2023年4月13日木曜日

サタンは現在進行形

 

サドカイ派とパリサイ派

旧約聖書と新約聖書の間の中間時代にサドカイ派とパリサイ派が生まれました。イエス・キリストが登場した時代には、この2派が存在していたのです。パリサイ派は信仰的に保守的で、ユダヤのヘレニズム化に反抗し、旧約聖書を固く信じていました。律法を守ろうとするあまり、口伝律法まで生み出してしまい、これはイエスに否定されてしまいます。一方、サドカイ派は、貴族や祭司階級で、ローマを支持する側の人々でした。宗教的には、モーセ5書のみを神の言葉と信じ、復活を否定し、天使・悪魔を信じないリベラル派でした。今日でもサドカイ派的教会があるのです。信仰より、社会的活動に関心のある教会というのがありますね。

 

聖書の中の悪魔

聖書では悪魔や悪霊の存在は明確です。福音書には悪霊の記事が満載です。イエスはあれほど、悪霊追い出しを群衆の前で行なっていたのに、悪霊の存在を信じない宗教指導者がいたのはちょっと驚きです。医者であるルカが書いた福音書に悪霊のことが沢山出てくるのも興味深いですね。ルカは医者ですから、単なる精神的病と悪霊現象を分けて書いています。ゲラサの地ではイエスはレギオン(悪霊集団)と会話さえしており、彼らを追い出し豚の中に移動させています。聖書は一貫して「悪魔」や「悪霊」の存在を明確に書いています。単なる悪の象徴ではありません。生きた存在としての「悪魔=サタン」は存在します。サタンの手下である「悪霊ども」も存在します。

 

近代思想により神学的に中間層が消えた!

何でも悪霊のせいにして霊的戦いばかり強調する教会もある一方、悪霊を聖書の世界に閉じ込めてしまって、あたかも現代では存在しないかのように考える教会もあります。「神はいない」という現代思想に侵され、クリスチャンまでもが日常生活における霊的存在(悪霊や御使)を、聖書の中だけに閉じ込めてしまう傾向にあるからです。すべては科学で説明でき、非合理的な世界は「オカルト」に属し、公には話されない傾向があります。合理主義的な環境で育った西洋の神学にも一因があるのかも知れません。日曜の朝、「聖書の中の話」としては語るのですが、日常生活に「霊の世界」があること、今日の日常生活にも御使や、サタンが働いていることなどはあまり語りたがらないのです。霊的存在は「天」にいる。「地」は科学的原理で動いている。霊的存在の入る余地がない。中間層は「無い」となるのです。

 

日常生活に天と地の間の「霊の領域」いわゆる「中間層」があることを語らなくなり、政治は政治、犯罪は犯罪、それらは、この地上の社会現象であり、霊の世界の入る余地は無いと考える傾向があります。しかし、聖書ではサタンを「空中の権威を持つ支配者」(エペソ2:2)、「この世の神」(Iコリント3:4)と描写しています。つまり、私たちの現実社会で存在し、活躍しているのです。ところが霊的なことは日曜の朝だけの話と変な線引きが起こるのです。「癒し」や「悪霊追い出し」や「奇跡」は無いことのように振る舞ってしまうのです。日常起こっている政治や犯罪の舞台裏にサタンが働いているとは大っぴらに言わなくなるのです。そういうことを言うと「陰謀論」だと言うことになるからです。この時代、そんな非科学的なことを言うのは恥ずかしいからでしょうか。「常識人」になることで、実はサタンにまんまと騙されていないでしょうか?聖書は何と言っているでしょうか?

 

身を慎み、目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、吼えたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。堅く信仰に立って、この悪魔に対抗しなさい。 Iペテロ5:8−9)

 

サタンは現在進行形で大活躍中なのです。そうでなければ、パウロも、神の武具をつけて戦へ(エペソ6章)とは言わないでしょう。

 

今も働くサタンと悪霊

しかし、地と海はわざわいだ。悪魔が自分の時が短いことを知って激しく憤り、おまえたちのところへ下ったからだ。」竜は、自分が地へ投げ落とされたのを知ると、男の子を産んだ女を追いかけた。(黙示録12:12−13)   

 

悪魔は地上にいないどころか、ますます活動的になっていることが上記の聖句で分かります。悪魔は自分の時が短いこと、すなわち裁きが来ることを知っているのです。そして、だからこそ、人類を地獄への道ずれにしようと大活躍なのです。特に男の子(救い主キリスト)を生んだ女(イスラエル)、そしてクリスチャン教会を追いかけ、迫害し、滅ぼそうとするのです。

 

盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかなりません。わたしが来たのは、羊たちがいのちを得るため、それも豊かに得るためです。

(ヨハネ10:19)

 

ここでの盗人はサタンと考えてもいいでしょう。実際、サタンはそういう存在です。甘い言葉で誘っても、結局は、その人からすべてを奪い、滅ぼしたいのです。今日、サタンは麻薬、ポルノ、ゲーム、暴力動画などを使って人々、特に若者の頭脳と心を壊しにかかっています。先日も若者が刃物を持って学校に侵入し教師を切りつけましたね。彼は「誰でもいいから殺したかった」と言っています。そして、暴力的動画を見ているうちに殺したくなったと言います。以前、度々起きた通り魔殺人や、無差別殺人の犯人も同じことを言います。また、最近ドイツでは12と13歳の少女が12歳の少女をナイフで30ヶ所滅多打ちにし、殺害したというショッキングなニュースがありました。14歳未満の犯罪が前年の35.5%増加したというのです。まさに悪魔的であり、悪魔にそそのかされているとしか言いようがありません。悪魔は次世代である子供たちを狙っています。

 

私自身、異端やカルトの人たちと会話したことがあります。その目が淀んでいて、何かに操られていることが分かります。悪霊の働きは明白なのです。単なる社会的犯罪でしょうか?クリスチャンは背後に働く悪霊の存在を見抜き、指摘すべきでは無いでしょうか?それでもサタンや悪霊は2000年前の聖書の中の話で、今は活動していないと言うのでしょうか?サタンは全能ではないけれど、知的な存在です。政治や経済に働かないと思いますか?戦争をする国のリーダーに影響を与えないと思いますか?今回のパンデミックの裏では巨額の利益を得た製薬会社があるのです。そこに悪魔が働かないと言えるのでしょうか?「金だけ」「今だけ」「自分だけ」の哲学で、実は不幸な世の中を作っているのはサタンの思惑通りじゃないでしょうか? 結局は「奪い」、「殺し」、「滅ぼす」だけ。最後に喜ぶのはサタンだけ。

 

聖霊を宿すクリスチャンはサタンや悪霊を認識し、見分け、対抗することができます。聖霊を宿す者に悪霊は取り憑くことはできません。ただ、外側から誘惑することはできます。クリスチャンの態度は神に従い、悪魔に対抗することです。(ヤコブ4:7)

 

 

サタンの結末

聖書はサタンの結末も明確に語っています。このままではないのです。すべての悪は明るみに出されます。「反キリスト」、「偽預言者」、そして最後には「竜」と呼ばれる「サタン」と「悪霊ども」はすべて滅ぼされます。「火の池」に投げ込まれます。(黙示録20:10)「火の池」はもともと悪魔や悪霊が処置されるための場所でした。しかし、神を否定し、悪魔に従う人々は悪魔と運命を共にすることになります。サタンの結末が書かれているのが黙示録です。だからサタンは人々にこの本を読ませないのです。難解だからとか、トンデモ話だからと吹聴して、読ませないし、信じさせないのです。自分の敗北は知られたくないですからね。クリスチャンはこの歴史のハッピーエンドを知っています。

と同時に、この一連の霊的事実を人々に知らせる必要があるのです。そして、聖書的事実を知っているキリストの弟子を多く起こす事です。つまりは伝道と弟子訓練です。

 

この「ラオデキヤ教会の末裔=背信の教会の時代」にあって、み言葉に固く立ち続けることが求められてるのではないでしょうか?

 

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執筆者:栗原一芳

Japantmc@gmail.com

 

 

 

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