2014年12月8日月曜日

クリスマス好きじゃないんです!?



すみません、個人的にはクリスマス好きじゃないんです。こんなこと言うとキリスト教界から追い出されそうでが・・・もちろんこれだけ定着しているし、やめろとは言いませんよ。よき伝道の機会にはなるし、それはそれでいいんですが、なんかそれでも違和感があるのです。と言う訳で、今回はひとりごと。聞き流してくださって結構ですよ。




クリスマスはクルシミます。
冗談でこのフレーズを聞く事があります。私も以前、多い時には7回くらいクリスマスイベントに参加してました。しかも、自分の側での企画や奉仕が入っていると忙しくて大変です。もう10数年前になりますが、クリスマスの日、ぎりぎりまでオフィスで仕事をし、夜の教会でのイベント奉仕のために急いで、マックで夕食を済まし(そう、クリスマスなのに一人、マックです!)、会場に駆け込んでバンドの練習、本番、かたずけ、そして、一人で電車で帰宅。子供が小さかったので、家族は参加できず、夜のイベントには私一人でした。何かむなしい気持ちに襲われました。「一体自分は何をやっているんだ。」と。仕事や奉仕に忙しく、いらいらして、レストランで微笑み合っているカップルを横目にうらやましく思ったのは事実です。

宣教団体にいるせいもあって毎年クリスマスにはパーティがあったり路傍伝道があったり、ゆっくり静かに主のご降誕を祝うどころではありませんでした。一体誰のためのクリスマス?「今日ダビデの町であなたがたのために救い主がお生まれになった」そう私の救い主がお生まれになったのに、私は「ヘルプ!」と叫んでたのでした!? 先頃も知り合いのキリスト教会関係の新聞記者が上のフレーズを言っていました。この時期、取材や記事に追われて大変みたいです。家内も2人の息子の学校のクリスマス行事がいろいろあり、そわそわしています。で、ちょっと妄想しちゃいます。12月まったくクリスマスイベントが無くて、普通の礼拝で静かにイエス様の降誕を思いめぐらし、礼拝できたら・・・なんて。ヘンですか?



馬小屋で生まれたイエス様

サンタ、飾り付けられたクリスマスツリー、豪華なホテルでのクリスマスディナーショー、商業的な販売合戦などは言うまでもありません。世の中は仕方ないでしょう。でも、貧しく宿屋にも泊まれず馬小屋で生まれたイエス様を偲ぶはずのに、クリスチャンの集会で、豪華でにぎやかなパーティ?ああ、違和感。いっそ、断食して臭い馬小屋の中で礼拝やってみたらどうでしょう?きっとヨセフとマリアの気持ちがよくわかるんじゃないでしょうか?世界で、初めてのクリスマスは質素で、静かで・・・何か違うんだよなあ。

世の中では子供にプレゼントを買う日。クリスチャンもその風習に染まっています。そんなにクリスマスギフトが欲しいんでしょうか?資本主義に毒された商業クリスマスがクリスチャンをも包み込んでいます。豊かなアメリカの家庭では、子供に、それでも「さらに、何か買わなければならない日」なのです。神はその一人子を下さったのではないですか?それじゃ、足りないんですか?そういう自分も混み合ったトイザラスで、イエス様そっちのけで、レゴのオモチャに目を光らせる自分の子供達を見てうんざりしてます。なんか、違和感。

2005年12月11日、教皇ベネディクト16世はこう語りました。「現代の消費社会の中で、この時期が商業主義にいわば汚染されているのは残念なこと。降誕祭の精神は『精神の集中』と『落ち着き』と『喜び』であり、この喜びは内面的なものであり、外面的なものではない。」

また、2012年12月19日にフィナンシャルタイムズへの寄稿記事で、「クリスマスには聖書を読んで学ぶべきだ。・・・クリスマスはとても楽しいが、同時に深く内省すべき時でもある。私たちはつつましく貧しい馬小屋の光景から何を学べるだろう。」

アーメン! ホームレスミニストリーの日にしたほうがいいのかなあ?


