2023年8月31日木曜日

ニムロデと宗教の起源

 

霊的堕落のハム族

箱舟から出て来た、ノアの息子たちは、セム、ハム、ヤペテであった。ハムはカナンの父である。(創世記9:18)

 

と、わざわざハムについては、詳しく言及している。これには意味がある。ハムは父ノアの裸を見て、呪われ、その子孫が呪われた。「呪われよ、カナン」(創世記9:23)カナンからカナン人の諸氏族が生まれ出た。彼らの領土にはソドムやゴモラがあった。(創世記10:18−19)このカナン諸氏族は、のちにヨシュアが「約束の地」に侵入した時に、「聖絶」されている。呪いが実現された。ハム系はサタンに利用される霊的腐敗者となっていく。

 

最初の「反キリスト」 ニムロデ

ハムの子孫はクシュで(創世記10:6)、クシュの子がニムロデだ。(創世記10:8)そして、ニムロデは地上で最初の権力者になった。大洪水前には全ての動物は草食だったが、洪水後には肉食が許されるようになった。(創世記9:3)つまり狩猟が始まったのだ。ニムロデは力ある猟師(創世記10:9)となった。優れて猟師だったから民に食物を提供することができ、かつ、猛獣から民を守ることができたので、「権力者」となったのだ。彼の王国にバベルがあり、(創世記10:10)ニムロデの王国はシヌアルの地、すなわちバビロン地方にあった。(創世記10:10)

 

バビロンの語源はバベル。以降「バビロン」は、黙示録では「大バビロン」として、霊的腐敗の象徴として語られるようになる。ここが「反キリスト・スピリット」、偶像(諸宗教)のルーツなのだ。

 

ニムロデの指導の下にバベルの塔が建設された。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう」(創世記11:4)神への挑戦であり、何なら神にとって代わることの宣言でもあった。これこそサタンの野望だったのだ。(イザヤ14:12−15)従って、ニムロデは患難期の獣=反キリストの最初のモデルとも言える。自分を崇める者達に食物と安全、すなわち「繁栄」を約束する。サタンが荒野でイエスに提案したように。(マタイ4:8−9)神なしの「繁栄」を、終末の「反キリスト」も約束する。まさにニムロデは、この世」の神(IIコリント4:4)となったのだ。

 

人々はニムロデを「食物の提供者」「命の守り神」として崇めるようになったのだ。

 

バビロン宗教の拡散

サタンはいつも真理のカウンターフェイト(偽造)を作る。マネする。神が三位一体であるように、バビロン宗教(宗教の起源)も3つの神からなる。ニムロデ(太陽神)、妻のセミラミス(月神)、そして息子のタンムズ(星の神)だ。

このタンムズはエゼキエル8:14に登場している。世界に見られる「太陽礼拝」、「月礼拝」、「星礼拝」は、ここから始まっているのだ。サタンが真の神から目を逸らすために、神に反抗的なニムロデ ファミリーを利用して、ニセ宗教を始め、それを世界に拡散してしまったのだ。

 

バベルの塔の裁きで言葉が混乱して以来、人々は分散して世界に広がってゆく。その時にバビロン宗教をも一緒に持ち出したのだ。太陽礼拝、月礼拝、星礼拝は全世界に、そして代々続いてゆくことになる。セミラミスは、バビロンでは「天の女王」と呼ばれたが、カナンとその周辺では「アシェラ」、ギリシア圏では、「アルテミス」、「ヘラ」エジプトでは「イシス」、そしてローマでは「ダイアナ」とか「マドンナ」とか呼ばれた。ちなみにオリンピックの聖火はギリシア・オリンピアのヘラ神殿で採火される。

 

占星術の起源は、星の神タンムズに由来する。ダニエル2:2での呼称「カルデヤの呪法師、呪術者」を見ても分かる通り、カルデヤ(バビロン)は占星術の代名詞となったのだ。21世紀の日本でも「星占い」が雑誌や新聞に載っているのを見るとその影響力の大きさに驚く。

 

ちなみに、世界保健機構(WHO)のマークは蛇が絡みついた杖だが、その杖を持つ、アスクレピオスとは、ギリシャ神話に登場する「天の星・蛇遣い座の守護神」で医学の神といわれている。その杖が医学の象徴となり、現在は世界保健機構(WHO)でも採用され、ヘビと杖は国際的に共通のものになったという。つまり、起源は「星の神」、タンムズだ。率直に、このマークが気持ち悪いと感じている人もいる。サタンは自分を拝ませたいために、多くの宗教の偶像に「蛇」や「竜」を登場させている。

 

アッラーは月の神?!

