2011年2月27日日曜日

「ペイガン・クリスチャニティ?」その1



(異教的なキリスト教?)

数年前に調査会社を運営するクリスチャンビジネスマンの
ジョージ・バナーが「レボリューション」という本を書き
(和訳は地引網出版から)教会革命の先駆けとなった。その後、
ジョージは同じ思いを抱くフランク・バイオラ(www.frankviola.com
と出会い意気投合し、共著で「ペイガン・クリスチャニティ」を
出版する運びとなった。インターネットでこのテーマに関しての、
二人のラジオインタビューでの会話もアップロードされている。

レボリューションは日本語に翻訳出版されたのに、ペイガンの方は、
あまりに過激な内容からか未だに日本語にはなっていない。これから、
フランクの教会革命シリーズのうちの数冊を毎回紹介し、私のコメント
もつけたい。

まず、ペイガン・クリスチャニティであるが、アメリカの文化的
習慣的教会のやり方への批判が土台となっている。要は、現在の
教会でやっていることのほとんどは新約聖書に無いことで、
むしろ、異教に起源を発するというもの。かなり物議をかもして
いるが、考えるに値する。これに始まる教会革命は、この時代
必要なことだろう。

知らないうちに正統派と自称している者が人間的伝統に甘んじて、
かつてのパリサイ人のようになってくる可能性もある。キリスト道
がキリスト教という「宗教」、文化なりさがってしまうこともある。
そうすると、日曜の礼拝は聖霊が無くてもできるプログラムとなって
くる。スーパー牧師のワンマンショー、CEO牧師と教会の経営。
顧客としての信徒。また「教会に行く」という初代教会ではありえない
コンセプトがまかり通ってくる。フランクが観察するところの
新約教会では、教会とは


Church is every believer functioning, shared life community.
Head is Jesus alone. 


つまり、イエスだけを頭とする、すべての信徒が参加、機能する
人生、生活を分かち合うコミュニティ。 しかし、オリジナルな
教会は、すぐに変遷していく。3Cまでには、「聖―聖職者」
「俗―一般信徒」の分化が明確になる。そこから神学校に行った
特別な人だけが教会で仕えることができるようになった。
それで、神学的な違いから教団も生まれるようになったという。
(つづく)
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