2011年10月1日土曜日

聖書の信頼性



「聖書に書いてある事は信じがたく、そのまま信じるわけにはいかないね。だいたい、弟子たちがでっちあげたんじゃない?」

実は、でっちあげと考える方が難しいのです

1. 福音書の内容がでっちあげであるためにはタイミングが短すぎる。

 ルカは目撃者のいるうちにイエスの生涯をまとめあげた。(ルカ1:1−4)ということは、事実でなければ、反対する事が出来る人たちもまた生きていたことになる。事実確認ができるうちに書かれている。

2.福音書の内容は具体的で、書き方がおとぎ話とは違う。

 「昔々、ある所に、おじいさんとおばあさんがいて・・」的ではなく、例えば「クレニオがシリアの総督であったとき、皇帝アウグストから全世界の人口登録をせよとの勅令が出た。」(ルカ2:1−2)など、かなり具体的。


「それは、いいけど、原典が無くなっているのに、写本が正しいとどうして言えるの?」

ほほう、いい質問だね。プラトンやアリストテレス、シーザーなどの書いた古典の写本は1−20ほどしかない。それに比べ新約聖書の場合はギリシャ語の写本が5000、ラテン語の写本は8000もある。しかも、原典と最も古い写本のギャップは、たった100年から200年。それに比べ、他の古典は近くても1000年のギャップがある。新約においては99.5%正しく伝えられている事が証明されている。聖書66巻は40以上の記者が1500−1800年かけて書いているが、そこに不思議なテーマの統一がある。すべてはイエスキリストを指している。

イエスに関する預言も大事な要素だ。旧約にある約300のイエスに関する預言が成就している。また、4つの福音書の内容の差異については、記者のセレクティブリポートによるものが多い。(2人の盲人がいても、1人の盲人にフォーカスして、リポートを書いた場合もある)

新約の27巻はすでに信憑性があったものがAD397のカルタゴ会議で正式に承認されている。イエスが神であることはすでに使徒の働きに見られるように弟子の間では信じられていたことで、27巻の承認時に創作されたとするダン・ブラウン(ダビンチコードの著者)の見解は全く間違っている。

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