2010年12月5日日曜日

わかりにくいのは何故?


聖書のメッセージが伝わりにくい背景には誤訳という要素も多分にあるだろう。

仏の教えが仏教で、キリストの教えがキリスト教というのは本質を欠いている。

本来は「キリスト命」だが、せめて「キリスト道」が近い。実際、第1世紀には

「この道」と呼ばれていた。


ちなみに、ある漢訳聖書ではヨハネ1:1の「はじめにことばがあった。」を

「はじめに道があった。」と訳している。ロゴスは単なる言葉ではないので、

「道」のほうが通じる。


韓国語では神はハナニム(お一人の方)なのに、日本語では神道と同じ

「神」を使う。主権を持った宇宙の創造主という概念が伝わりにくい。罪も

聖書の原語では「的外れ」という意味なので、「脱線」のほうが伝わりや

すいかも。そうでないと、「これは犯罪という意味じゃなくて」と、

いちいち説明しないと通じない。悔い改めるは単に「考え方を変える」

「方向転換」で、神も考え直されることがあるので、必ずしも

「罪を悲しみ嘆く」意味を含まない。神が単なる裁き主、地獄の閻魔様と

思っていたが、聖書を読んでいるうち、信仰により自分の悪行をさえ赦し

天国に入れてくれる愛のお父様なのだと考えが変わった。

これは立派な悔い改めである。


「教会」は本来、教える会なのではなく、お互いに仕える愛の

コミュニティ。エクレシアを「教える会」と訳すのは無理がある

のではないか?第1世紀の教会では、特定の牧師が毎回一方的に

メッセージを語るスタイルはとられていなかったようである。


聖書66巻は霊感された神の言葉であるが、カノン制定後の聖書という

本の編集、印刷に関して霊感があるとは思えないが、未だに印刷屋が

便宜上ふった章や節に触れることはタブーのようだ。せめて新約の手紙類

は章節無しで読んでみたい。


さらに、パウロの書簡が新約聖書では年代順ではなく、単に長さ順で編集

されている。だから歴史の流れがわからない。歴史の流れで書いた初代教会

の物語を把握する必要がある。


最初の書簡はユダヤ割礼派が信仰を惑わしているので、性急に怒って書いた

ガラテヤ書(AD49)、そして、パウロがあまり信仰による自由を強調

したので、奔放になったクリスチャンを正したヤコブの手紙(AD50)。

そして、Iテサロニケ(AD51)、IIテサロニケ(AD52)、実は

どの教会も迫害、にせ教師、道徳問題と危機の中にあった。それで手紙を

書かなければならない状況であった。


コリント書に関して言えば、実はコリント書は1があって、その答えに2

実は、これが私達の第一コリント AD55)、そしてきびしい手紙の

3、それに対して厳しく書いたことで心配になって書いた4

(これが第2コリント AD57)。ここでローマ人への手紙(AD57)。

コロサイ、ピレモン、エペソはAD61。そして、ピリピがAD62。

さらに第一テモテ(AD63),ちなみに、この年にルカの福音書が

書かれている。それから、パウロの著書とすれば、ヘブル(AD64)、

テトス(AD65),この年にヨハネの福音書や第一ペテロが書かれて

いる。パウロの最後の書 第二テモテ(AD67)、同年に第二ペテロが

書かれた。ユダ(AD68),そして黙示録(AD70)。


70年といえば、ローマ軍の侵入し、神殿に火をつけ、とエルサレムの街

を占拠した年だ。黙示録を書いたヨハネはパトモス島から解放され、

12使徒の中で唯一殉教ではなく、100歳まで生きて、エペソで自然死した。


もうそろそろ年代順に編纂した新約聖書を出版してもいいのではないか。

0 件のコメント: