前人未到の優勝記録を作った横綱白鵬。「白鵬のメンタル」(内藤堅志著 講談社α新書)によると白鵬が実際の稽古・研究に使っている26%に対して「心・人生観・哲学」の部分が40%だそうです。トップゴルファーなども勝利の秘訣の8〜9割は「メンタル」の部分だといいます。「私は心を鍛えたからこそ横綱になれました。すべて内藤先生のおかげです。」と白鵬自身が語っているのです。身体的強さだけでは横綱にはなれないのでしょう。しかも横綱に地位に居続けるのは並大抵なことではないのです。
聖書も心の大事さを語っています。私たちの場合、サタンとの勝負をしています。サタンは急に現れて殴りつけるようなことはしません。もっと巧妙にMoney, Sex, Prideという弱みにつけこんできます。あるいは、人との比較、劣等感、優越感、過去の傷や、罪責感を用いて私たちをダウンさせようとします。戦いは「思い」の中で始まるのです。ですから、当然、単なる能力才能だけではなく、心のあり方が勝負を決めることになります。
「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。命の泉は「これから湧く」
(箴言4:23)
「主よ、あなたは貧しい者の願いを聞いてくださいました。あなたは彼らの心
を強くしてくださいます。」 (詩篇10:17)
「自分の心を制することができない人は、城壁のない、打ち壊された町の
ようだ。」 (箴言25:28)
例えば、サタンにやられて劣等感、罪悪感、無価値感に犯されてしまうと仕事や家庭もうまくいきません。感情ではなく、みことばの約束「わたし(主)は決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」(ヘブ13:5)という原点を確認する必要があります。もともと何か善をなしたから神はあなたに目をかけてくださった訳ではありません。すべては一方的な神の恵みなのです。
成功する人が持つ「流れ」
成功する人は自分の力を最大限に出せる「流れ」を持っているといいます。その流れはある種の「儀式的要素」があり、決まった手順のルーティンがあるのです。イチローがバッターボックスに立つときの一連の仕草もそうです。場当たり的に最大限の力を出すことはできないのです。リラックスと緊張のバランスが大事なのです。ここぞ、というところで力を爆発させます。相撲取りは1日の中のたった数秒という試合にすべてを集中します。そこにもってゆく流れをいかに作るかが大事な訳です。
生活にリズムを作ることは大事です。神は6日働いて1日休むことで、模範を見せてくださいました。働きづめではいけないのです。一週間のリズム、1日のリズムが大事です。仕事の事を一忘れて、心からワーシップする時間を定期的に取ることは霊的状態を保つために大事です。多くのクリスチャンは朝、デボーションをします。毎朝、聖書を読んで神に祈り、心をきよめます。
「ある人々のように一緒に集まることをやめたりしないで、かえって励まし合
い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。」
(ヘブル10:25)
クリスチャンが定期的に集い、励ましあうことを聖書は勧めています。律法的になる必要はありませんが、霊の健康のため、そうしましょう。
それと練習の時のように動ける「平常心」。どうしても試合は緊張するのです。そして、「勝とう」と思って力を入れすぎてかえって体が動かなくなるのです。かつての強い横綱、貴乃花は立会い直前まで悟りの境地のような「涼しい顔」をしていたもんです。とてもこれから戦う人の顔には見えませんでした。医学的にも禅のような複式呼吸(吐いて吐いて、鼻から空気を吸う、ロングブレス)をすると神経物質のセロトニンが活性化され、心が安定するといいます。弓道の人が矢を射る前に、このように呼吸して心を整えると「ドスンと一本鉄の杭が体に通ったような気持ち」になるというのです。そうなれば当然、的を射る確率も高くなりますよね。クリスチャンにはさらに「この世が与えるのとは違う平安」を頂くことができます。
「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしがあなたがたに与えるのは、
世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。
恐れてはなりません。」(ヨハネ14:27)
聖霊(パレクレートス=寄り添う方)は、いつも側にいて耳元で「大丈夫」、「もう少しだ頑張れよ!」と人生というマラソンを走っている私たちを励ましてくださる方なのです。
真の勝利者は人生の勝利者
