2022年1月20日木曜日

旧約の祝福と新約の祝福


旧約の祝福は地上的?

旧約聖書で一番初めに出てくる祝福がこれ。神が人を創造した後で、彼らを祝福された。

 

神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。増えよ。地に満ちよ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地の上を這うすべての生き物を支配せよ。」

(創世記1:28)

 

「生めよ。増えよ。」とは生殖活動であり、27節から分かるように、男と女による肉体的結合による生殖だ。4章1節で、実際に、それが為され、カインが生まれたことが記されている。また、上記の命令では海、空、地の上の生物を支配することが関連づけられている。つまり、祝福は「地」に増え広がり、「地」を従えることだ。祝福と「地」が密接に繋がっている。

 

洪水後のノアにも同様の命令がなされている。(創世記9:1)ここでも祝福は地上的だ。

 

アブラハムへの祝福には、土地の所有が約束されている。

 

その日、主はアブラムと契約を結んで言われた。「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。エジプトの川から、あの大河ユーフラテス川まで 

                          (創世記15:18)

 

またアダム、エバへの祝福のように子孫が増え広がること(創世記15:5)が盛り込まれている。子供が与えられることは祝福であった。

 

わたしは彼女を祝福し、彼女によって必ずあなたに男の子を与える。わたしは彼女を祝福する。彼女は国々の母となり、もろもろの民の王たちが彼女から出てくる (創世記17:16)

 

ヤコブの妻、ラケルとレアの出産合戦を見ても、子供を宿すことは祝福と考えられていたことが分かる。(創世記29−30)

 

そして、たくさんの家畜(富)を持つことも祝福であった。(ヨブ42:12)

ヨブが苦難のテストを通過した後、神はヨブを祝福し、たくさんの家畜を持つようになったことが記されている。

 

祝福を受けたアブラハムはどういう生涯を送ったのか?

 

以上がアブラハムの生きた年月で、百七十五年であった。アブラハムは幸せな晩年を過ごし、年老いて満ち足り、息絶えて死んだ。そして自分の民に加えられた。 (創世記25:8)

 

アブラハムは天国に行けて幸せとは書いていない。この地上で「幸せな晩年を過ごし、年老いて満ち足りて」死んだのだ。地上的祝福を十分得て亡くなっている。「息絶えて死んだ」とは、これまた身体的表現だ。「天に召された」ではない。

 

つまり、旧約時代の祝福というと・・

 

1.      子供に恵まれる

2.      土地を所有する

3.      多くの家畜を持つ(富を持つ)

4.      地上で幸せに生きる

 

という事のようだ。まるでご利益宗教の「無病息災」、「家内安全」、「商売繁盛」だ。祝福は地上的なのだ。日本人には分かりやすい!天国の話は出てこない。「後の世」の事より、この地上で生きている間に祝福を得て幸せになるという思想のようだ。だから、イエス当時のイスラエルの人々が「富んでいる人」は神に「祝福されている人」と考えていたのは無理もない。あのラザロと金持ちの話で、アブラハムの元(天国)に行ったのがラザロであり、逆に、金持ちが地獄にいる話を聞いて、皆が驚嘆したのも無理はない。(ルカ16:19〜31)

 

神に忠実であれば、祝福されソロモン王初期のイスラエルのように、土地所有、安全、繁栄がある。神に不従順になり偶像礼拝に陥れば、土地や財産を失い、果ては外国に捕囚となって連れ去られてしまう。非常に分かりやすいのだ。

 

未来の天国、地獄というより、この地上でカタがつく。

 

新約の祝福は天上的?

一方、新約に入ると大分話が違う。金や地上的な権力が好きなパリサイ人や祭司長らはイエスから非難され、物資的繁栄=祝福ではないことが示される。逆に、主に忠実なクリスチャンたちはローマ支配の下で迫害、殉教していく。その中で祝福は「霊的」なもの「天的」なものになってゆく。

 

神はキリストにあって、天上にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。 (エペソ1:3)

 

また、朽ちることも、汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これらは、あなたがたのために天に蓄えられています。 Iペテロ1:4)

 

こういう表現は旧約には見当たらない。旧約的な思考では「天にある資産」と言われてもピンと来ないだろう。死んだ人は皆、同じ場所(シェオール=よみ)に下っていくので、それよりも地上での財産や家畜を望んだだろう。

 

