2011年1月23日日曜日

油注がれたビジネス  4


労働と礼拝

エド・シルボソ著の「変革の鍵―油注がれたビジネス」から抜粋、

コメントをつけています。


労働と礼拝の密接な関係を理解しておくことはとても

大切です。なぜなら聖書は職業を非霊的などとは決して

言っていないからです。実際、神は礼拝自体をまず教える

前に、労働(生き物を支配せよ)をしなさいと命じています。

神は労働が礼拝よりも素晴らしくて、より価値のあるもの

だからそのようにおっしゃったわけではなく、エデンの園

では労働そのものが主への賛美を意味し、礼拝としての意味

を持っていたからです。神の創造物に対する管理に責任を

持つことが、アダムとエバにとって神を敬い、神と交流する

手段そのものでした。


(主の思いと違った)私達の勝手な思いに基ずく分類の結果、

仕事を辞めること、要するにマーケットプレイスから離れる

こと(引退すること)がフルタイムのミニストリーや、

フルタイムの献身者への「登竜門」であるかのようになって

います。しかし、初代教会時代はそんなことはありません

でした。パウロと同行者たちは御言葉の奉仕をしながらも、

同時にこの世の職業に関わっていたことが分かります。もしも

マーケットプレイスに戻ることが、これまで教えられてきた

ように、ミニストリーへの召命からの後退や裏切りを意味する

としたら、どうしてイエス様はペテロや彼の同業者にたくさん

魚を取ることができるように指示し、励まされたのでしょうか。


このムーブメントは、ある文化の傘下に属し、それと同調して

ゆくサブ・カルチャーではなく、むしろそれに対抗しうる

カウンターカルチャーなのです。(しかし)クリスチャンは自分

たちの暮らす世界への配慮や思いやりに欠けているという悪い

評判が一部にあります。新しい天と地を待ち望むがゆえに、

現在の社会的、そして文化的な面での責任を放棄しているかの

ように見えるからです。


(コメント)どうせ、この天地は滅ぶのだから、直接的な伝道だけ

して、一人でも魂を天国に導けばいい。一見熱心で良さそうですが、

この考えだと、自分の携わっている仕事の意味、社会的善を成す

ことの意味が薄れてしまいます。果たして、それを神が望んでいる

のでしょうか。神はエデンの園でアダムに地を治めよという責任を

与えた。興味深いことに、堕落の後もその責任は撤廃されては

いない。人間はこの地を治めることを放棄してはならない。この地を

よき地に、御心が天で行われるごとく、地でも行われるように祈り、

願い、行動しなければならない。地上で携わる仕事(教育や医療、

介護、芸術など)は購いの業の一部であるし、交通、住宅建設、

食料品生産などは、この地を治め、地を開発、発展させてゆく

エデンの園での責任の拡大されたものと言えよう。もちろん

それは、主の主権のもとで、神の国の価値観によって展開され

なければならない。この地の仕事は神から任されたものであり、

意味がある。

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います。東京を変革してゆくために、失われた魂にどの

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