2013年9月3日火曜日

この国の繁栄を祈る



 内村鑑三の「不敬事件」が教科書に載っているという。政治がらみで、歴史に名を残すクリスチャンがいた。クリスチャンは政治とは関係ないのだろうか?そういう話を教会に持ち込むべきではないのだろうか?

まず旧約聖書を見てみると、旧約の預言者たちの行動は激しい政治性を伴っていたと言えよう。外国との軍事同盟に関してや、国の指導者への批判、国の進むべき方向に関して無関係だった預言者はいないといっても過言ではない。出エジプトにしてもバビロン捕囚にしても、単なる霊的解放の話ではなく、民族解放の物語そのものとなっている。神は肉体をもって人をつくり、エデンの園を治めるよう命じた。それ以来、旧約は一貫して「この地上」主義である。「あの世」には関心が無いのかと思うほど、言及が少ない。現実の歴史に神がどう介入したかがフォーカスされている。

ところが不思議なことに、新約聖書の時代に入ると、このような政治的発言と行動は一挙に姿を消したかのように見える。そして、またこの現象を誤解して、政治について語り、あるいはその中に没頭するのは福音的でないとまで言う人が現れるに至った。

まず、注目すべきは、新約クリスチャンの生活が終末的生活態度だったという点。今にもキリストの再臨が実現するかと思われていた。モンタヌス主義のような仕事もしないで禁欲生活をし、主を待ち望むといった過激な異端も実際現れた。それに対して、パウロは

「落ち着いた生活をすることを志し、自分の仕事に身を入れ、自分の手で働きなさい。」(1テサ4:11)

「働きたくないものはパンを食べるな。」(2テサ3:10)

と落ち着いた生活を強く勧めている。仕事をするとは、この世に適切に関わることでもある。終末が近い、だから仕事そっちのけで伝道に励むとは一見熱心で良さそうだが、伝道熱心なパウロがこう言っていることは興味深い。さらに極めつけはローマの13書1−7で、「人みな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。」ここでパウロは真っ向からローマの政治権力との関わりまで言及している。これはイエスの「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」に通じている。地上の権威も神によって立てられているので、税金を払う事を始め、地上の権威の下で社会的責任を果たしなさいということだ。神の民だからといってスピード違反を無視できない。警察の権威の下で、そのルールに従って裁かれ罰金を払わなければならない。しかし、同時にバビロンで信仰深い3人がネブカデネザルの偶像に拝礼しなかったように、内村鑑三が天皇に拝礼せず神への服従を守り抜いたように、単なる保守、既存の権威への盲目的服従ではない。またすべての権威をひっくり返せという革命でもない。見てきたように新約でも政治性が無視されている訳ではない。

元国際キリスト教大学講師の高橋三郎の言葉をかりれば

「聖書的保守主義も、聖書的革新的精神も、ひとしく神の主権に対する服従という1つの根から出た結果であることが明らかになった。長いキリスト教史を貫く戦いの跡を見ても、そこに一貫して流れているものは神への主権の確立、およびそれに対する信仰的服従という唯一のことであったことを、われわれは見いだすのである。・・ここではいわゆるキリスト者だけの世界に安住しようとすることは根本的に否定されている。ローマの国家権力も、バビロンの支配も、あるいは同業者仲間も、すべて神の主権の下に包括されている。そこには1つも例外はない。ここに、最も深い連帯の根拠があるのである。はじめから敵・味方のレッテルを貼ることなく、すべての人を友として受け入れ、愛してゆくべき根拠がここにある。」(「福音信仰の政治性」高橋三郎 教文館)

クリスチャンは世にあって世のものでないとされている。優先的アイデンティティは神の国の一員であるが、この世で生活していることも現実なのだ。切り離す事はできない。なんでもかんでも反対では孤立してこの世に何の影響も与えられない。捕囚時代、神ご自身がバビロンで王に仕え、落ち着いて生活し、その国の繁栄を祈れと言われた意義は大きい。(エレ29:4−7)神への個人的信仰の違いはあっても、この地上でのコモングラウンド(共通項)は思っているより多いのではないだろうか? 先日はBrave Actionという佃をベースに東北支援を推進するNPOの社団法人設立パーティに招待され参加してきた。リーダーはノンクリスチャンのご婦人で、メンバーも近隣に住むノンクリスチャン。リーダーのビジョンと熱心さに打たれて集まって来た。リーダーと友達のクリスチャンのご婦人が理事の一人として参加している。こうして市民が立ち上がって東北支援を通してコミュニティを形成している。すばらしいと思った。英語では ”How can we make this world a better place. “ という表現がある。この地上が1センチでも天国に近づくためにノンクリスチャンとも一緒に働ける部分は大きいのでは?

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東京を神の街に・・・
Tokyo Metro Community(TMC)
asktmc@gmail.com (栗原)

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