多くのイスラム国の国旗に星や月が多いのに気づく。驚くべきことにアッラーは唯一神ではなく、もともと「月の神」だったという証言もある。

 

「モハメッドは、その当時広く広まっていたユダヤ教徒とキリスト教から唯一神の概念を学んで、月の神、アッラーに適用した。自分が住んでいた地域の最高神であった月の神アッラーを唯一の神とし、カバー神殿のその他360個の偶像は全て破壊した。この過程を見ると、イスラム教のアッラーの神はモハメッドが生まれるずっと前からアラビア地域で広く崇拝されて来た最高の偶像の中の1つすぎないことがもう一度証明される。アッラーの神は、表面から見ると男の神であるが、その本質は月の神、セミラミスなのである。」(p152)*

 

つまり、アッラーはイスラム教が創設されるずっと以前から中東地域で崇拝されていた「月の神」の呼称だったというのだ。そして「月の神」の起源はセミラミス、ニムロデの妻が神格化されたものだった。

 

このような真の神からの堕落としての諸宗教という考えは、現代、まかり通っている宗教多元主義(すべての宗教を横並びに置く)とは対極にある。

 

==========================

参考本

「宗教の起源」 トーマス・ファン  AMI日本宣教会

==========================

意味ある人間関係と祈りによって深まり広がるキリスト中心のコミュニティ

東京メトロ・コミュニティ

Tokyo Metro Community (TMC)

執筆者:栗原一芳

 

2023年8月24日木曜日

すでに提唱されていたオーガニック・チャーチ

 

すでに提唱されていたオーガニック・チャーチ

最近、友人が「世界一わかりやすい内村鑑三の無教会主義」(真のエクレシア形成を目指して)という本を紹介してくれました。シンプルにポイントだけをまとめてくれているので、読みやすいし、分かりやすいので是非、オススメです。以下、本の引用を中心にお分かちします。現代、アメリカでのオーガニック・チャーチ推進者のフランク・バイオラはInstitutional church(制度的・組織的教会)に対する概念としてオーガニック・チャーチを挙げています。そう言う意味では「無教会主義」は「オーガニック・チャーチ」なのです。

 

「無教会」という言葉が誤解を招きますが、ご存知のように、内村鑑三が「無教会」という時、教会(エクレシア)を否定しているのではなく、組織的・制度的教会を否定しているのです。

 

「内村は1893年発行の『基督信徒の慰』で「無教会」という言葉を生み出し、1901年には同名の雑誌『無教会』で「無教会主義」として、その概念を最初に提唱しました。(P.14

 

オーガニック・チャーチの概念は新しいものではなく、日本でも、すでに1901年から内村が提唱していたことになります。

 

内村が「無教会主義」を提唱するに至った経緯として・・・

 

1.    日本の天皇崇拝への反対姿勢

2.    教会でのネガティブな経験

3.    制度主義と外国人宣教師への反対姿勢

 

が、きっかけとなったといいます。1に関しては天皇崇拝に反対する姿勢が、ナショナリズムから独立した信仰へと向かわせました。2に関しては「聖職者の間での嫉妬や敵意・・・教会員の間での不品行、不誠実、不公正、そして不信」(P17)を体験した事で、組織的教会にうんざりしたという事でしょう。どうしても多く集めると、組織・運営が必要となり、それが「組織悪」を生むことになります。

 

3に関しては、「宣教する側」としての先進国・欧米の宣教師と「宣教される側」の後進国の日本という構造です。どうしても力関係、上下関係ができてしまいます。無意識的にも意識的にも福音プラス欧米文化を押し付けてくる傾向があったのでしょう。