 クリスマスは北欧的
サンタやソリ、クリスマスツリーは北欧的。イスラエル的でさえない。ハワイではどうやってやるのだろう?サンタの衣装は暑すぎる。そもそもはミトラ教の冬至の祭りを転用したみたいですよ。だいたい25日にイエス様が誕生したという確証もないし・・・。だから25日が「キリストの誕生日」なのではなく、「救い主が地上にお生まれになったことを祝う日」という方が正確でしょう。でも ”Happy Birthday Jesus!” と歌っているのを聞いた事がある。

「使徒の働き」にも「新約書簡」にも、クリスマスに言及しているところはないのです。恐らくやってなかったのでしょうね。キリストの死後、300年以上くらいたってから、西方教会で始まったようです。それを北欧スタイルで日本でもやる。教会でも当然のごとくやる。異国へのあこがれとしてはいいのだけれど、雰囲気好きの日本人が雰囲気を味わっているだけ。外国のマネ、それだけ。その証拠に25日をすぎるとガラリと変わり、お正月に突入していく。

誤解しないでください。個人的にはクリスマスのロマンティックなイルミネーションは大好きです。都内では素敵なスポットが沢山あります。普段とは違う「ハレ」の世界が展開します。この季節の楽しみですね。人間世界に「祭り」は必要です。だからいっそ、クリスマスじゃなくて、「光の祭典」にしてしまえばいいんです。変にクリスマスにこじつけるから違和感が生じるのです。商店街から「主はきませり」と「ジングルベル」が一緒に流れてくると何か違和感。日本のクリスマスはキリストの誕生とは何の関係もないのです。最近ではお寺付属の幼稚園でもクリスマスやるみたいですよ。現代のクリスマスは、聖書的には全然クリスマスぽくないので、「サンタ祭」か「光の祭典」が一番しっくりくるなあ〜。


そもそも日曜礼拝って
実はクリスチャンにとっては毎日がクリスマスです。私のために救い主がお生まれになったことを感謝し、礼拝します。つまり、毎日曜、やっているじゃないですか?それで足りないんですか? ところで、クリスマスの賛美って、クリスマス以外に歌えないですよね。「主はきませり」(ところで英語は「Joy to the world 世界への喜び」ですが)、「あらののはてに」など、夏休みに歌ったらヘンと思われちゃう。主のご降誕をクリスマス以外で歌うとヘンと思われるってヘンじゃないですか? いい賛美歌なのに。1年中、「ひさしく待ちにし、主が来られた」ことを歌って賛美していいんじゃないですか?そして25日過ぎると世の中同様、ぴたっと歌わなくなる。何かヘン。


世の中が先、教会が先?
以前いた教会で、サンタが登場して子供達にプレゼントを配るイベントがありました。それをめぐり聖書的かどうかで議論になりました。あまり聖書的とは言えないでしょうが、争点はそこではありません。私が問題にしたいのは、世で流行っているものを教会が遅れて取り込もうとする態度の事です。戦後の教会は「進んで」いました。教会でやることが斬新で珍しかったのです。今では、教会は世の後追いが多いのではないでしょうか?日本ではクリスマスは「光の祭典」であり「サンタの祭り」です。キリストの誕生はどうでもいいか、あっても二義的なものでしょう。「クリスマス=キリストの誕生」という本来の意味で教会が世の中を影響できなかったので、逆に、世ではやっているサンタを取り入れて、何とか人を引き込もうとする根性が好きではありません。教会学校のチラシにサンタの絵があると、う〜ん違和感。やっぱり、日本では世が先なのか・・・教会が後追いなのか・・・と寂しい。まさか、そのうちハロウーンを教会でなんて言わないでしょうね? 


後追いもう、やめましょう。教会発信の「ゴスペル」はいいし、初詣の変わりに「元旦礼拝」を流行らすのはいいですね。世の先を越してカルチャーを作りましょうよ。そろそろクリスマスはこの辺にして、「復活」テーマの「イースター」を教会発信で流行らすとか・・・逆に世を出し抜いて、教会はクリスマスをやりませんというのはどうですかね?「クリスマスをやらないで何するの?」「はい、教会では、キリストの降誕を祝います。」

でも・・まっ、いいか。この季節、みんながハッピーなら・・・

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