2011年9月3日土曜日

科学の時代に宗教なんて



「科学の時代に宗教なんて時代遅れ。科学は客観的で信頼できる。宗教(信仰は主観的で非合理、だから信用できない。」

この科学神話は18世紀の啓蒙主義までに作られた。科学がすべてを解決する、だから、神はいらないと。しかしながら、ガリレオやニュートンなど近代科学の基礎を作った人たちは神を信じる人々であった。神がつくった世界という本を読み解くことが科学であったので矛盾はなかったのだ。

今日でも多くの科学者が自分の信仰と自分の仕事に矛盾を感じていない。宇宙創始のファインチューニング(英国の数理学者ロジャー・ペンローズによると、宇宙が今の宇宙である確率は10の128乗分の1であるという。)、美、自然の秩序はむしろ神を指差してはいなか? 科学の前提は時代とともに変わってゆく。アインシュタインの頃までは宇宙は宇宙定数で保たれる永遠に一定の不変のものと考えられていた。しかし、今日、スティーブン・ホーキングら、宇宙科学者は宇宙のはじめは特異点という質量ゼロ、エネルギー無限大という点から、始まった(時間、空間さえも)とする。それは創世記の神の世界創造をむしろサポートする考えではないか?相対性原理では時間と空間は歪む。2本の平行線は交わらないというユークリッド幾何学が通用しない世界があることがわかってきた。(ブラックホールの中など)電子は1個2個と数えられる物質だが、電子銃で2つ穴のあいた板に電子を打つと、何と2つの穴を通ってしまう。これが有名な電子のスリッド実験である。電子は個体であり、同時にウエーブでありうる。常識さえもどんどん塗り替えられている。奇跡はありえないと断言できるのか?

あなたは宇宙をどれほどわかっていますか?何パーセントわかってますか?科学者が知っている宇宙物質は4%にすぎず、未だに96%は未知のダークエネルギーとダークマターなのだ。つまり、ほとんどわかっていない。それでも、あなたは神はいないと断言できるんでしょうか?あなの頭脳は137億光年の宇宙をまんべんなく見渡せるのでしょうか?

もう一つ、なぜ、神はいないと言ってながら多くの人はあたかも神がいるように生活するのでしょうか?人間の尊厳なんていうこと言うのでしょうか?なぜ、命が大事なのでしょうか?なぜ、いじめたり、騙したり、盗んだりするのはいけないと学校で教えるのでしょうか?なぜマザーテレサのように犠牲をはらって苦しんでいる人を助ける姿をみて感動するのでしょうか? 愛、希望、自由、信じることなど、目に見えないものに価値を置くのでしょうか? 人間は利己的遺伝子に乗っ取られた乗り物と言われて、なぜ、違和感を感じるのでしょうか?

サイエンスライターの竹内薫の本「99%は仮説」にもあるように、科学は仮説をたて、それを「信じて」証拠を見つけてゆく。「信じる」ことは人間のノーマルな認知の仕方の1つなのだ。ただ、信仰には「盲信」と「信頼するに価する対象を信じる」信仰と2種類ある。キリスト教はイエスの十字架と復活という歴史的事実に基づいており、多くの証人の証言からも信じるに価することを知る事が出来る。

なお、関心ある人は栗原のブログ
「科学が聖書に近づいた?」 http://blog.livedoor.jp/digjinsei-science/
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