 

「内村は西洋帝国主義を不快に感じ、西方キリスト教会における教派の分裂や大衆伝道と改宗の強調は、日本の文化に当てはまらないと考えていました。」(P.19

 

そして、内村が打ち出した方向はいわば「キリスト道」だったのです。

 

「無教会は日本人のクリスチャンとしての自分に向けて歩くように言われた『道』であると、内村は強く信じていました。(p.17-18

 

人の組織より、生きる「道」としてのキリスト信仰を選び、内村は、制度的教会から離れていったのです。

 

無教会主義の5つの神学的特徴

 

1.    信仰のみによる救い

2.    制度主義・教派主義・礼典・サクラメントの撤廃

3.    本来のエクレシアと現在の教会の区別

4.    宇宙の教会として無教会信者の教会

5.    2つの(Jesus & Japan)

 

「宇宙の教会」については説明が必要ですね。内村はキリストの究極的かつ単一の体としての普遍的教会を求めていました。(P.25)

 

内村自身、このように書いています。

 

「『無教会』は教会の無いものの教会であります。即ち、家の無いものの合宿所ともいうべきものであります。即ち、心霊上の養育院か孤児院のようなものであります。無教会の『無』の字は、『ナイ』と読むべきものでありまして、『無にする』とか『無視する』とかいう意味ではありません。」(P.25

 

無教会主義は教派ではなく、「根本的キリスト教」への回帰であり、教会の真の姿を実現しようとするものであったのです。組織や政府のような教会ではなく、家族のような兄弟姉妹の集まり(エクレシア)を目指したのです。

 

組織的教団教派に違和感を感じ、それらに属さない、いや、属せない信者たちは、「教会」を持たない信者となるわけです。そして、「教会」を持たない者(さまよう信者)にとっての居場所が「宇宙の教会」だと言うのです。神の造られた大宇宙がいわば、教会堂なのであり、説教者は神御自身だと言うわけです。(P.33)

 

ちなみに、初代クリスチャンたちの「キリスト道」はコンスタンティン皇帝がAD313にキリスト教を公認して以来、「キリスト教」という宗教に変質してしまったのです。純粋な信仰を持つものが制度的・組織的教会に違和感を感じるのは、ある意味、当然とも言えるのではないでしょうか。

 

エクレシア体験

この本の著者、中村氏はフラー神学大学院で学んでいる時、「コイノニア」と呼ばれるバイブルスタディグループに参加していたと言います。そこで夕食を共にし、参加者の相互交流を行い、信仰の課題を共有し、共に聖書から学び、祈り課題を分かち合い、お互いのために祈っていたのです。彼曰く、「このコイノニアこそ、妻や私がもっとも真のエクレシアの形成を体験した場所の1つでした。」(P.62)

 

ちなみに、この交わりは無教会主義とは直接関係がなかったそうですが、本質は同じものだったのです。今、私たちがやっている「TMCエクレシア」も同じですね。メンバーは、コロナ渦を通過しても人数は減りませんでした。それだけの「魅力」があるからでしょう。真に、この「エクレシア体験」をしたものは、その魅力に取り憑かれてしまいます。

 

宣教の視点から見るオーガニック・チャーチ

以前のブログ記事で紹介したデータですが、キリスト教系学校の学生・卒業生や聖書の読者、キリスト教社会福祉事業所の関係者、クリスチャン作家の読者など、「現実的に教会に繋がっていたりしなくとも、キリスト教に対して好意的な人」が「30%以上」いるそうです。これは励まされる数字です。

 

また、教会に所属はしないが、キリスト教に愛着や親近感を持ち、個人的には信仰を持ちつつも組織的な所属をしない人々=「所属なき信仰者」が、かなりの数いるという事です。これはチャンスです。これらの人々は、信者ですが、組織としての教会には興味がないし、教団や教派にも興味がないのです。

 

