2022年1月27日木曜日

今だからこそ、理解しておきたいマタイ24章


マタイ24章は難解な箇所だ。誤解されて伝えられている場合が多い。24章が難しいのは、違う時代の事が並列的に書かれているからだ。これを解く鍵は弟子たちの質問だ。

 

弟子たちの質問

十字架にかかる週(過越の祭り)の火曜日に、イエスは子ロバに乗ってエルサレム入城をしている。神殿内でパリサイ人との最後の論争をされ、エルサレムを出てオリーブ山に座り、この24章のメッセージをなさった。オリーブ山に座るとエルサレムの神殿が見える。弟子たちが立派な神殿について語っていると、イエスは意外なことを言われた。

 

すると、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたはこれらの物すべてを見ているのですか。まことに、あなたがたに言います。ここで、どの石も崩されずに、ほかの石の上に残ることは決してありません (マタイ24:2)




 神殿が崩壊すると言うのだ。それでびっくりした弟子たちが3つの質問をする。

(マタイ24:3)

 

1.      いつ神殿崩壊が起こるのか?

2.      再臨の「しるし」は何か?

3.      世が終りの「しるし」は何か?

 

 

世が終りの「しるし」は何か?(マタイ24:4−8)

イエスは順番を変えて弟子の質問に答えられている。まず、3番目の「世の終わり」のしるし。「世」(アイオーン)は原語的には「時代」「世代」の意味で、いくつかの英語訳はThe end of ageと訳している。つまり、世の滅亡というニュアンスよりも、この時代(人間支配の時代)が終わり、新しい時代(メシア王国)が到来するトランジッションの「しるし」という意味だろう。そのトランジションは「大患難時代」と患難期終わりに起こる「キリストの地上再臨」である。

 

だから、ここでの質問は意訳すれば、7年間の患難時代前の「しるし」は何かということだ。イエスの答えは・・・

 

  偽キリスト(24:5)

  戦争   (24:6)

 

を先ず挙げているが、その後、丁寧に「まだ終わりではありません」と説明をつけておられる。これらはペンテコステから今までの「教会時代」に常に起こることで、それ自体が患難時代直前のしるしではない。

 

では患難時代への移行期のしるしとは・・・

 

  世界戦争(24:7)「民族は民族に」「国は国に」はラビ的表現で世界戦争

を表す。人類初の世界大戦は、第一次世界大戦と第二次世界大戦。これに付随して重要なイベントが起こっている。第一次大戦時からシオニズム運動が加速し、第二次大戦後の1948年5月にイスラエルの国家宣言がなされている。反キリストがイスラエルと契約を結ぶためには(ダニエル9:27)イスラエル国家ができていなければならなかった。

 

  飢饉と地震(24:7) 最近、世界中で大地震が多発している。1000年に一度という東日本大震災があり、1000年に一度というトンガ海底火山噴火があった。地震と火山は連携しているので、異常気象に加えて火山活動の活発化により多くの農産物に被害が出るだろう。飢饉も広がる。

 

  疫病 ルカ21:11の平行記事では疫病にも言及されている。今日のパン

デミックを見れば明白だろう。それに「天からの大きなしるし」。何らかの天災が起こることも付け加えられている。

 

すでに、これらのほとんどは起こっている。そして、これらが「産みの苦しみ=患難時代」の始まりなのだというのだ。(マタイ24:8)患難時代は迫っていると見るべきだろう。

 

9節の接続詞、「そのとき」と訳されているが、原語は「それから」「その後」とも訳せる。つまり「産みの苦しみ」が始まった後という解釈にもなり得る。

 

そうすると、9節から14節を患難時代前期の出来事と解釈できる。

 

  増大する迫害 (9−10)迫害の激しさも増す。

  偽預言者が多くの人たちを惑わす。(11)

  愛が冷え、不法がはびこる(12)

  迫害の中を生き延びる信者がいる(13)

  世界宣教が前進する。(14)