未熟な行動をすると「横綱らしくない」と批判されるでしょう。横綱なんだから立派な人間でいて欲しいという周囲からの期待もある訳ですが、逆に人間的にもある程度成熟していないと横綱(勝利者)にはなれないという面もあるのです。白鵬は精神面を大事にし、福祉や、被災地の支援活動などにも熱心だそうです。また、先輩の話を素直に聞いて学ぶ「傾聴」の態度があるといいます。そういう謙虚さがあることも勝利者の秘訣なのではないでしょうか。やはり人格的に貧しいと一時的に成功して金持ちになっても、「人生の勝利者」にはなれません。白鵬は、「自分が勝った時、負けた相手がいるから自分が勝ったのであって、その相手に感謝する。」と言っています。これはなかなか言える言葉ではないですね。また人を隔てづ、社長さんでも子供でも同じように接するそうです。仲間とのコミュニケーションも大事にするんですね。やはり、人間的にも大きいことが強い秘訣になっています。
「ですから、愛されている子供らしく、神にならうものになりなさい。また愛
のうちを歩みなさい。」(エペソ5:1)
プロには「まぐれ」は存在しない
「運も勝ちの内」といいますが、この本では「偶然」は無いというのです。予期せぬ発見をする能力をセレンディピディと言います。やっぱりそれも1つの能力で、運が良い人というのは運をものにできる準備をいつもしている人だということなのでしょう。練習をしているから運がものになってゆく。ボクシングのラッキーパンチも、それだけの力あるパンチを出せる準備をしているから効くという訳です。だからプロには「まぐれ」は存在しないというのです。自分を最高に持っていける「流れ」があるからこそ「運」を呼び込める。
確かに「人生は出会いで決まる」と言いますが、「予期せぬ出会い」は神の目からは計画された出会いなのだと思います。「つながる」「つなげる」ネットワークする。点を線にする。そこにチャンスが生まれるのです。そしてクリスチャン的には「聖霊の声」に聞くということでしょう。「行くところを知らずして」故郷を離れたアブラハムは非常識な人間です。しかし、彼は神の声を聞いて従ったのです。そして、結果、すべての国を祝福する基(もとい)となったのです。時に聖霊は予期せぬところに私たちを連れて行きます。時に「信仰のジャンプ」も必要です。偶然と思える日常に背後で働かれる神の指を見てゆきたいものです。
上昇気流に乗れ。Soar
「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」(イザヤ40:31)
英語では
Those
who hope in the Lord will renew their strength. They shall SOAR on wings like
eagles; they will run and not grow weary, they will walk and not be faint.
Soarという言葉が素敵ですね。舞い上がる、上昇気流に乗るというイメージです。もがいている姿ではなく、余裕をもって鷲が翼を広げて舞い上がってゆく、あのイメージです。その姿が私たちクリスチャンに約束されています。自分の力でやっているといつか疲れ、倒れます。しかし、聖霊の力で上昇するのです。聖書では私たちはただ、かろうじて勝つのではなく、圧倒的な勝利者になると言っています。
「しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべての
ことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。」(ローマ8:37)
その根底となっているのは、「どんなものも神の愛から私たちを引き離すことができない。」(ローマ8:39)という事実です。これが聖書で言っている変わらない「事実」なのです。私たちを造った造り主に愛されている。だから価値がある。イエスのあがないが100%だから、100%赦されている、100%受け入れられている。神の子供とされている。神が心配してくださっている。ケアされている。力を頂いている。だから圧倒的な勝利者となれるのです。
朝、起きたら神様に聞いてみてください。「私のことをどう思っていますか?」
「もちろん、愛してるよ、おまえを愛してる」と言って、ギッとハグしてくださるに違いありません。
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意味ある人間関係と祈りで広がるキリスト中心のコミュニティ
Tokyo
Metro Community (TMC)
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