宗教的要素をなるべく排除した「キリスト中心のコミュニティ作り」つまりは、オーガニック・チャーチが求められているのではないでしょうか。もともと、教会は会堂や組織ではなく、「キリストの体」であり、「キリストの充満」です。(エペソ1:23)

 

90年代でしたか?牧師、ビジネスマンが協力して日本人のキリスト教に対する意識調査をやったことがあります。それは、「エリヤ会」と名付けられ、その報告が発表されました。「どうして教会に来ないのですか?」の質問に「縛られたくない」がもっとも多い答えだったと記憶しています。多くの人(特に男性は)教会に行くと献金や日曜礼拝厳守と、色々規定があり、守るのが面倒だと思っているのでしょう。そんな事だけでキリストを遠ざけてしまっているとしたら大変、残念です。

 

「無教会主義はミッシオ・デイ(神の宣教)の具現化であり、それを推し進める奉仕活動を委ねられている。」(P.63

 

今後の日本宣教の視点からも、オーガニック・チャーチ推進を再考してみる必要があるのでは無いでしょうか?具体的には以前のブログで書いた、インターネットによる講解メッセージと地上のスモールグループによる分かち合いという形態でしょうか?具体的には課題は多いですが、方向性は間違っていないと思います。

 

========================== 

オススメ本

「世界一わかりやすい内村鑑三の無教会主義」 中村友彦 著

                      *アマゾンで購入できます

 

==========================

意味ある人間関係と祈りによって深まり広がるキリスト中心のコミュニティ

東京メトロ・コミュニティ

Tokyo Metro Community (TMC)

執筆者:栗原一芳

 

 

 

 

2023年8月17日木曜日

地獄をどう考える?

 

地獄は苦しみの場所

聖書には地獄についての言及が53回もあります。「地獄」という存在を否定することはできないのです。イエスご自身も律法違反者は「燃えるゲヘナ」に投げ込まれるという表現をしています。(マタイ5:22、29−30)イエスご自身、地獄について多く言及しています。イエスが地上で活躍した時代のエルサレムには、実際にゲヘナ(ゴミ焼却場)がエルサレムの南(城壁の崖の下のヒノムの谷)にあったのです。常に火が消えず、蛆虫が湧いていたようです。首吊り自殺したユダも、最終的にここに落とされ、はらわたが出てしまいました。

 

イエスご自身がした「金持ちとラザロ」の話では、無慈悲な金持ちはシェオール(黄泉)で、苦しみを受け、暑さと渇きを体験しています。シェオールは一時的な拘留場とはいえ、苦しみもあるのです。最終的な地獄は「火の池」です。やはり「熱い」イメージがつきまとっています。悪魔、偽預言者、反キリストは、そこで「永遠」に苦しむことが明記されています。(黙示20:10)死んで魂が消滅してしまうという思想は聖書にはありません。

 

地獄が「苦しみの場所」であることは確かですが、「永遠に」苦しむということを、受け入れがたい人は多いのではないでしょうか。「火の池」とは何なのでしょうか?地獄をどう解釈するか、議論を呼ぶところです。ティム・ケラーは神を拒絶した人は、この人生で、すでに地獄の苦しみを体験し始めていると考えています。(つまり、場所というより状態のこと?)

 

地獄は神のいない場所?

罪の報酬は「死」です。(ローマ6:23)「死」とは神=命からの断絶です。イエスが十字架上で体験した苦しみ、「我が神、我が神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか?」は、まさに死=神との断絶=地獄だったのです。罪の支払う報酬は「死」(ローマ6:23)です。イエスが私たちの身代わりに、その「死」を体験し、味わってくださったのです。神に見捨てられた場所。神のいない場所。それは想像もできないほど、恐ろしいところです。ヤクザが支配する町を想像してください。光が存在せず、暗黒の世界。治安は乱れ、道端で女性はレイプされ、子供らは麻薬に染まり、保安官も警察も機能しない町。悪い権力者が思うままに支配する町。何の希望もありません。救い主がいない町。救いは永遠に来ないのです。

 

