使徒の働き2章を読むと、ペテロの説教で3000人ほどがイエスの弟子に加えられました。その人たちがどういう生活をしていたのかが以下2章42節からのところに書いてあります。これはどうやってというマニュアルではなく、何を大切にしていたかという原則です。
1. 使徒たちの教えを堅く守り
当時、すぐに間違った教え(異端)が入り込んできました。キリスト以外のものを権威とする高慢から出てきます。大きくは2極端、すなわち「律法主義」にずれるか、「恵を放縦に」変えてしまうかです。ですから、福音に固く立つことが大事でした。義認だけではなく、「のろいから祝福へ」、「サタンの奴隷から御霊による解放へ」の福音の原理で生活し続けることが大事です。使徒の働きを見ると、クリスチャンになるとは単なる教理への知的同意ではなく、神の霊が降るという霊的出来事でした。
しかし、当時、今私たちが手にしている新約聖書は無かったので、使徒が巡回してきた時、直接話をうかがうか、使徒が書いた手紙を回覧するか、教えられた人が口移しで伝えたかでしょう。必ずしも同一教師が同じ会衆に毎週日曜日に語る「説教」があった訳ではありません。ともあれ、やがて第一コリント15章1節から8節にあるような内容が共通の福音理解として定着していったものと思われます。
さて、書かれた聖書が無いということは、「文字を読む」文化より、「話を聞く」文化があったようですね。お互いの「分かち合い」を聞き、「御霊に聞く」という文化。書いた聖書が無いなら、御霊の声に敏感にならざるを得ないですね。また、インターネットも無いので「顔を合わせて」語り合うことがメインでした。つまり、至近距離である必要があったのです。神とのコミュニケーションも、もう少しダイレクトだったようです。パウロは復活したイエス様の声をダマスコ途上で直接「聞いて」います。ヨハネは黙示録を書いたとき、御霊に「感じて」いろいろなビジュアルイメージを「見て」メッセージを受け取っています。今日、AIやスマホに「聞く」より、もっと神に聞く訓練が必要かも知れませんね。
2. 交わりをし
当時は家々で集まっていたので(ということは家に入れる人数ですから10人くらいじゃないでしょうか)、お互い名前がわかる距離、顔と顔をあわせる距離感であったわけです。第一コリント16章20節には「聖なるくちづけをもって、互いにあいさつをかわしなさい。」とあります。当初は本当に家族のように、兄弟姉妹としてくちづけをかわしていたようです。そういう心理的距離だったのですね。それがやがて男女はしなくなり、やがて4世紀になって教職階級が始まると、先生と弟子はしなくなりと心理的距離は離れていきます。ここで面白いのは「互いにあいさつをかわしなさい。」と命令系になっていることです。それほど「あいさつ」が大事なのです。気まずい関係になると「あいさつ」しなくなります。「あいさつ」は関係のバロメーターなのです。ちなみにワーシップの語源は「くちづけ」と聞いたことがあります。神様との心理的至近距離ですね。
ともあれ、交わりをするためにはある程度限られた人数である必要があります。家で集まるのはちょうどよかったのです。ヘブル10:25でも信者が集まることを勧めています。一人ではいけません。交わりの中にいることで霊的に守られますし、愛に成長することができます。最近教会をMissional Community(宣教的コミュニティ)と描写する人たちもいます。
3. パンを裂き
今でいう、聖餐式のことでしょう。しかし、当時は「儀式」ではありませんでした。「最後の晩餐」の聖餐もそうですが、食事の一環として行われていたのです。そして当時、毎日食べていたパンという日常食を用いて、キリストを覚えたのです。日本では「おにぎり」でもいいかもしれません。神の家族との会食ですから、楽しい雰囲気だったでしょうね。(2章46節)また、イエス様によって罪赦され、神の子とされ、神との祝宴の生活に入ったのですから、聖餐は祝宴の雰囲気で行われたものと思われます。重苦しい「儀式」ではありませんでした。(もちろん、主を覚えるためであり、心が伴わなければ意味がありません。コリントの教会ではあまりにも軽く扱われていたのでパウロは戒めています。