2016年1月18日月曜日

2016年の勝利者宣言


イエスを信じる者はみな勝利者



誰もが、オリンピックの表彰台に登る訳ではないでしょう。しかし、イエスを信じるクリスチャンは皆、勝利者なのだと聖書は言っています。そう、「勝利者宣言」がなされているのです。ローマ書8章は新約の高嶺、ダイヤモンド部分と言われています。そこにこうあります。


「しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。」(ローマ8:37)


圧倒的な勝利者。いろいろな訳があります。「輝かしい勝利」「超勝利」「勝利者以上」「勝ち得てあまりがある」「ゆうゆうと勝つ」英語では

more than conquerors となっています。

なぜ、こんなに自信に満ちて勝利を宣言できるのでしょうか?もちろん私たちが強いからではありません。背後についている方が圧倒的に強いからです。少年ダビデの後ろには神がついておられたので、ゴリアテに勝利できたのです。

「では、これらのことからどう言えるでしょう。神がわたしたちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。」(ローマ8:31)



敵の戦略を知れ
勝利と言うからには戦う敵がいる訳です。それは、私たちを潰しにかかる闇の力です。この敵が使う戦略があります。

1.      罪悪感で攻め立てる

「おまえは罪深い」「汚れてる」「神の前になんか立てない」「裁かれる」
「おまえはもうダメだ」この種の戦いは私たちの「思いの中」で始まります。しかし、事実はこうです。キリストは私たちの過去、現在、未来の罪を背負って十字架で死んでくださいました。他人事ではなく、私たちはキリストと共に葬られ、キリストと共に死者の中からよみがえりました。神は私たちをキリストと共に生かしてくださいました。そして、私たちのすべての罪(すべてです!)を赦し、私たちを責め立てている債務証書を無効にされました。神はこの証書を取り除け、十字架にクギ付けにされました。(コロサイ2:12−14)


「こういうわけで、今はキリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。」(ローマ8:1)

英語ではNo condemnation in Christ Jesus です。神ご自身が宣言されているのです。騙されないようにしましょう。ただ、日常生活で罪を犯してしまうことがあります。もし、御霊に示された罪があるなら、告白して赦されましょう。

「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」
(第一ヨハネ1:9)


神は嘘をつく方でしょうか?いいえ、この約束通りにすれば、神はあなたの罪を赦し、きよめてくださいます。この祈りをしたのに、まだ罪の咎めを感じるなら、それはサタンの声です。聞く必要はありません!


2.      愛される価値がないと思い込ませる

多くの人たちは、自分は愛される価値がない、または、数字を出してナンボの世界で、自分は生産性が無いから生きてる価値がないと思い込まされています。しかし、人間は神の姿に創造された被造物界至上の存在なのです。なんと、詩篇の8:5には「あなた(神)は、人を神よりいくらか劣るものとし、これに栄光と誉の冠をかぶらせました。あなたは御手の多くのわざを人に治めさせ、万物を彼の足の下に置かれました。」とあります。取るに足りない存在の者にエデンの園やこの地上を治めさせることをするでしょうか?神よりいくらか劣るとは大層な身分ですね。存在するだけで、あなたは神の目に高価で尊いのです。(イザヤ43:4)


誰からも愛されていないと思い込んで希望を失っている人も沢山いるでしょう。「神は一人子を下さるほどに世(あなた)を愛された。」という有名なヨハネ3:16に続き、このローマ8の32では、こうあります。

「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子と一緒にすべてのものを恵んでくださらないことがありましょう。」

あなたは愛され、恵まれ、祝福されています。これが事実です。ただ、この愛を疑わせたり、この愛から引き離そうとする敵がいるのです。惑わされないでください。その日の感情ではなく、み言葉の約束に固く立ってください。

「私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですが、苦しみですが、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。」(ローマ8:35)

パウロは机上の空論でこれを言っているのではありません。彼自身それらを体験したのです。(IIコリント11:23−28)それでも勝利者宣言なのです。これらの厳しい状況は彼自身が体験した事実です。37節は「しかし、」という接続後ではじまります。聖書の中でこの「しかし、」が出るとき注意してください。さらにまさる事実。目で見ている現状にまさる事実。神的事実が述べられるからです。

しかし、これらすべてのことの中になっても「圧倒的な勝利者」だというのです。四方八方から苦しめられても、窮することがなく、途方にくれていても行き詰まることがないのです。(IIコリント4:8)神を信じる者は行き詰まらない。余裕があるのです。最後には勝つことを知っているのです。闇は光に打ち勝たないことを知っているのです。ダビデは勝つか負けるかわからないけど、ともかく戦場に行ってみたというのではありません。当然、勝つことを信じてゴリアテに立ち向かいました。戦う前から勝っていたのです。これが勝利者宣言です。


勝利の秘訣
そして、37節のキーワードはこれです。「私たちを愛してくださった方によって」なぜ、それを確信できるかというと私たちを熱烈に愛してくださっている方がいるからです。この方の愛があの敵よりも強いからです。ひと昔前流行った歌がありました。「最後に愛は勝つ」。その通りです。最後にキリストの愛が勝つのです。信仰の完成者である、このお方から目を離さないでいましょう。(ヘブル12:2)

さて、ここで「成功者」ではなく、「勝利者」となっているのが興味ふかいですね。一般の「成功」のイメージは「地位」「名誉」「財産」を築いた人。ヨセフは確かにエジプトの総理大臣に抜擢され、成功者となりました。しかし、それまでのプロセスはとても成功者のイメージではありません。お兄さんたちに井戸に落とされ、エジプトの商人に売り飛ばされ、ポティファルの奥さんに誘惑され濡れ衣を着せられて投獄され、夢を解いてあげた献酌官長はヨセフのことを忘れ、それからさらに牢獄に2年間放っておかれました。しかし、ヨセフはいつも神を信じ、神はヨセフと共におられたのでした。その意味で彼は「勝利者」だったのです。決して希望を捨てず、神に希望を置き続けたのです

世に成功者はいても、人生の勝利者はそう多くはありません。地位、名誉、財産、何もないパウロは「わたしにとって生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。」と告白しました。(ピリピ1:21)天命に生きるため、生死も超越していました。傷を負いながらも前進します。闇の力も彼を止めることができません。これこそ人生の勝利者の告白ではないでしょうか。それはパウロだからでしょうと言うかも知れません。しかし、信じた者すべてに賜物としての聖霊が与えられているのです。

「子供たちよ、あなたがたは神から出たものです。そして、彼らに勝ったのです。あなたがたのうちにおられる方が、この世のうちにいある、あの者よりも力があるからです。」(第一ヨハネ4:4)

ここに勝利の秘訣があります。リソースはもう内側にあるのです。

主の年、2016年が始まりました。何が起こるかわからない昨今です。それでも、いや、だからこそ、圧倒的な勝利者の「勝利者宣言」を持って、この年を始めたいものです。

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