  患難期にあっても、イスラエルの144000人の伝道者(黙示7)、エルサレムの2人の証人(黙示11:3)、御使による世界宣教(黙示14:6)によって福音は伝えられ、救われる人々が起こされる。

 

 

いつ神殿崩壊が起こるのか?(マタイ24:15−22)

まず、この箇所はユダヤ人に対して語っている。(24:16)そのまま日本人には適応できない。「荒らす忌むべき者」=「反キリスト的存在」がエルサレムの神殿を汚すことは、元々はダニエル9:27で預言されている。旧約に詳しいユダヤ人ならこの預言は誰でも知っていただろう。事実、これは歴史上何度か起こっている。バビロン捕囚帰還後、シリア、セレウコス朝のアンティコス・エピファネスは自らを神とし、エルサレムの神殿に豚を捧げるという冒涜を犯した。

 

また、弟子の質問に言及すれば、AD66、ローマ軍がエルサレムに侵攻し、街を包囲した。これが神殿崩壊のしるしとなった。しかし、ローマ内部の問題により一時的に包囲が解かれた時にイエスのこの言葉を守っていた2万人のユダヤ人クリスチャンはデカポリスの山々に逃げて助かっている。しかし、市内に残ったユダヤ人達は被害を受けたので、それ以来、ユダヤ教のユダヤ人はユダヤ人クリスチャンを嫌うようになった。またローマ軍が神殿に火をつけた故、金の財宝は溶けて石の隙間に入ったため、石を取り除けながら金を採集した。このように預言が成就している。(マタイ24:2)

 

しかし、この出来事は患難時代後半にも起こることであり、患難時代3年半目に本性を現した反キリストが神宣言をして、神殿を支配する。(黙示録13:5−6)その時、ユダヤ人たちはヨルダンの山々(ボツラ=ペトラ)へ逃げる。(イザヤ34:1−8、イザヤ63:1−6、黙示録12:6)それはまさに、ユダヤ人にとっては、かつてないような苦難の時(マタイ24:21)であるが、神はその苦難を限定的なもの(3年半)にしている。(24:23)ボツラに避難しているユダヤ人は、その時、国民的悔い改めをして、メシアとしてのイエスを呼び求めることとなり、(マタイ23:39)それに答えてメシアの地上再臨が起こる。再臨の場所がボツラであることも預言されている。(イザヤ63:1)キリストは反キリスト軍を滅ぼし、オリーブ山で勝利宣言される。(ゼカリヤ14:3−4)

 

 

再臨のしるしは何か?(マタイ24:23−35)

マタイ24:23からは「再臨のしるし」となる。地上再臨は携挙と違って、誰の目にも分かるように公に来られる。(24:27)「奥の部屋にいる」というようなプライベートなものではないのだ。(24:26)地上再臨前は偽預言者が出て、選民=ユダヤ人をさえ、惑わそうと、大きな「しるし」や不思議をする。ユダヤ人は「しるし」を求めることを覚えているだろうか。(Iコリント1:22)

 

  天体の異変 あのエジプトで起こったような「闇」が、今度は全世界を覆う。

(24:29)(ヨエル2:30)

 

  人の子(キリスト)のしるしが天に現れる。(24:30)闇のクライマックスに光であるキリストが現れる。天の雲は神の栄光を表す言葉なので、文字通りかどうかは分からないが、「偉大な力と栄光と共に来られる。」ことは確かで、地のすべての部族が目撃する。(24:30)

 

  人の子が選んだものたちを集める。(24:31)選びの民=イスラエルの回復だ。地に生き残ったユダヤ人クリスチャン、また大艱難時代に殉教したユダヤ人クリスチャン(黙示20:4)、と天にいる旧約の聖徒たちは(マタイ24:31)復活し、一同に集められ、御国=メシア王国=千年王国を受け継ぐことになる。(黙示20:4)

 

