2022年5月19日木曜日

約束の地(5)


神の救いのご計画

ローマ書は「ユダヤ人」、「異邦人」が神の御前には共に罪人であり、同じ福音によって救われることが書かれている。ただし、国家的ユダヤ人の救いにはタイムテーブルがある。ローマ書11章から見てみよう。まず、パウロはイスラエルに対する神の御心は変わっていないことを確認する。

 

そして、イスラエルのことをこう言っています。「わたしは終日、手を差し伸べた。不従順で反抗する民に対して。」(ローマ10:21)

 

以下、11章のまとめ

 

 イスラエルが退けられてしまった訳ではないことを書いている。(11:1)

 恵により救われるユダヤ人は今日もいる。(11:5)

 しかし、国民としては霊的に盲目状態である。(11:8)

 ユダヤ人はイエスに躓いたが、結果、それが世界伝道へとつながった。

                      (11:11)

  神の側からは、そのようにしてユダヤ人に妬みを起こさせたい。

                     (11:11)

  神は本来の枝(ユダヤ人)をあわれみ、再び接ぎ木される。(11:23)

  ユダヤ人は、もっと容易く元のオリーブに接ぎ木される。つまり、霊的覚醒が早い期間で起こり得る。(11:24)

 

兄弟たち。あなたがたが自分を知恵のある者と考えないようにするために、この奥義を知らずにいてほしくはありません。イスラエル人の一部が頑なになったのは異邦人の満ちる時が来るまでであり、こうして、イスラエルはみな救われるのです。 (ローマ11:25−26)

 

  ユダヤ人が拒絶したので、福音は先ず異邦人世界へ伝えられた。世界宣教を通して異邦人の救われる人の数が満ちるとイスラエルも覚醒が始まり、ついにはイスラエルに民族的リバイバルが起こり、皆、救われることになる。

  ユダヤ人は、今はクリスチャンに敵対しているが神に愛されている。

                         (11:28)

  神のイスラエルへの召命と賜物は変わらない。(11:29)

  異邦人が不従順であったが、あわれみを受けたようにユダヤ人もあわれみを受ける。(11:31)

 

メシア王国の樹立(千年王国) 

そこで使徒たちは、一緒に集まったとき、イエスに尋ねた。「主よ。イスラエルのために国を再興してくださるのは、この時なのですか。」イエスは彼らに言われた。「いつとか、どんな時とかいうことは、あなたがたの知るところではありません。」(使徒1:6−7)

 

使徒たちはイエスの昇天直前までイスラエルの再興(メシア王国)に関心があった。ダビデ契約(第二サムエル7:11−16、第一歴代17:10−14)を知っていた使徒たちにとって当然の質問だったろう。ここでイエスはイスラエルの再興を否定していない。ただ、時期については明言しなかった。とこしえまでも続く王座はイエス・キリストによって成就する。「この世」の王国の王としてイエスが君臨するのはいつだろうか?(黙示録11:15)また、アブラハム土地契約はどうなるのか?創世記15:18−19には、領土の領域が具体的に示されているが、未だ実現していない。

 

ある人々は「今」が「メシア王国=千年王国」であると言う。しかし、千年王国の到来はサタンが縛られた後であると明言されている。(黙示録20:2)ここは黙示録の時系列的な流れに従って解釈するのが自然だ。つまり、キリストの地上再臨があり、ハルマゲドンの戦いで勝利された後(黙示録19:19−20)、聖徒と共にキリストが王として千年間、地上を治めることになる。これがメシア王国=千年王国だ。ここに旧約の「メシア王国」預言は成就する。

 

約束の地 最終章

このシリーズは「約束の地」というテーマでイスラエルの歴史を見てきた。霊的に重要なのは、カナンという「約束の地」に入ったイスラエルは完全な「安息」を得られなかったということだ。(ヘブル4:3−9)約束の地に入っても、カナン人を完全に追い出すことができなかった故に、常に戦いが生じ、偶像礼拝の誘惑に負けた。現在のクリスチャン生活も、敵であるサタンと悪霊は完全には追い出されておらず、霊的戦いが続いている。クリスチャンは、キリストを信じて心の安息を得ている(4:3)が、完全な安息状態ではない。

 

ヘブル書4章では、神の安息は「まだ」残されているとある。(9節)やがて到来するメシア王国において政治的、社会的安息をこの地上で得ることになる。そこでは、あるべき社会的秩序が回復するだろう。旧約の多くの「地上的」約束もここで実現されるだろう。そして、永遠の秩序である「新天新地」に移行する。そこでも12部族の名前が出てくる。アイデンティティは失われていない。(黙示録21:12)ちなみに新約の教会を代表する12使徒の名前も出てくる。(黙示録21:14)アイデンディディは、それぞれ残る。しかし、それ以上に重要なのは、「額にある印」(22:4)が示すように、「神のもの」というアイデンティティだ。ユダヤ人も異邦人も、共に神の顔を仰ぎ見る。もはや呪われるものは何もない。(22:3)私達は確実にこの「希望」に向かっている。

 

このように聖書は現実の歴史を扱っているのであり、宗教の「神話」ではない。預言は確実に歴史の中で成就していく。聖書は単なる「道徳」の本ではないのだ。従って聖書全体を読みながら、聖書的な世界観、歴史観を持つことが重要なのだ。

 

========================= 

イスラエルの例祭と新約の時系列的「救い」のイベント

 

(春の例祭)

  過越の祭り (十字架の贖罪)

  種無しパンの祭り (罪のきよめ)

  初穂の祭り(イエスの復活)

  五旬節(聖霊の注ぎ)

 

(秋の例祭)

  ラッパの祭り (携挙) *時が定かでないのが特徴

  贖罪の日 (患難時代の国民的悔い改めとイエスの地上再臨)

  仮庵の祭り (メシア王国=約束の地到達=千年王国での祝宴)

 

=========================

意味ある人間関係と祈りによって深まり広がるキリスト中心のコミュニティ

東京メトロ・コミュニティ

Tokyo Metro Community (TMC)

執筆者:栗原一芳

Japantmc@gmail.com

 

0 件のコメント: