2014年10月14日火曜日

「マージン」



 アメリカのキリスト教界では「マージン」という本が流行ったそうです。「マージン」とは「余白」、「余った時間」とでも訳すのでしょうか? 余った時間やスペースはもったいないとして、埋めてしまいたくなります。でも公園や美術館に行ってホッとするのはスペースを余分にとっているからなのです。ニューヨークにも真ん中にセントラルパークがあって救われていますよね。東京でさえ、代々木公園や新宿御苑など「無駄」なスペースが意図的に残されています。



最近の本は「マージン」を意図的に多めにとって読み易くしていますね。びっしり文字が詰まっていては読む気がしなくなります。主は1週間のうち、「非生産的」な安息日を設けて、守るように命じました。実はこの「非生産的」な時間こそ「生産的」であり、活力を与える時間なのです。のべつ幕無しに仕事をしていては「劣化」してしまいます。特に「クリエイティブ」な仕事をする人は「マージン」が必要なようです。


ネパールでこんな話があります。

日本人の旅行者が山登りのため現地の荷物運び屋を雇った。彼らには慣れた山道なので、ずっと先へ行って見えなくなってしまった。

やがて、旅行者が荷物運びの人夫たちに近づくと、彼らはしゃがみ込んでいる。「さすがに疲れましたかね?」と聞くと、こういう答えが返ってきた。「疲れたんじゃない。あまり早く歩きすぎて・・魂が追いつくのを待っているんです。」と。

私達も魂のキャッチアップが必要ではないでしょうか? 自分自身も30代40代突っ走ってきただけに、今は「マージン」を大事にしようと意識しています。魂にキャッチアップしたいと思っています。ハンドルには「遊び」がないと危険です。あまりキチンと生真面目に働き続けていると、いつかポキンと折れてしまいますよ。



若い時は手帳が予定でいっぱいで真っ黒だと、安心したものです。忙しいと「用いられている」気がします。スケジュールが埋まっていることによって自分は大事な存在なのだと錯覚します。しかし、忙しければ「実」が実るとは限りません。自分に余裕が無いとイライラして批判的になり、他の人の祝福になるのは難しいですね。時に仕事の成果によって神の自分への愛を計ろうとしてしまいます。神が自分のことを愛していると神学的には信じていますが、神が自分のことを「好き」で、自分の存在を歌を歌ってまで「喜んでいる」と本気で思っていますか? では、神が言っていることを聞いてみましょう。


「あなたの神、主はあなたのただ中におられる。救いの勇士だ。主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌って、あなたのことを喜ばれる。」(ゼパニヤ 3:17)




そう、「あなたのことを」です。「あなたの仕事の達成」ではありません。是非、意識して手帳に「余白」を作りましょう。自分と向き合い、神様とデートする時間です。先日、私は山に行って一人野外礼拝しました。礼拝といってもプログラムがある訳ではありません。森に座って、目を閉じ、そよ風を肌に感じます。耳をすませて、虫の声を聞きます。そして魂に追いつきます。自分を取り戻します。蜘蛛の巣を見て、その知恵に驚きます。5ミリくらいの青虫が一生懸命前進しているのを見て「頑張ってるなあ」と思います。コスモスを見て純粋に「きれいだなあ」と思います。

 皆さん、これって「礼拝」なんです。教会の長椅子に座っている時だけが礼拝ではありません。神がこの大自然を創造したとき「よかった」と言われました。神の創られた自然に触れて「いいなあ」と心から告白するとき、神と心が同調しているのです。すてきなワーシップの時です。生きる力が湧き出てきます。

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意味ある人間関係と祈りで広がるエクレシア
Tokyo Metro Community (TMC)
japantmc@gmail.com(栗原)

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