初代教会のクリスチャンは、以下のイエスご自身の約束を聞いて、地上での幸せより、天での住まいを待ち望むようになっていく。

 

わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。  (ヨハネ14:3)

 

事実、パウロは世を去る方が望ましいとまで言っている。(ピリピ1:23)

 

この地上には、もうすぐ神の怒りが注がれる艱難時代が来るので、再臨を待ち望む方がいいとなる訳だ。

 

また、あなたがたがどのように偶像から神に立ち返って、生けるまことの神に仕えるようになり、御子が天から来られるのを待ち望むようになったかを、知らせているのです。この御子こそ、神が死者の中からよみがえらせた方、やがて来る御怒りから私たちを救い出してくださるイエスです。  Iテサロニケ1:9−10)

 

「マラナサ=主よ、来りたまえ」が初代教会の兄弟姉妹の挨拶だった。新約だけ読んでいると、一見、地上生活はどうでもいいように思えてくる。パウロは真面目に仕事するようには勧めているが、「怠惰であってはいけない」という道徳観念からで、神学的に「仕事」を説明しているようには思えない。神学的に説明しようとすると、創世記のエデンの園まで戻らなければならなくなる。

 

パウロは、地を思わず、天にフォーカスするよう勧めている。

 

こういうわけで、あなたがたはキリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。上にあるものを思いなさい。地にあるものを思ってはなりません。

(コロサイ3:1)

 

これが極端になると地上軽視、現実生活軽視となり、祈って再臨を待ち望むだけになってしまう。どうせ、この世は滅びる、この世とは軽いタッチで、とにかく伝道・・・実際、過去、そういう異端が発生した。福音派のホーリネス教団でも、そういう傾向に陥った。ホーリネスの中田重治の場合、最後は伝道すら強調せず、イスラエルの回復と再臨を求めての祈りだけになってしまった。

 

旧約では、地上生活重視であり、そこに働く神が強調されている。また、本来、神が作った「からだ」も「性」も本来素晴らしいという思想がある。「雅歌」が聖書に含まれているのは興味深い。聖書は禁欲主義ではない。しかし、キリスト教の歴史の中に「性」を過度に抑圧したために、逆に多くの問題を生じさせてきた。現代でもカトリック神父たちによる幼児の性的ハラスメントが問題になっている。

 

教会の中では、今日も肉体的なものやスポーツがあまり重視されない。1世紀に流行った霊肉2元論的異端の思想の影響が、今日まで続いているのかも知れない。

 

新約では、さらに啓示された将来の祝福、天的(霊的)祝福が記されており、それは素晴らしい。またよく読めば、新約においても「からだの復活」が強調されており、「霊的」な面だけが強調されている訳ではない。また千年王国は、この地上に成就する。神の祝福を受けて始まった被造物を楽しむことと、天的な祝福を待ち望むことの両面が必要だろう。

 

旧約は「人類のはじめ」が書かれている。アブラハム以前の歴史は人類の歴史なのだ。全人類が知るべきメッセージなのだ。創世記には神の「本来」の意図が書かれているゆえ、重要なのだ。旧約を土台に新約なのだ。

 

 

天と地

旧約の祝福は地上的、新約の祝福は天上的。両方とも創造主からの祝福。元々は天と地はオーバーラップしていた。エデンの園には、人と共に、神も天使も堕天使も同居していた。人は罪を犯し、園から追い出された。特にバベルの塔以来、国々は神の子ら(多くは堕天使)に任された。(申命記32:8)現在は天と地は分離しており、中間層には「空中の権威」を持つ支配者、サタンがおり、悪霊どもを使い人々を神から遠ざけている。(エペソ2:1、IIコリント4:4)しかし、主の再臨により悪の勢力は滅ぼされ、御国が樹立される。新天新地においては天からエルサレムが降って来て、神は人々と共に住み、人々は神の民となる。(黙示録21:3)最終的には全てが回復し、天と地が再びオーバーラップすることになる。

 

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もし、新約的(非地上的、非身体的)になりすぎているなら、下欄紹介の本を読んでみるのもいいかもです。急行列車に乗っているような生活をしている人がいるなら、立ち止まって神の被造物=綺麗な自然や美味しい食べ物を味わり、人と仕事以外の会話を楽しみ、神を賞賛することも大事ですね。

 

推薦本

「わが故郷、天にあらず」ポール・マーシャル著 いのちのことば社



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執筆者:栗原一芳

Japantmc@gmail.com

 

 

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