参照:第一コリント11:27−30)イエス様はカナの婚礼で水をワインに変えましたが、この奇跡はイエス様の7つの奇跡のオープニングの奇跡としてヨハネの福音書に書かれています。ワインのある祝宴的人生。たくさんの笑顔。イエス様がもたらす人生の象徴ですね。「のろいから祝福へ」。日本の教会は「十字架」と罪の赦しが重視されますが、「使徒の働き」を読むとむしろメインに伝えられていたメッセージは「復活」です。何が起こっても「The End」とならない人生。逆転ホームランが出る人生。イエス様のいる人生は祝福なのです。そして聖餐は、やがて再臨されるイエスという希望に思いを寄せる時でもあるのです。
4. 祈りをしていた。
42節を見る限り、礼拝という「プログラム」や「儀式」はありません。親しい家族が集まり、一緒に食事をし、神様と会話(祈り)していた光景です。聖書には礼拝の順序など細かい規定は書かれていません。この時点では祈祷書も、礼拝中のPastoral prayer(牧師の長い祈り)もなかったのです。イエス様が教えた「主の祈り」をしていたかも知れませんね。とてもシンプルです。そして、すべての必要を祈りの中で神様に持っていっていたのです。それは信徒同士の愛とケアの表れでもあります。今でいう礼拝説教もありませんでしたから、神様に直接「聞く」「語る」という祈りが大きな位置を占めていたものと思われます。
以上4点がメインの要素です。43節からを見てみましょう。さらに初代教会の様子がわかります。
5.
一同の心に恐れが生じ
アナニアとサッピラの事件があったように(5章)、御霊の働きが顕著ということは、御霊をあなどることへの結果も顕著だった訳です。神の働きがリアルであり、生ける神を侮ることができないという「正しい恐れ」があったものと思われます。恵による歩みとは「なあなあ主義」ではありません。罪は罪であり、そういう面でのシリアスさは常に必要なのです。罪とは神との関係のねじれです。神は常に私たちと親密な関係でいたいのです。ですから、罪を嫌うのです。
6.
多くのしるしと不思議が行われた。
ある学派では、聖書が編纂された以上、もう福音の証拠としての奇跡は無くなったと考えるようですが、神がもう奇跡を行わないというのはおかしな話です。今日、イスラムの世界でしるしや不思議が起こり、改心者が増えていることも聞いています。今も生きたもう主は今も不思議をなさると信じます。それにしても最大の奇跡はあなたや私が救われたことですね。
7. 財産の共有
これを原始共産主義と考える人もいます。この実践はエルサレム教会に限られてい
たようです。信徒がボランタリーに行ったもので、強制ではありませんでした。
ポイントは愛の行動でしょう。口先だけで愛することをせず、行いをもって愛を示
すということでしょう。(ヤコブ2:14−16)また、ヤコブが1章27節で言っ
ているように、神の家族同士の助け合いにとどまらず、社会の弱者、孤児や、やもめ
たちを援助していたものと思われます。
エクレシア(教会)は神の国のショーケースなのです。神の国、すなわち神の愛と
義と平和が支配するところはこんな風ですよと証しているところなのです。
7.
毎日、心を一つにし宮に集まり
ここを根拠に教会堂に集まる日曜礼拝の大切さを主張する人もいますが、1つ考えなければならないのは当時、聖書は旧約聖書しかなく、しかも、それはユダヤ人の会堂(シナゴグ)に巻物として保管されており、安息日に読まれていた訳です。すなわち、み言葉を聞くためには会堂に行く必要があったのです。しかし、今は書かれた聖書が家庭にあるので、場所は教会堂でなくてもよくなったのです。ポイントはできる限り信徒が顔を合わせ、一緒に神を礼拝することではないでしょうか。新約聖書では会堂が特別な「聖なる場所」という思想はありません。霊とまことを持って礼拝するなら場所は関係ないのです。(ヨハネ4:19−24)日本の場合、「ひとりぽっちクリスチャン」が多いので、集まって一緒に礼拝することは大きな励ましになります。「家でパンを裂き」は先ほど述べた聖餐のことでしょう。それは食事と交わりと連結したものでした。
8.
