」であった訳だ。あるいは、信者でないアグリッパ王が皮肉を込めてパウロに「おまえは、わずかな時間で私を説き伏せて、キリスト者にしようとしている。」(使徒26:28)と言っている。パウロも初代教会の信者も自らを「クリスチャン」とは呼んでいない。ちなみに、この当時は彼らの信仰は「この道」(使徒9:2)と呼ばれており、「キリスト教」というより、「キリスト道」に近かった。ちなみに、パウロが諸教会の信者に宛てた手紙では「聖徒たち」と呼んでいる。

 

クリスチャンがクリスチャンという訳ではない!?

ローマ時代、迫害下の中にあった信者の信仰は純粋だった。しかし、国教会化されるに従って、名目上のクリスチャンが増えていった。「ウチは代々キリスト教だから・・」となる。終いには、信仰持っていないキリスト教指導者までも現れていく。日本では仏教や神道ではないという意味でキリスト教と言うが、アメリカ中西部のバイブルベルトに行くと、キリスト教は当たり前なので、自分の宗教は” I am a Baptist”, “I am a Methodist”(バプテスト派、メソジスト派)という表現になる。筆者はフロリダに滞在の体験があるが、保守的なフロリダでもクリスマスとイースターにしか教会に顔を出さない、いい加減なクリスチャンもたくさんいる。最近では真の信者を区別するためにクリスチャンという呼び名より、”Follower of Jesus” (イエスに従うもの)と呼ぶことがある。新生していない「クリスチャン」は世にたくさんいるのだ。

 

教会に行く人がクリスチャンなのではない。

多くの人はクリスチャンとは「日曜に教会に行く人」と思っている。宗教的観点からはそうかもしれないが、聖書的にはそうではない。クリスチャンになるとはイエスを救い主として信じて、その瞬間に聖霊を頂くこと(キリストにつくバプテスマを受ける)(Iコリント12:13)という霊的体験であり、新生体験である。家が代々クリスチャンだから、洗礼を受けたから、教会に毎週通っているからクリスチャンとは限らない。教会はキリストの体であり、イエスを主と告白する「霊的共同体」である。ビジネスで建てた立派なチャペルは、「会堂」ではあっても、「教会」ではない。教会の看板が出ている教会堂の毎週日曜通っているからクリスチャンなのではない。会堂を持ってなくてもイエスへの信仰を持って、家で集まっていれば、それはエクレシア(教会)である。

 

 

クリスマス、イースターはクリスチャンが守らなければならない

イベントではない。

クリスマスは教会の一大イベントだ。しかし、聖書の中にクリスマスを祝へとの命令もなければ、初代教会の実践も記録されていない。元来、クリスマスはミトラ教(太陽崇拝)の冬至の祭り(日が一番短い冬至の翌日12月25日を太陽復活の日としてご馳走や、プレゼント交換などして盛大に祝った)に由来している。これをキリスト教会が拝借したもの。(教会に迫害され、ミトラ教は滅んだというオマケ付き)。キリストの誕生日ははっきりしていないし、羊飼いが夜、外にいた事実から、もっと暖かい時期ではないかと推察される。もちろん、サンタクロースやクリスマスツリーはキリスト生誕とは関係ない。

 

オックスフォード辞典によると、「イースター」の名の由来はゲルマン神話に出てくる春の女神。以降、「復活」と「春」を結びつけたのだろう。何れにしてもイースターバニーやイースター・エッグはクリスチャン信仰となんら関係ない。聖書にイースターを祝えとの命令はない。

 

つまり、これらの「イベント」を守らないとクリスチャンではいられない訳ではない。聖書に命令も無い。大事なことはキリストの誕生を喜び、復活を祝う信仰の態度だ。確かに、新約聖書の大きなテーマは「復活」と「再臨」と「御国」である。イエスの復活は「初穂」としての復活であり、私達がそれに続く。このブログで度々書いているように、復活とは魂の永続のことでは無い!文字通り、朽ちない「体」を頂くことだ。そして、文字通り、キリストは再び、地上に再臨し、悪を滅ぼし、王として、この地上に御国を建てられる。だから、それをまともに信じる方が、イベントを習慣として守ることより、はるかに重要だ。伝道目的でクリスマスコンサートなどやることはありだろうが、逆に教会向けには10月に「生誕礼拝」をやってもいい訳だ。その方が落ち着いて主の生誕を祝い、礼拝できるのでは?

 

 

超クリスチャン(Beyond Christianity)という方向性

2000年間の固定観念をひっくり返すのは至難のワザだ。歴史的にあまりに背負ってきた余計な荷物が大き過ぎる。アメリカのオーガニックチャーチ推進者のフランク・バイオラはその余計な荷物について、「船についた藤壺のよう」だと書いている。キリスト教をオリジナルに戻すのは、「機関車を止めるように極めて困難だ。」とも言っている。だからバイオラは「教会刷新」ではなく「教会革命」が必要だと言う。しかし、どうやって革命を起こすのか?

 

キリスト教という「宗教」を脱ぎ捨てようと言うBeyond Christianity https://www.missionfrontiers.org/issue/article/beyond-christianityという動きがある。これはInsider movementとも呼ばれ、キリスト教文化と宣教地文化の対決ではなく、宣教対象の文化に入り込んで宣教し、その文化を変えずに(キリスト教という宗教を経ずに)神と結びつき、御国を広げていくもの。仏教徒が袈裟を着たまま、「ハレルヤ!」と主を賛美していることなどが報告されている。実は60年代後半のアメリカでのジーザスムーブメントは、これに近かった。救われたヒッピーがロングヘアのまま、ロックでイエスを賛美した。現在ならラッパーはラッパーのまま、仲間に影響を与えることができるだろう。そこから出て「教会」に入って「いいクリスチャン」になることで、返って、影響力を失ってしまうことがある。

 

バイオラは ”Reimaging Church”(教会を再考する)という本を書いている。教会の再イメージと共に、クリスチャンを再イメージしてみてはいかがだろうか? 既存のイメージを崩すためには、クリスチャンらしくないクリスチャン

が出てくることも必要なのだ。

 

神はもともと「キリスト教徒」を造ったのではない。ドイツの神学者ボンヘッファーの言葉は再考に値する。


 

「キリスト者であるとは、人間であることだ。キリストは我々の中に、1つの

 人間類型ではなく、一人の人間を作る。」(1944年7月18日)

 

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意味ある人間関係と祈りで広がるキリスト中心のコミュニティ

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Tokyo Metro Community (TMC)

執筆者:栗原一芳

Japantmc@gmail.com

 

 

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