2013年10月2日水曜日

「目をさまして祈っていなさい。」




あなたがたは地の塩です。・・・あなたがたは世の光です。
(マタ5:13−14)

クリスチャンは地の塩、世の光です。また教会は現代の預言者の声であるべきです。しかし、今、現実にこの日本で起っていることを「知らない」し、「関心無い」では預言者の声になれないのです。経済浮揚の陰では、「秘密保護法」や憲法再解釈による「集団的自衛権」などが進行中。ぬるま湯のカエルのように、気がついた時はすでに遅し、熱湯の中で茹でられてしまうということになりかねません。日本の教会の多くが天皇崇拝の軍国主義カルトを批判できず、戦争に加担しました。日本キリスト教協議会教育部の出した声明「設立百周年を迎えるにあたって、過去の罪責の悔い改めと、新しい時代への決意」から引用してみましょう。

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特に1920年の第8回世界日曜学校大会は、その開催の仕方において、その後の翼賛的とも言える戦争協力への歩みを決定づける出来事となった。すなわち、世界大会の日本開催に対しては、日本の侵略に苦しむ中国と朝鮮のキリスト者からの反対の声があがったが、日本日曜学校協会はそれらの声に耳を傾けず、かえって日本政府財界の全面的支援を受けながら、同大会を開国以来最大規模の国際会議として華々しく遂行したのである。社会的成功を求めてアジアの隣人をないがしろにするこの姿勢は、その後、1928年の特別教案「紀元節学課」(日曜学校2月号)へと展開していった。紀元節を祝って作成されたこの教案は、皇国史観を聖書の言葉と結びつけ、天皇制を基盤とした「国体」の卓越性と、アジア諸国に対する日本の優越性を子供たちに教えるもので、日曜学校教育を独善的な「愛国心的教育」へと方向つけるものとなった。1931年に満州事変が勃発すると、日本日曜学校協会は平和を叫ぶ一方で「日本の正義」を主張し、1937年に日中戦争が始まると戦争支持を表明して、日曜学校における「国民精神総動員教育」を諸教会に呼びかけた。「宗教的信念による精神の強化」や「大宗教による国民の精神指導」の名目で同協会が行った戦意昂揚のための教案や教材の提供、「皇軍」のための慰問文募集などの戦争協力活動は1941年の教会合同以降は、日本基督教団日曜学校局の戦時下の活動へと引き継がれていった。」(棒線はブログ著者)

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誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。・・
(マタ26:41)

国民を一致団結させ、戦争を正統化するには、国民への「教育」(あるいは洗脳)が必要になるのです。そして、その矢は子供達にターゲットされる。上記のように、残念ながら教会もそれに巻き込まれ、利用されてしまいました。せっかくこのような反省がなされたのですから、二度と同じ事を繰り返してはいけないのです。

上記の記事から読み取れる事は、1つは財政的誘惑です。戦意昂揚のためには財界から経済的支援が来る。反対にキリスト教系市立学校にも「君が代」強制がなされるようになり、斉唱を拒否すれば、助成金がストップしたり、学校法人が取り消されたりなどの締め付けが来るでしょう。2つ目は「日本民族優越主義」。ナチスドイツは言うまでもありませんね。実は、17世紀−19世紀までは白人優越主義による列強の武力侵略植民地時代であったのです。内村鑑三は「地人論」の中でこう言っています。「創造の神は、北半球にアジア大陸、ヨーロッパ大陸、北アメリカを配置した。それぞれの大陸の民が一杯になったら、南の大陸に移動できるように、神はアジアには豪州、ヨーロッパにはアフリカ、北アメリカには南アメリカ大陸と南半球に3つの大陸を用意しておいた。ところが15世紀以来、わずか5世紀の間に南に用意された大空間の大陸はすべてヨーロッパ白人勢力に完全支配されてしまった。」オーストラリアは一時、白豪主義でアジア人立ち入り禁止となっていました。新大陸のインディアンの地を侵略して国を拡大したアメリカ。アフリカから奴隷を連れて来て強制労働させたその歴史、最近の「大量破壊兵器」が見つからなかったイラク戦争など、世界の警察アメリカといえども批判されなければならないでしょう。ともあれ、この民族純化排外主義優越主義 (敵は自国民より劣っている、あるいは悪なのだから滅ぼしていい)が戦争の精神的バックボーンになっていることを認識すべきです。その流れで日本では八紘一宇(世界は天皇を中心とする大家族)、大東亜共栄圏へと繋がっていったのです。天皇崇拝と靖国の問題も避けて通れません。天国では購われた世界の聖徒たちが一同にひれ伏し王なる主を礼拝しています。個人も国家も自己義認という罪の性質を持っています。創造主の前にへりくだり、跪くことしか解決は無いのです。



機会を十分に生かして用いなさい。悪い時代だからです。ですから愚かにならないで、主のみこころは何であるかを、よく悟りなさい。
(エペ5:16−17)

実は、忍び寄る危険は現在進行形で行われています。東京都教育委員会は2003年、卒業式等で、「君が代」強制を強化する通達を出し、校長に職務命令を出させ、不起立職員に懲戒処分を連発しました。多くの校長が指揮の進行表に「不起立の生徒がいたら司会の主幹教諭はマイクを使い『起立しなさい』と2−3回発声する」よう記載しているのです。さらに都教育委員会は「君が代」強制に触れた教科書を「使用不適切」とし、全校長らに通達。都が教科書選定に介入する事態が起っています。大阪府教育委員会では「君が代」斉唱のチェックのため口元監視を正式通知し、管理職が確認し、校長が府教委に報告するよう求める通達を出していたことが発覚しました。「和を尊ぶ」は裏を返せば、政府が押し付ける統一的な思想に反する人々は排除するということなのです

2004年皇室のお招きで「園遊会」があり、その場に出席した東京都教育委員の米長氏が陛下に「日本中の学校で国旗を掲げ、国家を斉唱させることが仕事です。」と話すと、陛下は「やはり、強制でないことが望ましいですね。」と応じられたというのです。(読売新聞2004年10月29日朝刊)保守の人によく聞いて頂きたいのですが、”畏れ多くも 天皇陛下が「強制でないことが望ましい。」と仰せられたのですぞ!

騙されないためには歴史的事実を知る事です。やはり勉強は大事です。戦時中、日本人の精神的支柱として利用されたのが「天皇崇拝と靖国神社」です。徳川幕府はキリシタン禁制に仏教国教制度を採用しました。明治政府は、全国の神社を行政府の下に統合して、今度は「神道」を新しい政治の精神的支柱とするため、全国的な廃仏毀釈運動を展開したのです。宮中でも廃仏となり、天皇は中世近世と真言宗泉湧寺の檀家であったのに、最後には自らが祀られ明治神社の神となってしまったのです。2013年7月21日、「友愛平和の風」と青山学院総合研究所が共催して「これからの国のかたちを考えよう」集会が持たれました。護憲派、改憲派問わず、またカトリック、神道などからも総勢90名が参加。そこで神道神習教教主で、教派神道連合会理事長の吉村政徳氏が天皇について「宗教である神道の私達は、明治維新後、天皇を神だと認識していたことは一度もない。」と大変興味深い告白をされています。

神道も、かつての仏教のように国に利用されたのですね。明治維新後、歴史的な人物、国家的英雄を神として祀る神社が相次いで創建されました。それは、それまでに存在しない新しい形態の神社神道だったのです。やがてそれが国家神道の出現へとつながっていきます。(つづきは次回)

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東京を神の街に・・・・
Organic Church Planting
Tokyo Metro Community (TMC)

asktmc@gmail.com (栗原)

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