神を賛美し
賛美というと一昔前なら「賛美歌」を歌うこと。今日なら「ワーシップソング」を歌うことをイメージするでしょう。大事なのは神を賛美することであり、どんな楽曲を使うかは決められてはいません。確かにヒルソングの曲はいいのですが、雅楽や民謡調の賛美があってもいいのです。また、詩篇を朗読してり、みことばをベースに祈りで賛美することもありですね。さらに言えば、おいしいものを食べたり、美しい自然を見て感動し、神に心を馳せることも礼拝であり、賛美なのだと思います。主はすばらしいのです。
9.
すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてく
ださった。
民に「好意」を持たれることと、救われる人が起こされることには関係がありま
す。地元コミュニティの人を愛し、社会に仕え、人々からの信頼を得ていることは
宣教の基盤ではないでしょうか。もちろん、福音に反対する人は常にいますし、迫
害も起こります。しかし、そのことと教会が自己中心になって地元コミュニティに
関心を払わないこととは違います。また、この節では「主も・・・」と救われる
人々を加えてくださるのは主であることが明記されています。何か伝道イベントを
やって一生懸命に人を教会に引っ張ってくるのとは、ちょっとイメージが違うよう
に感じられます。真に愛し合い、仕え合っている共同体は魅力的なのです。「神は愛
だ」というのは真実ではあっても、多くの人にとっては、ただの言葉にすぎませ
ん。その愛を体験できる具体的な行動が必要なのでしょうね。そして、人々を救う
のは主です。
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初代教会に無かったもの
(フランク・バイオラ、ジョージ・バナー共著 「ペイガン クリスチャニティ」より)
1.
会堂
AD327年、コンスタンチン皇帝により初めて建設された。
2.
講壇
AD250年あたりから始まった。
3.
日曜礼拝の順序
16世紀のグレゴリーミサから発展。
4.
説教中心の礼拝スタイル
1523年マルチン・ルターにより始まる。
5.
日曜礼拝を休むことによる罪責感
17世紀のニューイングランドのピューリタンにより始まる。
6.
説教前の牧師の長い祈り
17世紀のピューリタンにより始まる。
7.
教職という特別階級
3世紀くらいまでにクリスチャンリーダーは「教職=Clergy」と呼ばれるようになった。
8.
10分の1献金
8世紀くらいまでは一般的ではなかった。後に旧約聖書を用いて正当化されるようになった。(*むしろ、ローマ15:26に見られるように愛の心から具体的な必要に応じて捧げられていたようです。義務ではありませんでした。ちなみに旧約の十分の1は神政国家であるイスラエスのいわば税金のようなもので、土地を持たないレビ人への支給や、国家的祭事、また福祉のために使われていました。同書172ページ参照)
9.
有給の牧師
4世紀、コンスタンチン皇帝によって制度化された。
10。聖餐式
本来の食事を伴う愛餐が2世紀の終わりくらいから、異教の影響によりパンとカップだけに縮小された。
11。教会学校
ロバートレイカースにより1780年英国で始められた。もともとは貧
しい子供達に一般教養を教えるためだった。
長い間に一般の人が持っている教会のイメージができあがってしまったのですが、以上のように、初代教会には無かったものが多いのです。つまり聖書的原理に則っていれば、教会のあり方は1つのパターンにとらわれず、柔軟に考えてもいいという事ですね。教会の形の維持よりも、主に忠実な、主の弟子が起こされていることが大事なのです。
イエス様は「教会」より「神の国」を説いています。創造、堕落、贖い、回復(被造物全体の)、完成という神の壮大なドラマの中で福音を位置づけ、神の国の中での使命を見出していく必要があるのです。これは「イエスを信じて罪赦され、天国に行ける」という個人の救い以上のコンテキストがあるということです。
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意味ある人間関係と祈りで広がるキリスト中心のコミュニティ
東京メトロ・コミュニティ(TMC)
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