2021年2月11日木曜日

終末預言の注意点

 

「期待」は「預言」ではない!

今回、米国の大統領選でトランプ再選を願うあまり、神からの声として、それを「預言」した牧師達がいました。そんなアメリカ人牧師が悔い改めの告白をしているYouTubeを見ました。その真摯な姿は好感が持てました。私もトランプ氏の再選を願っていたので、どうしても、そう言う主張をしているYouTubeばかりを見ていました。ただ、「願い」は「預言」ではありません。「願う」ように事が運ばないことはあるのです。香港のために祈っていますが、アグネス・チョーさんをはじめ50人以上の民主活動家は逮捕され、投獄されています。「主よ、どうしてですか?こんなことが許されていいんですか?」と叫びたいのです。ドンデン返しを願いますが、そうならないことも多いのです。

 

聖書の歴史観は「悲観的楽観論」です。つまり、この社会は進化しバラ色の世界が来ると言う「楽観論」ではなく、人類はこのまま破滅に向かうと言う「悲観論」でもありません。確かに人類は7年間のかつてない苦しみの時、「大患難時代」に突入します。反キリスト(獣)という暴君が世界を支配する時が来ます。またその前には「背教」が起こると聖書は言っています。(IIテサロニケ2:3)イエスご自身も「だが人の子が来るとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」(ルカ18:8)と言われました。そう言う意味では「悲観論」です。

 

この世は暗い時代に向かっています。しかし、人類歴史の暗闇のクライマックスにイエスが再臨されます。そして反キリストと偽預言者をさばき処置します。(黙示19:20)そして地上に「メシア王国=千年王国」を樹立します。その後、もう一度サタンが解き放たれますが、最終的にはサタンも裁かれます。(黙示20:10)そして新天新地が来ます。そう言う意味では「楽観論」です。クリスチャンはこのキリストにあって常に希望があるのです。キリストの再臨までは地上天国は来ません。

 

 

誤解される「ハルマゲドン」

一般の人も「ハルマゲドン」と言う言葉を使います。元、ウクライナ大使の馬渕睦夫氏は「2021年世界の真実」の中で、ディープステイツが引き起こそうとしている世界戦争のことを「ハルマゲドン」(P。103)と呼んでいます。このようにハルマゲドンを第三次世界対戦、あるいは世界最終戦争の意味で使うことが一般的です。しかし、聖書的に言うとそれは間違いです。

 

まず、「ハルマゲドン」という名称ですが、これは「メギドの丘」という意味です。イスラエル北方のイズレエルの平原を見渡せる小高い丘です。患難期の終わりに反キリストの軍勢がイズレエル平原に集結します。(黙示16:16)実際、集結する場所はメギドの丘ではなく、この丘から見下ろせるイズレエルの平原となります。反キリスト軍はユダヤ人抹殺のためにエルサレムに攻め込んできます。したがって戦場はメギドの丘でも、イズレエル平原でもありません。

 

この戦争でユダヤ人は「山」へ逃げます。現在のヨルダンのペトラに当たる場所です。反キリストによる征服を免れるのがエドム、モアブ、アモンだからです。(ダニエル11:41)反キリスト軍はペトラまで攻め入ってきます。しかし、そこでキリストが再臨され、反キリスト軍を滅ぼします。(イザヤ34:6、63:1)

 

つまり、「ハルマゲドンの戦い」といわれるものは、第一に「反キリスト」  「ユダヤ人」(マタイ24:15−16)であり、世界大戦ではありません。次に、「再臨のキリスト」  「反キリスト」の対戦(黙示19:19−21)であり、人類同士の第三次世界大戦ではありません。そして、これは7年間の大患難時代の最終段階で起こります。世界不安があるから、すぐに「ハルマゲドンだ!」と思わないでください。

 

 