ちなみに火の池に罪人が投げ込まれますが、(黙示21:8)そこには、「悪魔」も「獣=反キリスト」も「にせ預言者」も投げ込まれるのです。(黙示19:20、20:10)つまり、神はいないが、悪魔が永遠に同居する場所なのです。

 

その反対が新天新地で、まさに天と地の融合の場所。神の栄光が世界を照らします。神とともに、神の御顔を仰ぎ見ながら生活する場所なのです。これは対照的です。

 

イエスを信じ、イエスに従うものはイエスのいるところに行きます。(ヨハネ14:3)イエスの命に預からない者は、肉体の死後、魂の死(第二の死)を味わいます。神を拒み続けた人は、神のいない世界=悪魔の棲む「地獄」へ行くのです。神がいないとは、命がない、愛がない、秩序がない、正義がない、希望がない世界です。

 

黙示録の「火の池」とは?

黙示録に出てくる「火の池」が、最終的な「地獄」の姿です。永遠に火で苦しめられるのはあまりに酷なので、死んだら「無」になる、罪人の魂は、消滅すると考えるセブンスデーアドベンティストなどの教えがあります。しかし、刑罰は永遠であること、「苦しむ」主体が存続することが明記されています。(黙示20:10)

 

黙示20:14では、「火の池」とは「第二の死」とあります。もう一度、言いますが「死」とは分離のことです。「第一の死」は肉体と魂の分離、「第二の死」は神からの永遠の分離。(マタイ10:28)そう考えれば、「火の池」の「火」とは、文字通りの「火」ではなく、「渇き」、「苦しみ」を与える象徴であり、「火の池」=「第二の死」=「神と完全に分離された暗闇の世界に永遠に住むこと」と解釈できないでしょうか?

 

実際、火の池に「死」、と「ハデス」が投げ込まれており、人格の無い「死」が罰を受ける(死が苦しむ)というのは変なので、そこには「死」(そしてハデス)が永遠に「ある」という解釈の方が自然です。火の池に投げ込まれた「死」が燃えて滅びてしまうという事なら、火の池に投げ込まれた人の魂も消滅してしまうという論理になります。それに、そもそも「死」は燃えないです。むしろ、人が「死」(神からの分離状態)の中に、永遠に置かれる(「死」が永遠に存在する状態)という方が納得いきます。

 

「死」の反対は「命」です。新天新地は、神の御臨在があるところ、「命の木」がなるところ(黙示22:2)です。黙示録22:15では罪人は「外にとどめられる」と表現されています。ここでは火の池は出てこないのです。「都に入る者=命の木の実を食べる者」との対比で「外にとどめられる=死=神の臨在と命からの分離」となりますね。

 

よく考えてみると「硫黄の燃えている火の池」(黙示19:20)に、人間も永遠に存在することは不可能です。罪人は「朽ちない体」を持っていません。この地上の肉体を持った人間が永遠に火で焼かれることは不可能です。肉体は溶けるか、灰になってしまうからです。また、魂だけが残ったのであれば、火の熱さを感じる五感がありませんので無感覚です。

 

それなら地獄とは何でしょう。地獄とは「神からの永遠の断絶=神のいない世界に永遠に生き続ける」という事でしょう。神を拒絶し続ける人は、その望み通り、神のいない世界へ行くのです。「偶像を拝むもの、魔術を行うもの」(黙示21:8,22:15)すなわち、悪魔を崇めるものは、悪魔と永遠に同居することになるのです。彼らの選択です。そこで永遠に神に出会うことなく過ごすのでしょう。

 

神のお心

このテーマが語られると必ず、「どうして愛の神が人を地獄に送るのか?」という質問が出ます。神は人を地獄になんか送りたくないのです。もともと地獄はサタンとその悪霊たちのための裁きの場所として造られたのです。(マタイ2541)人のためではありません。そこに入る必要は無いのです。神の救いを拒み、サタンに追従する人は、自分の選択としてサタンの落ちるところに一緒に落とされるのです。しかし、神は一人でも救いたいのです。最後に神の切実なお心をお分かちします。

 