24:34「これらのことがすべて起こるまでは、この時代は過ぎ去ることは決してありません。」

 

これはイエスご自身が言われた重要な言葉だ。聖書的な視点では、この時代が過ぎ去り、次の時代が来るのだ。歴史は、時系列的に動いていく。だから「しるし」を見極める時代認識(24:32−33)が大事。

 

いちじくの木から教訓を学びなさい。枝が柔らかになって葉が出て来ると、夏が近いことが分かります。同じように、これらのことをすべて見たら、あなたがたは人の子が戸口まで近づいていることを知りなさい。(マタイ24:32−33)

 

また預言研究により、その「しるし」と現状を照らし合わせてゆく作業も必要になる。そうでなければ、イエスご自身がこのように、詳細に「しるし」の説明や「預言」をなさる意味がない。イエスのお言葉は確かなのだ。(24:35)

 

 

携挙に関しての記述(マタイ24:36−51)

24:36「ただし」が混乱させる。この接続詞は「さて」とも訳せる。ここは「さて」と話題を変えるところで、次のテーマは同じ再臨でも「携挙」についてである。「ノアの日のようだ」と書かれているように、患難期後半の天変地異が起こるような異常な日々ではなく、平穏な日々に来られる主について語っている。(24:37−39)

 

そして、携挙は一瞬にしてプライベートに起こる。日常生活をしていると「一人は取られ、一人は残される」(40−41)のだ。地上再臨の時、こういう所作が必要だろうか?これは、明らかに地上再臨の様子とは違う。ここでは「携挙」について語っていることが分かる。(Iテサロニケ4:16−17)「携挙」では一瞬にして私達が引き上げられ主の元に行く。地上再臨では主ご自身が地上に降って来られる。ベクトルが違うのだ。24:42−44は「目を覚ましている」ことが強調されている。なぜなら、携挙は突然、いつでも起こり得るからだ。今見てきたように、地上再臨前の「しるし」は記されているが、「携挙」前の「しるし」は無い。平行記事のルカ21:35−36では患難時代から逃れて主の前に立てるようにと、患難期前携挙を示唆するような箇所もある。

 

その日は、全地の表に住むすべての人に突然臨むのです。しかし、あなたがたは、必ず起こるこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈っていなさい。  (ルカ21:25−26)

 

マタイ24の最後、42−51は携挙に際しての心構えとなっている。

 

ですから、目を覚ましていなさい。あなたがたの主が来られるのがいつの日なのか、あなたがたは知らないのですから。 (マタイ24:42)

 

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「艱難期前に時系列的に起こる10の出来事」

    ハーベストタイムミニストリーズ出版「終末論」中川健一著による

 

1.      世界戦争(第一次大戦と第二次大戦)

2.      イスラエル国家の再建

3.      ユダヤ人のエルサレム支配

4.      エゼキエル戦争(北の諸国連合のイスラエル侵略)

5.      世界統一政府 *一時的な世界政府はやがて10の統治圏に分割

6.      10の王国

7.      反キリストの出現

8.      偽りの平和と偽りの安全の時期

9.      7年の契約締結(反キリストとイスラエルとの平和条約)

 

この順番でいけば、1−3は成就しているので、次は4のエゼキエル戦争となる。こちらも以前、この以前のブログでも書いたように舞台が整いつつある。

 

また患難期3年半に本性を表す反キリストが神殿での捧げ物をやめさせる(ダニエル9:27)(黙示13:6)ためにはエルサレムに第三神殿が建っていなければならず、患難期前までに再建されているものと思われる。すでに神殿再建委員会が発足しており、そのための基金が世界中から集められているという。

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おすすめyoutube動画

 

「メシアの生涯 (165)」オリーブ山での説教シリーズ(1)〜(5)

 中川健一

 

シリーズ(1) 

https://message-station.net/episode/1173/

 

*今回のブログ記事は、この動画メッセージを参考にさせて頂きました。

 

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執筆者:栗原一芳

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