ニュースにすぐ飛びつかない

1986年4月26日、ソ連のチェルノブイリでレベル7の深刻な原発事故が起きました。北半球広範囲で放射性物質を含む雨が降りました。「これは黙示録の預言だ。」(黙示8:10−11)と言っていたクリスチャン達がいます。水源を汚した星の名は「苦よもぎ」とあり、「チェルノブイリ」は「苦よもぎ」という意味だからです。しかし、黙示録の出来事は大患難時代のことであり、現在はまだその時代ではありません。すぐにニュースを文脈無しに聖書預言に結びつけるのは問題です。

 

最近はトランプ大統領がイスラエルとアラブ諸国の和解を仲介したので、これはダニエル9:27の「反キリスト」ではないかというクリスチャンがアメリカにいたようです。トランプ大統領の支持者の多くは福音派のクリスチャンです。御霊を持ったクリスチャンが「反キリスト」を支持するのはおかしな話です。それに、ダニエル9:27の契約が交わされるのは「エゼキエル戦争」や「携挙」があった後です。

 

あるいは、今回のコロナパンデミックで、もう大患難時代に入ったのだと勘違いする人がいるかもしれません。(黙示6:8)。もう一度言いますが、まだ大患難時代には入っていません。大患難時代に入ってから起こる出来事と現在、起こっていることを混同してはなりません。

 

 

比喩的解釈の問題点

聖書預言には確かに象徴的な言葉が多いし、エゼキエル1章のように現実離れした描写が多いです。しかし、だからと言って、「ああ、それは比喩でしょ」で全てを済ませてしまってはなりません。神が火をもってネゲブを裁くと言った時に、ネゲブの人々は「例えを言ってるに過ぎない」とバカにして本気にしなかったのです。

 

「ああ、神、主よ。彼らは、私について、『彼は、たとえを言っているだけではないか』と言っています。」(エゼキエル20:49)

 

それをエゼキエルは神に嘆いています。その当時の人にとってトンデモ話でも、実現することは多々あるのです。ノアの洪水は文字通り起こりました。ソドムの破滅は天からの硫黄と火で文字通り起こりました。イエスの弟子達は立派なエルサレムの神殿を見て、まさか、神殿が粉々に崩れ去ってしまうとは夢にも思っていなかったのです。しかし、イエスご自身、文字通りそのようになると預言されました。(マタイ24:2)1900年間流浪の民だったイスラエル人がシオンに帰還して国を再建するなど、神学者でさえ信じられなくなっていたのですが、その預言は実現しました。

 

そうなると、やはり「大患難時代」は来るし、「反キリスト」は現れるし、「反キリストの世界統一政府」はあるのです。そしてキリストの地上再臨もあるのです。





 黙示録に出てくる災害はトンデモ話のように思われます。想像を超えた記述が詳細に書かれています。死者の数まで具体的に書いてあります。黙示録の5章から18章の詳細な記述は単に、「迫害下にあっても再臨のキリストに希望を置きなさい。」というメッセージを伝えるためだけなら必要ないのではないでしょうか?神はその詳細な記述を伝えたいがためにそのように書いておられるのでしょう。素直にそれを受け取るのが正しいと思われます。

 

その中には明確に比喩もあります。「燭台」「星」などは、象徴です。ちゃんと説明されています。(黙示1:20)説明されていない象徴もあります。説明されてなくても黙示録12章の「女」「へび」「竜」「子羊」は象徴であることが分かります。13章の「獣」は反キリスト的「人物」の象徴です。サタンそのものではないことが文脈上分かります。(黙示13:3−4)

 

「10本の角」「42ヶ月」や「666」など数字も出てきます。神は意図して、そのような具体的な数字を用いられたのです。文字通りの意味があるのでしょう。黙示録20:2−7には「千年王国」の関連で千年が6回も繰り返されています。そこまで強調されているということは、文字通り「千年」と考えるのが正しいのではないでしょうか。黙示録9章の「いなご」は、かなりディテールまで描写されています。単なる象徴とは思えません。

 

明らかに象徴と思われるもの以外は文字通りにとるのが正しいと思われます。



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執筆者:栗原一芳

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