彼らにこう言え。『わたしは生きている──神である主のことば──。わたしは決して悪しき者の死を喜ばない。悪しき者がその道から立ち返り、生きることを喜ぶ。立ち返れ。悪の道から立ち返れ。イスラエルの家よ、なぜ、あなたがたは死のうとするのか。』         (エゼキエル33:11)

 

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。      

                    (ヨハネ3:16)

 

神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます。    

                    (テモテ2:4)

 

主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。  

                    (II ペテロ3:9)

 

 

Word study

 

マタイ10:28「たましいも、からだもともに、ゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」

 

滅ぼす 英語ではdestroy  ギリシア語ではἀπολέσαι (apolesai) 

ギリシア語を調べてみると・・・
Verb - Aorist Infinitive Active
Strong's 622: From apo and the base of olethros; to destroy fully, literally or figuratively.

とあり、「文字通りの意味」と「比喩的な表現」と両方に使われるとあります。

文字通り、「滅ぼす」だと、魂が消滅してしまうことになり、聖書の思想とは反しますね。「彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける。」(黙示20:10)

とありますから。サタンは最後に「滅ぼされる」」のですが、その意味は「ゲヘナで永遠に苦しみを受ける」ということであり、「消滅」ではありません。あるいは、神とクリスチャンの居るところからの「完全な隔離」です。つまり、「滅ぼす」とは「隔離され、苦しみを受ける」という意味に取った方が、納得がいきます。

===========================

 

意味ある人間関係と祈りによって深まり広がるキリスト中心のコミュニティ

東京メトロ・コミュニティ

Tokyo Metro Community (TMC)

執筆者:栗原一芳

 

 

2023年8月10日木曜日

教会が教会を迫害する時代


夏になると思い出す・・・

8月15日の終戦記念日の頃になると思い出す。戦時中に「外国宗教」であるキリスト教は迫害を受けた。特に、「キリストが王として再臨し、千年王国を統治する」という再臨信仰は天皇を頂点とする「国体」に反するゆえ、再臨信仰を強調していたホーリネス諸派は、弾圧を受けた。

 

134人が検挙され、うちの75人が起訴された。獄中死した者も7名いた。「ホーリネス弾圧事件」だ。忘れてはならない。問題は、当時のキリスト教界の幹部たちが、ホーリネス検挙を歓迎していたという事実だ。

 

ウィキペディア「ホーリネス弾圧事件」のページに以下のようにある。

---------------------------------------------------------------------

日本基督教団の幹部らは、当局のホーリネス検挙を歓迎した。第4部管谷仁主事は、「彼らの熱狂的信仰は我々教団では手の下しようもないくらい気違いじみているため、これを御当局において処断して下さったことは、教団にとり幸いであった。」と述べた。

-----------------------------------------------------------------------

再臨は「キリスト道」信仰においては、復活と並んで中心的な教理であり、これを否定することは聖書に反する。(II ペテロ3:3〜)しかし、キリスト教界のリーダー達が進んでこれを否定し、この世の権力に妥協した。この日本で、たった80年ほど前に起こった事実なのだ。

 

1984年、日本基督教団は、当時の誤りを認めて、関係者とその家族を教団総会に招いて公式に謝罪したというが、もし、聖書信仰を離れた自由主義神学に根ざしているなら、また同じことになることは目に見えている。

 

ちなみに、治安維持法の下、特別高等警察がホーリネス系の教会を弾圧した訳だが、図らずも取り調べ最中、刑事が次のように漏らしたという。

 

「君たちはボンヤリしてるからダメなんだよ。君たちを・・ヤソ教全体も・・検束し得るために治安維持法が改正されたんだよ。」*

 

教会が教会を迫害する

これが、戦時中起こったことだ。しかし、これが将来、起こることでもある。

「教会が教会を迫害する」時代がすぐにやってくる。真の信仰者はいつでも「残れる者=Remnant」なのであり、主ご自身も再臨時に「果たして信仰が見られるだろうか」(ルカ18:8)と言われた。

 

終末には、まず、背教の時代が来るということだ。(II テサロニケ2:3)異教徒は「背教」することはできない。彼らは、初めから違う信仰だからだ。「背教」とは、元々クリスチャンだった人が、その信仰を捨てる、あるいは名前はクリスチャンでも聖書の真理を否定するようになるということだ。そして、この世(つまりはサタン)に妥協するようになることだ。それが「キリスト教界」のマジョリティとなるだろう。世と妥協した教会は、真の信仰者の信仰を「熱狂的信仰」と見なし、当局と一緒になって摘発、取り締まりに協力するようになるだろう。

 

教会が世の権力に妥協することはすでに、ローマ時代に起こっている。「キリスト道」信仰が、公認化され、国教化するに従い、「キリスト教」という宗教に「変質」した。世の組織として教会は強大化し、権力を持ったが、霊的には衰弱していったのだ。「生きた信仰」がなければ、人は「迫害」より「繁栄」や「安泰」を求める。容易にそちらに流れていくのだろう。

 

神の国を広げる信念で始まった教団・教派。団体が自らの組織を大きくしようとの欲望に向かうなら危ないサインだ。そのプロセスの中で、「キリスト道」が「キリスト教」になっていく。この世の権力とぶつかる時、妥協してでも組織を守り、「大きくなる」ことを求めるからだ。「迫害」より、「繁栄」「安泰」な道を選ぶようになるからだ。しかし、それこそサタンが差し出している誘惑ではないか。(ルカ4:5−6)

 

連帯しよう 愛だろう!

「連帯しよう、愛だろう!」の声の大きくなる中、Unity(一致)とPurity(信仰の純粋さを保つ)ことのバランスは難しい。「クリスチャンなんだから教団・教派を超えて仲良くしよう。神の家族なんだから。」確かにクリスチャンは、神の家族、仲良くすべきだろう。しかし、新約の手紙では誰でも歓迎ではない。「にせ教師」に注意することが書かれている。基本教理である「キリストの復活・再臨」を否定する自称クリスチャンと「神の家族」として付き合うわけにはいかないだろう。

 

また多様性が叫ばれる現代、「違いを超えて」キリスト教界も一致しようという動きが当然出てくる。それどころか、他宗教と連帯を深める運動も進められる。イスラムとキリスト教の連帯を促す「クリスラム運動」をカトリックが推進している。「世界経済フォーラム」のリーダーはAIで万人が使えるよう聖書を書き換えることを提案しているという。世界統一宗教へのステップが取られている。おそらく「キリストのみ」「さばき」「地獄」などは削除されるだろう。誰もが使えるよう改ざんされた聖書は、もはや、聖書(神のことば)ではない!

 

小さな群れでもいい。今、「忠実」さが求められている。

 

あなたが受けようとしている苦しみを、何も恐れることはない。見よ。悪魔は試すために、あなたがたのうちのだれかを牢に投げ込もうとしている。あなたがたは十日の間、苦難にあう。死に  至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与える。  (黙示録2:10)

 

==========================

  参考本

中田重治とその時代—今日への警鐘・教訓・警告

中村敏 著 いのちのことば社

=========================

 

意味ある人間関係と祈りによって深まり広がるキリスト中心のコミュニティ

東京メトロ・コミュニティ

Tokyo Metro Community (TMC)

執筆者:栗原一芳

 

 

 

2023年8月3日木曜日

死後の世界

 

お盆の由来

もうすぐお盆の季節。お盆休みには故郷に帰郷しておじいちゃん、おばあちゃんに孫を見せると言った恒例の季節になっています。「お盆」という言葉は「盂蘭盆会」(ウラボンエ)、梵語(サンスクリット語)の「ウランバナ」から来ています。もちろん、オリジナルな仏教にはありませんでした。その意味は「倒懸」(とうけん)と訳され、つまりは「逆さまにかけられ苦しんでいる亡霊」となります。つまり「お盆」の前提は、祖先が悪い人だったため、地獄で「逆さづりの刑」にあって苦しんでいるという事なのです。1年に3日、「お盆」の時期に、地獄の蓋が開いて死者が家に戻ってくるので、お迎えし、ご馳走するのですが、3日経つと地獄に戻ってもらうことになります。いやはや何とも・・・

 

罪人は地獄に行く

地獄の思想はキリスト教だけではありません。仏教にもありますね。正確には釈迦の教えたオリジナル仏教ではなく、日本で変質した民間仏教と言ったほうがいいでしょうが。悪いことをした人は地獄で様々な苦しみを受けるらしいです。殺人者が行く「黒縄地獄」、邪婬のものが行く「衆合地獄」、盗人が行く「叫喚地獄」などなど。雲仙には火山現象を利用した間欠泉「地獄めぐり」がありますね。日本でも悪い人は、地獄に落ちるという思想があったのです。

 

旧約時代の死後の世界

旧約時代には死んだ人は善人も悪人もシェオール(日本語訳では「黄泉」)に行きました。シェオールは旧約で65回出てきます。エゼキエル31:16では、「穴に下る」という表現があります。また「地下の国、死に渡された」(エゼキエル31:14)とあり、地下に「死の国」があると信じられていたようです。

 

ギリシア語では「ハデス」となっています。大事なことは「シェオール」も、「ハデス」も一時的な拘留場所であり、最終的な「地獄=ゲヘナ」ではないということです。また悪霊は「底知れぬところ=アブソス」に留置されています。(ルカ8:31、ユダ6)これはシェオールとは別のところです。黙示9:1では、患難時代に「底知れぬ穴」が一時的に開き、悪霊どもが地上に出てきて活動する様子が描かれています。

 

さらに、ルカ16:19−31の有名な「金持ちとラザロの話」から、シェオール=ハデスは2区分あって、アブラハムのふところと言われる「慰めの場所」と炎燃えさかる「苦しみの場所」があることが、イエスご自身の証言から分かります。

 

新約時代の死後の世界

未信者は死後、シェオール(ハデス)に行きます。ここで拘留された後、地上の肉体に復活して「白い御座の裁き」に出頭し、審査されます。(黙示20:11−15)「命の書」に名のないもの(未信者)は、「火の池」(最終的な地獄)に投げ込まれるとあります。(20:15)これは「第二の死」(黙示20:6)とも言われています。

 

一方、キリストを信じるものは、死ぬと即、キリストのもと(パラダイス)に行きます。エペソ4:8を見ると、シェオール(ハデス)の「慰めの場所」にいた聖徒たちはキリストの十字架の御業の後、天に引き上げられたことが分かります。旧約の聖徒たちも「パラダイス」にいることになります。従って、現在、ハデス(シェオール)には未信者しかいません。イエスの隣で十字架についた罪人は悔い改めた(イエスがキリストであると思い直した)結果、「あなたは今日、わたしと共にパラダイスにいます。」と約束を頂きました。(ルカ23:43)パウロは「わたしの願いは、世を去ってキリストと共にいることです。」(ピリピ1:23)と言っています。クリスチャンは死ぬとキリストの元に行きます。(アブラハムのふところではありません。)

 

しかし、これで終わりではありません。携挙の時に、すでに死んでいるクリスチャンは「朽ちない体」に復活して、天に挙げられます。その時、生きて地上にいるクリスチャンは、一瞬にして「朽ちない体」に変えられ、挙げられます。(Iテサロニケ4:15−17、コリント15:51—52)天にて「キリストの婚姻」に与り(黙示19:7)、キリストの地上再臨の時に、お供します。(黙示19:14)そして、反キリストの滅亡の後、地上に成就する「御国=メシア王国=千年王国」にて、キリストと共に、王として、この地上を治めます。(黙示20:6)その後、新天新地と続きます。死んで、天国(パラダイス)に行って終わりではないのです!

 

===================

お勧め本

「日本の宗教と習慣」 池田豊 著 いのちのことば社

「死後、何が起こるか」ティム・ラヘイ 著  いのちのことば社

 

==========================

意味ある人間関係と祈りによって深まり広がるキリスト中心のコミュニティ

東京メトロ・コミュニティ

Tokyo Metro Community (TMC)

執筆者:栗原一芳